「メンヘラ」から世界を見る――「メンヘラ批評」宣言

 ホリィ・センです。このたび、東京の友人の日和下駄くんと一緒に「メンヘラ批評」という同人誌を第二十八回文学フリマ東京 (5月6日(月)11:00~17:00 東京流通センター 第一展示場)で販売することにしました。

 

 まず、「メンヘラ批評」と銘打って何がしたいのかを説明しましょう。それは一言で言えば、なんらかの作品などを「メンヘラ」という切り口から見ることによって、新たな世界の見方を提示し、その見方によって「メンヘラ」をエンパワメントすることを目指す、ということです。

  例を挙げるなら、「この映画の登場人物の破天荒な生き様を詳細に描き出してみました。この生き様はこういう点で読者の生き方においても参考になりますよ」ということを提示するといったことです。あるいは、「この小説に出てくる一見頭がおかしい登場人物の行動原理を読み解きました。こういう人も実はまっとうに理解できる考え方で生きているんですよ」ということを明らかにして読者に考えさせるとかです。ノンフィクションを題材にしてもよいでしょう。「なにかのコミュニティでこういう制度があったんですが、そのせいで被害を受けた人がいました。その手口はこういう感じなんでみんなも引っかからないようにしましょう」とかとかです。

 

  しかし、「批評」というと「メンヘラ」を外側から評価して、好き勝手なことを言うような内容を想像する人もいるかもしれません。「エンパワメントすること」を目的とする以上、できるだけ「メンヘラ」に寄り添った内容を目指したいですし、読者を傷つけるような内容は避けようと思います。そのような危険を冒してまで敢えて「批評」という言葉を使う理由はなんでしょうか。

  「批評」は「評論」よりも「否定」の意味合いを帯びた言葉です。では、何を否定するのでしょうか。僕たちが今生きているこの社会の抑圧を、です。現代のこの社会で生きづらさを感じている人にとって、「メンヘラ批評」が突破口になってくれれば。そういう思いで敢えて「批評」という言葉を使います。

 

 ということで、「メンヘラ批評」に文章を寄稿してくれる方を募集します。コンセプトの都合上、読者のために作るつもりなので、多少のクオリティは要求しますが、題材としてはなにかの作品(映画、テレビドラマ、小説、エッセイ、自伝、音楽、漫画、アニメ、ゲーム、絵、詩、演劇等々)や社会における出来事、人物、はたまた自分自身のことなど、自分のやりやすいもので大丈夫です。「なんか書いてみたいけど、題材が定まらない」という人は案を出すのを手伝うのでお話しましょう。ご連絡ください(また、後述するように、「メンヘラ系」みたいなジャンルがあると僕は思っていますので、何も思いつかない人はそこから選ぶのがいいかなと思います)。原稿の文字数としては最低2000字程度を考えています。原稿料も出す予定です。

 連絡先は、holysenアットマークgmail.comです。Twitter(@menhera_hihyouや@holysen)などに連絡していただいても構いません。

 

***

 

 しかし、なんでまた「メンヘラ」で同人誌を作りたいのか・作るべきなのか、そもそもなんで「メンヘラ」という言葉にこだわるのか、といった疑問を持つ人もいるでしょう。ということで、ここからはこの「メンヘラ批評」プロジェクトについて考える上での見取り図的なものを示したいと思います(とはいえ、僕が思う「メンヘラ」像に依拠しながら書くことになりますので、できるだけ世間の「メンヘラ」に対するイメージも尊重し、バランスよく記述することを目指しますが、どうしてもバイアスのかかったものにはなってしまいます。そのあたりはご了承ください)

 

 まず、「メンヘラ」という言葉にまつわる社会の問題(だと僕が思っているもの)を三つ紹介します。そして、どういった対象をどのように見て、何を読者に提示できれば「メンヘラ批評」はその問題の解決に寄与できるのかといったことを三つの問題のそれぞれについて書きます(1~3)。次に、具体的な作品名やアーティストを挙げながら「メンヘラ系」と呼べるようなジャンルの存在を指摘します(4)。そして、「メンヘラ批評」にどういう意義があるのかを考察した後(5)、同様の意義を有した実践例を紹介します(6)。最後に、僕自身の個人的な立場から「メンヘラ批評」を企画した理由を述べたいと思います(7)。

  ところで、「メンヘラ」という言葉は何を意味しているのかについては、みなさんいろいろ思うところがあると思います。ひとまず、メンヘラとは「みんなが『メンヘラ』だと思っているもの」だと定義しておきます(定義になっていないと思うかもしれませんが)。というのも、「メンヘラ」という切り口から作品等を見る、というコンセプト上、あまりしっかり定義しちゃうと、「メンヘラ」という言葉がせっかく豊饒なイメージを持っているのに、そのイメージを固定化してしまうのはもったいないからです。

 

 さて、それではまず「メンヘラ」にまつわる問題を三つに分類しながら説明していきましょう。

 

***

 

1.「メンヘラ」の個人的生きづらさ

 まず、「メンヘラ」というのは、言葉からするとメンタルヘルスer、すなわちメンタルヘルスに問題を抱えた人のことです。例えば、なんらかの精神的なストレスがあると、それが原因となって何かがうまくできなかったり、人間関係がうまくいかなかったり、またそのことが精神に悪影響を与える悪循環になったりといったことがあるでしょう。

 

 こういうことは程度の問題はあれど、みなさん経験したことのあることだと思います。それが「メンヘラ」や「生きづらさ」と呼べるレベルまで達している人も「メンヘラ批評」の読者にはいることでしょう。ということで、なんらかの読者を各々の書き手が想定した上で、その読者が使いこなせるようなライフハック、戦略のようなものを提示することがその解決策になってきます。

 

  もっと言えば、そのような戦略はある種の極端さや過剰さ(ラディカルやドラスティックなどと言ってもいいでしょう)を持っている場合があり、そのことをある種魅力的に描き出すこともできるでしょう。言うならば、「プロ生きづらいマン」の生き様を示すというやり方があると思います。その「生き様」は読者にとって実践的に参考になるというだけでなく、読者に勇気を与えるなんらかの励みになる場合があると考えられます(後に述べるように、それが悪影響をもたらす可能性もありますが)。

 

 この場合、「メンヘラ」的な作品の登場人物やノンフィクションの人物に焦点を当て、その人物の戦略や取りえた選択肢、その「魅力」などを分析することになるでしょう。

 

 

2.「メンヘラ」的な社会関係

 次に、「メンヘラ」について考える上では人間関係的な側面が付きまといがちだと僕は考えています。親をはじめとした家族との関係がうまくいっていなかったり(例えばいわゆる「毒親」)、恋愛関係や夫婦関係がうまくいっていなかったり(例えば「DV」や「共依存」)といった問題が見出せます。他にも「いじめ」や「ブラック企業」や「洗脳」のようなキーワードに代表される、閉鎖的・権力的・暴力的な関係は「メンヘラ」的な社会関係だと僕は考えています。

 

 他にもいろいろ挙げようと思えば挙げられるかもしれません。このような社会関係における問題に対処するためには、まず実態を理解する必要があるでしょう。そこで、このような「メンヘラ」的な社会関係の「実態」を読者に向けて描き出す、ということがまず考えられます。

 しかし、急いで付け加えると、何をもって「実態」と言えるのかは非常に難しいところがあります。例えば、「自分が見た事例はこうだった!」というルポのようなものがあったとして、それがどこまで一般化可能で、読者がその現象を理解する上で役立つのか、といったことを把握するのは難しいわけです。むしろ、一事例を過度に一般化することで、誤った見方を強化しかねないところもあるでしょう。そのため、「実態を明らかにする」という作業には慎重さが求められます。「どのような状況でどのような条件だったのか」というような、全体的な構造をしっかり記述することで客観性を持たせるべきだと僕は考えています。というのも、僕が思うに、ただでさえ「メンヘラ」というものはイメージで語られがちな言葉だからです。

 

 イメージの問題については次で述べるとして、この場合の問題解決策は、作品などに出てくる設定や状況から「メンヘラ」的な社会関係を見出し、その構造やメカニズムを分析するということになるでしょう。

 

 

3.「メンヘラ」のイメージに伴うスティグマ

 ここまで、「メンヘラ」にまつわる問題とその解決策を二つ述べましたが、それが「問題である」という見方自体は、「メンヘラ」についての「イメージ」によって生じていると言うことができます。この「イメージ」の問題は「問題化されてしまうという問題」、言わばメタ問題なわけです。そして、この「問題化」が特定の個人や集団に適用されて、そのことによって著しい不利を被ったり、攻撃を受けたりする場合、その「問題化」は「スティグマ化」であるとさえ言えるでしょう。スティグマとは「烙印」を意味する言葉で、社会的に差別を受けるような属性のことを指します。つまりこの問題は「メンヘラ」という言葉のイメージのせいで社会からのけものにされてしまうというスティグマの問題です。

  「メンヘラ」という言葉はいわゆる「バズワード」であり、指している意味が曖昧であるためにイメージばかりが拡散しています。例えば、人間関係で問題を引き起こしたり情緒が不安定だったりする女性が「メンヘラ女」と呼ばれる事例がインターネット上の一部で見られますが、そのイメージのせいで誹謗中傷を受けたり、自分の不安定な部分を隠さなければいけなかったりといった人もいることでしょう。また、セルフスティグマとして自分を「メンヘラ」のイメージに当てはめることで、自己肯定ができないとか、「自分から不幸になりにいく」ような行動を取るなどといった場合もあるように思います。

 

 この「問題」の解決策としては何が考えられるでしょうか。この場合、例えば「健常者/メンヘラ」のような区別が(インターネットを中心とした)様々なメディアを通じて社会に流通していると考えられます。となると、この境界線を揺らがせるような見方を読者に提示できると良いでしょう。例えば、「認知の歪み」という言葉があります。これは、「完璧主義」「マイナス思考」「レッテル貼り」などの「非合理的」な認知を指したものですが、これらが果たして「歪み」だとか「非合理的」だとか、なぜ言えるのでしょうか。例えば、「マイナス思考」のおかげで慎重になれることで、危険を回避できることだってあるかもしれません。仮にもっと合理的には思えない見方を持っていたとしても、その人の中では主体的にその見方が選択されており、ある意味でそれが最も適応的かもしれないわけです。そういった営みを「歪み」などと「レッテル貼り」すると、むしろその人の主体性を奪っていることになってしまうでしょう。

 

  だからこそ、一見非合理的に見える考え方にもその人なりの論理があるのだということを読者に提示できれば、「非合理的」だとされてきた人のイメージ改善に繋がります(とはいえ、手放しに「非合理的」な考え方や行動を賞賛するのもまた危険だとは思います。おそらく、多様な考え方や行動を選択肢として持っておく、ということが重要なのだと僕は思います)。

 

 逆に、社会的に健常だとされている見方や行動にも「メンヘラ」性が潜んでいることはあるでしょう。ということで、後述する「メンヘラ系」のジャンルには分類されないような作品における「メンヘラ」性を鋭く読み解くという方法もまた考えられます。そうすることで、「健常者/メンヘラ」という区別が実は曖昧であり、両者は地続きであるということを読者に示すことができるかもしれません。

 

 また、区別を保った上で、「メンヘラですがそれが何か?」というある種の開き直りを提示することも可能かもしれません。「開き直り」とまで言わなくとも、「メンヘラ」が他者と異なる存在であることを認めた上で、なおも「そのままでいい」ということがメッセージとして読み取れる作品は数多く存在しているように思います。そういった作品から、なぜ「そのままでいい」と言えるのかを分析して、その説得力を読者に判断してもらうということもできるでしょう。

 

 

4.「メンヘラ系」というジャンル

 ここまで、「メンヘラ」にまつわる三つの問題の解決について、「メンヘラ批評」がどのように寄与するかを一般的な形で述べてきました。再度ざっくりとまとめ直しますと、①「メンヘラ」を個人に帰属するものとして捉えるならば、その個人の「戦略」や「生き様」を提示する。②「メンヘラ」を関係や集団的なものとして捉えるならば、そのメカニズムや構造を明らかにする。③「メンヘラ」を社会に流通しているイメージとして捉えるならば、「メンヘラ」の持っている論理が理解可能になるよう分析したり、逆に非「メンヘラ」だとされているものに「メンヘラ」性を見出したり、「メンヘラ」を「そのままでいい」ものとして提示したりなどすることで、「メンヘラ」という言葉のイメージの転換を図る。以上の三つになります。

 

 ここまで、みなさんの持つ「メンヘラ」のイメージを固定的なものにしすぎないために、敢えて具体的な作品名や人物名までは出さないようにしてきました。ここからは、「メンヘラ」という切り口を用いたときに対象となるものの具体例として、作品や人物についても焦点を当てていきます。

 独断と偏見が混じっていることを承知で書きますが、世間には「メンヘラ系」と言えるようなジャンルが存在しているように思います。あるいは、Twitterなどを見ていると、「メンヘラ界隈」のようなゆるやかなネットワークが形成されているようです(それも一枚岩ではなく、様々な「メンヘラ界隈」が存在するようです)。このような「メンヘラ系」や「メンヘラ界隈」はどのような特徴を元にまとまっていると言えるのでしょうか。先にイメージしやすいように、キーワードを列挙するなら「精神疾患」、「親との確執(虐待)」、「いじめ」、「暴力」、「美醜」、「性(セックス)」、「恋愛でのトラブル」、「自傷リストカット)」、「死(自殺)」、「向精神薬オーバードーズ)」、「ドラッグ」、「劣等感(承認欲求)」、「創作表現活動」などが挙げられるかと思います。具体的に見ていきましょう。

 

 先ほどの「メンヘラ」を①個人として/②関係として/③イメージとして捉えるという三分法に則るならば、まず、個人としての「メンヘラ」という切り口からは、壮絶な人生や生々しい感情が綴られた、日記や自伝的文章を批評対象にすることができるように思います。例えば、ちくま新書の『友だち地獄』(土井隆義)において、『二十歳の原点』の高野悦子と『卒業式まで死にません』の南条あやが比較されています。時代は30年異なるものの、自傷癖があり、文才に優れ、若くして自殺したなどの共通点があったために比較されたのでしょう。この二人は「メンヘラ系」に含まれるのではないかと僕は思います。

 

 実際、Twitterにおける「メンヘラ界隈」において南条あやの名前を聞くことは多いですし、南条あやへの「憧れ」が語られるのを聞いたこともあります。親との葛藤やリストカットオーバードーズなどの体験を含む日記をインターネット上に投稿していた南条あやは「メンヘラ」にとっての一つのモデルとなっていると言えるでしょう。その証拠、と言えるのかは分かりませんがGoogle検索をしていたらこんな記事も出てきました。

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 一般的に言えば、「自分語り」的な日記や自伝のような文章は、その壮絶な人生や生々しい感情を表現しやすいことなどが理由で「メンヘラ系」というジャンルに含まれることがあると言ってもいいと思います。最近でも例えば、小野美由紀さんの『傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』という自伝的エッセイがありますが、これは「メンヘラ系」というジャンルが存在することが意識されたタイトルだと思います(とはいえ、小野美由紀さんが「メンヘラ」というカテゴリーに含まれるかどうかはまた別の話です)。

 

 歌手にも「メンヘラ系」は存在すると思います。パッと思いつくので言えば、Cocco椎名林檎大森靖子あたりでしょうか。これらの歌手においても、生々しく衝動的な感情を表現している側面などに「メンヘラ系」らしさがあるように思います。他にも、ミオヤマザキアーバンギャルドあたりもジャンルとしての「メンヘラ系」を自覚的に使いこなしている例だと思いますし、ビジュアル系の一部は「メンヘラ系」と重なる部分があると思います。僕には知識がないので詳しくは分かりませんが、歴史的に言えばゴスgothカルチャーから「メンヘラ系」への連続性が見られるように思われます。そこでは「死」をイメージさせるある種の耽美なものが「メンヘラ系」と結びついているのでしょう。

 

 挙げだすとキリがないので割愛しますが、映画や小説などにも「メンヘラ系」というジャンルは存在するでしょう。この場合も、物語の登場人物について個人としての「メンヘラ」という切り口から考察することができるでしょうが、それでは関係としての「メンヘラ」についてはどうでしょうか。

 

 2でも既に述べましたが、「毒親(家族)」や「虐待」や「DV」や「共依存」、「いじめ」、「ブラック企業」などの閉鎖的・権力的・暴力的な関係性は「メンヘラ系」と関連が強いと思われます。これらの関係性が含まれる作品等がただちに「メンヘラ系」というジャンルに分類されるとまでは言えないでしょうが、先ほどの個人としての「メンヘラ」と同時に登場することもそれなりにあることでしょう。例えば、ドラマにもなった『君が心に棲みついた』(天堂きりん)という漫画では、上司の男性が主人公に対してモラルハラスメント的な接し方をするのですが、それと同時に主人公個人のネガティヴな性格などが描かれます。同じく漫画で言えば『君に愛されて痛かった』(知るかバカうどん)は、作品全体のトーンとして「メンヘラ系」に分類してよいと思われますが、この作品でも学校でのいじめが重要な位置を占めています。

 

 そして、ここまで述べてきた「メンヘラ系」というジャンルはやはり「イメージ」の産物です。「メンヘラ」というカテゴリーを用いることや「メンヘラ系」というジャンルの存在を受け入れてそれに乗っかることは、人々のコミュニケーションや様々なメディアを通して再生産されていく「メンヘラ」のイメージに踊らされて、「メンヘラ」のスティグマ化に加担してしまっているのだという批判があるかもしれません。例えば、「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」ということを標榜した『完全自殺マニュアル』(鶴見済)が、実際には自殺を誘発する「有害図書」であるという見方も否定はしきれません。先ほど挙げた南条あやの「マネをする」人が現れたことについて、テレビやゲームにおける暴力シーンへの規制と同様の論理で「有害」だと批判する人もいるでしょう。

 

 このような批判にはどのように応答することができるでしょうか。このことについて「メンヘラ批評」が持つ意義も含めて、述べたいと思います。

 

 

5.「メンヘラ批評」の意義

資源としての「メンヘラ」という言葉

 まず、現に「メンヘラ」というカテゴリーのおかげで人との繋がりができたり、自分自身の生きづらさについてより深く知るキッカケを得られたりした人もいることでしょう。逆に、「メンヘラ」というカテゴリーがスティグマとして働いて人々を傷つけたり、むしろ歪んだ形で自分自身を見てしまったり、ピエロのように自分自身をコンテンツ化することで危険な行動が際限なくエスカレートしてしまったりという人もいるでしょう。これらにおいて問われるべきなのは「『メンヘラ』というカテゴリーを用いたり、『メンヘラ系』というイメージに乗っかったりする際に、メリットとデメリットを比較してどちらが大きいと言えるのか」ということになるでしょう。

 

 これは簡単に答えの出せる問題でありませんが、僕の考えを述べます。現に「メンヘラ」というカテゴリーが、自分自身のアイデンティティや世界の見方において、必要不可欠なものになっている人はいると思います。そういう人に対して「メンヘラという言葉を使わずに、別の言葉を使いましょう」というのは酷なことではないでしょうか。むしろ、その人にとって納得のいく生き方や世界の見方を得てもらうためには、まずその人が持っている「メンヘラ」という概念に寄り添う必要があると思います。既にその人は「メンヘラ」の概念を持っており、手放すことは難しい状態にあるのですから、だったらひとまず「メンヘラ」から出発するべきです。そうして、納得がいくところまで少しずつ自身のアイデンティティや世界の見方をズラしていく、そちらの方が誠実なやり方なのではないかと僕は思います。

 

 このことは「当事者研究」の考え方から述べることもできます。「当事者研究」とは統合失調症などの当事者が、自己病名をつけて症状を分析したり、そこから生じてくる生きづらさや固有の経験を自分たちで研究したり、発表したりするという活動です。これは、「べてるの家」という北海道にある精神障害者を中心とした地域コミュニティで発明されました。べてるの家では幻覚や妄想をむやみに否定せず、互いに発表し合う「幻覚・妄想大会」というものが行われています。ここで重要なのは、病院で患者の状態を医者が診断し治療するというモデルを超えて、自分たちの状態を自分たちで解釈し、どうしていくかも自分たちで考えていく当事者の自己決定が重視されているということです。更に、医学的に見てもこういった活動は統合失調症に対して治療的介入として用いられるオープン・ダイアローグと類似しており、治療的効果があるとも考えられます。

 

 「メンヘラ」という言葉もまた、医学的な病名だけでは自分自身のことを捉えきれない人にとっての一種の資源としての言葉になれば良いなと思います。「メンヘラ」という言葉は誰かにレッテルを貼って終わりの「出口」の言葉として使われるべきではありません。自分自身の生きづらさについて研究するためのキッカケ、つまりは「入口」として価値があるのだと思います。

 

 ということで、「メンヘラ批評」が「メンヘラ」にまつわる様々な見方を打ち出すことを通じて、読者の方が自分自身のことを見つめるキッカケを得られれば、と思います。

 

 

いくつかの注意事項

 とはいえ、もちろん精神医療や心理療法を否定しているわけではありません。むしろ、病院に通い、自分の状態をはっきり伝え、用法容量や指示をちゃんと守るということが治療や生活においては大前提として重要であるということは強調しておきます。過度の権威主義にも問題はありますが、やはり、長年の研究が蓄積されている医療の力には頼るべきです。また、日常生活においても医学的な病名を用いるべきではないと言っているわけではありません。

 

 大事なことは、「メンヘラ」という言葉も病名もあくまで、一人の人間にとっては部分的なアイデンティティでしかないということです。当然、人間の精神状態や思考パターン、性格、行動、対人関係、能力などといったものがすべて「メンヘラ」や病名で説明できるわけではありません。できることは、自分自身がどういう人間であるのか、生きるためにどういう戦略を用いることができるのかといった認識を部分的に深めることだと思います。そのために、そのようなアイデンティティの断片を拾い集めることが役に立つ場合があるでしょう。「メンヘラ」という言葉はあくまで数ある資源の一つであると僕は考えています。

 「メンヘラ批評」が「メンヘラ」のエンパワメントを標榜していることは冒頭で述べました。その上で、最も分かりやすい「メンヘラ批評」の意義は「メンヘラ」という言葉を資源として豊かなものにすること、これだと思います。

 

 ただし、そもそも「メンヘラ」という言葉のせいで傷ついており、「メンヘラ」という言葉が存在してほしくないのだという人もいると思います。確かに、「メンヘラ」という言葉がネガティブなイメージのまま、3で述べたようにある種のスティグマとして用いられている内は、「メンヘラ」という概念が広まれば広まるほどデメリットがあるでしょう。

 しかし、「メンヘラ」概念が資源として用いられ、一定の市民権を得ていけば、「メンヘラ」という言葉のイメージの改善にも繋がるでしょう。すると、「メンヘラ」概念のせいで傷ついてきた、「メンヘラ」という言葉が嫌いだ、という人たちに対しても、長期的に見ればメリットをもたらす可能性があるということになります。僕自身の意見としては、現に「メンヘラ」という言葉は社会において使われており、差別用語として強い規制がなされているわけでもないというところから、「根絶」することは難しいと思います。そこで、むしろ発想を逆転させて、「メンヘラ」概念の「良い用法」を普及させていくべきだと思います。それは先ほども述べたように、短絡的な形で自分や他人にレッテルを貼るために「メンヘラ」という言葉を用いるのではなく、考えるための出発点、資源として「メンヘラ」という言葉を用いていくことだと思います。

 

 ただし、もう一つ大事なことを付け加えておきます。「メンヘラ批評」は「メンヘラ」という言葉を軸につながりやコミュニティを作ることを志向しているわけではありません。そのようなつながりやコミュニティは孤独の解消に寄与するという面では良いこともある反面、人間関係のトラブルや、健康上のリスクがある行為の伝染・エスカレートに繋がる可能性があります。個人的にはそういうコミュニティにおいては、ある程度支援者的な立場の人間がいたり、相互扶助的な文化が浸透していたり、リスクを回避するためのポリシーやルールがあったり、ということが重要だと思いますが、「メンヘラ批評」にはその用意はありません。

 

 

6.「メンヘラ」という言葉を資源として用いた実践例

 「メンヘラ」という言葉を資源として用いる、ということを具体的に想像できない人もいるかと思いますので、活動の例を紹介しておきましょう。まず、2014~2017年頃に複数回行われた「メンヘラ展」というグループ展では、「メンヘラであること」を結集軸にして様々なアーティストが出典しました。これは「メンヘラ」としての表現の可能性を広げた一つの出来事だったと思います。僕自身も「メンヘラ展2」にお邪魔したことがあり、その感想記事が残っています。

holysen.hatenablog.com

 

 4年半も前の記事なので稚拙で恥ずかしいですが、記事を読み返すと、「『メンヘラ』という言葉に内在している多様性を、そのまま多様に表現する」ということを僕は当時評価していたようです。これは「メンヘラ」という言葉を切り口にする「メンヘラ批評」においても見習いたい視点です。

 

 また、現在も活動が続いているメンヘラ.jpというサイトは「メンヘラ」を「メンタルヘルスに問題を抱える当事者」と一般的に定義した上で、自己表現、承認、情報提供の場を作っているという点で意義があります。このサイトもまた、「メンヘラ」という言葉を用いているからこそ届く層がいるのだと思います。おそらくこのように「メンヘラ」の定義を一般的にすることで、「メンヘラ」という存在を特殊なものにするのではなく、「みんなつらいんだから、そんなに頑張らなくていい、そのままでいい」というようなメッセージを伝えているのだろうなと思います。メンヘラ.jpについては批判も含めて紹介した記事を書いていますので、詳しくはそちらを参照いただけると幸いです。

holysen.hatenablog.com

 

7.ホリィ・センはなぜ「メンヘラ批評」をやるのか

 最後に、僕自身の立場を踏まえた上で、なぜ「メンヘラ批評」プロジェクトを立ち上げたのかを述べておきたいと思います。

 

 僕自身は基本的には自分のことを「メンヘラ」だとは思いません。せいぜい、たまに精神が不安定になったときに自分自身をメンヘラ的な状態になっていると思う程度です。にもかかわらず、「メンヘラ」という言葉にこだわり続けているのにはいろいろ理由があります。

 

 わかりやすい話で言えば、僕は3年前、「メンヘラを好きな理由」を書き出してみたことがあります。ツイートが残っているので貼っておきます。

 

 このときから既に、自己批判を込めて露悪的な書き方をしていたように思いますが、今ももしかしたらこういった気持ちが無意識下にはあるかもしれません(意識の上ではもはや「庇護欲」のようなものはありませんし、「普通」からズレた自分を受け入れてほしいというような気持ちもありません)。いずれにせよ、「メンヘラ」的な人の助けになりたいという気持ちは未だに普通にありますし、自分のことを「メサイア(救世主)コンプレックス」だと言うこともあります。

 

 そのような気持ちを持つようになったキッカケまではもはや思い出せませんが、自分の中ではメンヘラ神という人との関わりが大きかったと感じています(メンヘラ神とのことについてはこの記事に書きました)。

holysen.hatenablog.com

 

 その後も、様々な生きづらい系の人と関わってきました。自分とのやりとりが助けになったのかどうかは正直あまり分かりませんが、自分なりにできることをやろうとずっと考えてきました。今でも個人的に相談を受けたり、コミュニティを運営したりといったことは(全盛期ほど精力的ではありませんが)続けています。最近では、「メンヘラ当事者研究会関西」の活動もやっていきたいと考えています(忙しい時期もあったために、長らく開催できていないのが心苦しいですが、本当は月1ぐらいで開きたいものです)。

 

 しかし、自分の中の変化として、大学院生としてもう4年間過ごしたというのが大きく効いています。数年前に比べて圧倒的に読書量も増え、「僕はアカデミズムの人間に(研究者に)なりつつあるんだ」という感覚が急速に芽生えてきました。

 

 そんな中で、文章を書くことの意味合いも変わってきたように思います。僕はサークルクラッシュ同好会での活動を通じて、「自分語り」を繰り返してきました。「何周まわったんだろう、もはや語り尽くしたな」という感覚があります(と言いながら、今まさに自分語りをしているのですが……)。そこで、自分のためではなく、社会のために言葉を紡ぎたい、という気持ちが湧いています(そんなこと言うんなら論文を書けよというツッコミは措いておきます)

 

 また、僕は「メンヘラ」という言葉を“うまく”使えないかということを長らく考えてきましたし、「メンヘラ」なるものに対して異様な情熱を傾けてきました。「この情熱をどうにか有効活用できないか」と考えるわけです。そんな中で、メンヘラ.jpのような実践的な活動には正直少し憧れました。

 

 社会のために言葉を紡ぎたい、「メンヘラ」への情熱を有効活用したい、それらの思いがどういうわけか混ざり合い、このたび「メンヘラ批評」に結実しちまったわけです。コンセプトに賛同していただける書き手を、そして、新たな世界を切り開きたい読者を、お待ちしております。よろしくお願いします。

バイバイ サークラワールド

 この記事は

adventar.org

の25日目の記事です。24日目の記事は複素数太郎の

sutaro.hatenablog.jp

でした。

 

----------

 

 今日は13:30頃に起きた。
しかし、なんと言えばいいのか分からないが、端的に言えば、僕は記憶を喪失した。
 名前は何かと言われれば答えることはできるし、「君は中学のとき何の部活に入っていた?」と問われれば答えることはできる。そうではなくて、ただ漠然とした断片的な記憶がバラバラに存在しているだけであり、それらが線を結ばない。それらの過去が意味を持って、僕を構成することはない。今ここにいる僕は何者なのか、それが分からなくなってしまった。
 ただ、今日は自分について語らなければならない、それだけは確かな感覚としてある。だからその感覚に従い、僕は書くことにする*0

 

*****

 

出生

 僕は1991年に生まれ、4000グラム強で出生した超健康優良児だった*1
とはいえ、4000グラム強で出生したというのは聞いた話に過ぎない。僕の意識は(いわゆる「物心」というやつだろうか)4歳のときから始まった。幼稚園の中で、「僕は本当は宇宙人で、この肉体に今さっき入ったのかもしれない」などと考えた記憶がある。4歳のときから哲学する子どもだったのである*2

 

マシンのような小学生

 小学校に入ってからの僕は、算数が得意だった。小2の頃、1+1=2,2+2=4,4+4=8,……という風に、2の累乗を数えていく遊びが局地的に流行った。みんなはすぐに飽きていたように思うが僕はハマった。みんながせいぜい1024ぐらいでギブアップする中、僕はすぐに262144ぐらいまで数えていた。その後も頭の中での筆算能力を高め、2097152ぐらいまでは言えるようになったと思う。そこからは繰り上がりが面倒くさかったので飽きた記憶がある。ところで、その頃スーパーファミコンで『ぷよぷよ通』をプレイしていたが、ぷよ通のオプションではなぜか0~Fの16進数が使われていた。兄から16進数という概念を教わっていたので、平方数に出てくる256、4096、65536、1048576が何かしら重要な数字なのだろうということを直観的に理解していた。
 算数が得意なことからその力を試したいと思いCMでやっていた公文式にも通うようになったし、そのおかげで暗算も早くなって、小学5年生のときの算数の授業で行われていた「百マス計算」のタイムアタックではクラスでよく1位を取っていた(そろばん勢に負けることも何回かあった)。小学4年生のときの担任は僕のことを「マシンのようだ」と言った。

 

くじ引きの中学受験

 親が言い出したのか僕が言い出したのか、僕は中学受験をすることになる。中学受験をするならということで勉強を始め、慣れない小論文のために塾にも通い、見事に筆記試験を突破した。面接試験もあるし、受験時の態度も見られているのだろうということを直観的に理解した僕は借りてきた猫のように礼儀正しく試験を受けたのであった*3
 しかし、なんと筆記試験を突破した後に待っているのはくじ引きだったのだ。内部進学者はくじ引き免除なのだが、外部進学者は26人中17人がくじ引きで受かるというシステムになっていた記憶がある。僕は「約2/3は受かるのか……じゃあたぶん大丈夫だろう」と考えていた。賢そうな子どもとその親が来ている会場の中で、たくさんある封筒の中から僕は一番上のものではなく真ん中の方のものを引いた。「じゃんけんでグーを出し続けると負ける」理論のようなもので、一番上を引くのは何か良くない気がした。しかしそれは裏目だった。
 1~26のランダムに選ばれた数字から始めて、17人が合格という方式だった。しかし僕はその17人に入れず、あろうことか「補欠6」だった。26人いる中で23番目のものを引いてしまったのである。僕はその帰り道で泣いた。
 気持ちを切り替えようと日々を送っていた僕だったが、なんと中学から連絡がきた。入学の権利を認める連絡だったのだ。補欠6だったにもかかわらず僕に連絡が回ってきた理由は、辞退者自体は6人もいなかったのだが、補欠1や補欠2の人たちが既に他の中学に行くことを決めていて、入学の権利を放棄したためだそうだ。周りが中学受験に対して真剣すぎる家庭ばかりであったことが功を奏したと言える。それに、中学のクラスは1クラス40人の3クラスで1学年120人だったのだが、男女比も1:1だったような記憶がある。人数を調整するためにいろんな条件があったからこそ、僕にまわってきたのもあるかもしれない。

 

助走期間としての中学生活

 何にせよ奇跡的に(?)中学受験が成功したのだった。1年生のときは紆余曲折あったものの*4、気が合う仲間たちにも恵まれて2年生からはよく笑うようになった。3年生になっても周囲に勉強する人たちがいたからこそ僕は自主的に塾に通い始めることができた*5。通常国数英理社の5科目を受けることになるのだが、僕は数学が得意だったので数学の授業は受ける必要がないと言った。そして、塾内で初めて受けたテストで数学は1位になり、その実力を証明した。
 高校受験では地元の高校を受けようかと思っていたが、県内トップの高校が部活としてやっている「ディベート」の誘いが中学にあり、見学に行ったところ衝撃を受けた。僕もこの高校に入ってディベートをやりたいと思った。そして、塾に通っていたこともあってか、なんとか合格することができた(点数的にはギリギリだったが)。

 

ディベートに打ち込む高校生活

 一緒に高校に進学したA君と共に、僕はディベートを始めた。ディベート部は週2回の活動だったので、演劇部も掛け持ちしよう、ということをA君と決めた。僕らは入学当初から入る部活を確定していたのである。
 中学校までの野球部と打って変わって、僕は高校では部活にのめり込んだ。どちらも「前で喋る」系の部活だったのもあって、「前で喋る」ことにはかなり慣れることができた。しかし、僕が高校時代の部活で得たものはそれだけではない。
 ディベートは何かの論題に対して肯定側と否定側に分かれて戦うゲームである。例えば、「死刑制度を廃止すべきである、是か非か」という論題に対して、肯定側は死刑制度を廃止することのメリット(つまり、現状は死刑制度が存在することによってこういう問題点があるが、それがなくなることでこのような良いことが起こるということ)を示す。逆に否定側は死刑制度を廃止することのデメリットを示し、現状維持をすべきだと主張する。メリットとデメリットを比較して、大きかった方が勝ち、という勝敗の決め方である。この、「あるプランを採ったときの、メリットとデメリットを比較して、大きかった方の勝ち」という考え方はシンプルだが、その分非常に応用性が高い。日常生活でも何かを選択するときに役に立つ考え方である。
 以上のことに限らず、ディベートという競技は「型」が非常にはっきりしている。議論を組み上げるために書籍やインターネットの資料を調べまくり、いい資料が見つかったら部活動内での共有ドライブだったGmailにアップロードした。全国に遠征して他校の試合を観戦し、盗める議論は盗んだ。部活内では黒板を使いながら日々、自分たちの立論を強くするための議論をした。想定される試合をシミュレーションし、「これがきたらこう返す」という原稿をたくさん作った。それらの原稿を読む練習もし、何秒で原稿が読めるかも記録していった。水も漏らさぬ詰将棋やパズルのような作業で、それが楽しかった。ディベートというと「前で喋る」スピーチの要素が目立つが、実のところ準備が7,8割を占める競技だと思う。
 僕は高校の3年間を通して、そのような「型」を徹底的に学んだのである。芸事の修行における理想は「守破離」だというが、高校ではひたすら型を「守」ったわけである。その結果、ディベート以外の場面では型を「破」ることができるし、ディベートとは「離」れて新たなコミュニケーションのやり方を編み出すことができていると自負している。非常にざっくりと言うならば、僕はディベートのおかげで頭が良くなったということである*6

 

大学受験のこと

 ディベート部のある高校は進学校が多いが、そのため2年生で部活を辞める人も多い。しかし、同じ高校の先輩方はたいてい3年生までディベートを続け、しばしば浪人もしていた。僕も2年生ではディベートに満足できず、3年生の夏休み頃までディベートに打ち込んだ。大学受験の勉強を本格的にやり始めたのはその後からである。
 同級生には3年生に上がる頃にはもう本腰を入れて勉強していた者も多い。そのため、学内の実力テストでは僕は学年440人の内、せいぜい100番程度だった。まともに勉強していない割にはまだ良い方だったとは思う(というのもやはり、数学が得意なのが大きかったと思う)。学内偏差値で言えば57程度で、志望校の京都大学に受かるレベルではなかった(学内では実力テストの成績と受けた大学の合否の記録が残っており、僕の学内偏差値は言わば「圏外」だった)。
 しかし、実力テストが行われなくなる11月頃から僕の学力?は急激に伸び始めた。ディベートを終えてからは本格的に塾に通うようになり、苦手科目である古典と英語、そして学校の授業ではよく分からなかった物理の授業を受けた。授業は大手予備校講師のビデオ授業であり、びっくりするぐらい分かりやすかったのである。おかげで、学内の統計としては番狂わせなのだが、現役で京都大学理学部に合格することができた(理学部を受けた理由は数学が好きだったからと、センター配点がゼロ(足切りのみに使用)だったのでセンターの勉強に気合を入れる必要がなかったからである)。

 

大学で人生について考える

 理学部に入学したものの、すぐに僕は挫折を味わうこととなった。実は数学以外の理系科目にあまり興味が持てなかった*7し、それならば数学でちゃんと単位を取らなければならないのだが、大学の数学は思った以上に難しかった*8。受験という点取りゲームはどこかで別のゲームに切り替わる*9。それが僕にとっては大学入学1年目だった。人によってはそのまま進学し、就職活動をする際に「別のゲーム」に苦しむことになるだろう。あるいは大学院に進学した人が「勉強」ではなく「研究」をする段になって苦しむことになるだろう。受験勉強は圧倒的に「与えられた課題をこなす」ゲームである。しかし、そのゲームは「人生」という多くの場合に主体性を求められるゲームにおいては半分ぐらいしか役に立たない。残り半分は「別ゲー」である。
 そして僕はむしろ一般教養の科目を受ける中で、もっと直接的に人間を扱う学問に興味を持つようになっていった*10。しかし、このときにはまだ、自分が将来的に何をやりたいとかが明確に決まっているわけではなかった。僕は迷った挙句、3回生に上がるときに総合人間学部に転学部したのだった。

 

「人について知る」ために

 興味の向きはいろいろとフラフラしながらも*11僕は接している人間の心に興味を持つようになり、臨床心理士を目指すことにした*12。しかし、論文の準備がちゃんとできていなかったために、筆記試験では受かっても面接試験で落ちることとなってしまった*13。大学院の受験に失敗し途方に暮れていたが、自分の人生において何を選ぶのが正しいのかを考えた。そうだ、ここでの問いはつまり「どの選択が僕にとって【メリット-デメリット】を最大化するのか」である。ディベートで培った考え方は確かに活かされたと思うし、それは受験勉強だけでは身に付かなかった力だ。
 ……そうして、僕は社会学をやっている先輩に社会学を勧められることになる*14。僕が臨床心理士を目指した理由は、人間の心について知りたいと同時に、困っている人(とりわけ主観的・精神的に困難を抱えている人)を助けたいからだった*15臨床心理士の道が難しいとなった後に目をつけたのはコミュニティだった*16。そこで僕はシェアハウスを始めることになる*17。「社会学」という学問は、人々を包摂するコミュニティ、言うならば「居場所」について考える上で申し分ないと思ったのだった*18
 それに僕はそのとき「社会構成主義」という考え方に触れていた*19こともあって、人間の主観的・精神的な困難を規定するのは、必ずしも「病気」のような分かりやすいものだけではないと考えるようになっていた。例えば、医者は診断して薬を処方することができるし、臨床心理士心理療法を用いることができるだろう。しかし、経済的に困っている人にお金を渡すことはできないし、友だちがいない人に友だちを処方できるわけでもない。医療が果たしている役割は重要だが、それでも一人の人間の全体性を考える際にはあくまで限定的な領域を扱っているに過ぎない(それは他の分野も同じなのだが)。
 個人における経済的な問題や生活の問題、親密な関係の問題。それらには大きな社会構造の問題も強く関係している。貧乏な人間がいたとして、その人だけ見ていてもその人がなぜ貧乏なのかは分からない。「寂しい」人間がいたとして、その人だけ見ていてもなぜその人が「寂しい」のかは分からない*20

 

「親密な関係」について研究する

 そして僕は自らも3年住んでいた「シェアハウス」を対象に、「親密な関係」と社会構造との関係について研究している。先ほども述べたように、「親密な関係」が築けるかどうかは一見その人の性格やコミュニケーション能力に規定されている、非常に「自己責任」的な要素の強いものだと思われがちだ。しかし、それではこの社会に厳然として存在している「親密な関係」にまつわる「格差」も自己責任ということになってしまう。「能力のない者が淘汰されるのは仕方がない」という考え方もある。しかし、本当にそうだろうか。
 人が淘汰されるのは「能力がない」からだろうか。「能力」なるものを決めるのは誰だろうか。その人自身にはどうすることもできないのにもかかわらず、社会がつくるある種の「配置」によって必然的に生み出されてしまった不幸があるのではないだろうか。
 もちろん、この幸福/不幸を決めるものは「親密な関係」だけではない。家族や友人関係に恵まれていても何らかの別の理由で不幸を抱える人はいる。それは病気だったり、経済的なものだったり。それぞれの分野において研究されるべきことだろう。だが、僕が僕の個人的なパッションにおいて問題にしていることは「親密な関係」の問題である。これは人間の幸福/不幸を決定する上で重要な要素であり、確かに解くべき問題であると僕は確信している。
 同時に僕はシェアハウスを運営し、日本において拡大していくことによって、「親密な関係」を広げていくことを実践している。こうして僕は、ようやく自分の人生において何をすべきなのか、何をしたいのかがはっきり分かったのだった。

 

*****

 

 そうだ、ここまで書いてやっと自分が何者なのか思い出した。いろいろあったし、なんだか受験勉強のことばっかり書いたけども、けっこう良い人生だったんだな。なんだか安心した。

 ……ただ、それはそうなんだが、それにしても、僕はなぜ「親密な関係」にパッションがあるんだろう? 「親密な関係」にこそ一番興味を持っていて、研究するモチベーションが湧いてくるんだろう?
 確かに、ディベート的なメリット/デメリットの思考は活かされているとは思う。すなわち、「この選択が僕にとって【メリット-デメリット】を最大化するのか」という問いを考えてきたはずだ。
 でも、それでも、なんでこれ、「僕にとって」、最高の選択肢だったんだろう。
 何か、忘れちゃいけないことを、忘れている気がする。
 本当に何か、それは、大切なことだった気がするんだ。

 

 

f:id:holysen:20181225205717p:plain

 

 

*0:この文章を8000字ぐらい書いたところでデータが消えた。僕はなぜ自動保存機能のないメモ帳で文章を書くのだろうか、それすらもはっきりとは思い出せない。こうして記憶を文章として紡いでいる間にも僕の記憶はどんどん失われていっているということの証左であろう(?)。『君の名は。』でタキ君が見ていた電子上の日記がなぜかデリートされていく現象と同じだと思う(?)。
 失われた2時間半を後悔してもいられない、箇条書きでいいからなんとか文章を書き直そう。
 あと最近読んだ「東大を舐めている全ての人達へ」って文章がちょっと面白かったから、僕も京大に入るまでの受験勉強の経緯の話書こうかなって思った。めっちゃ今更だけど。

 

*1:今日調べて初めて知ったのだが、出生時4000グラム以上の赤ちゃんは「巨大児」というらしい。自分がいかに健康かということを書くためにこの話を書くつもりだったのだが、出生時の体重が大きければ大きいほど健康、というわけでもないらしい。

 

*2:というのも、事後的に作り上げられた偽の記憶かもしれない。
ところで僕は幼稚園の頃、日本昔話の『さんまいのおふだ』のあるシーンにハマっていた。『さんまいのおふだ』とは山に栗を拾いにいった小僧がヤマンバに襲われる。ヤマンバは小僧を追いかけるが、小僧は和尚さんから渡された三枚のお札によって逃げる、という話である。
 幼稚園では厚紙に銀色の紙を貼り、ハサミによって形を整えたものを「包丁」に見立て、ヤマンバはそれを持って小僧を追いかける、というシーンをなぜか再現する遊びをしていた。僕は狂喜乱舞しながら包丁を持って人間を追いかけ、部屋の中をグルグル回っていた。そのシーンを何度も何度も反復した記憶があるが、他の子どもや先生はそれに付き合ってくれていたのだろうか。そのことについての記憶はない。

 

*3:ところで、中学受験をする際に面接で「今まで言われて嬉しかったこと」を問われたのだが、僕は「マシンのようだ」と言われたのが嬉しかったと言った。

 

*4:僕は人見知りで、自分から友人を作ったことがなかった。だから自分から話しかけることもできず、内部進学生たちが仲良くしている輪に僕は入っていけなかった。野球を小学校のときからやっていたので中学では野球部に入ったが、正直野球が上手くなかったのもあり、良い思い出はない。
 そして、地元の中学に進んだ同級生たちの話を聞くと、彼らは一歩一歩大人になっているようだった。僕には小学校の頃から女の子と仲良くしたかったのだが、うまく話せなかった。それに対し、小学校の同級生たちは地元の中学で中学生的アバンチュールを楽しんでいるようだった。僕は劣等感をおぼえて、「僕も地元の中学に進学していれば……」と思った。
 しかし、中学2年生になってからは仲間には恵まれた。当時、『電車男』の影響もあり「オタク」というものが世間に広く知られ始めていた。僕は「オタク」としてのアイデンティティによって、共通の趣味を持つ人たちと「輪」を形成したのだった。そして、その輪の中にいたA君とは一緒に「ディベート」をすることになり、高校にも一緒に進学することになるのだが、それは後に述べる。

 

*5:僕は実はA君にも劣等感を抱いていた。それはA君の人間関係にだ。もちろん小学校から内部進学であることがアドバンテージになっていた部分もあるのだろうが、何より彼は「塾」に通うことにより、独自のネットワークを形成していたようだった。「塾」では遅くまで勉強するし、教師も厳しいためにその苦労が語られていたが、一方で、塾内で築かれる関係性は楽しそうだった。何より、A君は何人かの女子と親密そうだった。「僕も塾に行けば変わるかもしれない」、そう思い、建前上は高校受験の準備ということで、親に言って割と早くから塾に通い始めたのだった。
 ところで、塾内のテストで常に僕に数点差で勝ち続けている同じ中学の女子がいた。Bさんとしよう。確か、8点差→4点差→6点差という推移だったと思う。Bは僕にとってライバルだ、ということを塾の先生にも言ったことがある。しかし、どこかで僕はBさんにも惹かれていたのだと思う。中学時代のある友だちは人間関係を「キャラ」によって見ることに長けていた。彼曰く、Bさんは「不思議ちゃん」や「ブリっ子」の代名詞だったようだ。そう言われることによって、より僕はBさんに惹かれる部分があった。
 しかし、Bさんとは同じクラスになったことがなく、塾も県内にいくつかの「校」が点在しているために、授業で一緒になることはない。しかし、夏休みには私立高校の受験を考えている人たちのために特進クラスのようなものができるということだった。特進クラスでは県内から選りすぐりの精鋭たちが集まってくるらしく、Bさんも来るようだった。それなら、ということで僕も参加することにした。しかし、僕が受験する高校は公立なのでそれほど難しい問題は出ないし、無駄に難しい数学の図形の問題を解かされるなど、高い金を親に払わせた割にはあまり得るものはなかったように思う。確かにBさんもいたのだが、特に親密になることはなかった。あれはなんだったのだろうか。

 

*6:一方、演劇の方は相方のA君にほぼ任せきりであり、非常に受け身な態度で取り組んできた。そのため、はっきりと得られるものがあったとは言い難い。ただ、年に1度県内の高校生たちが集まる合宿は良かった。
 合宿に来ている講師がいろいろと教えてくれたのはそれはそれで意味があったと思っているが、それよりも僕はこの合宿を通して人生で初めて女子と親密になったのかもしれない。正しくは合宿で会った女子にプライベートに連絡を取り、プライベートに遊びに行くことができたということなのだが。その後、どういうわけか運良く交際関係になったりもしたのだが、付き合えたということ自体に舞い上がって何をすればよいのか分からず、手も繋がずに別れた。本当に運が良かっただけで、関係を持続する方法については分からなかったし、その方法について真剣に考える機会もなかったのである。

 

*7:というよりも、本当は数学にすらそこまで興味がなかったとも言える。そのとき僕が本当にやりたかった「理系」的なものは、論理学だったような気もする。実際そのときに受けていた論理学の授業は楽しかったし、何かを間違えれば論理学を専門的に勉強する方向にいっていたかもしれない。

 

*8:難しかったというよりも勉強していなかった。僕はサークルに入って毎週金曜日に徹夜で遊んでいたのである。それに当時は声優の悠木碧ちゃんの大ファンであり、ひたすら追いかけていた(アニメを観たり、ラジオを聴いたり、東京のイベントに行ったり、交通費のためにバイトしたり)。悠木碧ちゃんに人生を賭けるレベルだった。それは「信仰」と言っても過言ではないレベルだった。そんなわけで、プライベートで数学の勉強に使う時間はほとんどなかった。

 

*9:そういう意味で僕はずっと「点取りゲーム」に勤しんでいたことになる。京大に入ってから強く感じたことだが、思った以上にみんな「勉強」が好きではないのだ。みんな好きではない「勉強」を頑張ってやっている。なんのために? 将来のためにだ。あるいは、親の期待に応えるために。僕は親に勉強しろと言われたことはないし、将来のことなんかも考えず、ただただ目の前の勉強に打ち込んできた。それは受験に合格するためという目的のための手段でもあったが、いざ勉強をやってみると、そのこと自体が楽しいと思えてくることもしばしばあったのだ。それはおそらく僕の「才能」である。他の人がめちゃくちゃ時間かけて勉強しているのに比べると、大して勉強に対して時間をかけていないと思う。一回授業を聞いただけで理解していろいろ記憶できていることも多かったし、おそらく僕は他の人よりも記憶力もいいのだと思う。
 しかし、「勉強自体が楽しい」という事態は、しばしば「その勉強を何のためにやっているのか」ということを見失わせる。僕は大学受験を終えて、「何のために自分は勉強しているのか」という問いにそこでぶつかったのである。それも東大生・京大生にありがちな「親のために」的なものとはまた別の方向性で、である。あまり勉強を楽しんでいない人間の方がむしろすんなり就職活動できるんだろうな、と僕は思う。

 

*10:表向きには「高校時代では心理学のような学問はやっていなかった」という理由づけであるが、僕が文系で倫理選択などしていたら違う言い訳をしていただろう。僕は心理学に惹かれたというよりかはフロイト精神分析で扱う「性」に引っ掛かりがあったのだと思う。ついでにジェンダー論の授業もよく取っていた。単純に言ってしまえば僕は女性への興味をこじらせていた。それまで学問とは結びついていなかった「性」への興味が、学問というベクトルに向き始めた。

 

*11:悠木碧ちゃんを追っかける気持ちはまだまだ強かったので、とうとう「声優」になりたいと思い、声優養成所に通うようになった。大学3回生と4回生の2年間通っていたし、そのための資金もいろいろやりくりしていた。でも、いつからかその気持ちが薄れていったんだよな。どうしてだっけ。

 

*12:当時は精神分析が専門だったので、そこから臨床心理にいくというのは割と自然な流れであるが、結局本当に興味があったのは「性」の現象だったと思うので、どこか妥協した側面もあるように思う。あと、精神科医になるという選択肢もあったが、医学部を再受験する気力はなかった。

 

*13:臨床心理の院に行く人間は臨床系の論文を書くのが普通のようだ。そんなことも僕は知らず、自分がただ勉強したいがためにカントとフロイトを比較するという哲学めいた論文を書いていた。

 

*14:あれ、この社会学をやっている先輩とはどこで出会ったのだったろうか?

 

*15:なぜ僕は困っている人を助けたいなんてことを考えたのだろう。僕は自分のことが好きで、自分さえ良ければそれでいい、という人間だったはずなのだが。それに、それまで僕が持っていた「性」への興味は、どこいったんだっけ。

 

*16:京大の中にいても「コミュニティ」について考える機会なんてなかったと思うのだが……

 

*17:それまで実家に住んでいたのに、なんで急にシェアハウスを始めたのだろう?

 

*18:僕は将来に不安はあったけども、自分の居る場所には満足していた。じゃあなんで「居場所」について考えたのか?

 

*19:僕が社会構造に目を向けるようになった学問的契機はもう一つあった気がするのだが、思い出せない……

 

*20:友だちがたくさんいても、深いことを話し合える仲の人がいても「寂しい」という人はいる。例えば、自分には「彼女」がいない、「彼女」さえいれば、全ては解決するのだという人がいるように。僕もかつては自分が「童貞」であることに……ウッ

京大でミスコンを開く100の方法――"よい"ミスコンと"ダメな"ミスコン by サークルクラッシュ同好会 有志

 この文章は、2018年の京都大学11月祭(NF)において、サークルクラッシュ同好会ブースにて配布したものです↓

f:id:holysen:20181128150246j:plain

 しかし、この文章の内容はサークルクラッシュ同好会全体を代表するものではなく、文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをあらかじめご了承願います。

 

----------

 

 お手に取っていただきありがとうございます。サークルクラッシュ同好会内の一部有志です。われわれは今回、「京大美女図鑑」という企画が行われることを知りました。そこで「美女図鑑」という形で女性を「見られる対象」として描くことの意味や、それを「京大」で行うことの意味について、一度考える必要があるのではないかと感じました。

  先に言っておけば、われわれは「京大美女図鑑」の中止を目的としているわけではありませんし、「京大美女図鑑」に必ずしも反対しているわけでもありません。むしろ、応援したいと考えている立場にあります。

  そこで、「京大美女図鑑」からは離れるのですが、なにかと京大内でも批判の多い「ミスコン」に焦点を絞り、「ミスコンを開く方法」について考えるという形で冊子を発行します。今後、京大で(あるいは京大でなくても)ミスコンなどを企画するつもりの人に「よりよいミスコン」について考えていただく、一つのキッカケになれば幸いです。

 

 

 

 

1.京大でミスコンを開くことの意味

 大学は本来、社会の常識的な価値観から自由な存在でした。しかし、世間のほとんどの大学は気がつけば「就職予備校」化し、常識的な価値観に取り込まれてしまいました。「常識的な」大学において「ミスコン」が開かれることは何も不思議なことではありません。外見や振る舞いなどによって女性が評価される……それは日々起こっていることだからです。現に様々な大学の学園祭等で「ミスコン」は開かれていますし、これからも開かれていくことでしょう。われわれも、すべてのミスコンが悪だとまでは思っていません。

 しかし、京大は社会における主流の価値観から逃れられる数少ない場所です。「ミスコン」に即してもっと具体的に言いましょう。極端なことを言えば、京大は授業にすっぴん・ジャージで来ても“許される”場所です。他の多くの大学でそれをすると、冷ややかな目で見られたり、グループに入れなかったりといったリスクが大きいでしょう。要するに京大は、他の多くの大学などと比べても圧倒的に、「女は女らしく」という価値観を押しつけられなくても済む場所なのです(もちろん京大でも、メイクやおしゃれをする自由もありますが)。

 他の大学ならいざ知らず、もし京大で「ミスコン」が開かれれば、その影響は計り知れません。他の大学も「右にならえ」で“安心して”ミスコンを開くことでしょう。すると、ミスコン的な価値観、すなわち「女は女らしく」が全国の「当たり前」になってしまいかねません。

 なぜ「京大のミスコン」には特別な意味があるのでしょうか。それは、京大がミスコンに対して批判的でいられる「最後の砦」だからです。ありきたりな言い方を借りれば、社会に迎合せずに「才能の無駄遣い」もできるし、「1人の天才と99人の廃人を生み出す」大学なのです。もちろん、大学の側が「変人」や「おもろい」といった言葉を公式に使った途端に、その響きがひどくサムいものになっている側面は否めません。しかし、かつて東京帝国大学が西洋列強に追いつくための輸入学問をやっていたのに対して、京都では東洋であること、日本であることのアイデンティティを追求する「京都学派」が一世を風靡しました。自然科学分野において京大が東大よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出しているのも、一見すぐには役に立たない研究(例えば基礎研究)にもじっくりと取り組めるような「自由の学風」があるからこそだと言われています。

 つまり、京大は「東大化」せずに、社会から距離を置いているからこそ、独自の価値を持つことができるのです[1]。そして、この「京大らしさ」という価値は、すっぴん・ジャージで大学に行く自由が守られていることと繋がっています。

 

[1]とはいえ、京大も社会の常識的な価値観から完全に自由なわけではありません。京大には入学試験があるため、学力という尺度で人間を序列化することになります。実質的には例えば、知的障害者が排除されたり高所得の家庭が有利だったりと、階級などの旧来的な価値観を再生産することになります。

 

 

2.一般的なミスコンの問題点

 それでは、京大に限らず、「ミスコン」一般について考えてみましょう。「ミスコン」が開かれることは何が問題なのでしょうか? あるいは、ミスコンと同時に「ミスターコン」も開けば男女平等なのではないかという声があるかもしれません。

 しかし、これは根本的な解決になっていません。ミスターコンを同時開催したところでやはり「女は女らしく」(例えば、かわいくおしとやかに)という既に社会に存在しているステレオタイプを再生産することになってしまいかねません。ミスコンは純粋に一般的な「美」を評価対象としているのではなく、実際には「女性の性的魅力」が評価対象になっている側面があります

 このような問題点があるために、実際に京大では何度か「ミスコン」が開かれそうになっては中止されてきました。次はその歴史について述べます。

 

 

3.過去に京大であったミスコン批判

 京大でのミスコン中止騒動は2004年、2012年、2015年に起こっています。

 まず、2004年に11月祭に開かれようとしていたミスコンでは、主催者側10人に対し反対者が50人の討論会が起こり、4日間で合計24時間もの議論の末、協賛していた複数の企業も撤退し、話が平行線のままなので、主催者判断で中止になったようです。なお、そのミスコン中止の経緯は毎日テレビでも放映され、インターネット上ではkyoto-u.comというコミュニティサイトでいくつものスレッドが立っていました[2]

 2012年は11月祭でKGCという団体とBRUFFという団体が(「ミスコン」ではなく)ファッションショーを開くことを予定していました。これらに対し「京大の「ミスコン」について考えるひとたち」という有志団体が立ち上がり、両団体に対して話し合いの会が設定されました。「ひとたち」とKGCとの間で、二日間で12時間の話し合いがなされた結果、KGCの側は批判を受け止め、企画を中止することになりました。BRUFFとは2回の話し合いがなされた結果、予定通りクスノキ前でファッションショーは開催されました。その際、「考えるひとたち」はファッションショーの側のクスノキ下で、焼肉を行うことにより妨害行為をはたらきました[3]

 2015年はweb上で「京大ミス・ミスターコンテスト」というものが11月祭期間に合わせて立ち上がりました(11月祭の企画ではない)。それに対し、有志が「京大ミスコン2015問題点まとめ」というサイトを立ち上げ、誰でも編集可能なGoogle documentを通して公開質問状を作り、コンテスト側にメールしました。その結果、「京大」の名義を使用するにあたり適切な手続きが踏まえられていなかったことなどが理由で中止になりました。ネット上ではミス候補者が「鍋をよそってくれなかった」ことが暴露されたことが原因で中止になったということになっていますが、それは誤りです[4]

 それぞれ文脈は異なるのですが、ミスコンやファッションショーが開かれることになった際に、内部の学生の側から批判が起きたことはまず評価されるべきでしょう。個々の批判の詳しい内容は紙幅の都合上紹介できませんので、興味のある方は脚注のURLを参照してください。

 しかし、これらの批判には根本的な問題があったとわれわれは考えています。それは、程度の差はあれど、それぞれのミスコン批判はあまりに一方的で攻撃的だったということです。

 

[2]

ミスコン騒動のまとめをするスレ - kyoto-u.com

ミスコンに思うこと - progressive link

[3]

京都大学ミスコン騒動2012まとめ - togetter

京大の「ミスコン」について考える人たちarchives

[4]

京大ミスコン2015問題点まとめ

 

 

4.サークルクラッシュ同好会(の一部有志)の立場[5]

 ミスコン批判についてまとめられている資料を見る限り、彼らは「ミスコン」を開く側の個別具体的な事情に配慮せず、教条を機械的に繰り返しているだけでした。これでは建設的な対話は望めないでしょう。

 「ミスコン」主催者側も同じ学生であるということを考えると、このような深刻な対立(内ゲバ)は避けるべきです。なぜなら、結果として「ミスコン」を中止に追い込んでも、「観客」である学生たちからすると「ゴネ得」のように映り、納得がいかないからです。すると、せっかくの「ミスコン批判」も学生からの支持を失い、啓発的意義が果たされません。また、批判された主催者側もせっかくの企画意欲を失ったり、理不尽に疲弊させられたと感じてむしろ批判を受け入れなくなったりするという問題もあります。つまり、京大で過去に行われてきた一方的で攻撃的な「ミスコン批判」は自分で自分の首を絞めているわけです。

 われわれサークルクラッシュ同好会内の一部有志としては、ミスコンをなんでもかんでも中止に追い込むのではなく、よりよいミスコンのあり方を共に考えていくべきだと主張します。そして、「よりよいミスコン」の一例として、サークルクラッシュ同好会が用いている方法を挙げることができます。

 サークルクラッシュ同好会の一部は「サークルクラッシュ」という「一人の女性に対して複数人の男性が恋愛をすることによって、人間関係が壊れてしまう」現象を扱っています。これ自体はゲスい「あるあるネタ」であると言えるでしょう。しかし、そんなキャッチーな問題に対して人々が持っている暗い好奇心、ある種の「偏見」を利用してサークルクラッシュ同好会に参加させることで、ふだんなかなか真面目には語りにくい性愛やジェンダーの問題について考え、語り合える場へと――裏口から――誘導しているのです。ここで期待しているのは、アウシュヴィッツ強制収容所チェルノブイリ原発などへの暗い好奇心を利用して観光させて、その場所の現実を教える、「ダークツーリズム」と同様の効果です。

 このように言うと、「サークルクラッシュ同好会も女性に対する性差別的なステレオタイプを再生産しているじゃないか」という批判があるかもしれません。その批判は重く受け止めなければなりません。しかし、「サークルクラッシュ」という言葉が人々の暗い好奇心を刺激するからこそ、ふだん性愛やジェンダーについて真面目に考えてこなかった層にも届く可能性があるのです。そして、真面目に考えているからこそ、この冊子を配布しているのです。

 そして、この冊子を作るキッカケになった「京大美女図鑑」も京大生の新たなイメージを作ることを目指して企画されたとのことでした[6]。ここからはわれわれの推測ですが、おそらく他の大学で成功してきた企画である「美女図鑑」という言葉を用いることで、「美女図鑑」に対して元々存在するイメージを利用して人々を引きつけ、最終的には「京大生」のイメージの刷新を図る意図があるのではないかと考えられます。あるいは少なくとも、「京大美女図鑑」は上手くやれば「ダークツーリズム」的戦略を実行できるだけのポテンシャルがあるようにわれわれには感じられます。

 「ミスコン」もまた、作りようによっては、ミスコンに対する浮ついた好奇心、「偏見」を利用することで、むしろ“真面目に”ジェンダーの問題を考えさせるキッカケとなるのではないでしょうか。ただ、そうは言ってもそのようなミスコンを具体的にイメージするのは難しいでしょうから、実際に現在、日本社会で行われている先進的なミスコンの例を最後に紹介したいと思います。

 

[5]サークルクラッシュ同好会内での立場が一枚岩に統一されているわけではありませんし、反対の立場もあります。そのため、ここで述べるサークルクラッシュ同好会の立場や主張は文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをご了承願います。

[6]

京大美女。ちょこっと見ませんか? - Readyfor

【京大美女図鑑へのご意見について】 - Twitter

 

 

5.「よいミスコン」とは何か?――ミスコンの具体例から考える

 1999年、男女共同参画社会基本法男女雇用機会均等法の改正などの影響もあり、いくつかの地方自治体で行われてきたミスコンは見直しを余儀なくされました。例えば鳥取県米子市で99年まで行われてきた「ミス米子コンテスト」は名前を「HOUKIゆめ大使コンテスト」に変え、これまで参加条件が女性のみだったのが、「性別不問」になり、年齢制限も変更されています。同時に、鳥取市も30年以上続けていた「ミスしゃんしゃん娘」の応募資格を「18歳以上の明るい人」とし、男性も応募可能になったということがありました。

 このような応募資格の変更には一定の意義があります。大学のミスコンでも、例えば筑波大学では2011年に「TSUKUBAN BEAUTY 2011」という男女不問のコンテストが開催され、あしやまひろこさんが女装で優勝しています。あしやまさんは電飾を用いた光るウェディングドレスという技術的に優れた衣装を身にまとい、「女性」と「男性」、「機械」と「人間」、「仮想(2次元)」と「現実(3次元)」など、様々な対立項の幾重にも重なる境界を表現したと述べています[7]。最近でも、2016年の日本大学芸術学部のミスコンでは、戸籍上男性でありながら性別を使い分けるという林田常平さんがファイナリストに残っており、注目を集めました[8]

 また、選考基準そのものを工夫するという方法もあります。講談社が主催し2012年から毎年実施されている「ミスiD」は「従来のモデル、女優、アイドルといったジャンルの枠、ルックスや若さ、生まれながらの性別にとらわれることなど、あらゆる「古い枠組み」に捉われず、女の子の多様性や個性、サバイブしてくやり方を見つけて行く[9]ということを標榜しており、外見だけでなく、その人が持っている「武器」のようなものが評価基準となっています。実際、ミスiDのセミファイナリストに残る人は近年では100名を超えており、多様性に溢れています。人間の女性の方々にも様々な魅力があるのはもちろんですが、戸籍上男性の方や、二次元の画像やAI、ドールなどがエントリーした事例もあり、それぞれ一定の評価を受けています。

 以上のような、従来のミスコンに対する固定観念を攪乱するような実践から、「よいミスコン」であるための条件が見えてくるのではないでしょうか。もちろん、ここで紹介したミスコンでさえも、単に外見や振る舞いから性的魅力を評価するだけのミスコンになってしまうリスクは常にあります。しかし、「よいミスコン」の最低限の条件として、ミスコンにエントリーできる条件や審査のやり方を工夫した上で(例えば、女性に女性らしさ“だけ”を求めるような審査は行わない)、しっかりと納得のいく基準を設け、どのように選考されているのかを明示すべきではないでしょうか(単に性別不問にしたからそれでいい、というわけではありません)。

 そして、京大でミスコンを開くためには、一元的な価値観を押しつける「ダメなミスコン」に陥らないように批判的に吟味しつつ、「よいミスコン」を実現するために考え・工夫する、創造性が必要でしょう。もちろん、その結果実現した「よいミスコン」とされるものについても更なる批判的検証が求められるでしょうが。

 

[7]

筑波大学 雙峰祭 TSUKUBAN BEAUTY 2011 ひろこ FS - あしやまひろこのサイトとブログ

[8]

史上初の男性“ミス日芸”誕生か!? 男性がエントリーした日芸ならではの理由 - AERA.dot

[9]

ミスiDって?

 

 

【参考文献】

西倉実季 2003 「ミス・コンテスト批判運動の再検討 特集 再考・女の戦後」『女性学年報』24巻p.21-40

坂本佳鶴恵 2000 「ポストモダンフェミニズムの戦略と可能性」『理論と方法』数理社会学会15巻 1号 p.89-100

 

(文責:ホリィ・セン)

『精神疾患言説の歴史社会学――「心の病」はなぜ流行するのか』(2013、佐藤雅浩)の簡単な感想

 

精神疾患言説の歴史社会学: 「心の病」はなぜ流行するのか

精神疾患言説の歴史社会学: 「心の病」はなぜ流行するのか

 

 

 情報量が多くて複雑な本だったので、要約はせずに自分が気になったところだけメモしておく。
 「神経衰弱」「ヒステリー」「ノイローゼ」などの「"流行"した心の病」が、新聞上でどのように使われているかの変遷を主に扱っていた。
 どういう条件があれば「心の病」がマスメディア上で流行し、どういう条件がなければ流行しないのかのパターンを分析していて、それは(方法論としては面白いが)メディア環境が変わりすぎるとちょっと無理があるなと感じた。むしろ共時的な言説の布置を丁寧に記述していく質的な分析の方が面白かった。


 一般的に言って、ある「時代」より前(例えば90年代以前、メディア環境で言えば「ネット」以前)に存在した歴史的なパターンみたいなものが、そのまま現代でも通用すると考えるのはちょっと難しいと思うし、現代でも通用すると言いたいのならば現代の状況に即した別の説明を加えることが必要なのだろうなと思った。

 

世間で使われる「病名」と医学的な「病名」のズレの問題

 読んでて強く思ったのは、同じ「病名」でもメディア上での人の名付けと臨床的な医者の診断は分けて考えなきゃヤバいなということ。とはいえ、医学の分野で当然論文や本を書く人はいるし、マスメディア上で医学的な用語を用いて発言する人は(医者や医学者に限らず)いる。有名人や犯罪の容疑者を新聞上で「診断」してしまう人すらいるぐらいだ。
 だから、広い意味での「病名の診断」を医学の側が独占することは不可能なんだろうなあと思った(通俗用語と専門用語がうまく区別されているのは感じるけど)。通俗的精神疾患用語(本で出てきたノイローゼもそうだし、最近で言えば、アダルト・チルドレンとかうつとか発達障害とか)でさえも「実在しない」とまで言うのは難しいと思う。その「心の病」は人々の実感としては「ある」のだから。
 ただ、医者にとってはその通俗的な用語を臨床的に使うには曖昧すぎるし、だから患者と齟齬が生じるんだろうなあ。本でも、新聞読者投稿欄の分析によって、患者側の自己診断の問題が議論されていた。
 その点で面白かったのがヒポコンドリー(心気症)の話で、「自分は病気なのではないか」みたいな過剰な心配やある種の自己診断が神経症的な気分や感覚を引き起こしてしまうという問題、つまり「病は気から」的な話。これがよくあることなのだとしたら、「病名」が流通すること自体とても危険なことになる。
 そう考えると、本の中で、「心の病」の流行の条件として「疾患の病因が不明確である」ということが析出されているのは興味深い。不明確であるがゆえに医者はその病名の扱いに困るのに、不明確であるがゆえに流行してしまうというジレンマがあるように思われる。

僕がシェアハウスに住むのをやめて彼女と同棲するに至った理由、今後の戦略

 ホリィ・センです。

 突然ですが、僕は今、恋人と同棲しています。僕は2015年の4月から今年のある時期まではシェアハウス「サクラ荘」に住み続けていました。だから「いつの間に」と思う方もいるかと思います。10/27(土)17時~の「ポスト・コミュニティスペース」についてのトークイベント

ホリィ・セン×松山孝法×植田元気「『ポスト・コミュニティスペース』を考える」

に先立ち、その経緯を今回は説明したいと思います。

 

*****

 

 なんで彼女と同棲しているのか、って聞かれたらそりゃ彼女のこと好きだから。

 「じゃあ今までシェアハウスやってきたのはなんだったの」という人もいるとは思う。

 あるいは、ある意味で好意的に解釈して「ホリィ・センだって一人の人間なんだし、"大人"になって"家族"を作り、"父"になろうとしているんだ」と言ってくれる人もいる。

 それは半分正解なんだけど、だからといって僕は別に「シェアハウス」を捨てたわけじゃない。それどころかむしろ、僕がこれから更に「シェアハウスの人」として邁進していくために必要なステップなのである。

 どういうことか、もうちょっと詳しく言おう。

 

 

サクラ荘での最初の1年で気づいたこと

  僕は2015年にシェアハウスに住み始めた当初、とにかく手探りでやってきた。何しろ、それまで僕は実家暮らしだった。勝手が分からなくていろいろと面倒だし、とりあえず大学の寮に入るとかもほんの少しだけ考えた。でもやっぱ、僕は自分でサークル(サークルクラッシュ同好会)を作った実績もあるわけだし、拠点もやっぱり自分で作ってみたかった。

 

 んで、実際しばらくは僕も右往左往した。家のリビングを外に開きながらも、個々人のプライベートというものは存在する。世間には「一人の時間を大切にしたい」という人もいるが、日々生きてたらそういう時間はけっこうあるものだし、無理に「一人の時間」を作る必要はないと僕は当時思っていた。でも、住人にとっては外から来た人間が深夜にワチャワチャやってるのはやはり迷惑だったような気もする。

 そして、何を目的にシェアハウスに住んでるのかもいまひとつはっきりしていなかった。とはいえ、外から人が来て、何かしら喋って、仲間が増えていく。そんな過程は楽しかった。一緒に住んでる(住んでた)人とはなんとなく絆ができていくし、そういうのも擬似家族感があって楽しかった。

 とりあえず1年住んでみて、考えた末にようやく方針が固まってきた。僕の出した結論としては、「シェアハウスに住むこと」、それそのものが重要だということだ。シェアハウスを拠点に何らかの活動をする団体は今までいくつも見てきた。でも、よく考えるとこの社会で問題なのは、「核家族」と「一人暮らし」という、形態そのものなんじゃないか、と。

 

核家族と一人暮らしの問題点、シェアハウスの重要性

  家庭環境の問題が原因で生きづらい、という人は僕は何人も見てきた。とりわけ、「毒親」と呼ばれる問題が目につくようになった。「毒親」という言葉を見ると、親の人格に問題があるように思えるし、実際そういうパターンもあるのかもしれないが、「毒親」という言葉で家庭環境の問題を片づけてしまうのは思考停止だとも思った。問題はやはり、環境にあるのではないか。

 考えてみれば、日本の子育ては母親に責任が押し付けられすぎである。核家族化が進行して以降、「ワンオペ育児」はますます進行している。共働き化が進む中で時間もなくなっていることだろう。離婚率は増加し、一人親も増えているという。そんな中で、まともに子育てができるのだろうか? 母親は「孤独」だからこそ、「毒親」になってしまうのではないか。

 もちろん、一人親の人間を否定する気はないし、一人親の子育てによって元気に育ってきた子どももたくさんいることだろう。しかし、子育ての負担の重さを考えれば、その負担は一人よりも二人、二人よりも三人、できれば多くの人が分担する方がリスクは小さい、と僕は考えている。もちろん、最終的な責任については、現実的には親などの誰かが背負うことになるべきであろう。

 

 核家族の問題が目につくようになって、一人暮らしにも問題があると思い始めた。僕は大学生をやっている間に、生活が荒廃していく一人暮らしの人間を何人も見てきた。実際、途中で大学に来なくなる人間というのも確実に一定割合存在する。無理もない、高校までの実家暮らしから「解放」され、突然一人暮らしに移行したのだから。羽を伸ばすはずが、気がつけば取返しのつかないところまできていた、ということもあるだろう。

 とはいえ、大学生はまだ親に守られている側面がある。家賃を親が払い、ある種「子ども部屋の延長」として大学生の一人暮らしが行われていることはよくあることだ。それは、「大学生」の期間が通常4年や6年で終わるからということもあるだろう。

 しかし、大学生以外にも目を向けてみれば、「一人暮らし」の問題は思ったより根深いのかもしれない。僕が気になったのはむしろ高齢者の孤独死の問題である。「無縁社会」という言葉が一時期流行し、NHKでも取材がなされたが、どうやら孤独死には男女差があるらしい。ある夫婦において、パートナーに先立たれた場合、妻はけっこう生き残るのに対して、夫はすぐ死んでしまうようだ。この「高齢者の」問題は僕らの未来の姿を表しているんじゃないか? 結婚をする人間が減り、離婚率も上昇している中で、どんどん「孤独」になっていく人間は増えていくだろう。「一人でも生きていける」という人間も確かにいるかもしれない。しかしおそらく、高齢者で起こっている「孤独死」のような問題が(とりわけ男性において)これから増えていくのではないか。

 

 核家族、一人暮らし。いずれにせよ、問題となるのは「孤独」である。そして、「結婚」という物語がどんどん機能しなくなってきていることがこの問題に拍車をかけている。だからこそ僕は「結婚によらない同居」としての、「シェアハウス」をもっと当たり前にしなきゃいけない、そういう使命を抱くようになった(論理的には「シェアハウス」以外にも孤独を解消する手段は考えられるが、今のところ最も賭けるに値する、と僕は考えている)。

 

2年目以降はシェアハウス増殖・後身育成へ

  話は長くなったが、そんなわけで、僕は「ただ単にシェアハウスをやる」というだけではダメだと思った。もちろん、主流の場所に馴染めない人が逃げ込んでくる「駆け込み寺」としてのコミュニティを作ることは大事なことだ。「駆け込み寺」はできるだけいっぱいあった方が社会としては健全だろう。しかし、どうやら「核家族と一人暮らし」、すなわち「家族」の問題は「駆け込み寺」だけではどうにもならない。

 だからこそ、僕はシェアハウスを増やす。とにかく「増やす」。そういう方針を立てた。しかし、これは僕一人ではできないことだ。また、周囲の人間を仲間にしてもまだまだ不十分だ。直接の仲間じゃない人間も勝手にシェアハウスを始めてくれる、そういうところまでいかなくては、日本における核家族と一人暮らしの圧倒的な支配を打ち崩すことはできない。

 こうして、1年住んだ後の僕は、後身を育成することを大事にし始めた。後輩たちが新たにシェアハウスを始めることは歓迎した。新たに家を借りるようにどんどん焚きつけた。しかし、そのシェアハウスを「自治」できるように、不用意に口出しはしなかった(トラブルの解決や空き部屋の補充には積極的に介入したが)。

 拡大路線を敷いたサクラ荘は徐々に増え、2年目には2軒目ができ、3年目には5軒になり、4年目の現在は7軒である。そこそこの成果だが、それでも僕はまだまだ足りないと思っている。今のところすべて京都にしかないというのも不満である。では、これからも数を増やしていくにはどうしたらいいのだろうか?

 

 そもそもサクラ荘は、単に友人をシェアハウスに誘うだけでなく、月1回程度のパーティなどによって外部の人間を積極的に巻き込むようにしている。そうして、気がついたら住人になっているという人がいる。それはこれからも続けていくべきだろう。しかし、「家」は外部に開くことができると同時に、個々人の住居でもある。必然的にプライベートが脅かされることの負担を背負うものがいることになる。2015年4月に始まったサクラ荘1号館もコミュニティとしてはそろそろすり減ってきてしまっていたのだ(実際、パーティが開かれても住人で参加する人は少ない、という状態が続いていた)。

 僕自身も、シェアハウスはどんどん増えるべきだと思うが何も全部が「オープン」になる必要はないと思っている。サクラ荘1号館は人を呼ぶために半ば無理に「オープン」を続けてきたが、今やその役目を終えつつあるのかもしれない。言わば普通のシェアハウスになりつつあるのだ。それはそれで、喜ばしいことである。

 一方、サクラ荘8号館にあたる「フロントライン」は最近、パーティを開き続けている(さっきからパーティパーティと言っていて、どんだけパーティピーポーなんだよと思われるむきもあるかもしれないが、実際のところはダラダラと飲み食いしながら喋っているだけがほとんどである。実態としては「交流会」や「懇親会」がせいぜいだろう)。

 フロントラインはとても広くてきれいで、良い家である。京都では最近民泊についての法律が改正(改悪?)され、ゲストハウスを運営していくことが厳しくなった。外国人向けの民泊として使われていた家が、このたびシェアハウス物件としてまわってきたのだ。10/27(土)の「ポスト・コミュニティスペース」についてのトークイベントの会場はこのフロントラインを選んだ。フロントラインが新たな時代のコミュニティを担っていく、その幕開けを象徴するイベントになれば幸いだ

 ともあれ、僕が3年間蒔いてきた種はどうやら実ったようだ。もちろん、これからも後進育成が必要だとは思っている。だが、ようやく僕は次に進むときがきたのだ。

 

住むのをやめたからこそできること

  確かに僕はサクラ荘の創始者だ。しかし、僕はいつまでも現場でリーダーをやるわけにはいかない。これから新たにリーダーになる人間が発掘されれば、僕は喜んで支援しよう。僕がやるべきことは人に直接指示を出すことではなくて、「場」を作ることである。言うならばプラットフォーマーである。

 そして、これから必要なのは、"サクラ荘以外のシェアハウス"を知ることだ。なぜなら、僕は社会学の研究者だからだ。一つの現場に留まるだけじゃなく、いろんな現場を比較する必要がある。そして、「シェアハウス」とは何なのか、「シェアハウス」はどのように人々の生活を変えるのか、そういったものを探求し、体型的に言語化する必要がある。理論として誰にでも活用できる「言葉」を僕はこれから作らねばならない。「サクラ荘」というローカルなものに留まらない、普遍的な言葉を。

 

 それは、今シェアハウスに住んでいない人にも「わかる」言葉のはずである。僕は今同棲している彼女とは、シェアハウスではないところで出会った。それゆえに、いわゆるシェアハウス的なものにそれほど「理解がある」というわけではない。そんな彼女にも「わかる」言葉でなくてはならないだろう。最後に、彼女の話をしてこの話を閉じようと思う。

 

:補足すると、彼女は社会における核家族の問題点やシェアハウスの重要性などを十分に理解している。ただ、彼女自身は「プライベートは大事だし、シェアハウスに住むのはちょっと……」という感覚を持っている、ということである。なお、この記事は彼女にも事前に読んでもらって掲載の承認を得ている。

 

 

彼女とのこと、これからのこと

  彼女とは、文学フリマ京都で出会った。急いでつけ加えると、彼女は文学フリマの常連、というわけではない。たまたま彼女の友人が文学フリマの主催者側だったために、誘われたということだったようだ。

 たまたまサークルクラッシュ同好会の出していた同人誌を手に取ってくれて、僕の文章を気に入ってくれたそうだ。彼女は「バックナンバーを購入したい」という連絡を僕によこしてくれて、たまたま近くに住んでいたので喫茶店で待ち合わせし、話してみたら意気投合した。ロマンティックで運命的な出会いだった。

 彼女はすごく賢い人だ。社会に流通している言葉を鵜呑みにすることなく、「あるあるネタ」としてメタ化する(なんと学部時代は社会学を専攻していたとのことだ)。人の振る舞いや世間のできごとの可笑しさを指摘し、皮肉ってみせる。「自覚」のない人間にはどこか辛辣でもある。

 彼女はすごく可愛い人だ。気丈な振る舞いで人に合わせることもできる中で、とても神経質なところがある。彼女は(僕の前では特に?)感情豊かで、コロコロと表情が変わる。笑った顔も可愛いが、困っている表情を見てもとても愛おしくなる。

 彼女はすごく面白い人だ。interestingだけでなくfunnyでもあると思う。おそらくサービス精神もあるのだろう、抜群の瞬発力で、メーターの振り切れたようなアクションをしてくれる。持ち前の皮肉さもあって、僕をとても自由な気持ちにしてくれる。僕が生きてきた中で、笑いのツボの合う人は本当に1人2人しかいなかったと思う。それも女性では1人もいなかった。彼女は僕にとって唯一の存在である。不謹慎なことでも笑い合える、そんな共犯関係を、死ぬまで続けたいと思う。

 

 そんな彼女と話し合ううちに、同棲しようということになった。考えてみれば、これはごくふつうのことだ。確かに、左翼の界隈には、恋人同士でシェアハウスに住み、シェアハウスで子どもを産み、シェアハウスで子どもを育てる、みたいな人もいる。

 しかし、子どもを産み育てるという人の中で、そんな共同体主義者はマイノリティであろう。僕が「研究者」として普遍的な言葉で語るということは、「他者」にも通じる言葉で語るということである。そんな僕が、「最初からシェアハウスで生活してくれる人としか付き合わない」という態度でどうする。恋人だから誰にも邪魔されず二人で一緒にいたい。自分の子どもだから知らない人には預けられない。何度も言うがこれは「ふつうのこと」だし、この「ふつう」を簡単に否定することはできないはずだ。もちろん、シェアハウス内での恋人関係を否定する気もない。

 

 彼女はある意味で「ふつう」の人間だと思う。おそらく僕にもどこか「ふつう」なところがあると思う。しかし、シェアハウスにとって「ふつう」は一種の「他者」であろう。もっと具体的に言うならば、多くの人にとって、「プライベート」であるということが「所有」するということが、恋愛や子育てにおいては不可欠に感じられるところがあるのである。それも、深く根差した感情のレベルで、である。

 僕はプライベートの感覚や所有の感覚をぶっ壊してやろうなんて思っちゃいない。彼女は物を共有しないし、プライベートを大切にする。それはそういうものだし、とても多くの人が共有している感覚だと思う。だからこそ、僕はそういう人から逃げるのではなく、対話しながら未来を作り上げていきたい。

 

結論

  僕が「シェアハウスに住むのをやめた」のはプラットフォーマーになり、研究者になるからである。

 僕が「彼女と同棲し始めた」のは彼女が好きだからであり、彼女という他者との未来を考えるためである。

 僕は彼女と結婚しようと思っている。未来のことはまだ分からないけど、もし彼女との間に子どもができたなら、僕は「子育て」を軸に新たな共同性を構築したいと考えている。なぜなら、子育ての負担を分担しなければ、また新たな悲劇を生むことになってしまうからだ。しかし、その具体的な形態は彼女抜きに決められることではない。

 僕は今、そういうことを考えている。

10/8『「男らしさ」の快楽――ポピュラー文化から見たその実態』読書会レジュメ

 西井開さん

twitter.com

が主催しているメイル・セクシュアリティーズ研究会において、10/8(月・祝)に『「男らしさ」の快楽――ポピュラー文化から見たその実態』の読書会が行われた。

 この本は大ざっぱに言えば、「男性学」に分類されるものである。しかし、(フェミニズム的な問題意識による)男性性の暴力性や加害性への反省を主題にしたものではないし、「男らしさの鎧」とも言われる男性特有の生きづらさを主題にしたものでもない。そうではなくて、フェミニズムから距離を置いた「男らしさ」のある種の”肯定的な”側面をポピュラーカルチャ―の調査から見出そうという本である。

 また、「男らしさ」なるものがどこか時代遅れになる中で、保守反動的に昔の「男らしさ」を復権しようというのでもない。この現代の文化・社会状況において「男らしさ」を肯定できるとすればいかにしてか、という問いに貫かれた本だと言える。

 私はこの本の第三章、第五章、第六章のレジュメ作成を担当した。この本をこれから読む人/読まずに情報を得ようとしている人などのために、せっかくなのでブログ上で公開しておく。ただし、第六章のまとめは少し雑なので、このレジュメだけ読んでも何言ってるか分からない気がする。

 

-----

 

第三章 部族化するおしゃれな男たち――女性的な語彙と「男らしさ」の担保

谷本奈穂[1]・西山哲郎[2]

 

[1]社会学者。1970年生。関西大学教授。ポピュラーカルチャーを雑誌や漫画などのメディアから分析するのをよくやってらっしゃるイメージ。『恋愛の社会学』と『美容整形と化粧の社会学』が有名。

[2]社会学者。1965年生。関西大学教授。谷本さんと同じく阪大出身で年齢も近いし、旧知の仲なのだろうか。調べたところスポーツ社会学が専門っぽい。この本でもよく触れられるブルデューについての論文も書いておられる。

 

1 「男らしさ」とおしゃれの微妙な距離

 ファッションは集団や自己に向けて自らを対象化させる装置にもなりうるため、ファッションはその人のアイデンティティの構築に強く結びついていると言われてきた。しかし、服装や髪型にあれこれと気を配ることは女性特有の振る舞いとみなされ、それを男性がした場合は「軽薄」「男らしくない」とみなされてきた。現在もそのイメージは根強く残っている。

 

 

2 男性の灰色化

服装の近代化

 おしゃれをする男が軽薄で女々しいというイメージは19世紀以降の「近代の慣習」だという。19世紀半ばのテイラード・スーツの登場以降、男性服は簡素化した(男性の灰色化)。

 

日本における服装の近代化

 西洋でも日本でも服装の華美/質素は性差ではなく身分差に左右されていた。しかし、明治時代になると、鹿鳴館(外国との社交場)の開設を機に、身分の高い女性は表を着飾って出歩くことを求められるようになったのに対し、男性は燕尾服やフロックコートなどのフォーマルウェアを着るようになった(身分差から性差へ)。

 日本の管理社会の中では、西洋のフォーマルウェアが持っていたダンディズムや遊びの性格は希釈され、西洋以上に「灰色化」したと言える。

 

勤勉に働きうる身体

 流行(モード)と言えば、女性のものとなり、男性は近代産業社会建設のための機械化兵士(サイボーグ)として選ばれたと言える。体を鍛えたり、働いたり稼いだりすること、すなわち「勤勉に働くこと」ができる身体を持つ男性こそ「男らしい」とみなされるようになった。

 

 

3 おしゃれな男

灰色化の拒否

 高度経済成長とそれに随伴する消費革命の展開〔70~80年代頃?〕によって「おしゃれ」を目指す男性が増えてきている。そのような男性の意識を考察するために、インタビューを実施する。

 「おしゃれ」であることの最低条件として、①本人がおしゃれ好き(服装や髪型に気を配る)である ②他者からおしゃれだと評価される を設定し、それらを満たすと思われる読者モデルやセミプロのモデルへのインタビューを実施した。

 彼らには「目立たない洋服を着てその他大勢に埋没すること」を嫌がる心性が見られた(Cさんが制服も私服も可能な高校を私服で通っていた語り)。

 

自分を生かすおしゃれ――女性的な語彙[3]

 おしゃれに関する意識やこだわりを尋ねたところ、「自分の中での決まり」「自分を生かすこと」といった、「自分」を意識している言葉が現れた。つまり、異性を中心とした他者ではなく、「自己」を意識し、自分の髪質に合うもの、身長が高くスリムな自分の身体に似合うものを着ようとする意識がある。

 また、「流行」や「同性」を意識しており、これらの身体観はある意味「女性的」である。というのは、著者らが行った2003~2005に大学生を対象としたアンケートでは、普段、身体に加工をするのはなぜかということを尋ねたが、「自分らしくあるため」「自己満足のため」「流行に乗り遅れないため」「同性から注目されたいから」という回答は、主に女性から得られたからである。一方、男性は女性に比べ「異性にもてたいから」という回答が多い(谷本 2008『美容整形と化粧の社会学』)。また、「自分の中にあるこだわり」を大切にし、「自分の特長を生かすこと」を心がけるという点で、谷本(2008)の美容整形経験者の女性へのインタビューとも共通している。

 よって、「おしゃれ=男らしくない」というイメージ通りであると、とりあえず主張できる。

 

化粧の拒否――「男らしさ」の担保

 しかし、他方で彼らには外見に関する「男らしさ」への強いこだわりもあるのではないか。具体的には、中高年女性が化粧や美容整形をすることを歓迎するのに対し、同性(特に友人)が美容整形や化粧をするとなると、「男がするものではない」という理由で否定的な目を向けたり、それをホモセクシュアルであるとみなしたりする。そうすることで自身の「男らしさ」(また、異性愛であるということ)を担保していると考えられる。

 

[3]本文中に「動機の語彙」という言葉が出てくるが、これはミルズというアメリカの社会学者の概念で、「動機」はいかにも個人の内面にあるように見えて、実は社会的なものであるということを示す概念。人は何かの行為の動機を問われると、集団や社会の規範に即した説明をしてしまう(例えば、「なぜ無断欠席したのか」と問われた際にどのように答えるかを考えてみればよいだろう)。

 

4 同質社会性――小集団化するジェンダー意識

 以上のような女性的とも言える身体意識と、男性的とも言える身体意識の両立はどのような社会背景から生じているのだろうか。

 

似たもの同士の友人関係

 日本の前期近代においても、大正時代の「モボ・モガ」や、昭和三十年代の「太陽族」や「みゆき族」など、「灰色化」に抵抗した小集団は存在していたが、彼らの卓越化戦略は、結局は購買能力の豊かさに還元できる。つまり社会階層のどこかに自分と他者を位置付けることで、社会の一員としてのアイデンティティ獲得を目指していた。

 それに対し、60年代後半のヒッピー文化に始まるサブカルチャーの発展は、水平的な差異化を狙いとするものだった。つまり、経済的貧富の差ではなく、ライフスタイルの違いによって、人々は自己の存在を主張するように変わってきた。そのような自己の差異化戦略は、80年代のバブル景気に乗って記号論〔差異=価値〕的な洗練を加えられた(分衆化[4])。

 「分衆」の観点からインタビューについて考えると、彼らの「友達がすることを止める」という発言は注目に値する。つまり、おしゃれな男性にとって、異性である女性が(場合によっては赤の他人である男性も)化粧や美容整形をしていいと考えながら、自分に近い存在である同性の友人には自らの持つジェンダー規範を遵守させようとする傾向がある。

 そして、「大切なもの」を聞いた際の語りから、彼らは同性の友人を非常に大切にしていることが分かる。また、その友人たちは彼らと同様「おしゃれ」な人たちである(「目立つ」、「おしゃれに無頓着な子はあまりいない」、「かっこいい系のグループ」、「DJ」、「ショップ店員」)。また、グループのメンバーが外見的に似た者に変化していくという語りも見られる。以上より、おしゃれな男性たちのグループは「分衆化」の徹底として形成された小集団だと言える。

 

部族から、働く身体へ、そして〈部族〉へ

 価値観が多元化した現代においては、近代以前の部族のような〈部族〉的小集団の一員として暮らすことが望まれるようになった。つまり、合理性を基盤として構築される会社や国家のような組織に代わり、アイデンティティの拠り所として美的センスやライフスタイルを同調できる集団が〈部族〉的な小集団として浮上するようになった(「世界の部族化」by ミッシェル・マフェゾリ)。

 近代以前の部族社会では、集団の将来が、外敵や自然の脅威に晒されていたのに対して、現代(または後期近代)では生活に対する脅威が内部的な「リスク」として抱え込まれる点に違いがある。そのため、団結の契機を失い「同質の者と共にいたいという願い」がせり出してくるのが現代社会である。

 「勤勉に働く身体」として「同質」になれた時代は終わり、普遍的な合理性に貫かれた社会建築の理想は、(局所的にのみ共有される)美学による生活のスタイル化の夢に取って代わられた。マフェゾリによれば、男性のおしゃれは個人主義ではなく、小集団快楽主義の表れである。そうして彼らは、同質の者と小集団をつくり、〈部族〉の象徴となるアイテムを身にまとうことで、かろうじて自己の意味の断片を拾い上げていくしかない。インタビューに見られた女性的な部分と男性的な部分は、この断片を拾い上げる作業(ブリコラージュ[5])の中で両立していると言える。

 これは同時代人に共通する生活状況である。そのため、今後、身体やジェンダーに関わる意識を考察する場合には、年齢や性別といった個人の属性に加えて、こうした〈部族〉的な小集団の布置状況を検討していく必要があるだろう。

 

[4]1985年に博報堂生活総合研究所編の「分衆の誕生」にて定義され、同年の新語に選ばれた語である。ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることをいう。たとえば自動車やテレビのように1世帯に1台だったものが1世帯に2台ないしは1人1台のように状況が変化することである(Wikipediaより)。

[5]構造主義の代表格である文化人類学レヴィ=ストロースの用語。「あり合わせ」という意味で、「エンジニアリング」と対比される。言うならば、西洋の人たちは物を合理的な設計図のパーツとしてしか捉えられないが、「未開」の部族の人たちは物を記号として捉え、柔軟に何にでも応用することができる。

 

 

第三章を受けての議論:

・社会階層は本当になくなったのか? 確かに、ブルデュー的な卓越化の議論(クラシック音楽が高尚、みたいな話)には批判がある(例えば、北田暁大東浩紀の「動物化」に触れつつ、アニメのような趣味領域では「高尚/低俗」のような軸での卓越化はほぼ働いていないということを『社会にとって趣味とは何か』で指摘している)。

 とはいえ、収入の格差はやはり厳然として存在するし、近年の「階層」はむしろ「コンプレックス」という形で現れているようにも思われる。コンプレックスの代表格として、まず身体的特徴(とりわけ顔や体型や身長や頭髪)とコミュニケーション(とりわけ性愛に関するもの)が挙げられるだろうし、「学歴」や「健康」などもコンプレックス産業になっている(もっとマイナーなのだと、「語学」とか「料理」とか「片付け」とか「家計」とか……本屋にコーナーがあるものはコンプレックス産業と間接的には繋がっているのではないかと私は邪推している)。

 男の選び方が三高(高収入・高身長・高学歴)から三低(低姿勢・定依存・低リスク)に変わったなどともいわれるが、ポジティヴなものを増やすのではなくてネガティヴなものをなくしていく方向性があるような気もする。しかし、それで得られるアイデンティティや連帯というのは「共通の敵」や「異質な者の排除」によるものになってしまうのではないか。本文でも「同質性」について書かれていたが、「おしゃれな男」の連帯は「非おしゃれな男」や「女性」の排除によって成り立っている側面もあるだろう(これもホモソーシャリティか。その連帯が加害性を持つかどうかがすごく重要だとは思うが)。

 

・「勤勉に働く身体」としての「男らしさ」が「普遍的な合理性に貫かれた社会建築」のための資源になっていたと考えるのは面白い。今や様々な〈部族〉で男性性や女性性が断片的な資源として用いられているのだとすれば、身体的な性別が男性や女性やそれ以外であったとしても、「男性性」/「女性性」/「セクシャルマイノリティ性」はそれぞれ、〈部族〉として断片的に(ハイブリッドな形式で)用いることが可能なのではないか。例えば、近年話題になった「ジェンダーレス男子」などはそれぞれを断片的に拾い上げているようにも思われる。

 

 

 

第五章 一人ぼっちでラグビーを――グローバル化ラグビー文化の実践

 河津孝宏[6]

 

[6]東京大学大学院学祭情報学府博士課程在学中(2009年情報)、WOWOW勤務。1971年生。著書に『彼女たちの「Sex and the City」――海外ドラマ視聴のエスノグラフィ』(せりか書房、2009)

 

1 グローバル化とスポーツ文化、そして男性性

 メディアで注目されてきたプロ野球と大相撲は退潮し、80年代後半からはF1、サッカー、バスケ、総合格闘技が表に出てきている。また、野球にしてもメジャーリーグがメディアに出てくるようになり、メディア資本の国際的な再編と共に、私たちが接しているメディアも国際化が起こっている。

 これは、グローバル化として、また、社会学者のギデンズの言葉で言えば、「脱埋め込み(特定の場所に根付いた対面的な社会関係や共同性から個人を引き剥がすこと)」[7]の進行と言える。ただし、グローバル化はローカルに積み上げられてきた伝統や制度を一掃してしまうのではなく、両者は錯綜しながら新たなスポーツ文化の実践のコンテクストを形成していく。

 また、多くのスポーツ文化に見られる男性間の連帯や共同性は、家父長制における男性優位性の確認・維持の装置となる「ホモソーシャリティ(男同士の絆)」[8]として指摘されてきた。しかし、グローバル化の中で、「体育会系」とも称される男性メンバー同士の閉鎖的な結束と連帯のあり方も相対化されることになる。

 この章ではラグビー者(プレーや観戦や語りを通じてラグビー文化に接する者)の経験を扱い、グローバル/ローカル双方のコンテクストの交差を読み取る。

 

[7]イギリスの社会学者ギデンズは近代化を

①時間と空間の分離(テレビで世界の様子が中継されたり、乗り物ですぐ遠くに行けたりなど)、

②脱埋め込みメカニズム(専門家システム(電車がどうやって動いてるか、法律がどうやって運用されているか等知らなくても使える)と象徴的通標(貨幣など))、

③制度的再帰性(「伝統」は疑われずにその伝統の元で行為はなされていた。しかし、今や制度は絶えずチェックされ改変され、その制度のもとでまた行為し、行為によって制度が変わり……という感じで「構造→行為→構造→……」のループが起こるということ)

の三つに整理している。

[8]英文学者セジウィックの用語。非性的な男同士の絆のこと。その成立にはしばしばホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー女性嫌悪)が伴うとされている。それはすなわち、性的な絆を私的領域に押し込め、互いが異性愛であることを確認し合うことによって、安心して公的な領域で非性的な絆を形成することができるということである。

 

 

2 日本のラグビーの熱狂と停滞

 ラグビーは名門大学や一流企業のイメージと結びつき、戦後日本社会の集団主義的な体制を表象する一面を有してきた。特に70年代末から90年代初頭に人気だった。

 80年代にはメディア表象としてラグビー文化が取り上げられ、まともに成立していた。そこでは、ラグビーによる男性たちの結束がウェットに描かれていた。しかし、著者によれば今ではその表象に違和感をおぼえるのだという。その違和感は、90年代中盤以降のラグビー文化のメディア上での退潮と同じ地平にあるという。

 

一九八〇年代の「大学生的」熱狂

 ラグビー慶應、京大、早稲田、明治などの大学チームによって牽引され、戦後の社会人チームの台頭を経て、70年代から80年代にかけてポピュラーになっていく。伝統的な早明戦は戦略的な意味での対立構図を提供してくれるため、大学生とOBを中心とした一大イベントとして人気を博していった。

 明大の元学生によれば、90年代初頭、早明戦で勝ったチームは新宿歌舞伎町のコマ劇場前を占領し、飲み会していたという。早稲田の名フルバックだった今泉清は、ペナルティ・ゴールを狙う際に大股で五歩ステップバックするルーティーンでおなじみだったが、観客がそのステップに合わせて「イチ、ニ、サン、シ、ゴー」と大コールするのが恒例だった。これは、学生たちの飲み会のコールと連続していた。

 

八〇年代/九〇年代の断層:コンテクストの開放

 スポーツ総合誌『Number』の表紙掲載回数を見ると、80年代はラグビー隆盛の年だったが、90年代になってF1やサッカーに取って代わられたことが分かる。また、ラグビー特集のタイトルを見ると、国内のみに焦点を当てたものから、国際舞台における日本ラグビーの位置付けを前提に構成されたものに推移していった。80年代のように国内のコンテクストに内在したままでは商品としての特集が成立しなくなっていったと言える。

 

ローカルな文脈からの離脱

 ここから80年代後半からのスポーツ文化のグローバル化が読み取れる。実際、ラグビーにおいても大学間対抗というローカルなコンテクストに留まらず、87年のワールドカップの開催を端緒にグローバル化が進展していった。大学ラグビー中心のアマチュアリズムから決別し、トップカテゴリーである社会人リーグの全国化とプロ化、つまり「世界標準」へのキャッチアップを目指すことになる。

 ギデンズ的な枠組みで言えば、プロ化という名のもとに場所の特殊性を消失させる「象徴的通標」に手を伸ばし、脱埋め込みプロセスが進んでいったと言える。

 

 

3 ラグビーをプレーする――ローカルな共同性の実践

 このような経緯を踏まえたうえで、「ラグビーを愛好すること」の今日的な実践の在り方に接近するため、プレー/観戦を問わず様々な形でラグビーに接したことのある人達へのフォーカス・インタビューを行った。

 

ラグビー部での日々――過酷さから連帯へ

 ラグビー部の活動の厳しさ、つらさが異口同音に語られ、また、拘束時間の長さと肉体的な負荷の高さゆえに、部員のラグビー外の活動や人間関係を制限しがちである。

 しかし、そんな過酷さにもかかわらずラグビーを続けられる理由は、メンバー間の連帯だという。ラグビー部のメンバーは、他の運動系クラブと比べても、その非日常性ゆえに外部からの「隔離」に近い状態に置かれやすい。そのため、部員たちは互いを扶助しあい、連帯や一体感を強めていく。

 

連帯の符丁としての男性性

 ラグビーでは卓越した個人技よりもチームとしての連携を保ち続ける献身的なプレー姿勢が要求される。その中でのプレーは必然的にある種の精神的高揚を伴い、攻撃性や荒々しさといった男性的なトーンを帯びたものになる。

 つまり、連帯や相手チームの対抗心などの集団的な性質から個人個人の男性性が発露されており、そこにはホモソーシャルな関係性の実践としてのラグビーがあると言える。

 

チーム内部での濃密な経験/外部との断絶

 語りによれば、青春期の生活における潜在的な空虚さに対して、「熱さ」と「濃さ」を注ぎ込んでくれる存在としてラグビーが選ばれている側面があるという。そして、そんなラグビーへの特別なコミットメントは指導者との人格的な結びつきと関係があるという。ラグビーに打ち込んできた選手を指導者は見守り、その言葉によって彼らのつらさに意味を与えるため、彼らは「救われる」経験をすることになる。

 しかし、以上のような濃密さゆえに、ラグビーの外部にいる者との経験の共有は難しく、温度差が生じてしまい、ラグビーに対するステレオタイプ的な表象(「痛い」、「つらい」など)を自分が引き受けることでお茶を濁すしかないという。それゆえ、ラグビーの濃密な経験はプレー共同体の内部に封じ込められることになる。

 

ローカルな共同性の実践

 ラグビーをプレーすることは、スポーツの実践であると同時に、チーム内で完結したローカルな関係性の実践でもある。

 しかし、学校制度と結びついた実践空間は期限つきで一回的なものである。特定の場所に根付いた関係性から離脱したコンテクストにおいてのラグビーの実践はどうあるのか。

 

 

4 ラグビーを観る――共同性からの離脱と競技性の消費

 プレーしなくなってからラグビー文化へのコミットメントを維持するには二つの条件がある。それは、ラグビーを巡るローカルな共同性(かつてのチームメイトとの縁やラグビー経験を共有する場)を維持することと、ラグビーという競技に関わり続ける(観戦する)ことである。

 

共同性の再構築

 ラグビー実践における共同性を維持した例として、47歳のインタビュイーのFは卒業後も草ラグビーでプレーを続け、大学時代の仲間と共にラグビー観戦を趣味として母校を応援し、国内のプロリーグである「トップリーグ」や日本代表の試合もカバーしていたという。Fの人間関係もラグビーを軸にして形成されている。

 しかし、これは希少な例だと言える。Fが30歳代だった90年代半ばまでは秩父宮か国立競技場で大きな試合が行われていた。グローバル化による「脱埋め込み」を受けずに東京で観戦を続けられたために、80年代と同質の共同性の中に居続けることができていると言える。

 

「脱埋め込み」後のラグビー観戦――グローバルで私的な実践

 一方、75年生まれのインタビュイーBに注目すると、Bは高校・大学のチームメイトと親交を続けているものの、観戦の経験を共有できる人がいないという。Bは海外のラグビー中継、特に南半球三ヵ国による国際大会に熱中し、サッカーも観ているために、国内ラグビーは後回しにされ、実際に観に行くことも少ないのだという。

 Bが大学を卒業してプレーの第一線から退いたのが90年代後半であり、ラグビーグローバル化が進んでいた時期であった。個人でアクセスできるコンテンツの範囲が広がり、本人にリテラシーがあれば限りなくマニアックなコンテンツに浸ることができる今日の環境において、メディア実践は個人化していく。オールブラックス好きが高じてニュージーランドへの短期留学まで果たしたBの個人的なコンテクストは他のラグビー者一般と直ちに共有できるものではない。ギデンズ的な枠組みで言えば、Bは率先して「脱埋め込み」に応じ、その後も何らかのローカルな共同性の中に「再埋め込み」されることもなく、自由で孤独な実践を続けている。

 

 

5 排他性と優越性なき「男」

 Bのラグビーやサッカー観戦の実践は、家庭においても共同性の外にある。このような共同性なき実践における実践者は、男でも女でもなく「私」であると言える。

 ラグビーにおいて発露する男性性が、メンバー間のホモソーシャルな連帯を維持し確認するための符丁ではある。しかし、著者のインタビューからは他者の姿が見えてこない。自らを「男」というカテゴリーに区分けするために必要な「男でない者」を、彼らは語りの中で分節化・対象化することはなかった。

 むしろ、大学ラグビー部の女子マネージャーAの語りは、彼女がプレーに参加できずともチームの強い連帯の中に組み込まれていることを示している。ここでは従来のスポーツ文化におけるジェンダー研究と違い、「男でない者」に対する優越性や排他性を前提としない「男らしさ」が見出される。ラグビー者は「仲間」であるために必要な限りで「男らしさ」を引き受けているのであって、決してその逆ではない。だからこそ、「仲間」の連帯から解かれたとき、つまりラグビー者がプレー空間の共同性から「脱埋め込み」を受けたとき、彼らはもはや「男」というカテゴリーから離脱して、「私」としてラグビー文化に関わっていく。

 

第五章を受けての議論:

・ローカルな共同性が「脱埋め込み」されていき、それに代わる「象徴的通標」がグローバルな関係性を作るという話は私自身の研究(ローカルな共同性が希薄な集団において起こるサークルクラッシュ)とも深く関わる論点なので、頷けるところがあった。ラグビーをプレーしなくなった人がどのようにラグビー文化と関わっているのかを追うというのはとてもユニークな研究。

 

・最後に「排他性と優越性なき男らしさ」という話が出てきたが、プレー空間の共同性から脱した後のBはやはり孤独だとは思うし、それでいいのだろうか。

 

・むしろ、プレーしていた時代の「男らしさ」はやはり排他性と優越性を伴うものだったのではないか。「脱埋め込み」後の推移から事後的にローカルな共同性を「排他的なものではなかった(だからこそ孤独になっているのだ)」と論じているようにも見えるが、そういう論理展開だとしたら、それはさすがにおかしいのでは。著者はラグビーの共同体を少し理想化しすぎではないか。

 かといって、「このローカルな共同性には、排他性と優越性がない!」と実証的に明らかにするのは相当難しいだろうなあ。

 

・「連帯することによって男らしさが発露され、その男らしさによってまた連帯が維持される」という論理だったと思うけど、「前提として男らしさが目的にあり、だからこそ連帯している」ということはないのだろうか。

 

第六章 「男らしさ」の装着――ホストクラブにおけるジェンダー・ディスプレイ

 木島由晶[9]

 

[9]社会学者。1975年生。桃山学院大学社会学部准教授。第三章の谷本さん・西山さんと同じく阪大出身なので何か繋がりがあったのだろうか。音楽やゲームなどのポピュラー文化に関する論文がある。共著では「なぜキャラクターに『萌える』のか――ポストモダンの文化社会学」(2008、『文化社会学の視座』所収)や「ゲームはどこまで恋愛できるか」(初版2011、第三版2017、『デジタルメディアの社会学』所収)

 

1 〈男〉を演じる

「男らしさ」の脱皮と獲得

 「男らしさ」は「鎧」であり、脱ぎ去るべきものであるという議論があるが、80年代には、「男らしさ」の獲得が謳われた時代もあった。「男はタフでなくては生きていけない。やさしくなくては生きていく資格がない」(フィリップ・マーロウ

 裏を返せば、「弱さを見せるな」ということである。しかし、やせ我慢の方が恥だと感じられたり、「女々しい」という印象に潜む性差別的な含みが看守されたりすれば、獲得すべきとされたその「鎧」は脱ぎ去るべきものに転じる。

 

指針なき時代の不安

 「男らしさ」が獲得や脱皮の対象となるのは、それが揺らいでいるからである。つまり、「男らしさ」は家父長制が失墜していく戦後史の動きを象徴している。世代論的には「新人類」世代が特にその失墜を切実に受け止めていたと言える。

 具体的には、「アッシー、メッシー、ミツグくん」が流行語となり、「弱い女」と「強い男」の関係性が転倒して報じられた際、『Hot Dog Press』のような若年男性向けのメディアは「どうすれば女性を攻略できるか」という特集を頻繁に組んだ。これは旧来の男らしさからの脱皮を促すものであると同時に、失われつつある男らしさを再獲得するための指南でもあり、両義性があった。

 しかし、今や脱皮や獲得の基準となるはずの「男らしさ」という観念そのものにも共通の了解を見出せなくなった。つまり、「いかに脱皮/獲得するか」ではなく「何を指針とするか」が切実な課題として表れてきたというのが新しい男性問題と言える。

 

「男らしさ」を演じる職業

 これは、本当に「男らしい」かどうか以上に、そう見えるかどうかが問われているがゆえに演技的な問題と言える。そこで今日的な「男らしさ」の演技を考えるにあたり、「ホスト」に注目する。その理由は二つ。

 一つ目は、ホストが「よき男性」として振る舞うことを期待される職業だからである。そこでは、〈男〉と〈女〉の関係がねじれた形で現れる。つまり、ホストクラブでは役割roleとしては男女の関係が反転し、女性が金で男性を「買う」のであり、ホストの支配権や決定権は客の側にある。一方で役柄characterとしては男女の関係が誇張され、女性が男性に金を「貢ぐ」という点で金銭的奉仕を客が少なからず楽しんでいる。いずれにせよホストが「よき男性」とみなされなければ、店にお金は支払われない(役割/役柄の区別については後述)。

 二つ目は、ホストクラブそのものに「男らしさ」の変化が示唆されているからである。というのは、90年代の前半頃から、歓楽街のホスト遊びは中年文化から青年文化にシフトした。ホスト以外でも「男の社交場」だった歓楽街がいかがわしさを失い、「マダムの社交場」だったホストクラブにも若い女性が気軽に立ち寄り始めた。

 著者は2001年にホストクラブで働いた経験をもとに、店を辞めて以降も梅田・新宿の歓楽街にあるホストクラブを中心に聞き取り調査を続け、①オーナーが二十歳代前半~三十歳代前半で、②店は90年代の後半以降に作られたものであり、③従業員も客もに十歳前後の青年層を中心としている店を調査した。その調査から、今日のホストがいかに「男らしさ」を演じているかを検討する。

 

 

2 上演舞台としてのホストクラブ

ゴッフマンのユニークネス

 分析の前に社会学者ゴッフマンの理論を整理する。ゴッフマンの着眼の特色を大きく三点抽出する。

①行為の中身(何をするか)よりも、外見(どう見えるか)に注目したこと。言い換えるなら、「役割-行為」ではなく、「役柄-表出」に力点が置かれる。〈男〉と〈女〉の関係に当てはめるならば、「男は仕事、女は家庭」という役割分業のありよう以上に、「男は堂々と、女は可愛らしく」といった挙動やしぐさが分析される。

 

②集団そのものよりも、それが立ち現れる背景に注目したこと。社会学では通常、関係性のあり方から集団を類別するが、ゴッフマンはむしろ、人と人とが居合わせる社会的場面の方こそを類別した。つまり、集団があるのではなく、いかにして集まりが形成されるのかに注目し、「出会い」encounter(人々が居合わせる曖昧で流動的な状況、雑踏におけるすれ違いなど)から「全制的施設」total institution(外部から厳格に隔離され、管理の行き届いた施設、精神病院や監獄など)までを分析の対象とした。

 

③そうした場面で他者の面前に表れる「私」の姿を、重層的に捉えたこと。複数の「私」を横に並べて把握する(会社ではよき社員、家庭ではよき父)のではなく、深さの層として把握する(本音と建前、素顔と仮面、など)

 

 ゴッフマンは社会学的な認識枠組みの図と地を反転させ、「秩序→対面相互作用場面」の矢印ではなく、対面相互作用場面から秩序が立ち上がってくる矢印を探求したと言える。

 

パフォーマンスと局域

 ゴッフマンの『行為と演技』は、劇場のパフォーマンスのように社会を分析する。場面を「劇場」に、そこにあるものを「舞台装置」に、そこにいる人々を「役者」や「共演者」や「観客」などに見立てる。

 パフォーマーたちが演じる「局域」regionは大きく三つに分離されやすいとゴッフマンは指摘する。①役柄がオーディエンスの眼前で成功裏に演じられる「表局域」、②オーディエンスから隔離されて役柄から降りる「裏局域」(舞台裏)、③そのどちらにも属さない「局域外」とに区別される。

 

自営する従業員

 ホストの仕事は①接客、②キャッチ、③営業に分かれる。①接客は店で客を楽しませること。②キャッチはホスト自身が街に繰り出し、行きかう女性に声をかけてつかまえること。③営業は客(または客候補)と店の外で親睦を深めること。

 

明けない仕事

 以上より、①は夜、③は昼、②は昼夜分かたず行われている。夜は従業員の役割、昼は自営業の役割を果たすと言ってよい。

 

ホスト社会の局域編成

 このように考えると、ゴッフマンの区別につけ加えて、夜の接客場面を「表局域」とするならば、昼の営業場面は「下位局域」と呼ぶことができる。「下位局域」は従業員の目からは見えないという点で、個人事業主としての「舞台裏」となるのである。

 彼らが演じる「男らしさ」の特徴を掴むには、店の外にも注目する必要がある。

 

 

3 ホストクラブのジェンダー・パフォーマンス

ホスト社会の競争原理

 ホストクラブは一種の駆け込み寺であり、広く門戸を開いている。その理由は二つある。一つは、慢性的に求人難だから(重労働)、もう一つは採用しても損をしないからである(歩合制)。

 ホストクラブで重要なのは結果であり、手段はどうあれ売上げればよい。売上至上主義は広告やトイレや厨房に掲載される「売上ランキング」にも表れている。そして、売上によって歩合給が上昇したり、出勤時間をフレックス制にできたり、豪華なマンションが貸し与えられたりする。また、職階も基本的に売上で決まる。この売上の競争は「面子」の競争であると言える。

 

生活世界の局域化

 ホストは売上を伸ばすために、〈男〉を磨く(自身の商品価値を高めるために外見に気を遣い、コミュニケーションの取り方を学ぶ)。また、営業の「舞台」を整える(人気の料理屋やアミューズメント施設をおさえておく、自宅を「営業用」に演出する)。そして、売れたら売れた分だけ身辺の演出にかけられる費用も増えていく。ここには、「誇示的消費」(ヴェブレン)の原理も見て取れる。稼いだ分だけ演出に注ぎ込むのは、彼自身がそう欲求しているからというよりも、ホスト社会の規範的な要求に従わざるを得ない部分が大きいと考えられる。

 ともあれ、身辺の演出に精を出せば出すほど、彼らの生活世界は「局域化」していく。つまり、「局域外」の領域がなくなっていくということだが、局域化が進行するほど、役柄であったはずのホストの「仮面」は、限りなく当人の「素顔」に近づく。外見と中身、演出と実像といった区別がつかなくなり、普段からホスト然とした佇まいが備わることになる。

 

面子でつながるバディ

 ホスト社会の競争原理は客にも作用している。彼女たちにとっても、自分と接するホストが売れるのは名誉であり、売れないのは恥であるという感覚を共有している。

 その理由は客とホストが中長期的に二者関係を築くからである。ほとんどのホストクラブに一度自分の担当に指名したホストを二度と変更できない「永久指名」の制度があり、ホストと客は互いの面子をかけて共闘する「バディ」の関係になると言える。

 そして、ホスト同士の売上競争と同型の構図が、一人の担当ホストを中心とした指名客同士の支払い競争において生じる。これもまた「誇示的消費」と言える。ホストの側も、「下位局域」において客一人ひとりに対して、「お前が一番」あるいは「特別」といった態度で接することを余儀なくされることになる。また、時間差で客に会うなどの工夫も行われることになる。

 

オブジェとしての男性性

 一ヶ月間の売上が決定する月末(締め日)において「舞台」は輝く(接客をするホストを支援するヘルプが入る例)。「ドンペリコール」では、客は単なるオーディエンスではなく、その場に見合う〈女〉として映るよう、パフォーマンスをする。客は昼に「尽くされる女」となるのに対し、夜は「貢ぐ女」として金銭的な奉仕に努めるが、従来の「尽くす女」と違うのは、通常の性別役割分業が男性を「陰」で支える役回りであるのに対して、彼女たちは店で奉仕し、店でその功績が大々的に賞賛される点にある。

 ゆえに担当ホストは、夜は「貢がれる男」としてふんぞり返っているようでいて、実は客の誇示的消費を満足させるオブジェのようなものである。

 

 

4 「男らしさ」のコーディネート

望まれる男性像の探知

 旧来的な男らしさとホストの演じ方では二つの違いがある。一つ目は、「男の美学」を持たないことである。北方謙三が述べるような、旧来的な「男らしい人間」は、「羅針盤」としての「男の理想」を内面にインプットし、自分のルールを押し通して生きるタイプであり、いわば「信念の人間」である(リースマンのいう内部指向型にあたる)。一方、ホストの演じ方は客のニーズに従い、相手の反応を敏感に察知する「レーダー」を研ぎ澄ませる「空気を読む」人間である(リースマンのいう他人指向型にあたる)。前者は「男の誇り」を守り抜くことに自尊心を持つのに対し、後者は「売上のランク」を守り抜くことに自尊心を持つ。

 

望まれる状況の探知

 二つ目の違いは、単一の役柄に固執しないことである。ホストはある種の感情労働と言えるが、葬儀屋などのように一貫しているわけではない、言わば「カメレオン型」の感情ワーカーである。

 

「男らしさ」の衣へ

 ホストは、一つの「私」を信じぬくことが困難になった今日における「男らしさ」の在り方を、ある部分で象徴している。彼らは「男らしさ」を無理に獲得しようとも、脱ぎ去ろうともしていない。「らしくある」とはどういうことかを悩まず、「形から入る」のであって、「らしさ」は後からついてくる。

 彼らにとっての「男らしさ」とは、必死で獲得/脱皮する「鎧」というよりは、なんとなく着脱する「衣」のようなものである。衣を着脱することに屈託がないのは、自分の望む〈男〉以上に、相手の望む〈男〉を演じようとするからである。

 ここには「男らしさ」を楽しむ、いわば「試着」を許す寛容さがある。ただしその快楽はむろん、状況に適切な役柄をどう「着こなす」かという不安と背中合わせの関係にある。いずれにせよ、今日の若年男性は「男らしさ」を上手にコーディネートしていかざるをえない。

 

第六章を受けての議論

・「着脱」ができる人ばっかりではないだろう。社会学の若者論では、一元的自己から多元的自己(あるいは、平野啓一郎の言う分人主義)へと変化しつつあるということが言われているが、それでも相当数「一元的自己観」を持った人間はいる。ホストの中にも、役柄間の葛藤や、役柄に「素の自分」が引っ張られることに苦しむ者はいるのではないか。

 

・男らしさというよりも、自分らしさ(アイデンティティ)の議論が中心だったように思う。強いて言うなら、女性のニーズを媒介して自分の〈男〉らしさを作り上げていくこと、また、その作り上げ方が主体的な”演技”であることが現代的なのかもしれない。

 

・(女性が持つ)オブジェとしての男性性という議論は面白かったが、旧来的な「オブジェとしての女性」が反転しただけのような気もする。

『当事者研究と専門知』読書会第一回(9/7)の個人的感想メモ

 

 友人のべとりんが『当事者研究と専門知』読書会を開くということで、面白そうなのでskype参加した。当事者活動を実際にやっている人とかも参加してて実りのある内容だった。以下、個人的な感想メモを記す。

 

1.平井秀幸「ハームリダクションのダークサイドに関する社会学的考察・序説」(『当事者研究と専門知』p119-131)の雑な要約

 ハームリダクション(以下HR)とは「合法・違法にかかわらず精神作用性のある薬物について、必ずしもその使用量は減ることはなくとも、その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策・プログラム・実践である」とされている。

 

 薬物使用に関するHRは「犯罪モデル」にも「医療モデル」にも対立するものとして生まれたと考えられる。
 「犯罪モデル」では薬物使用を「乱用」と扱い、処罰によって解決する。
 「医療モデル」では薬物使用を「嗜癖」と扱い、治療によって解決する。
 それらに対し、HRのモデルでは薬物使用は単に「使用」というノーマルな行為であり、使用そのものを減らすのではなくて「健康・社会・経済上の悪影響(ハーム)」を減らす方向に持っていく。

 

 その例として「安全な注射」キャンペーンが挙げられる。そこでは、①「安全な注射技術」の伝達、②「注射器具の適切な廃棄」の教授、③「注射実践についての思慮と沈黙」の勧奨(むやみに薬物を使用していると発言したり、使用する姿を見せたりしないこと)といった実践が行われる。なお、「安全な注射」キャンペーンでは、薬物使用当事者をサービスの受け手だけでなく、キャンペーンを広める人としても扱う。

 

 しかし、このようなHRにはダークサイドがある。すなわち、「安全な薬物使用者」の像を示すことによって、それに従わない人は「リスキーな薬物使用者」とみなされてしまう。これにより、「リスキーな薬物使用」の方を選んだ人間は「自己責任」であるとして処罰・排除の対象となることが正当化されてしまう。また、「安全な薬物使用者」がそのキャンペーンを広める者として動員されることで、その処罰・排除はより苛烈なものになりうる。これらは「安全な/リスキーな薬物使用者」の分断統治と言える。
 また、問題の焦点が「薬物使用」ではなく「ハーム」に当たるため、薬物使用以外のリスキーな行為(性病予防のなされていない性行為や、不衛生なホームレスなど)も排除の対象になる恐れがある。

 

 そもそもHRにおける「ハーム」とは何だったのか。これまで述べてきたHRはHIV/AIDSやC型肝炎などの公衆衛生的なものをハームと定義した際に行われる、効果があるというエビデンスに基づいた政策である。つまり、HRは「寛容さ」や「薬物使用当事者の脱スティグマ」が第一義的な目的で行われているものではない。
 それに対して、「薬物使用当事者のQOL」にとってのハームを考えることができる。このハームを対象としたハームリダクションを〈HR〉とするならば、ダルクをはじめとした当事者活動はむしろ〈HR〉を志向してきたのではないか。ここでは、「減らすべきハーム」を定義するのはあくまで「個人」である。一方「ハームの減らし方(リダクション)」の方は、資源調達の困難さを考えれば、できる限り社会が担うべきであると考えられる。
 HRのダークサイドについて鑑みれば、〈HR〉への想像力を高めておく必要がある。そのヒントは日本の当事者活動にあるのではないか。

 


2.ホリィ・センの持った疑問

 「ハーム」は個人的なものとして扱い、「リダクション」は社会的にやっていくということが本当にできるのか?

 

 というのは、ハームとリダクションが分けがたく結びついているのではないかと考えられる。例えば、医療のモデルで考えてみると、「ハーム」の定義は「診断」であり、「リダクション」が「治療」にあたる。あるいは、「ハーム」が「問題」で「リダクション」が「解決」と考えてもいいかもしれない。
 このとき、「治療」や「解決」というゴールによって「診断」や「問題」が定義されてしまう可能性がある。HRの話に戻せば、「リダクション」を社会的なものと考えると、「ハーム」を個人的なものと捉えることが難しくなってしまうのではないか。逆に、個人的な「ハーム」に対して社会的な「リダクション」を当てはめるのは難しいのではないか。

 

3.この疑問に対して出た話

 「当事者研究」の文脈に引きつけて考えてみると、当事者の問題(ハーム)を定義する際にも当事者だけでやっているわけではない。語り合ったり、他人の言葉を借りたりしながら自分自身の問題を定義していく。つまり、個人的な「ハーム」を定義するためにもある種の「社会的なもの」は必要なのである。


 また、ベーシックインカムや、個人が行ける「居場所」がいっぱい社会に作られていくことは、「社会的な」リダクションの例なのではないか。

 

4.更にホリィ・センが考えたこと

 「個人」と「社会」は必ずしも対立概念として捉えられない。「個人」が使える選択肢、資源としての「社会」はむしろいろいろあった方が良い。その意味では公衆衛生型HRが想定する「社会」も、当事者型〈HR〉が想定する「社会」も、個人にとっての「選択肢」として現れてくるのであれば良いものな気がする。(ちょっと違う話だけど、国家がやるべきことは「基準」を定めることであって、「裁量」をすることではないという国家観を思い出した。ハイエクソ連社会主義の批判の文脈で言ってるらしいが……)

 

5.他に面白いと思った話


・公衆衛生型HRが批判されているけど、誰でも真似できる共通の枠組みがあって、効果のエビデンスもあるんならけっこう良いことなのではないか。むしろ、当事者型〈HR〉はすごく個人の力に頼ることになるし、形式化された枠組みもないし、危ういものなのではないか
(個人的な意見としては、「リスキーな当事者」がスティグマされることによって生じてしまう「罪悪感」と「孤立」を防ごう!という枠組みは共有できるのではないか、と思った)

 

・本で扱われているのは薬物使用だったけど、自傷行為とか性的逸脱とかアルコール依存とかでもHRの考え方は応用できる可能性がある。しかし、その対象によってHRの方法だけでなくHRを行う主体も変わってくるだろう

 

・日本とオランダでは対人観がそもそも全然違うよねという話。オランダで公衆衛生型HRが発達した(?)のは新自由主義的な対人観があったからではないか
(個人的な意見としては、日本はねじれた新自由主義のようなものがあると思う。マクロな社会政策としては新自由主義的だからこそあまり福祉が発達せず、HRも発達しなかったのではないか。しかし、ミクロな対人観としては新自由主義がそこまで浸透していないからこそ、ダルクのような〈HR〉の先駆的存在が発達したのではないか)