「メンヘラ批評」執筆者発表第三弾

どうも、日和下駄です。忙しすぎるのですが、忙しすぎてハイになってきたので執筆者発表をします。
原稿も着々と集まってきて、面白い本になりそうです。次回くらいには目次と、値段等の詳細情報出せると思います。みんな買ってね。
執筆者は予定ですので、もしかしたらいない人もいるかもしれません。あらかじめご了承ください。
 

執筆者発表第三弾

 
北条かや(@kaya_hojo)
同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動、メディア出演などを継続。著書は『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『こじらせ女子の日常』(宝島社)、『インターネットで死ぬということ』(イーストプレス
 
西井開(@kaikaidev)
「ぼくらの非モテ研究会」「男の勉強会」など男性の語り合う場をつくる市民団体Re-Design For Men代表。立命館大学人間科学研究科D1。専攻は社会臨床心理学、社会病理学など。男性たちの抱く苦悩について、被害・加害両面から迫ることを目指している。
 
永井冬星(@tosei0128)
保守的な日本企業と東京で消耗する生活からから脱するべく、イケてるWEB系企業に転職し仙台に移住したWEBエンジニア。
野菜を育てることが好き。最近畑を借りて本格的な家庭菜園を始めた。将来は仙台よりもう一ランク下の地方都市への移住を目指している
他に、宮城・山形・福島・岩手など東北各所のイベントで東方などのコスプレをしている。→@tosei0128_
ブラック企業で虐げられて続けてきた「真面目なだけ」の弱い自分を殺すために、そしてそして強い自分を手に入れるために私はコスプレをする!という話を書きます。
 
レロ(@rero70)
ジェンダーセクシュアリティ社会学を専門とする大学院生。現在の研究テーマはメイドカフェにおける女性の経験。概念を圧倒的な精度で体現してくれるもの(アイドル、声優、テーマパーク、スターバックスコーヒーなど)が好きなレズビアン。「生きづらさ」を抱えた人や性格が歪み気味な人に惹かれがち。
 
じあん(@メンヘラになったので垢消しした)
気付けば人生の四分の一以上をホリィ・センの後輩として過ごしています。
私見ですが、「自身のメンヘラ性と響き合わせながら作品を批評する」というのがメンヘラ批評のひとつのあり方かなと思います。
いわば、「病みの性癖発表会」です。
ということで、「あっ“特別”なこの子と一緒になったら自分も“特別”になれるんじゃないかな。と思ったら相手が期待するような人間ではなくて、勝手に期待し勝手に失望して結果メチャクチャになる百合」について書こうと思います。
 
南村杞憂(@jocojocochijoco)
関西学院大学文学部卒業、神戸大学大学院国際文化学研究科在学。キムラユウナの名でマルチクリエイターとしてハンドクラフトからレーザーカッターまで扱いながら活動中。ポリアモリー実践当事者で彼氏が二人いる。先日海外向けのメディアに掲載されたので見て。https://grapee.jp/en/113412
 
 
なんか、社会学色の強い執筆者紹介になりました。ホリィ・センくんの人望でしょう。
次回の告知もお楽しみに〜。

「メンヘラ批評」執筆者発表第二弾

ホリィ・センです。告知は日和下駄がやるはずだったんですが、忙しそうなんで急きょ僕がやります。
僕も日和下駄もけっこういいかげんな性格ですが、着実に頒布の準備は進んでいます!
告知した執筆者は予告なく変更されるかもしれませんので、ご了承ください。
 
 
 

執筆者発表第二弾

 
河野麻実(元あおいうに)(@kawanoartasami2)
1991年茨城県生まれ。2016年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒。ArtLabTOKYO所属画家。主な展示に2014〜2017メンヘラ展など。
  
雪原まりも(@uhn58)
誰も搾取せず、誰も傷つけない、エコでクリーンな自給自足型恋愛を目指しています
 
ばしこ(@wahoo910)
ばしこです。物書きとして文フリ出たりブログやったりしてます。
自身もメンヘラとのどろどろ共依存の経験とかもいくつかあり、思うとこあり参加しました。
みんな本谷有希子読もうな
 
小谷悠里(@grtgr1543)
1993年生まれ。大谷大学哲学科卒業。OL見習い。倫理学依存症、ケアに関心があります。
 
A440(@A440_oddnote)
精神科に通う所謂メンヘラ。
名前の由来は、調律におけるピッチの標準とされている値から。
感覚でしか語れないような「正しさ」には抗いたい、でも違和感を語るときの物差しとしての何かは持ち続けていたい、そんな思いで名付けました。
拠り所となれるような何かを見つけられたらと思い、拙いながらも文章を書いてみました。
 
メンヘラビッチバー(@MHBbar)
いかなる障害、経験であろうと「当事者」として苦しんできた履歴には価値がある。その「当事者固有の価値」による収益化の試みが「メンヘラビッチバー」だ。「メンヘラビッチが楽しく働くこと」をコンセプトとし、いかなる性のお悩みも、メンヘラの苦しみも、オープンに笑い飛ばせる場を目指して運営を始めて今年で4年目。
 
 
 
***
 
告知第一弾で発表した方のプロフィールも追加しました。
かなり大所帯になりましたが(まだまだいます)、いろんな人がいた方が楽しいですね。
なお、僕自身はこの2010年代のリバイバルブームと「毒親語り」ブームを絡めて、「”90年代の傷”がトラウマ的に作用しているのではないか? 20年経った今だからこそ"毒親語り"が出てきたのではないか?」といった仮説を元に論を展開した文章を書いています。よろしくお願いします。

「メンヘラ批評」執筆者発表第一弾

ホリィ・センのブログですが日和下駄です。
先の宣言から動き出し、執筆をお願いしたり、執筆したいという声をいただいたりし、ある程度固まってきたので告知します。
 
告知を分けているのは、分けた方がいっぱい告知できるなという理由のためです。
なお、執筆者は予定です。告知なしに変更する場合がありますのであらかじめご了承ください
 
 

執筆者発表第一弾

雨宮美奈子(@areyoume17)
シンガポール出身、九州大学卒、出版社勤務を経て執筆業。
なおかつ、東京大学在学中、銀座の高級クラブのママと肩書きの多い28歳既婚者。
昼は革ジャンで大型バイクに乗り、夜は着物で水割りを作っています。
 
 
脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) 
脱税がバレて風俗堕ちしたコスプレイヤーの裏アカウントです。表でまだ活動はしています。追徴課税本税&延滞税3200万円完納。何かあればDMかこちらまでpakabenkaiji@gmail.com 
 
ホリィ・セン(@holysen)
「メンヘラ批評」発起人の1人。京都大学院生。専門は社会学テーマは親密性、ジェンダーなど。人間関係・恋愛への関心からサークルクラッシュ同好会という団体を立ち上げ、活動する中で「生きづらさ」問題に目覚める。「メンヘラ批評」はその関心の延長線上にある。「生きづらさ」問題に対処する社会運動としてシェアハウス推進団体サクラ荘を立ち上げ、現在も代表を務めている。
 
日和下駄(@getateg)
1995年鳥取県生まれ。横浜国立大学卒。俳優、ライター。
円盤に乗る派プロジェクトメンバー。サークルクラッシュ同好会東京本部会長。メンヘラ当事者研究会会長。
人が集まることと伝え方を考えることが好きなので、コンテンツを使って色々やってる。
最近の出演作は、カゲヤマ気象台「幸福な島の誕生」、アムリタ「虚構の恋愛論2018」、sons wo:「流刑地エウロパ」など。
お仕事募集中。
 
 
様々な方に執筆いただけてありがたい限りです。ホリィ・センと僕も書きます。
同人誌で文章を発表することは初めてなので、ちょっと緊張しています。南条あやから永田カビまでの、エッセイ的な自分語り(悪い意味ではないです)が、それぞれの時代状況をどのように反映させて表出しているかを書く予定です。よろしくお願いします。
 
では。

忙しい人のためのジュディス・バトラー

 ジュディス・バトラーというアメリカのジェンダー理論家がいます。最近来日して講演があり、それのまとめも兼ねられた『現代思想』の特集も組まれています。

 

 

 人気のある人ですが、その思想の難解さによっても知られています。
 僕はバトラーの本では『ジェンダー・トラブル』と、『触発する言葉』の一部だけは読みました。また、『ジュディス・バトラー――生と哲学を賭けた闘い』(藤高和輝)という解説書を読みました。難解だとされている人の本をせっかく読み、解説書も読んだのですから、僕なりに紹介しようと思いこの記事を書きます。ただ、これは僕なりの理解ですし、忘れてる部分もあるのでややズレた理解をしている部分もあるかもしれません。

 とはいえ、僕が思うにバトラーは運動の方法論として大事なことを言っている(要するに“使える”)と思うので、そういうところを単純にであっても紹介しておくことに価値があると思っています。

 ということで、正確さについては目をつぶっていただいて、バトラーの“運動戦略”の部分を知っていただければと思います。

 

*** 

 

ジェンダー」概念の刷新

 ジェンダーは「社会的性」とも呼ばれ、セックス(「生物学的性」)と区別して語られてきた。バトラーが問題にしているのは、この「セックス/ジェンダー」の二分法が「先天的/後天的」や「生まれつき/学習」、「自然/文化」といった二分法に還元されてきたことである。

 この「セックス/ジェンダー」の二分法のせいで、人間にはあらかじめセックスが備わっており、そこに事後的にジェンダーが付け加わっていく、というふうに考えられがちである。そして、セックスは“変えられないもの”であるのに対し、ジェンダーは“変えられるもの”であるという理解すらも生んでしまう。

 

 たとえば、「性別役割分業」という事態を説明するために「生物学的」な説明と「社会的」な説明の両方について考えてみよう。

 「男性は外で仕事、女性は家で家事・子育て」という違いが存在する理由は、古来より「男性は狩りに行き、女性は家を守る」ということが行われていたことで、それらの男女の差異が“生存”に有利な性質として進化してきたからである……このような「生物学的」な説明があるとしよう。
 それに対する「社会的」な説明はたとえば、マスメディアや教育、法制度などの様々な“社会的なもの”が個々人に内面化され、結果として男女が違う行動を取らざるを得なくなった、という説明である。

 前者の「生物学的」な性質は“変えられない”のに対し、後者の“社会的なものの内面化”については私たちが自覚するようになれば、「性別役割分業」を今あるかたちから変更することができる、ということになるだろう。

 

 ……以上のような説明もたしかに意味はあるし、しばしば重要でもある。しかし、このような説明には限界がある。その限界は大きく二つある。一つは、あらかじめ「生物学的/社会的」という区別を前提としてしまっていることである。もう一つは過去から未来への直線的な因果関係によって物事を説明してしまっていることである(「進化論的」や「進歩史観」とでも言えばよいだろうか)。
 これらの限界を突破するために、「ジェンダー」という言葉にはもう一つの意味があることを指摘できる。バトラーはこのことを強調しているので以下で説明しよう。

 

 バトラーは「セックスはつねにすでにジェンダーである」と述べた。これを(やや不正確ではあるとは思うが)僕なりに説明するなら、セックスは「『生物学的性』にまつわる現象についての知識」、ジェンダーは「『性』全般にまつわる現象についての知識」と考える、ということである。敢えて集合関係で言えば、セックスはジェンダーに含まれる(セックス⊂ジェンダー)ということになるだろう。

 すると、「生物学的/社会的」という区別をあらかじめ持ち込む必要はなく(男/女という区別を持ち込む必要もなく)、あらゆる「性」にまつわる現象は「ジェンダー」という知識を用いて理解できることになる。
 ここで、あらゆる「性」にまつわる現象は「ジェンダー」が“原因”となって生じている、と考えてはならない。そうではなくて、ここでは、僕らが何かを理解するときにはなんらかの「言語」を用いて記述せざるをえない(厳密に言えば、絵や身ぶりなども使えるので、それらもまとめて「言語」を「記号」と置き換えてもよい)ということを強調しているのである。

 すなわちこれは、あらゆる「性」にまつわる現象は「ジェンダー」という言語を用いて理解されるという考え方である。すると、“生物学的”や“科学的”だとされている「性」にまつわる記述も「ジェンダー」という言語を用いた記述によって私たちは理解しているのだ、と考えることができる。
 ここでの記述のあり方は様々である。たとえば、「性同一性障害」という言葉があるが、最近では同じ現象が「性別違和」と呼ばれるようになった。このように記述が変わることで、「病気」として理解されていたものが「病気」として理解されなくなったということである。このことによってたとえば、「障害」として治療の対象とされたり、「異常」なものとして理解されたりする可能性はおそらく減っていくことだろう。

 

 よって、このもう一つの「ジェンダー」概念は「性にまつわる現象において、『変えられる部分』を変えること」を志向しているのではない。むしろ、性にまつわる現象について「どのように解釈するか」を変えていくことを志向している。

 言語の使い方を変えるだけでは世界は何も変わらないように思う人もいるかもしれないが、このもう一つの「ジェンダー」(言わば「解釈可能性」としてのジェンダー)の変化次第では、歴史や過去(に対する解釈)さえも書き換えることができるのである。

 よってこの意味での「ジェンダー」を再検討していくことで、「これからの社会では男性・女性に対してこういう理解をしていこう」と主張していくことができる。また、「男性・女性はそもそも昔からこうだったのだ」という新たな解釈を創り出せる可能性すらもある。

(それは“悪用”も可能である。たとえば、核家族による性別役割分業は、歴史的な知識で考えれば、日本で核家族がちゃんと成立したのは1960年頃ぐらいからのことにすぎない。にもかかわらず、「古代から男女の役割分担とはこういうものだったのだ」という解釈が社会に浸透させられてしまえば、性別役割分業の正当性が高まってしまうだろう)

 

 

「自然」なるものの社会構築性

 バトラーは以上のようにジェンダー概念を刷新した。そして、「自然な生物学的性」なるものがジェンダー(ここでは、社会における性についての言説や解釈)によって事後的・遡及的に作り上げられていることを指摘し、その様を描き出している。

 たとえば、これはバトラーの出した例ではないが、同性愛の歴史などが分かりやすいと思う。細かいことは省略するが、ある時期までは「同性愛者」は存在せず、「同性愛」という行為が法的な処罰の対象になっていたという程度である(国によって違う)。それが19世紀に「同性愛者」となり、医学的な病気として扱われるようになった。同時に「異性愛者」が「自然」なものであるということに“なった”わけである(ただし、現代では「同性愛者」が医学的な病気として扱われることは基本的にはない)。

 

 以上の話の元ネタはフーコーというフランスの思想家であるが、バトラーはフーコーから強い影響を受けている。

 フーコーは『性の歴史Ⅰ 知への意志』という著書において、フロイトの「抑圧仮説」を批判している。フロイトによれば、人間の性は抑圧され、社会的にも隠されたものとなっている。だからその抑圧から「解放」しなければならないのだ、というのが基本線である。フロイトに影響を受けたライヒやマルクーゼのような思想家もこの「解放」を志向している。

 しかし、フーコーからすれば「抑圧があるぞ」と強調することがむしろ「抑圧以前」の「解放」を事後的・遡及的に作り上げているということになる。これによって、(たとえば教会での「懺悔」として)自らの性について語ることがある種の「真理」を語っている、ということになっていった。

 「真理」は性科学や精神分析などの知とも結びつく。そして、性に関する言説は(抑圧によってなくなったのではなく)むしろ生み出されたのである。従来の“抑圧する権力”に対してフーコーはこのような”生み出す権力”を「生産的権力」と呼んでいる。

 上のジェンダー概念の説明で述べてきたように、バトラーは「セックス」において以上のようなフーコーの考え方を真似た。すなわち、「ジェンダー=社会的性別」と定義して、その問題を強調すると、かえって「セックス=“自然”な生物学的性別」が事後的に作り出されてしまう、という事態をバトラーは指摘した。

(ただし、バトラーはフーコーから一歩進んで、「抑圧/解放」すなわち「“自然”からは逸脱したもの/“自然”なもの」のような二分法が浸透した後に、その二分法を相対化する運動戦略を提示している。

 たとえば、先ほどの同性愛者の病理化の話で言えば、図式的には「同性愛者は病気/異性愛者は自然・正常」の二分法ということになるが、「生産的権力」によってなされたこの対立の激化はむしろ「同性愛者」についての言説を増大させた、とバトラーならば考える。

 それはつまり、「同性愛者」というカテゴリーが生まれた“おかげで”、(当事者たちなどが)そのカテゴリーを転用する社会運動が生まれたということである。その社会運動によって、結局のところ「同性愛者は病気/異性愛者は自然・正常」という二分法は撹乱されることになる。

 つまり、ここでは「同性愛者」カテゴリーを病気とは違う意味にズラしながら反復使用していることになる。その「反復」の運動論的意味については、下の方で述べる「バトラーの運動戦略:引用と反復」を参照)。

 

主語と述語

 「同性愛」という行為がなぜ「同性愛者」という主体の問題になってしまうのか、ということについては様々なことが言えるが、とりわけバトラーの論において面白いのは“文法構造”に注目し、主語と述語の関係について論じているところである。(詳しくは僕も理解していないが、)要するに「述語(動詞)の前に主語が存在する」ということが多くの言語において暗黙に前提されているということである。

 ジェンダー論の世界ではDoing genderという言葉やgendering(動詞としてのジェンダー)という言葉があるが、これは、ジェンダー化された主体が動詞によって作られていることを指摘する批判的な言葉である。
 バトラーは「暗黙の前提」を指摘する論法が大好きである。バトラーの主要な論にはだいたいこれが含まれている。続けて以下で紹介していこう。

 

「構成的外部」

 バトラーが「構成的外部」という概念を使っているわけではなかったように思うが、この言葉が分かりやすい(と僕は思う)ので、ここでは使おう。
 まず一般的に書けば、「Aが社会において存在できるのは、Bが暗黙に『非A』として、構成的外部となっているからである」という主張になる。
 たとえば、男と女という性別二元論があるが、「女」(B)が「男(A)ではないもの」(非A)という構成的外部として存在しているからこそ男が存在できる、という感じである。異性愛者(A)/同性愛者(B)についてもバトラーはこの論法を使っている(はず)。

 

 また、上で述べたように、フーコーは「抑圧からの解放」の社会構築性を指摘していた。フーコーがやったことは、性に関する「抑圧/解放」の二分法がいかにして生み出されたかという系譜を解き明かすことであった。

 それに対してバトラーはこの「構成的外部」論法を応用した。法的権力が抑圧を生み出すと同時に、その抑圧(B)を「構成的外部」(非A)とするような「解放的主体」(A)が生み出されてしまうという論理展開でフーコーを継承している、というわけである。

 

「一枚岩の主体」批判

 そして、上記の「抑圧された主体/解放的主体」のような二元論をバトラーは問題視している。

 たとえば、『ジェンダー・トラブル』ではフェミニズムが「女」という固定された一枚岩の(解放的)主体を元に運動することの限界を指摘している。なぜなら、その「女」というカテゴリーにみんなが包摂されるわけではないからである。それまでのフェミニズムが白人の異性愛者によるものであり、黒人の女性やレズビアンがないがしろにされてきたことをバトラーは指摘している。
 さらに、フェミニズムが採用する「家父長制」という概念は、「男性による女性の支配」という図式を普遍化することになるが、それはかえって男/女の二元論のみを強化することに繋がってしまう(女性内部での多元性を隠蔽してしまう)。
 まあ、そんなこと言うからバトラーはそれまで運動してきたフェミニズムの人たちに批判されることにもなるわけだけども。

 

バトラーの運動戦略:引用と反復

 では、バトラー的にはどのように社会運動すればいいのだろうか。「黒人のフェミニスト」などの様々な細分化されたカテゴリーを作って、それらを元にそれぞれが運動するということがまず考えられるが、それではみんなバラバラに細分化されてしまい、分断が起きてしまう。
 それでは、新しく革命的な主体を作り上げるのはどうか。「女」というカテゴリーではなく「レズビアン」というカテゴリーで戦ってみるとか(ウィティッグ)。あるいは「両性具有」に可能性を見出してみるとか(フーコー)。

 しかし、それらについてもバトラーは批判する。現状の社会の「外部」に新たな主体を設定してしまうと、結局「内部/外部」という二元論が強化され、既存の構造は温存されてしまうというのが(おそらく)バトラーの見立てである。

 ゆえに、「社会にある言語は全部『男性的』なものだ! だから、身体やリズムなどを重視した『女性の言語』を生み出そう!」みたいな実践もバトラーからすると批判対象である。

 

 それではどうすればいいのか。バトラーは、歴史的な文脈から運動を切り離すのは基本的に不可能だと考えている。あらゆる言語活動は何らかの先行する文脈の引用であり、反復であるのだと。

 そこで、バトラーはむしろ積極的に反復することを推奨する。しかし、ただ単に反復するだけだったら既存の構造を再生産するだけである。既存のカテゴリー(たとえば、「男」や「女」)を批判的に問い直し、言わば「引用元」をズラしながら反復するという戦略になってくる。

 

パロディ

 ではどういう風に反復すればいいのか。先ほどのバトラーが男女二元論を批判していることを述べたが、バトラーによれば二元論は「生まれたときに男だったら、社会的にも男であり、愛する相手は女」という、「セックス・ジェンダーセクシュアリティの一貫性」を生み出してしまうのだという(このことについてバトラーは、「強制的異性愛アドリエンヌ・リッチの言葉)」や「異性愛基盤マトリクス」といった言葉で指摘している)(おそらくもっと言えば、これらに加えて白人・健常者などの一貫性も生み出してしまっているだろう)
 そこで、バトラーは「ドラァグクイーン」をバトラー的運動戦略の例として挙げる。ドラァグクイーンはセックス・ジェンダーセクシュアリティのそれぞれについて、男・女の性別カテゴリーを言わば“バラバラに付け替える”ことが可能な存在である。

 このドラァグの実践はバトラーに言わせれば「パロディ」なのだという。パロディとは何かの模倣ということだが、それはオリジナルのない模倣である。ドラァグの実践から、われわれは「男」や「女」というカテゴリーはそもそも最初からパロディでしかないということを知る。ドラァグは言わば、パロディのパロディなのである。たしかにこれは先ほど述べたような「引用元をズラす」という実践になっている。

 更に指摘しておくと、ドラァグは装う実践であるため、身体が用いられる。バトラーによれば、身体はなんらかの実践をするための前提となるが(たとえば身体には日々の習慣などが根付いている)、それと同時に“言葉を超えていく過剰なもの”でもある。この過剰性によって引用は「失敗」する。逆に言えば、この引用の「失敗」(=ズラし)を保証してくれるのが身体、ということになる。雑に言ってしまえば、バトラー的には「引用」は失敗してくれた方が、既存の構造を揺らがせられるので、ありがたいのである。

 

言葉狩り表現の自由

 最後に応用問題。バトラーはどちらかと言えば表現の自由推進派である。ポルノの規制が進む昨今、バトラーはポルノの中にもここまで述べてきたような効果的な引用・反復実践があるのではないか、ということを述べるわけである。

 逆に表現規制や「言葉狩り」には慎重である。ポリコレ的にアウトな言葉遣いがあり、そういう言葉が規制されたとしよう。すると、その言葉の意味はそれで固定化されてしまうことになる。それよりもむしろバトラーは言葉を(批判的に)用いていくことによって意味がズレていくことの方に賭けているわけである。

 バトラーはこんな例も挙げている。性暴力を受けた人がいたとして、その人が原告となって裁判が起きたとしよう。その際、裁判所では「性暴力を受けた」という経験をやはり引用しながら喋ることとなってしまう。ここではむしろ、司法側の権力が被害者に対して言葉の使用を強いているわけである。

 つまり、バトラーは言葉狩り表現規制は権力の横暴(権力側による言葉の引用・反復)を招くというようなことを主張しているのである。この意味ではたとえば、「ヘイトスピーチ規制法」は権力側による規制となるためにあまりよろしくない、ということになるかもしれない。

 

(2022/7/14追記:自分の文章表現がヘタだと感じたので、ある程度改稿しました)

 

 

  

ジュディス・バトラー 生と哲学を賭けた闘い

ジュディス・バトラー 生と哲学を賭けた闘い

 

  

「メンヘラ」から世界を見る――「メンヘラ批評」宣言

 ホリィ・センです。このたび、東京の友人の日和下駄くんと一緒に「メンヘラ批評」という同人誌を第二十八回文学フリマ東京 (5月6日(月)11:00~17:00 東京流通センター 第一展示場)で販売することにしました。

 

 まず、「メンヘラ批評」と銘打って何がしたいのかを説明しましょう。それは一言で言えば、なんらかの作品などを「メンヘラ」という切り口から見ることによって、新たな世界の見方を提示し、その見方によって「メンヘラ」をエンパワメントすることを目指す、ということです。

  例を挙げるなら、「この映画の登場人物の破天荒な生き様を詳細に描き出してみました。この生き様はこういう点で読者の生き方においても参考になりますよ」ということを提示するといったことです。あるいは、「この小説に出てくる一見頭がおかしい登場人物の行動原理を読み解きました。こういう人も実はまっとうに理解できる考え方で生きているんですよ」ということを明らかにして読者に考えさせるとかです。ノンフィクションを題材にしてもよいでしょう。「なにかのコミュニティでこういう制度があったんですが、そのせいで被害を受けた人がいました。その手口はこういう感じなんでみんなも引っかからないようにしましょう」とかとかです。

 

  しかし、「批評」というと「メンヘラ」を外側から評価して、好き勝手なことを言うような内容を想像する人もいるかもしれません。「エンパワメントすること」を目的とする以上、できるだけ「メンヘラ」に寄り添った内容を目指したいですし、読者を傷つけるような内容は避けようと思います。そのような危険を冒してまで敢えて「批評」という言葉を使う理由はなんでしょうか。

  「批評」は「評論」よりも「否定」の意味合いを帯びた言葉です。では、何を否定するのでしょうか。僕たちが今生きているこの社会の抑圧を、です。現代のこの社会で生きづらさを感じている人にとって、「メンヘラ批評」が突破口になってくれれば。そういう思いで敢えて「批評」という言葉を使います。

 

 ということで、「メンヘラ批評」に文章を寄稿してくれる方を募集します。コンセプトの都合上、読者のために作るつもりなので、多少のクオリティは要求しますが、題材としてはなにかの作品(映画、テレビドラマ、小説、エッセイ、自伝、音楽、漫画、アニメ、ゲーム、絵、詩、演劇等々)や社会における出来事、人物、はたまた自分自身のことなど、自分のやりやすいもので大丈夫です。「なんか書いてみたいけど、題材が定まらない」という人は案を出すのを手伝うのでお話しましょう。ご連絡ください(また、後述するように、「メンヘラ系」みたいなジャンルがあると僕は思っていますので、何も思いつかない人はそこから選ぶのがいいかなと思います)。原稿の文字数としては最低2000字程度を考えています。原稿料も出す予定です。

 連絡先は、holysenアットマークgmail.comです。Twitter(@menhera_hihyouや@holysen)などに連絡していただいても構いません。

 

***

 

 しかし、なんでまた「メンヘラ」で同人誌を作りたいのか・作るべきなのか、そもそもなんで「メンヘラ」という言葉にこだわるのか、といった疑問を持つ人もいるでしょう。ということで、ここからはこの「メンヘラ批評」プロジェクトについて考える上での見取り図的なものを示したいと思います(とはいえ、僕が思う「メンヘラ」像に依拠しながら書くことになりますので、できるだけ世間の「メンヘラ」に対するイメージも尊重し、バランスよく記述することを目指しますが、どうしてもバイアスのかかったものにはなってしまいます。そのあたりはご了承ください)

 

 まず、「メンヘラ」という言葉にまつわる社会の問題(だと僕が思っているもの)を三つ紹介します。そして、どういった対象をどのように見て、何を読者に提示できれば「メンヘラ批評」はその問題の解決に寄与できるのかといったことを三つの問題のそれぞれについて書きます(1~3)。次に、具体的な作品名やアーティストを挙げながら「メンヘラ系」と呼べるようなジャンルの存在を指摘します(4)。そして、「メンヘラ批評」にどういう意義があるのかを考察した後(5)、同様の意義を有した実践例を紹介します(6)。最後に、僕自身の個人的な立場から「メンヘラ批評」を企画した理由を述べたいと思います(7)。

  ところで、「メンヘラ」という言葉は何を意味しているのかについては、みなさんいろいろ思うところがあると思います。ひとまず、メンヘラとは「みんなが『メンヘラ』だと思っているもの」だと定義しておきます(定義になっていないと思うかもしれませんが)。というのも、「メンヘラ」という切り口から作品等を見る、というコンセプト上、あまりしっかり定義しちゃうと、「メンヘラ」という言葉がせっかく豊饒なイメージを持っているのに、そのイメージを固定化してしまうのはもったいないからです。

 

 さて、それではまず「メンヘラ」にまつわる問題を三つに分類しながら説明していきましょう。

 

***

 

1.「メンヘラ」の個人的生きづらさ

 まず、「メンヘラ」というのは、言葉からするとメンタルヘルスer、すなわちメンタルヘルスに問題を抱えた人のことです。例えば、なんらかの精神的なストレスがあると、それが原因となって何かがうまくできなかったり、人間関係がうまくいかなかったり、またそのことが精神に悪影響を与える悪循環になったりといったことがあるでしょう。

 

 こういうことは程度の問題はあれど、みなさん経験したことのあることだと思います。それが「メンヘラ」や「生きづらさ」と呼べるレベルまで達している人も「メンヘラ批評」の読者にはいることでしょう。ということで、なんらかの読者を各々の書き手が想定した上で、その読者が使いこなせるようなライフハック、戦略のようなものを提示することがその解決策になってきます。

 

  もっと言えば、そのような戦略はある種の極端さや過剰さ(ラディカルやドラスティックなどと言ってもいいでしょう)を持っている場合があり、そのことをある種魅力的に描き出すこともできるでしょう。言うならば、「プロ生きづらいマン」の生き様を示すというやり方があると思います。その「生き様」は読者にとって実践的に参考になるというだけでなく、読者に勇気を与えるなんらかの励みになる場合があると考えられます(後に述べるように、それが悪影響をもたらす可能性もありますが)。

 

 この場合、「メンヘラ」的な作品の登場人物やノンフィクションの人物に焦点を当て、その人物の戦略や取りえた選択肢、その「魅力」などを分析することになるでしょう。

 

 

2.「メンヘラ」的な社会関係

 次に、「メンヘラ」について考える上では人間関係的な側面が付きまといがちだと僕は考えています。親をはじめとした家族との関係がうまくいっていなかったり(例えばいわゆる「毒親」)、恋愛関係や夫婦関係がうまくいっていなかったり(例えば「DV」や「共依存」)といった問題が見出せます。他にも「いじめ」や「ブラック企業」や「洗脳」のようなキーワードに代表される、閉鎖的・権力的・暴力的な関係は「メンヘラ」的な社会関係だと僕は考えています。

 

 他にもいろいろ挙げようと思えば挙げられるかもしれません。このような社会関係における問題に対処するためには、まず実態を理解する必要があるでしょう。そこで、このような「メンヘラ」的な社会関係の「実態」を読者に向けて描き出す、ということがまず考えられます。

 しかし、急いで付け加えると、何をもって「実態」と言えるのかは非常に難しいところがあります。例えば、「自分が見た事例はこうだった!」というルポのようなものがあったとして、それがどこまで一般化可能で、読者がその現象を理解する上で役立つのか、といったことを把握するのは難しいわけです。むしろ、一事例を過度に一般化することで、誤った見方を強化しかねないところもあるでしょう。そのため、「実態を明らかにする」という作業には慎重さが求められます。「どのような状況でどのような条件だったのか」というような、全体的な構造をしっかり記述することで客観性を持たせるべきだと僕は考えています。というのも、僕が思うに、ただでさえ「メンヘラ」というものはイメージで語られがちな言葉だからです。

 

 イメージの問題については次で述べるとして、この場合の問題解決策は、作品などに出てくる設定や状況から「メンヘラ」的な社会関係を見出し、その構造やメカニズムを分析するということになるでしょう。

 

 

3.「メンヘラ」のイメージに伴うスティグマ

 ここまで、「メンヘラ」にまつわる問題とその解決策を二つ述べましたが、それが「問題である」という見方自体は、「メンヘラ」についての「イメージ」によって生じていると言うことができます。この「イメージ」の問題は「問題化されてしまうという問題」、言わばメタ問題なわけです。そして、この「問題化」が特定の個人や集団に適用されて、そのことによって著しい不利を被ったり、攻撃を受けたりする場合、その「問題化」は「スティグマ化」であるとさえ言えるでしょう。スティグマとは「烙印」を意味する言葉で、社会的に差別を受けるような属性のことを指します。つまりこの問題は「メンヘラ」という言葉のイメージのせいで社会からのけものにされてしまうというスティグマの問題です。

  「メンヘラ」という言葉はいわゆる「バズワード」であり、指している意味が曖昧であるためにイメージばかりが拡散しています。例えば、人間関係で問題を引き起こしたり情緒が不安定だったりする女性が「メンヘラ女」と呼ばれる事例がインターネット上の一部で見られますが、そのイメージのせいで誹謗中傷を受けたり、自分の不安定な部分を隠さなければいけなかったりといった人もいることでしょう。また、セルフスティグマとして自分を「メンヘラ」のイメージに当てはめることで、自己肯定ができないとか、「自分から不幸になりにいく」ような行動を取るなどといった場合もあるように思います。

 

 この「問題」の解決策としては何が考えられるでしょうか。この場合、例えば「健常者/メンヘラ」のような区別が(インターネットを中心とした)様々なメディアを通じて社会に流通していると考えられます。となると、この境界線を揺らがせるような見方を読者に提示できると良いでしょう。例えば、「認知の歪み」という言葉があります。これは、「完璧主義」「マイナス思考」「レッテル貼り」などの「非合理的」な認知を指したものですが、これらが果たして「歪み」だとか「非合理的」だとか、なぜ言えるのでしょうか。例えば、「マイナス思考」のおかげで慎重になれることで、危険を回避できることだってあるかもしれません。仮にもっと合理的には思えない見方を持っていたとしても、その人の中では主体的にその見方が選択されており、ある意味でそれが最も適応的かもしれないわけです。そういった営みを「歪み」などと「レッテル貼り」すると、むしろその人の主体性を奪っていることになってしまうでしょう。

 

  だからこそ、一見非合理的に見える考え方にもその人なりの論理があるのだということを読者に提示できれば、「非合理的」だとされてきた人のイメージ改善に繋がります(とはいえ、手放しに「非合理的」な考え方や行動を賞賛するのもまた危険だとは思います。おそらく、多様な考え方や行動を選択肢として持っておく、ということが重要なのだと僕は思います)。

 

 逆に、社会的に健常だとされている見方や行動にも「メンヘラ」性が潜んでいることはあるでしょう。ということで、後述する「メンヘラ系」のジャンルには分類されないような作品における「メンヘラ」性を鋭く読み解くという方法もまた考えられます。そうすることで、「健常者/メンヘラ」という区別が実は曖昧であり、両者は地続きであるということを読者に示すことができるかもしれません。

 

 また、区別を保った上で、「メンヘラですがそれが何か?」というある種の開き直りを提示することも可能かもしれません。「開き直り」とまで言わなくとも、「メンヘラ」が他者と異なる存在であることを認めた上で、なおも「そのままでいい」ということがメッセージとして読み取れる作品は数多く存在しているように思います。そういった作品から、なぜ「そのままでいい」と言えるのかを分析して、その説得力を読者に判断してもらうということもできるでしょう。

 

 

4.「メンヘラ系」というジャンル

 ここまで、「メンヘラ」にまつわる三つの問題の解決について、「メンヘラ批評」がどのように寄与するかを一般的な形で述べてきました。再度ざっくりとまとめ直しますと、①「メンヘラ」を個人に帰属するものとして捉えるならば、その個人の「戦略」や「生き様」を提示する。②「メンヘラ」を関係や集団的なものとして捉えるならば、そのメカニズムや構造を明らかにする。③「メンヘラ」を社会に流通しているイメージとして捉えるならば、「メンヘラ」の持っている論理が理解可能になるよう分析したり、逆に非「メンヘラ」だとされているものに「メンヘラ」性を見出したり、「メンヘラ」を「そのままでいい」ものとして提示したりなどすることで、「メンヘラ」という言葉のイメージの転換を図る。以上の三つになります。

 

 ここまで、みなさんの持つ「メンヘラ」のイメージを固定的なものにしすぎないために、敢えて具体的な作品名や人物名までは出さないようにしてきました。ここからは、「メンヘラ」という切り口を用いたときに対象となるものの具体例として、作品や人物についても焦点を当てていきます。

 独断と偏見が混じっていることを承知で書きますが、世間には「メンヘラ系」と言えるようなジャンルが存在しているように思います。あるいは、Twitterなどを見ていると、「メンヘラ界隈」のようなゆるやかなネットワークが形成されているようです(それも一枚岩ではなく、様々な「メンヘラ界隈」が存在するようです)。このような「メンヘラ系」や「メンヘラ界隈」はどのような特徴を元にまとまっていると言えるのでしょうか。先にイメージしやすいように、キーワードを列挙するなら「精神疾患」、「親との確執(虐待)」、「いじめ」、「暴力」、「美醜」、「性(セックス)」、「恋愛でのトラブル」、「自傷リストカット)」、「死(自殺)」、「向精神薬オーバードーズ)」、「ドラッグ」、「劣等感(承認欲求)」、「創作表現活動」などが挙げられるかと思います。具体的に見ていきましょう。

 

 先ほどの「メンヘラ」を①個人として/②関係として/③イメージとして捉えるという三分法に則るならば、まず、個人としての「メンヘラ」という切り口からは、壮絶な人生や生々しい感情が綴られた、日記や自伝的文章を批評対象にすることができるように思います。例えば、ちくま新書の『友だち地獄』(土井隆義)において、『二十歳の原点』の高野悦子と『卒業式まで死にません』の南条あやが比較されています。時代は30年異なるものの、自傷癖があり、文才に優れ、若くして自殺したなどの共通点があったために比較されたのでしょう。この二人は「メンヘラ系」に含まれるのではないかと僕は思います。

 

 実際、Twitterにおける「メンヘラ界隈」において南条あやの名前を聞くことは多いですし、南条あやへの「憧れ」が語られるのを聞いたこともあります。親との葛藤やリストカットオーバードーズなどの体験を含む日記をインターネット上に投稿していた南条あやは「メンヘラ」にとっての一つのモデルとなっていると言えるでしょう。その証拠、と言えるのかは分かりませんがGoogle検索をしていたらこんな記事も出てきました。

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 一般的に言えば、「自分語り」的な日記や自伝のような文章は、その壮絶な人生や生々しい感情を表現しやすいことなどが理由で「メンヘラ系」というジャンルに含まれることがあると言ってもいいと思います。最近でも例えば、小野美由紀さんの『傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』という自伝的エッセイがありますが、これは「メンヘラ系」というジャンルが存在することが意識されたタイトルだと思います(とはいえ、小野美由紀さんが「メンヘラ」というカテゴリーに含まれるかどうかはまた別の話です)。

 

 歌手にも「メンヘラ系」は存在すると思います。パッと思いつくので言えば、Cocco椎名林檎大森靖子あたりでしょうか。これらの歌手においても、生々しく衝動的な感情を表現している側面などに「メンヘラ系」らしさがあるように思います。他にも、ミオヤマザキアーバンギャルドあたりもジャンルとしての「メンヘラ系」を自覚的に使いこなしている例だと思いますし、ビジュアル系の一部は「メンヘラ系」と重なる部分があると思います。僕には知識がないので詳しくは分かりませんが、歴史的に言えばゴスgothカルチャーから「メンヘラ系」への連続性が見られるように思われます。そこでは「死」をイメージさせるある種の耽美なものが「メンヘラ系」と結びついているのでしょう。

 

 挙げだすとキリがないので割愛しますが、映画や小説などにも「メンヘラ系」というジャンルは存在するでしょう。この場合も、物語の登場人物について個人としての「メンヘラ」という切り口から考察することができるでしょうが、それでは関係としての「メンヘラ」についてはどうでしょうか。

 

 2でも既に述べましたが、「毒親(家族)」や「虐待」や「DV」や「共依存」、「いじめ」、「ブラック企業」などの閉鎖的・権力的・暴力的な関係性は「メンヘラ系」と関連が強いと思われます。これらの関係性が含まれる作品等がただちに「メンヘラ系」というジャンルに分類されるとまでは言えないでしょうが、先ほどの個人としての「メンヘラ」と同時に登場することもそれなりにあることでしょう。例えば、ドラマにもなった『君が心に棲みついた』(天堂きりん)という漫画では、上司の男性が主人公に対してモラルハラスメント的な接し方をするのですが、それと同時に主人公個人のネガティヴな性格などが描かれます。同じく漫画で言えば『君に愛されて痛かった』(知るかバカうどん)は、作品全体のトーンとして「メンヘラ系」に分類してよいと思われますが、この作品でも学校でのいじめが重要な位置を占めています。

 

 そして、ここまで述べてきた「メンヘラ系」というジャンルはやはり「イメージ」の産物です。「メンヘラ」というカテゴリーを用いることや「メンヘラ系」というジャンルの存在を受け入れてそれに乗っかることは、人々のコミュニケーションや様々なメディアを通して再生産されていく「メンヘラ」のイメージに踊らされて、「メンヘラ」のスティグマ化に加担してしまっているのだという批判があるかもしれません。例えば、「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」ということを標榜した『完全自殺マニュアル』(鶴見済)が、実際には自殺を誘発する「有害図書」であるという見方も否定はしきれません。先ほど挙げた南条あやの「マネをする」人が現れたことについて、テレビやゲームにおける暴力シーンへの規制と同様の論理で「有害」だと批判する人もいるでしょう。

 

 このような批判にはどのように応答することができるでしょうか。このことについて「メンヘラ批評」が持つ意義も含めて、述べたいと思います。

 

 

5.「メンヘラ批評」の意義

資源としての「メンヘラ」という言葉

 まず、現に「メンヘラ」というカテゴリーのおかげで人との繋がりができたり、自分自身の生きづらさについてより深く知るキッカケを得られたりした人もいることでしょう。逆に、「メンヘラ」というカテゴリーがスティグマとして働いて人々を傷つけたり、むしろ歪んだ形で自分自身を見てしまったり、ピエロのように自分自身をコンテンツ化することで危険な行動が際限なくエスカレートしてしまったりという人もいるでしょう。これらにおいて問われるべきなのは「『メンヘラ』というカテゴリーを用いたり、『メンヘラ系』というイメージに乗っかったりする際に、メリットとデメリットを比較してどちらが大きいと言えるのか」ということになるでしょう。

 

 これは簡単に答えの出せる問題でありませんが、僕の考えを述べます。現に「メンヘラ」というカテゴリーが、自分自身のアイデンティティや世界の見方において、必要不可欠なものになっている人はいると思います。そういう人に対して「メンヘラという言葉を使わずに、別の言葉を使いましょう」というのは酷なことではないでしょうか。むしろ、その人にとって納得のいく生き方や世界の見方を得てもらうためには、まずその人が持っている「メンヘラ」という概念に寄り添う必要があると思います。既にその人は「メンヘラ」の概念を持っており、手放すことは難しい状態にあるのですから、だったらひとまず「メンヘラ」から出発するべきです。そうして、納得がいくところまで少しずつ自身のアイデンティティや世界の見方をズラしていく、そちらの方が誠実なやり方なのではないかと僕は思います。

 

 このことは「当事者研究」の考え方から述べることもできます。「当事者研究」とは統合失調症などの当事者が、自己病名をつけて症状を分析したり、そこから生じてくる生きづらさや固有の経験を自分たちで研究したり、発表したりするという活動です。これは、「べてるの家」という北海道にある精神障害者を中心とした地域コミュニティで発明されました。べてるの家では幻覚や妄想をむやみに否定せず、互いに発表し合う「幻覚・妄想大会」というものが行われています。ここで重要なのは、病院で患者の状態を医者が診断し治療するというモデルを超えて、自分たちの状態を自分たちで解釈し、どうしていくかも自分たちで考えていく当事者の自己決定が重視されているということです。更に、医学的に見てもこういった活動は統合失調症に対して治療的介入として用いられるオープン・ダイアローグと類似しており、治療的効果があるとも考えられます。

 

 「メンヘラ」という言葉もまた、医学的な病名だけでは自分自身のことを捉えきれない人にとっての一種の資源としての言葉になれば良いなと思います。「メンヘラ」という言葉は誰かにレッテルを貼って終わりの「出口」の言葉として使われるべきではありません。自分自身の生きづらさについて研究するためのキッカケ、つまりは「入口」として価値があるのだと思います。

 

 ということで、「メンヘラ批評」が「メンヘラ」にまつわる様々な見方を打ち出すことを通じて、読者の方が自分自身のことを見つめるキッカケを得られれば、と思います。

 

 

いくつかの注意事項

 とはいえ、もちろん精神医療や心理療法を否定しているわけではありません。むしろ、病院に通い、自分の状態をはっきり伝え、用法容量や指示をちゃんと守るということが治療や生活においては大前提として重要であるということは強調しておきます。過度の権威主義にも問題はありますが、やはり、長年の研究が蓄積されている医療の力には頼るべきです。また、日常生活においても医学的な病名を用いるべきではないと言っているわけではありません。

 

 大事なことは、「メンヘラ」という言葉も病名もあくまで、一人の人間にとっては部分的なアイデンティティでしかないということです。当然、人間の精神状態や思考パターン、性格、行動、対人関係、能力などといったものがすべて「メンヘラ」や病名で説明できるわけではありません。できることは、自分自身がどういう人間であるのか、生きるためにどういう戦略を用いることができるのかといった認識を部分的に深めることだと思います。そのために、そのようなアイデンティティの断片を拾い集めることが役に立つ場合があるでしょう。「メンヘラ」という言葉はあくまで数ある資源の一つであると僕は考えています。

 「メンヘラ批評」が「メンヘラ」のエンパワメントを標榜していることは冒頭で述べました。その上で、最も分かりやすい「メンヘラ批評」の意義は「メンヘラ」という言葉を資源として豊かなものにすること、これだと思います。

 

 ただし、そもそも「メンヘラ」という言葉のせいで傷ついており、「メンヘラ」という言葉が存在してほしくないのだという人もいると思います。確かに、「メンヘラ」という言葉がネガティブなイメージのまま、3で述べたようにある種のスティグマとして用いられている内は、「メンヘラ」という概念が広まれば広まるほどデメリットがあるでしょう。

 しかし、「メンヘラ」概念が資源として用いられ、一定の市民権を得ていけば、「メンヘラ」という言葉のイメージの改善にも繋がるでしょう。すると、「メンヘラ」概念のせいで傷ついてきた、「メンヘラ」という言葉が嫌いだ、という人たちに対しても、長期的に見ればメリットをもたらす可能性があるということになります。僕自身の意見としては、現に「メンヘラ」という言葉は社会において使われており、差別用語として強い規制がなされているわけでもないというところから、「根絶」することは難しいと思います。そこで、むしろ発想を逆転させて、「メンヘラ」概念の「良い用法」を普及させていくべきだと思います。それは先ほども述べたように、短絡的な形で自分や他人にレッテルを貼るために「メンヘラ」という言葉を用いるのではなく、考えるための出発点、資源として「メンヘラ」という言葉を用いていくことだと思います。

 

 ただし、もう一つ大事なことを付け加えておきます。「メンヘラ批評」は「メンヘラ」という言葉を軸につながりやコミュニティを作ることを志向しているわけではありません。そのようなつながりやコミュニティは孤独の解消に寄与するという面では良いこともある反面、人間関係のトラブルや、健康上のリスクがある行為の伝染・エスカレートに繋がる可能性があります。個人的にはそういうコミュニティにおいては、ある程度支援者的な立場の人間がいたり、相互扶助的な文化が浸透していたり、リスクを回避するためのポリシーやルールがあったり、ということが重要だと思いますが、「メンヘラ批評」にはその用意はありません。

 

 

6.「メンヘラ」という言葉を資源として用いた実践例

 「メンヘラ」という言葉を資源として用いる、ということを具体的に想像できない人もいるかと思いますので、活動の例を紹介しておきましょう。まず、2014~2017年頃に複数回行われた「メンヘラ展」というグループ展では、「メンヘラであること」を結集軸にして様々なアーティストが出典しました。これは「メンヘラ」としての表現の可能性を広げた一つの出来事だったと思います。僕自身も「メンヘラ展2」にお邪魔したことがあり、その感想記事が残っています。

holysen.hatenablog.com

 

 4年半も前の記事なので稚拙で恥ずかしいですが、記事を読み返すと、「『メンヘラ』という言葉に内在している多様性を、そのまま多様に表現する」ということを僕は当時評価していたようです。これは「メンヘラ」という言葉を切り口にする「メンヘラ批評」においても見習いたい視点です。

 

 また、現在も活動が続いているメンヘラ.jpというサイトは「メンヘラ」を「メンタルヘルスに問題を抱える当事者」と一般的に定義した上で、自己表現、承認、情報提供の場を作っているという点で意義があります。このサイトもまた、「メンヘラ」という言葉を用いているからこそ届く層がいるのだと思います。おそらくこのように「メンヘラ」の定義を一般的にすることで、「メンヘラ」という存在を特殊なものにするのではなく、「みんなつらいんだから、そんなに頑張らなくていい、そのままでいい」というようなメッセージを伝えているのだろうなと思います。メンヘラ.jpについては批判も含めて紹介した記事を書いていますので、詳しくはそちらを参照いただけると幸いです。

holysen.hatenablog.com

 

7.ホリィ・センはなぜ「メンヘラ批評」をやるのか

 最後に、僕自身の立場を踏まえた上で、なぜ「メンヘラ批評」プロジェクトを立ち上げたのかを述べておきたいと思います。

 

 僕自身は基本的には自分のことを「メンヘラ」だとは思いません。せいぜい、たまに精神が不安定になったときに自分自身をメンヘラ的な状態になっていると思う程度です。にもかかわらず、「メンヘラ」という言葉にこだわり続けているのにはいろいろ理由があります。

 

 わかりやすい話で言えば、僕は3年前、「メンヘラを好きな理由」を書き出してみたことがあります。ツイートが残っているので貼っておきます。

 

 このときから既に、自己批判を込めて露悪的な書き方をしていたように思いますが、今ももしかしたらこういった気持ちが無意識下にはあるかもしれません(意識の上ではもはや「庇護欲」のようなものはありませんし、「普通」からズレた自分を受け入れてほしいというような気持ちもありません)。いずれにせよ、「メンヘラ」的な人の助けになりたいという気持ちは未だに普通にありますし、自分のことを「メサイア(救世主)コンプレックス」だと言うこともあります。

 

 そのような気持ちを持つようになったキッカケまではもはや思い出せませんが、自分の中ではメンヘラ神という人との関わりが大きかったと感じています(メンヘラ神とのことについてはこの記事に書きました)。

holysen.hatenablog.com

 

 その後も、様々な生きづらい系の人と関わってきました。自分とのやりとりが助けになったのかどうかは正直あまり分かりませんが、自分なりにできることをやろうとずっと考えてきました。今でも個人的に相談を受けたり、コミュニティを運営したりといったことは(全盛期ほど精力的ではありませんが)続けています。最近では、「メンヘラ当事者研究会関西」の活動もやっていきたいと考えています(忙しい時期もあったために、長らく開催できていないのが心苦しいですが、本当は月1ぐらいで開きたいものです)。

 

 しかし、自分の中の変化として、大学院生としてもう4年間過ごしたというのが大きく効いています。数年前に比べて圧倒的に読書量も増え、「僕はアカデミズムの人間に(研究者に)なりつつあるんだ」という感覚が急速に芽生えてきました。

 

 そんな中で、文章を書くことの意味合いも変わってきたように思います。僕はサークルクラッシュ同好会での活動を通じて、「自分語り」を繰り返してきました。「何周まわったんだろう、もはや語り尽くしたな」という感覚があります(と言いながら、今まさに自分語りをしているのですが……)。そこで、自分のためではなく、社会のために言葉を紡ぎたい、という気持ちが湧いています(そんなこと言うんなら論文を書けよというツッコミは措いておきます)

 

 また、僕は「メンヘラ」という言葉を“うまく”使えないかということを長らく考えてきましたし、「メンヘラ」なるものに対して異様な情熱を傾けてきました。「この情熱をどうにか有効活用できないか」と考えるわけです。そんな中で、メンヘラ.jpのような実践的な活動には正直少し憧れました。

 

 社会のために言葉を紡ぎたい、「メンヘラ」への情熱を有効活用したい、それらの思いがどういうわけか混ざり合い、このたび「メンヘラ批評」に結実しちまったわけです。コンセプトに賛同していただける書き手を、そして、新たな世界を切り開きたい読者を、お待ちしております。よろしくお願いします。

バイバイ サークラワールド

 この記事は

adventar.org

の25日目の記事です。24日目の記事は複素数太郎の

sutaro.hatenablog.jp

でした。

 

----------

 

 今日は13:30頃に起きた。
しかし、なんと言えばいいのか分からないが、端的に言えば、僕は記憶を喪失した。
 名前は何かと言われれば答えることはできるし、「君は中学のとき何の部活に入っていた?」と問われれば答えることはできる。そうではなくて、ただ漠然とした断片的な記憶がバラバラに存在しているだけであり、それらが線を結ばない。それらの過去が意味を持って、僕を構成することはない。今ここにいる僕は何者なのか、それが分からなくなってしまった。
 ただ、今日は自分について語らなければならない、それだけは確かな感覚としてある。だからその感覚に従い、僕は書くことにする*0

 

*****

 

出生

 僕は1991年に生まれ、4000グラム強で出生した超健康優良児だった*1
とはいえ、4000グラム強で出生したというのは聞いた話に過ぎない。僕の意識は(いわゆる「物心」というやつだろうか)4歳のときから始まった。幼稚園の中で、「僕は本当は宇宙人で、この肉体に今さっき入ったのかもしれない」などと考えた記憶がある。4歳のときから哲学する子どもだったのである*2

 

マシンのような小学生

 小学校に入ってからの僕は、算数が得意だった。小2の頃、1+1=2,2+2=4,4+4=8,……という風に、2の累乗を数えていく遊びが局地的に流行った。みんなはすぐに飽きていたように思うが僕はハマった。みんながせいぜい1024ぐらいでギブアップする中、僕はすぐに262144ぐらいまで数えていた。その後も頭の中での筆算能力を高め、2097152ぐらいまでは言えるようになったと思う。そこからは繰り上がりが面倒くさかったので飽きた記憶がある。ところで、その頃スーパーファミコンで『ぷよぷよ通』をプレイしていたが、ぷよ通のオプションではなぜか0~Fの16進数が使われていた。兄から16進数という概念を教わっていたので、平方数に出てくる256、4096、65536、1048576が何かしら重要な数字なのだろうということを直観的に理解していた。
 算数が得意なことからその力を試したいと思いCMでやっていた公文式にも通うようになったし、そのおかげで暗算も早くなって、小学5年生のときの算数の授業で行われていた「百マス計算」のタイムアタックではクラスでよく1位を取っていた(そろばん勢に負けることも何回かあった)。小学4年生のときの担任は僕のことを「マシンのようだ」と言った。

 

くじ引きの中学受験

 親が言い出したのか僕が言い出したのか、僕は中学受験をすることになる。中学受験をするならということで勉強を始め、慣れない小論文のために塾にも通い、見事に筆記試験を突破した。面接試験もあるし、受験時の態度も見られているのだろうということを直観的に理解した僕は借りてきた猫のように礼儀正しく試験を受けたのであった*3
 しかし、なんと筆記試験を突破した後に待っているのはくじ引きだったのだ。内部進学者はくじ引き免除なのだが、外部進学者は26人中17人がくじ引きで受かるというシステムになっていた記憶がある。僕は「約2/3は受かるのか……じゃあたぶん大丈夫だろう」と考えていた。賢そうな子どもとその親が来ている会場の中で、たくさんある封筒の中から僕は一番上のものではなく真ん中の方のものを引いた。「じゃんけんでグーを出し続けると負ける」理論のようなもので、一番上を引くのは何か良くない気がした。しかしそれは裏目だった。
 1~26のランダムに選ばれた数字から始めて、17人が合格という方式だった。しかし僕はその17人に入れず、あろうことか「補欠6」だった。26人いる中で23番目のものを引いてしまったのである。僕はその帰り道で泣いた。
 気持ちを切り替えようと日々を送っていた僕だったが、なんと中学から連絡がきた。入学の権利を認める連絡だったのだ。補欠6だったにもかかわらず僕に連絡が回ってきた理由は、辞退者自体は6人もいなかったのだが、補欠1や補欠2の人たちが既に他の中学に行くことを決めていて、入学の権利を放棄したためだそうだ。周りが中学受験に対して真剣すぎる家庭ばかりであったことが功を奏したと言える。それに、中学のクラスは1クラス40人の3クラスで1学年120人だったのだが、男女比も1:1だったような記憶がある。人数を調整するためにいろんな条件があったからこそ、僕にまわってきたのもあるかもしれない。

 

助走期間としての中学生活

 何にせよ奇跡的に(?)中学受験が成功したのだった。1年生のときは紆余曲折あったものの*4、気が合う仲間たちにも恵まれて2年生からはよく笑うようになった。3年生になっても周囲に勉強する人たちがいたからこそ僕は自主的に塾に通い始めることができた*5。通常国数英理社の5科目を受けることになるのだが、僕は数学が得意だったので数学の授業は受ける必要がないと言った。そして、塾内で初めて受けたテストで数学は1位になり、その実力を証明した。
 高校受験では地元の高校を受けようかと思っていたが、県内トップの高校が部活としてやっている「ディベート」の誘いが中学にあり、見学に行ったところ衝撃を受けた。僕もこの高校に入ってディベートをやりたいと思った。そして、塾に通っていたこともあってか、なんとか合格することができた(点数的にはギリギリだったが)。

 

ディベートに打ち込む高校生活

 一緒に高校に進学したA君と共に、僕はディベートを始めた。ディベート部は週2回の活動だったので、演劇部も掛け持ちしよう、ということをA君と決めた。僕らは入学当初から入る部活を確定していたのである。
 中学校までの野球部と打って変わって、僕は高校では部活にのめり込んだ。どちらも「前で喋る」系の部活だったのもあって、「前で喋る」ことにはかなり慣れることができた。しかし、僕が高校時代の部活で得たものはそれだけではない。
 ディベートは何かの論題に対して肯定側と否定側に分かれて戦うゲームである。例えば、「死刑制度を廃止すべきである、是か非か」という論題に対して、肯定側は死刑制度を廃止することのメリット(つまり、現状は死刑制度が存在することによってこういう問題点があるが、それがなくなることでこのような良いことが起こるということ)を示す。逆に否定側は死刑制度を廃止することのデメリットを示し、現状維持をすべきだと主張する。メリットとデメリットを比較して、大きかった方が勝ち、という勝敗の決め方である。この、「あるプランを採ったときの、メリットとデメリットを比較して、大きかった方の勝ち」という考え方はシンプルだが、その分非常に応用性が高い。日常生活でも何かを選択するときに役に立つ考え方である。
 以上のことに限らず、ディベートという競技は「型」が非常にはっきりしている。議論を組み上げるために書籍やインターネットの資料を調べまくり、いい資料が見つかったら部活動内での共有ドライブだったGmailにアップロードした。全国に遠征して他校の試合を観戦し、盗める議論は盗んだ。部活内では黒板を使いながら日々、自分たちの立論を強くするための議論をした。想定される試合をシミュレーションし、「これがきたらこう返す」という原稿をたくさん作った。それらの原稿を読む練習もし、何秒で原稿が読めるかも記録していった。水も漏らさぬ詰将棋やパズルのような作業で、それが楽しかった。ディベートというと「前で喋る」スピーチの要素が目立つが、実のところ準備が7,8割を占める競技だと思う。
 僕は高校の3年間を通して、そのような「型」を徹底的に学んだのである。芸事の修行における理想は「守破離」だというが、高校ではひたすら型を「守」ったわけである。その結果、ディベート以外の場面では型を「破」ることができるし、ディベートとは「離」れて新たなコミュニケーションのやり方を編み出すことができていると自負している。非常にざっくりと言うならば、僕はディベートのおかげで頭が良くなったということである*6

 

大学受験のこと

 ディベート部のある高校は進学校が多いが、そのため2年生で部活を辞める人も多い。しかし、同じ高校の先輩方はたいてい3年生までディベートを続け、しばしば浪人もしていた。僕も2年生ではディベートに満足できず、3年生の夏休み頃までディベートに打ち込んだ。大学受験の勉強を本格的にやり始めたのはその後からである。
 同級生には3年生に上がる頃にはもう本腰を入れて勉強していた者も多い。そのため、学内の実力テストでは僕は学年440人の内、せいぜい100番程度だった。まともに勉強していない割にはまだ良い方だったとは思う(というのもやはり、数学が得意なのが大きかったと思う)。学内偏差値で言えば57程度で、志望校の京都大学に受かるレベルではなかった(学内では実力テストの成績と受けた大学の合否の記録が残っており、僕の学内偏差値は言わば「圏外」だった)。
 しかし、実力テストが行われなくなる11月頃から僕の学力?は急激に伸び始めた。ディベートを終えてからは本格的に塾に通うようになり、苦手科目である古典と英語、そして学校の授業ではよく分からなかった物理の授業を受けた。授業は大手予備校講師のビデオ授業であり、びっくりするぐらい分かりやすかったのである。おかげで、学内の統計としては番狂わせなのだが、現役で京都大学理学部に合格することができた(理学部を受けた理由は数学が好きだったからと、センター配点がゼロ(足切りのみに使用)だったのでセンターの勉強に気合を入れる必要がなかったからである)。

 

大学で人生について考える

 理学部に入学したものの、すぐに僕は挫折を味わうこととなった。実は数学以外の理系科目にあまり興味が持てなかった*7し、それならば数学でちゃんと単位を取らなければならないのだが、大学の数学は思った以上に難しかった*8。受験という点取りゲームはどこかで別のゲームに切り替わる*9。それが僕にとっては大学入学1年目だった。人によってはそのまま進学し、就職活動をする際に「別のゲーム」に苦しむことになるだろう。あるいは大学院に進学した人が「勉強」ではなく「研究」をする段になって苦しむことになるだろう。受験勉強は圧倒的に「与えられた課題をこなす」ゲームである。しかし、そのゲームは「人生」という多くの場合に主体性を求められるゲームにおいては半分ぐらいしか役に立たない。残り半分は「別ゲー」である。
 そして僕はむしろ一般教養の科目を受ける中で、もっと直接的に人間を扱う学問に興味を持つようになっていった*10。しかし、このときにはまだ、自分が将来的に何をやりたいとかが明確に決まっているわけではなかった。僕は迷った挙句、3回生に上がるときに総合人間学部に転学部したのだった。

 

「人について知る」ために

 興味の向きはいろいろとフラフラしながらも*11僕は接している人間の心に興味を持つようになり、臨床心理士を目指すことにした*12。しかし、論文の準備がちゃんとできていなかったために、筆記試験では受かっても面接試験で落ちることとなってしまった*13。大学院の受験に失敗し途方に暮れていたが、自分の人生において何を選ぶのが正しいのかを考えた。そうだ、ここでの問いはつまり「どの選択が僕にとって【メリット-デメリット】を最大化するのか」である。ディベートで培った考え方は確かに活かされたと思うし、それは受験勉強だけでは身に付かなかった力だ。
 ……そうして、僕は社会学をやっている先輩に社会学を勧められることになる*14。僕が臨床心理士を目指した理由は、人間の心について知りたいと同時に、困っている人(とりわけ主観的・精神的に困難を抱えている人)を助けたいからだった*15臨床心理士の道が難しいとなった後に目をつけたのはコミュニティだった*16。そこで僕はシェアハウスを始めることになる*17。「社会学」という学問は、人々を包摂するコミュニティ、言うならば「居場所」について考える上で申し分ないと思ったのだった*18
 それに僕はそのとき「社会構成主義」という考え方に触れていた*19こともあって、人間の主観的・精神的な困難を規定するのは、必ずしも「病気」のような分かりやすいものだけではないと考えるようになっていた。例えば、医者は診断して薬を処方することができるし、臨床心理士心理療法を用いることができるだろう。しかし、経済的に困っている人にお金を渡すことはできないし、友だちがいない人に友だちを処方できるわけでもない。医療が果たしている役割は重要だが、それでも一人の人間の全体性を考える際にはあくまで限定的な領域を扱っているに過ぎない(それは他の分野も同じなのだが)。
 個人における経済的な問題や生活の問題、親密な関係の問題。それらには大きな社会構造の問題も強く関係している。貧乏な人間がいたとして、その人だけ見ていてもその人がなぜ貧乏なのかは分からない。「寂しい」人間がいたとして、その人だけ見ていてもなぜその人が「寂しい」のかは分からない*20

 

「親密な関係」について研究する

 そして僕は自らも3年住んでいた「シェアハウス」を対象に、「親密な関係」と社会構造との関係について研究している。先ほども述べたように、「親密な関係」が築けるかどうかは一見その人の性格やコミュニケーション能力に規定されている、非常に「自己責任」的な要素の強いものだと思われがちだ。しかし、それではこの社会に厳然として存在している「親密な関係」にまつわる「格差」も自己責任ということになってしまう。「能力のない者が淘汰されるのは仕方がない」という考え方もある。しかし、本当にそうだろうか。
 人が淘汰されるのは「能力がない」からだろうか。「能力」なるものを決めるのは誰だろうか。その人自身にはどうすることもできないのにもかかわらず、社会がつくるある種の「配置」によって必然的に生み出されてしまった不幸があるのではないだろうか。
 もちろん、この幸福/不幸を決めるものは「親密な関係」だけではない。家族や友人関係に恵まれていても何らかの別の理由で不幸を抱える人はいる。それは病気だったり、経済的なものだったり。それぞれの分野において研究されるべきことだろう。だが、僕が僕の個人的なパッションにおいて問題にしていることは「親密な関係」の問題である。これは人間の幸福/不幸を決定する上で重要な要素であり、確かに解くべき問題であると僕は確信している。
 同時に僕はシェアハウスを運営し、日本において拡大していくことによって、「親密な関係」を広げていくことを実践している。こうして僕は、ようやく自分の人生において何をすべきなのか、何をしたいのかがはっきり分かったのだった。

 

*****

 

 そうだ、ここまで書いてやっと自分が何者なのか思い出した。いろいろあったし、なんだか受験勉強のことばっかり書いたけども、けっこう良い人生だったんだな。なんだか安心した。

 ……ただ、それはそうなんだが、それにしても、僕はなぜ「親密な関係」にパッションがあるんだろう? 「親密な関係」にこそ一番興味を持っていて、研究するモチベーションが湧いてくるんだろう?
 確かに、ディベート的なメリット/デメリットの思考は活かされているとは思う。すなわち、「この選択が僕にとって【メリット-デメリット】を最大化するのか」という問いを考えてきたはずだ。
 でも、それでも、なんでこれ、「僕にとって」、最高の選択肢だったんだろう。
 何か、忘れちゃいけないことを、忘れている気がする。
 本当に何か、それは、大切なことだった気がするんだ。

 

 

f:id:holysen:20181225205717p:plain

 

 

*0:この文章を8000字ぐらい書いたところでデータが消えた。僕はなぜ自動保存機能のないメモ帳で文章を書くのだろうか、それすらもはっきりとは思い出せない。こうして記憶を文章として紡いでいる間にも僕の記憶はどんどん失われていっているということの証左であろう(?)。『君の名は。』でタキ君が見ていた電子上の日記がなぜかデリートされていく現象と同じだと思う(?)。
 失われた2時間半を後悔してもいられない、箇条書きでいいからなんとか文章を書き直そう。
 あと最近読んだ「東大を舐めている全ての人達へ」って文章がちょっと面白かったから、僕も京大に入るまでの受験勉強の経緯の話書こうかなって思った。めっちゃ今更だけど。

 

*1:今日調べて初めて知ったのだが、出生時4000グラム以上の赤ちゃんは「巨大児」というらしい。自分がいかに健康かということを書くためにこの話を書くつもりだったのだが、出生時の体重が大きければ大きいほど健康、というわけでもないらしい。

 

*2:というのも、事後的に作り上げられた偽の記憶かもしれない。
ところで僕は幼稚園の頃、日本昔話の『さんまいのおふだ』のあるシーンにハマっていた。『さんまいのおふだ』とは山に栗を拾いにいった小僧がヤマンバに襲われる。ヤマンバは小僧を追いかけるが、小僧は和尚さんから渡された三枚のお札によって逃げる、という話である。
 幼稚園では厚紙に銀色の紙を貼り、ハサミによって形を整えたものを「包丁」に見立て、ヤマンバはそれを持って小僧を追いかける、というシーンをなぜか再現する遊びをしていた。僕は狂喜乱舞しながら包丁を持って人間を追いかけ、部屋の中をグルグル回っていた。そのシーンを何度も何度も反復した記憶があるが、他の子どもや先生はそれに付き合ってくれていたのだろうか。そのことについての記憶はない。

 

*3:ところで、中学受験をする際に面接で「今まで言われて嬉しかったこと」を問われたのだが、僕は「マシンのようだ」と言われたのが嬉しかったと言った。

 

*4:僕は人見知りで、自分から友人を作ったことがなかった。だから自分から話しかけることもできず、内部進学生たちが仲良くしている輪に僕は入っていけなかった。野球を小学校のときからやっていたので中学では野球部に入ったが、正直野球が上手くなかったのもあり、良い思い出はない。
 そして、地元の中学に進んだ同級生たちの話を聞くと、彼らは一歩一歩大人になっているようだった。僕には小学校の頃から女の子と仲良くしたかったのだが、うまく話せなかった。それに対し、小学校の同級生たちは地元の中学で中学生的アバンチュールを楽しんでいるようだった。僕は劣等感をおぼえて、「僕も地元の中学に進学していれば……」と思った。
 しかし、中学2年生になってからは仲間には恵まれた。当時、『電車男』の影響もあり「オタク」というものが世間に広く知られ始めていた。僕は「オタク」としてのアイデンティティによって、共通の趣味を持つ人たちと「輪」を形成したのだった。そして、その輪の中にいたA君とは一緒に「ディベート」をすることになり、高校にも一緒に進学することになるのだが、それは後に述べる。

 

*5:僕は実はA君にも劣等感を抱いていた。それはA君の人間関係にだ。もちろん小学校から内部進学であることがアドバンテージになっていた部分もあるのだろうが、何より彼は「塾」に通うことにより、独自のネットワークを形成していたようだった。「塾」では遅くまで勉強するし、教師も厳しいためにその苦労が語られていたが、一方で、塾内で築かれる関係性は楽しそうだった。何より、A君は何人かの女子と親密そうだった。「僕も塾に行けば変わるかもしれない」、そう思い、建前上は高校受験の準備ということで、親に言って割と早くから塾に通い始めたのだった。
 ところで、塾内のテストで常に僕に数点差で勝ち続けている同じ中学の女子がいた。Bさんとしよう。確か、8点差→4点差→6点差という推移だったと思う。Bは僕にとってライバルだ、ということを塾の先生にも言ったことがある。しかし、どこかで僕はBさんにも惹かれていたのだと思う。中学時代のある友だちは人間関係を「キャラ」によって見ることに長けていた。彼曰く、Bさんは「不思議ちゃん」や「ブリっ子」の代名詞だったようだ。そう言われることによって、より僕はBさんに惹かれる部分があった。
 しかし、Bさんとは同じクラスになったことがなく、塾も県内にいくつかの「校」が点在しているために、授業で一緒になることはない。しかし、夏休みには私立高校の受験を考えている人たちのために特進クラスのようなものができるということだった。特進クラスでは県内から選りすぐりの精鋭たちが集まってくるらしく、Bさんも来るようだった。それなら、ということで僕も参加することにした。しかし、僕が受験する高校は公立なのでそれほど難しい問題は出ないし、無駄に難しい数学の図形の問題を解かされるなど、高い金を親に払わせた割にはあまり得るものはなかったように思う。確かにBさんもいたのだが、特に親密になることはなかった。あれはなんだったのだろうか。

 

*6:一方、演劇の方は相方のA君にほぼ任せきりであり、非常に受け身な態度で取り組んできた。そのため、はっきりと得られるものがあったとは言い難い。ただ、年に1度県内の高校生たちが集まる合宿は良かった。
 合宿に来ている講師がいろいろと教えてくれたのはそれはそれで意味があったと思っているが、それよりも僕はこの合宿を通して人生で初めて女子と親密になったのかもしれない。正しくは合宿で会った女子にプライベートに連絡を取り、プライベートに遊びに行くことができたということなのだが。その後、どういうわけか運良く交際関係になったりもしたのだが、付き合えたということ自体に舞い上がって何をすればよいのか分からず、手も繋がずに別れた。本当に運が良かっただけで、関係を持続する方法については分からなかったし、その方法について真剣に考える機会もなかったのである。

 

*7:というよりも、本当は数学にすらそこまで興味がなかったとも言える。そのとき僕が本当にやりたかった「理系」的なものは、論理学だったような気もする。実際そのときに受けていた論理学の授業は楽しかったし、何かを間違えれば論理学を専門的に勉強する方向にいっていたかもしれない。

 

*8:難しかったというよりも勉強していなかった。僕はサークルに入って毎週金曜日に徹夜で遊んでいたのである。それに当時は声優の悠木碧ちゃんの大ファンであり、ひたすら追いかけていた(アニメを観たり、ラジオを聴いたり、東京のイベントに行ったり、交通費のためにバイトしたり)。悠木碧ちゃんに人生を賭けるレベルだった。それは「信仰」と言っても過言ではないレベルだった。そんなわけで、プライベートで数学の勉強に使う時間はほとんどなかった。

 

*9:そういう意味で僕はずっと「点取りゲーム」に勤しんでいたことになる。京大に入ってから強く感じたことだが、思った以上にみんな「勉強」が好きではないのだ。みんな好きではない「勉強」を頑張ってやっている。なんのために? 将来のためにだ。あるいは、親の期待に応えるために。僕は親に勉強しろと言われたことはないし、将来のことなんかも考えず、ただただ目の前の勉強に打ち込んできた。それは受験に合格するためという目的のための手段でもあったが、いざ勉強をやってみると、そのこと自体が楽しいと思えてくることもしばしばあったのだ。それはおそらく僕の「才能」である。他の人がめちゃくちゃ時間かけて勉強しているのに比べると、大して勉強に対して時間をかけていないと思う。一回授業を聞いただけで理解していろいろ記憶できていることも多かったし、おそらく僕は他の人よりも記憶力もいいのだと思う。
 しかし、「勉強自体が楽しい」という事態は、しばしば「その勉強を何のためにやっているのか」ということを見失わせる。僕は大学受験を終えて、「何のために自分は勉強しているのか」という問いにそこでぶつかったのである。それも東大生・京大生にありがちな「親のために」的なものとはまた別の方向性で、である。あまり勉強を楽しんでいない人間の方がむしろすんなり就職活動できるんだろうな、と僕は思う。

 

*10:表向きには「高校時代では心理学のような学問はやっていなかった」という理由づけであるが、僕が文系で倫理選択などしていたら違う言い訳をしていただろう。僕は心理学に惹かれたというよりかはフロイト精神分析で扱う「性」に引っ掛かりがあったのだと思う。ついでにジェンダー論の授業もよく取っていた。単純に言ってしまえば僕は女性への興味をこじらせていた。それまで学問とは結びついていなかった「性」への興味が、学問というベクトルに向き始めた。

 

*11:悠木碧ちゃんを追っかける気持ちはまだまだ強かったので、とうとう「声優」になりたいと思い、声優養成所に通うようになった。大学3回生と4回生の2年間通っていたし、そのための資金もいろいろやりくりしていた。でも、いつからかその気持ちが薄れていったんだよな。どうしてだっけ。

 

*12:当時は精神分析が専門だったので、そこから臨床心理にいくというのは割と自然な流れであるが、結局本当に興味があったのは「性」の現象だったと思うので、どこか妥協した側面もあるように思う。あと、精神科医になるという選択肢もあったが、医学部を再受験する気力はなかった。

 

*13:臨床心理の院に行く人間は臨床系の論文を書くのが普通のようだ。そんなことも僕は知らず、自分がただ勉強したいがためにカントとフロイトを比較するという哲学めいた論文を書いていた。

 

*14:あれ、この社会学をやっている先輩とはどこで出会ったのだったろうか?

 

*15:なぜ僕は困っている人を助けたいなんてことを考えたのだろう。僕は自分のことが好きで、自分さえ良ければそれでいい、という人間だったはずなのだが。それに、それまで僕が持っていた「性」への興味は、どこいったんだっけ。

 

*16:京大の中にいても「コミュニティ」について考える機会なんてなかったと思うのだが……

 

*17:それまで実家に住んでいたのに、なんで急にシェアハウスを始めたのだろう?

 

*18:僕は将来に不安はあったけども、自分の居る場所には満足していた。じゃあなんで「居場所」について考えたのか?

 

*19:僕が社会構造に目を向けるようになった学問的契機はもう一つあった気がするのだが、思い出せない……

 

*20:友だちがたくさんいても、深いことを話し合える仲の人がいても「寂しい」という人はいる。例えば、自分には「彼女」がいない、「彼女」さえいれば、全ては解決するのだという人がいるように。僕もかつては自分が「童貞」であることに……ウッ

京大でミスコンを開く100の方法――"よい"ミスコンと"ダメな"ミスコン by サークルクラッシュ同好会 有志

 この文章は、2018年の京都大学11月祭(NF)において、サークルクラッシュ同好会ブースにて配布したものです↓

f:id:holysen:20181128150246j:plain

 しかし、この文章の内容はサークルクラッシュ同好会全体を代表するものではなく、文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをあらかじめご了承願います。

 

----------

 

 お手に取っていただきありがとうございます。サークルクラッシュ同好会内の一部有志です。われわれは今回、「京大美女図鑑」という企画が行われることを知りました。そこで「美女図鑑」という形で女性を「見られる対象」として描くことの意味や、それを「京大」で行うことの意味について、一度考える必要があるのではないかと感じました。

  先に言っておけば、われわれは「京大美女図鑑」の中止を目的としているわけではありませんし、「京大美女図鑑」に必ずしも反対しているわけでもありません。むしろ、応援したいと考えている立場にあります。

  そこで、「京大美女図鑑」からは離れるのですが、なにかと京大内でも批判の多い「ミスコン」に焦点を絞り、「ミスコンを開く方法」について考えるという形で冊子を発行します。今後、京大で(あるいは京大でなくても)ミスコンなどを企画するつもりの人に「よりよいミスコン」について考えていただく、一つのキッカケになれば幸いです。

 

 

 

 

1.京大でミスコンを開くことの意味

 大学は本来、社会の常識的な価値観から自由な存在でした。しかし、世間のほとんどの大学は気がつけば「就職予備校」化し、常識的な価値観に取り込まれてしまいました。「常識的な」大学において「ミスコン」が開かれることは何も不思議なことではありません。外見や振る舞いなどによって女性が評価される……それは日々起こっていることだからです。現に様々な大学の学園祭等で「ミスコン」は開かれていますし、これからも開かれていくことでしょう。われわれも、すべてのミスコンが悪だとまでは思っていません。

 しかし、京大は社会における主流の価値観から逃れられる数少ない場所です。「ミスコン」に即してもっと具体的に言いましょう。極端なことを言えば、京大は授業にすっぴん・ジャージで来ても“許される”場所です。他の多くの大学でそれをすると、冷ややかな目で見られたり、グループに入れなかったりといったリスクが大きいでしょう。要するに京大は、他の多くの大学などと比べても圧倒的に、「女は女らしく」という価値観を押しつけられなくても済む場所なのです(もちろん京大でも、メイクやおしゃれをする自由もありますが)。

 他の大学ならいざ知らず、もし京大で「ミスコン」が開かれれば、その影響は計り知れません。他の大学も「右にならえ」で“安心して”ミスコンを開くことでしょう。すると、ミスコン的な価値観、すなわち「女は女らしく」が全国の「当たり前」になってしまいかねません。

 なぜ「京大のミスコン」には特別な意味があるのでしょうか。それは、京大がミスコンに対して批判的でいられる「最後の砦」だからです。ありきたりな言い方を借りれば、社会に迎合せずに「才能の無駄遣い」もできるし、「1人の天才と99人の廃人を生み出す」大学なのです。もちろん、大学の側が「変人」や「おもろい」といった言葉を公式に使った途端に、その響きがひどくサムいものになっている側面は否めません。しかし、かつて東京帝国大学が西洋列強に追いつくための輸入学問をやっていたのに対して、京都では東洋であること、日本であることのアイデンティティを追求する「京都学派」が一世を風靡しました。自然科学分野において京大が東大よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出しているのも、一見すぐには役に立たない研究(例えば基礎研究)にもじっくりと取り組めるような「自由の学風」があるからこそだと言われています。

 つまり、京大は「東大化」せずに、社会から距離を置いているからこそ、独自の価値を持つことができるのです[1]。そして、この「京大らしさ」という価値は、すっぴん・ジャージで大学に行く自由が守られていることと繋がっています。

 

[1]とはいえ、京大も社会の常識的な価値観から完全に自由なわけではありません。京大には入学試験があるため、学力という尺度で人間を序列化することになります。実質的には例えば、知的障害者が排除されたり高所得の家庭が有利だったりと、階級などの旧来的な価値観を再生産することになります。

 

 

2.一般的なミスコンの問題点

 それでは、京大に限らず、「ミスコン」一般について考えてみましょう。「ミスコン」が開かれることは何が問題なのでしょうか? あるいは、ミスコンと同時に「ミスターコン」も開けば男女平等なのではないかという声があるかもしれません。

 しかし、これは根本的な解決になっていません。ミスターコンを同時開催したところでやはり「女は女らしく」(例えば、かわいくおしとやかに)という既に社会に存在しているステレオタイプを再生産することになってしまいかねません。ミスコンは純粋に一般的な「美」を評価対象としているのではなく、実際には「女性の性的魅力」が評価対象になっている側面があります

 このような問題点があるために、実際に京大では何度か「ミスコン」が開かれそうになっては中止されてきました。次はその歴史について述べます。

 

 

3.過去に京大であったミスコン批判

 京大でのミスコン中止騒動は2004年、2012年、2015年に起こっています。

 まず、2004年に11月祭に開かれようとしていたミスコンでは、主催者側10人に対し反対者が50人の討論会が起こり、4日間で合計24時間もの議論の末、協賛していた複数の企業も撤退し、話が平行線のままなので、主催者判断で中止になったようです。なお、そのミスコン中止の経緯は毎日テレビでも放映され、インターネット上ではkyoto-u.comというコミュニティサイトでいくつものスレッドが立っていました[2]

 2012年は11月祭でKGCという団体とBRUFFという団体が(「ミスコン」ではなく)ファッションショーを開くことを予定していました。これらに対し「京大の「ミスコン」について考えるひとたち」という有志団体が立ち上がり、両団体に対して話し合いの会が設定されました。「ひとたち」とKGCとの間で、二日間で12時間の話し合いがなされた結果、KGCの側は批判を受け止め、企画を中止することになりました。BRUFFとは2回の話し合いがなされた結果、予定通りクスノキ前でファッションショーは開催されました。その際、「考えるひとたち」はファッションショーの側のクスノキ下で、焼肉を行うことにより妨害行為をはたらきました[3]

 2015年はweb上で「京大ミス・ミスターコンテスト」というものが11月祭期間に合わせて立ち上がりました(11月祭の企画ではない)。それに対し、有志が「京大ミスコン2015問題点まとめ」というサイトを立ち上げ、誰でも編集可能なGoogle documentを通して公開質問状を作り、コンテスト側にメールしました。その結果、「京大」の名義を使用するにあたり適切な手続きが踏まえられていなかったことなどが理由で中止になりました。ネット上ではミス候補者が「鍋をよそってくれなかった」ことが暴露されたことが原因で中止になったということになっていますが、それは誤りです[4]

 それぞれ文脈は異なるのですが、ミスコンやファッションショーが開かれることになった際に、内部の学生の側から批判が起きたことはまず評価されるべきでしょう。個々の批判の詳しい内容は紙幅の都合上紹介できませんので、興味のある方は脚注のURLを参照してください。

 しかし、これらの批判には根本的な問題があったとわれわれは考えています。それは、程度の差はあれど、それぞれのミスコン批判はあまりに一方的で攻撃的だったということです。

 

[2]

ミスコン騒動のまとめをするスレ - kyoto-u.com

ミスコンに思うこと - progressive link

[3]

京都大学ミスコン騒動2012まとめ - togetter

京大の「ミスコン」について考える人たちarchives

[4]

京大ミスコン2015問題点まとめ

 

 

4.サークルクラッシュ同好会(の一部有志)の立場[5]

 ミスコン批判についてまとめられている資料を見る限り、彼らは「ミスコン」を開く側の個別具体的な事情に配慮せず、教条を機械的に繰り返しているだけでした。これでは建設的な対話は望めないでしょう。

 「ミスコン」主催者側も同じ学生であるということを考えると、このような深刻な対立(内ゲバ)は避けるべきです。なぜなら、結果として「ミスコン」を中止に追い込んでも、「観客」である学生たちからすると「ゴネ得」のように映り、納得がいかないからです。すると、せっかくの「ミスコン批判」も学生からの支持を失い、啓発的意義が果たされません。また、批判された主催者側もせっかくの企画意欲を失ったり、理不尽に疲弊させられたと感じてむしろ批判を受け入れなくなったりするという問題もあります。つまり、京大で過去に行われてきた一方的で攻撃的な「ミスコン批判」は自分で自分の首を絞めているわけです。

 われわれサークルクラッシュ同好会内の一部有志としては、ミスコンをなんでもかんでも中止に追い込むのではなく、よりよいミスコンのあり方を共に考えていくべきだと主張します。そして、「よりよいミスコン」の一例として、サークルクラッシュ同好会が用いている方法を挙げることができます。

 サークルクラッシュ同好会の一部は「サークルクラッシュ」という「一人の女性に対して複数人の男性が恋愛をすることによって、人間関係が壊れてしまう」現象を扱っています。これ自体はゲスい「あるあるネタ」であると言えるでしょう。しかし、そんなキャッチーな問題に対して人々が持っている暗い好奇心、ある種の「偏見」を利用してサークルクラッシュ同好会に参加させることで、ふだんなかなか真面目には語りにくい性愛やジェンダーの問題について考え、語り合える場へと――裏口から――誘導しているのです。ここで期待しているのは、アウシュヴィッツ強制収容所チェルノブイリ原発などへの暗い好奇心を利用して観光させて、その場所の現実を教える、「ダークツーリズム」と同様の効果です。

 このように言うと、「サークルクラッシュ同好会も女性に対する性差別的なステレオタイプを再生産しているじゃないか」という批判があるかもしれません。その批判は重く受け止めなければなりません。しかし、「サークルクラッシュ」という言葉が人々の暗い好奇心を刺激するからこそ、ふだん性愛やジェンダーについて真面目に考えてこなかった層にも届く可能性があるのです。そして、真面目に考えているからこそ、この冊子を配布しているのです。

 そして、この冊子を作るキッカケになった「京大美女図鑑」も京大生の新たなイメージを作ることを目指して企画されたとのことでした[6]。ここからはわれわれの推測ですが、おそらく他の大学で成功してきた企画である「美女図鑑」という言葉を用いることで、「美女図鑑」に対して元々存在するイメージを利用して人々を引きつけ、最終的には「京大生」のイメージの刷新を図る意図があるのではないかと考えられます。あるいは少なくとも、「京大美女図鑑」は上手くやれば「ダークツーリズム」的戦略を実行できるだけのポテンシャルがあるようにわれわれには感じられます。

 「ミスコン」もまた、作りようによっては、ミスコンに対する浮ついた好奇心、「偏見」を利用することで、むしろ“真面目に”ジェンダーの問題を考えさせるキッカケとなるのではないでしょうか。ただ、そうは言ってもそのようなミスコンを具体的にイメージするのは難しいでしょうから、実際に現在、日本社会で行われている先進的なミスコンの例を最後に紹介したいと思います。

 

[5]サークルクラッシュ同好会内での立場が一枚岩に統一されているわけではありませんし、反対の立場もあります。そのため、ここで述べるサークルクラッシュ同好会の立場や主張は文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをご了承願います。

[6]

京大美女。ちょこっと見ませんか? - Readyfor

【京大美女図鑑へのご意見について】 - Twitter

 

 

5.「よいミスコン」とは何か?――ミスコンの具体例から考える

 1999年、男女共同参画社会基本法男女雇用機会均等法の改正などの影響もあり、いくつかの地方自治体で行われてきたミスコンは見直しを余儀なくされました。例えば鳥取県米子市で99年まで行われてきた「ミス米子コンテスト」は名前を「HOUKIゆめ大使コンテスト」に変え、これまで参加条件が女性のみだったのが、「性別不問」になり、年齢制限も変更されています。同時に、鳥取市も30年以上続けていた「ミスしゃんしゃん娘」の応募資格を「18歳以上の明るい人」とし、男性も応募可能になったということがありました。

 このような応募資格の変更には一定の意義があります。大学のミスコンでも、例えば筑波大学では2011年に「TSUKUBAN BEAUTY 2011」という男女不問のコンテストが開催され、あしやまひろこさんが女装で優勝しています。あしやまさんは電飾を用いた光るウェディングドレスという技術的に優れた衣装を身にまとい、「女性」と「男性」、「機械」と「人間」、「仮想(2次元)」と「現実(3次元)」など、様々な対立項の幾重にも重なる境界を表現したと述べています[7]。最近でも、2016年の日本大学芸術学部のミスコンでは、戸籍上男性でありながら性別を使い分けるという林田常平さんがファイナリストに残っており、注目を集めました[8]

 また、選考基準そのものを工夫するという方法もあります。講談社が主催し2012年から毎年実施されている「ミスiD」は「従来のモデル、女優、アイドルといったジャンルの枠、ルックスや若さ、生まれながらの性別にとらわれることなど、あらゆる「古い枠組み」に捉われず、女の子の多様性や個性、サバイブしてくやり方を見つけて行く[9]ということを標榜しており、外見だけでなく、その人が持っている「武器」のようなものが評価基準となっています。実際、ミスiDのセミファイナリストに残る人は近年では100名を超えており、多様性に溢れています。人間の女性の方々にも様々な魅力があるのはもちろんですが、戸籍上男性の方や、二次元の画像やAI、ドールなどがエントリーした事例もあり、それぞれ一定の評価を受けています。

 以上のような、従来のミスコンに対する固定観念を攪乱するような実践から、「よいミスコン」であるための条件が見えてくるのではないでしょうか。もちろん、ここで紹介したミスコンでさえも、単に外見や振る舞いから性的魅力を評価するだけのミスコンになってしまうリスクは常にあります。しかし、「よいミスコン」の最低限の条件として、ミスコンにエントリーできる条件や審査のやり方を工夫した上で(例えば、女性に女性らしさ“だけ”を求めるような審査は行わない)、しっかりと納得のいく基準を設け、どのように選考されているのかを明示すべきではないでしょうか(単に性別不問にしたからそれでいい、というわけではありません)。

 そして、京大でミスコンを開くためには、一元的な価値観を押しつける「ダメなミスコン」に陥らないように批判的に吟味しつつ、「よいミスコン」を実現するために考え・工夫する、創造性が必要でしょう。もちろん、その結果実現した「よいミスコン」とされるものについても更なる批判的検証が求められるでしょうが。

 

[7]

筑波大学 雙峰祭 TSUKUBAN BEAUTY 2011 ひろこ FS - あしやまひろこのサイトとブログ

[8]

史上初の男性“ミス日芸”誕生か!? 男性がエントリーした日芸ならではの理由 - AERA.dot

[9]

ミスiDって?

 

 

【参考文献】

西倉実季 2003 「ミス・コンテスト批判運動の再検討 特集 再考・女の戦後」『女性学年報』24巻p.21-40

坂本佳鶴恵 2000 「ポストモダンフェミニズムの戦略と可能性」『理論と方法』数理社会学会15巻 1号 p.89-100

 

(文責:ホリィ・セン)