京大11月祭のビンタ屋について――サークルクラッシュ同好会の「境界」

京都大学11月祭(通称NF)が11月21~24日にあった。僕はサークルクラッシュ同好会をやっているのだが(2012年に始めた)、みんなの協力もあって会誌第三号を出すことができた。そして去年同様(一応NFは3年目だ)、共北33で会誌販売をしたのだが、今年はそれに加えて「ビンタ屋」というのが目玉コンテンツとなった。(以下、主にビンタをやってくれた方々。感謝。)

 

 

ビンタ屋を始めた経緯

単純に会誌販売だけだと味気がないからというのが大きい。同好会内では去年から「サークラ喫茶」みたいなのをやりたいなという声だけあって実際には頓挫していた。
今回も特に何も動かなかったので、何か企画がほしいなあと思った。そこでふと思いついて、「ビンタやってお金取るとかどうですか」みたいなことを何人かに言ったら乗り気な人がいて、「ビンタ屋」が実現した。

ちなみに、「サークラ同好会のブースでは基本的に何やってもいいですよ」みたいなスタンスでいっていたので、オタサーの姫的ファッションの古着販売とかもサークラお姉さんがやってた。ぽるぽる君は島風くんのコスプレでフリーハグをやってた(けっこう出張してたので、「サークラ同好会でやってた」と言えるか微妙だけど)。いずれにせよ会誌販売以外にいろいろやってくれてそれはそれでとても良かった。


ビンタ屋が流行った理由

ビンタ屋はけっこう流行った。事前に告知とかしてたわけでもないのだが、突発的に始めたらTwitter上とかで話題になって人がどんどん来た。
なぜ流行ったのかということを考えてみると、100円、10円といったリーズナブルな料金設定とか、魅力的な女性がビンタをやっていたとか、セリフ指定ができるなどのクオリティの高さとか、そういう個別的な点はもちろんある。

しかし、「ビンタ屋」そのものが持つ内在的な魅力も確実にあると僕は感じている。
そこで、「ビンタ屋」が一般的になぜ流行るかの理由を以下に挙げていこう。

 

非日常感を味わえる

まともにビンタをされたことのある人は少ないだろう。学祭というカーニバルにおいて、非日常感を味わいたい人は多い。そこでビンタ屋はうってつけのものだったと言える。

ビンタをする人がメイド服だったり制服だったり、セリフ指定があったりというのはその非日常感を更に強めているだろう。

 

ネタ性

「ビンタを売る」ということのネタ性が流行った原因の一つでもあるだろう。客層を見ていると、わざわざビンタをされにきてお金を払うというのを面白がっている人がいた。また、ビンタを受けているシーンを動画に取っている人もたくさんいた。

ネタになる、別の言い方をすればコンテンツになるという意味でビンタをされにくる人は多かったというわけだ。
また、ネタ性が流行る原因はもう一つあるのだが、次のところで書く。

 

潜在的Mは多い

ビンタ屋には明らかにマゾヒスト(以下M)だろうという人も来ていた(僕の知り合いにそういう人がいて、わざわざそのためにNFに来ていた)。

僕自身もそうだし、ビンタ屋を思いついた理由としては、自分の性癖に向き合った上で「自分がされて嬉しいこと」を考えた結果だ。

元々Mだということを自認している人はもちろんのこと、特にそういう自覚のない人が「ちょっとビンタされてみよう」とやってみたら、満たされた、みたいなこともどうやらあった。つまりは潜在的Mがいたから流行ったということだ。(リピーターもよくいた)

そして、Mに限らず「女性に触れられる」ということにも実は重要性がある。「女性に触れられる」サービスと言えば、パッと浮かぶのが性風俗なわけだが、ビンタ屋は性風俗っぽくない、ということが重要である。*1
僕自身もそうなのだが、女性に今まで触れてこなかった人の中では性風俗に行くのを嫌がる人間がけっこういる。それは、「わざわざ性風俗に行ってまで性欲を満たしたくない」だとか、「行くことが恥ずかしい」といった自意識からである。他の出し物では「フリーハグ」などの、より性的に見えるものもあったが、それに対しては「恥ずかしい」と思う人も多かったのではないだろうか。
一方でビンタはネタ性が強いため、「性的目的ではないよ。ネタでやってるだけだよ」という言い訳が可能である。自意識のガードをうまく下ろすことができるのである。
ビンタを受ける人には自分のことを変態だと言う人も多かったが、その一部は「これはネタでやってるんですよ」という表明だったように思う。

 

以上のような流行る理由はあったと思う。
余談だが、サークラ同好会に来ていた客に「ビンタ屋どうですか?」と言うと、「自分はビンタする側専門なので」と、自らのサディズムを表明する人もいた。

 

ビンタ屋のメリットとデメリット

ビンタ屋に関しては賛否両論あった。とりあえず、メリットデメリットを挙げていこう。
まずはメリットから。

 

○ビンタ屋によって話題になって客足が伸びた

とにかくこれが大きなメリットだろう。
今回、サークルクラッシュ同好会の会誌は450冊程度売れたのだが、そのうちいくらかはビンタ屋の貢献があるだろう。
ビンタをされにきた人がついでに買うというパターンもあれば、「ビンタ屋をやっているのは『サークルクラッシュ同好会』という団体らしい」という話題になって注目する人が増えるパターンもあっただろう。
普段サークルクラッシュ同好会を見ようともしない人が興味を持ってくれたとすれば、それはかなり大きなメリットだろう。

 

○新たなイメージ戦略になった

単に注目を浴びただけでなく、意味を読み取ろうとしてくれる人に対しては別のイメージを与えたようにも思う。「サークルクラッシュ同好会ってこんなこともやるんだ」と。
内容としても、「男性が女性にお金を払い、女性が男性にビンタをする」ということで、旧来的な男性優位のジェンダーを逆転させている。ジェンダー的な意味も読み取ってくれる人もいたのではないだろうか。

むしろ、このような「逆転」があるからこそ「非日常性」に繋がり、ビンタ屋が流行った理由にもなったのだろうが。(男性がビンタ屋をやったとしても、あまり流行らないだろう)

 

次にデメリット。

 

×リア充/ウェイ系のノリの弊害

ビンタ屋は予想以上に盛り上がったので、いわゆるリア充やらウェイ系やらの人がたくさん来て、ギャラリーとして取り囲みながらビンタをするみたいな事態が多かった。ここから三つの問題が生じている。
一つ目に、騒がしかったので、サークラ同好会に言わばネクラ的な要素を求めて来る人は引いてしまって、教室に入れなかった可能性が高い。
二つ目に、共北33という教室は狭かったので、入り口を塞いでしまっているパターンもあった。あれでは客が入りにくかっただろう。
そして、三つ目に問題だったのは、ビンタだけやって会誌を見ずに帰ってしまう人がけっこういたことだ。共北33を「ビンタをしてもらえる場所」として消費されてしまったことは残念だ。

「ビンタ屋」をやっているということについてどう捉えるかは人それぞれだと思われるが、「ビンタ屋」のみを見られることによってサークラ同好会を矮小化されることは避けたいものである。


今後考えるべきこと

まず、以上のようなデメリットで回避できるものは回避していかねばならない。

①「ビンタ以外に何をやっているか」を分かりやすく視覚的に示すために、会誌販売だけでなくパネル展示のようなものも今後はやっていきたい。入ってすぐにそれが目につくようになっていることが大事だろう。設営がいつもいい加減(それでも今年は小津君のおかげで真面目に設営された方だ)なのだが、もっと分かりやすく真面目な側面も示した方がいいように思う。

 

②入り口付近でビンタ屋をやっていたのが問題だったのはある。次回やるとしたら、ちゃんとビンタをできるスペースを作った方がいいだろう。また、入り口付近で立ち止まってるギャラリーがいたら、店番をしている人間は即座に注意するのも必要だろう。

 

とりあえず、すぐにできそうな解決はこのあたりか。
メリットを更に効果的にしようという点を考えれば、

 

③「ビンタ屋」を次にやるのであれば、事前告知をしておくべきだろう。学内にビラを貼るのも、余裕があればやりたいところだ。「ビンタ屋」に限らず、「おしながき」は早い段階で作っておくべきだという反省だ。

 

その他、ビンタ屋をやるということそのものについて、考えるべきことはたくさんある。それは、

 

④ビンタの価格について
何人かがビンタをやっていたので、人によって値段が違うという事態になっていた。これに関してはまあしょうがないということになったが、もしかするともっと考えるべきだったかもしれない(営利的にも)。


⑤ビンタのやり方について
セリフ指定やら強さ指定やら、ビンタした後に打ったところを撫でるやら、お菓子をあげるやら、ビンタをしてくれた人は最初からいろいろとやってくれていた。これらのクオリティ追究はやっぱ必要だなぁと感じたし、もっと付加価値がつけられるものがあればどんどんやっていくべきだろう。

 
すごい。


⑥ビンタの目的について
何を目的としてビンタをしているのかは考えるべきだろう。ここには問題が二つあった。

一つ目は、単に客にネタを提供するだけなのであれば、先ほども言ったようにサークラ同好会が矮小なものとなってしまいかねないということだ。

二つ目に、ビンタは周りの注目を集めていた。これ自体はまだいいのだが、男性からの好奇の目を集めていたのが問題かもしれない。男性が「見る性」であり、女性が「見られる性」であるという既存のジェンダー構造を再生産してしまっている可能性がある。自分としては、女性が男性に対して逆転するという構図を作りたかった面があるのだが、逆効果だったかもしれない。
結果として、ビンタ屋は性風俗と同じものになってしまっていた面は少なからずある。いくら学園祭とは言え、かなり危ういラインだろう。それは事務局からお咎めがくるとかいう問題の話ではなく、ジェンダー的な意味での公序良俗についてはもっと考えるべきだろうということだ。

以上二点より、ビンタをやる際にはジェンダー的な側面も考慮した上で、ネタのような矮小なものに流れてしまわないように注意が必要だろうという結論だ。


⑦ビンタをする側の人間について
そもそもビンタをする人選びの段階で、いろいろ考えるべきだろう。今回のビンタ屋は複数人いたが、ざっくり言うとそれぞれのキャラクターがあるので、それぞれに良さがあったように思う。
また、単純なクオリティの問題でもある。先ほど書いたビンタ以外の部分で付加価値をつけられるかは人の問題は大きい。それこそセリフ指定をしても、棒読みではあまり客の心には響かないといったところだ。
また、重要なのがビンタをする側のメンタルの問題だ。単純にビンタしまくってると手が痛くなるというフィジカルの問題もあるが、あまりにも多くの人(そのほとんどは男性)をビンタしていたら、精神に何かしら作用する可能性もある。「自分は何をやっているのだろう」と思ったり、男性に対する嫌悪感が増したり、あるいは逆に男性に求められることに喜びを覚えたり、サディズムに目覚めたり、などといったことが(憶測だけど)考えられないこともない。

初日にビンタ屋をやってくれた阿部さらさんのツイートを見ると、そういうことが生じていたようにも感じた(実際のところは本人に聞いてみないと分からないところだが)。
 

 
 

最後に――ホリィ・センの目指すサークルクラッシュ同好会

ここまである程度客観的な話を書いてきたが、もっと主観的な意見も最後に述べておく。
それは共北33という空間を自分はどうしたかったのかということで、もっと根本的にはサークルクラッシュ同好会という集団をどういうものにしたいかということに関わってくる。
例えば、会誌販売以外でビンタ屋とかをやりたいんであれば、もっと教室内を区切った方がいいんじゃないかと言われた。
また、後ろの方とは言え、教室内にいろいろと私物が置かれているのはあまりに殺風景なので、暗幕などで隠した方がいいんじゃないかとも言われた。
これは確かにそのとおりだなと思う面もあるし、ただ単にそういう準備をするのが面倒だったという理由もかなり大きい。しかし、そのいい加減さは、単にサボってる以上の意味合いがあると僕は思っている。

 

その意味合いとは簡単に言えば、僕は共北33にせよ、サークルクラッシュ同好会にせよ、おカタい空間にしたくないということだ。それは具体的には、「これはこれ、あれはあれ」といった明確な境界を設けたくないということだ。
僕は共北33を、サークルクラッシュ同好会を、誰でも自由に入ってこれて、誰でも自由に去っていける、境界が曖昧で外部に開かれた空間にしたい。そしてその中で異なる文化を持った人たちが奇妙に同居するある種の”カオス”を生み出したいと思っている。どちらが上でどちらが排除されるとかが存在しない、それぞれがその場にいることを認識しながらも干渉はしないような、そんな空間を作りたい。

 

その思想は、よく聞かれる「サークルクラッシュ同好会って何をしているんですか?」という質問への僕なりの回答にも表れている。

よく言うのだが、サークルクラッシュ同好会はネタサークルであり、メタサークルであり、ベタサークルである。名前からしてネタな団体として面白がり、メタ的に見るという自己分析的な側面を忘れず、ベタにサークルらしくやっていく。それがサークルクラッシュ同好会のやり方だと自分では思っている。だからこそ、集団内部での棲み分けが曖昧で、外部に対する境界も曖昧で、外の人どころか中の人にさえ何をやっているのか分からないし、集まってくる人もバラバラだ。しかし、それゆえに異なる文化を持った人達の奇妙な同居が実現されているのだと思っている。

ただ最近、問題なのは、外部との境界を曖昧にしたがゆえにその空間を矮小化し、ただただネタとして消費していく人間が現れたことである。それは共北33の客層にしても、サークルクラッシュ同好会の会員の一部に関しても言えると思う。
「部分的に楽しむ」という態度自体が責められるわけではないと僕は思っているけども、それはネタ/メタ/ベタの三重性を一人の人間が同時に楽しむといったサークルクラッシュ同好会の醍醐味を捨てているようにも思う。

そして、一番の問題は悪貨が良貨を駆逐することである。異なる文化を持った人たちの奇妙な同居――別の言い方をすれば多様性を目指した結果、居づらくなる人が出てきて多様性が失われてしまうというジレンマが現実に起きているということが問題である。

 

僕はこの問題にどのように対処すればいいかを未だに考え続けているが答えが出ない。僕自身としては、リア充/ウェイノリみたいなものをもっと制度的に抑制していく(例えば、普段の例会ではそういう空気を禁止する)ことが必要なのではないかとは感じているが、ビンタ屋自体は来年もやりたいと思っている(僕がビンタするわけではないので、誰かにお願いすることになる)。

同好会内のある過激派(ある意味で強い保守派)は、そういうノリを持ち込む人間は辞めさせるべきなんじゃないかとか、せめてそういうノリを持った人間を出入禁止にした集まりも開くべきではないかとかいう意見も出している。

しかし、それはそれでやはり矮小化なんじゃないだろうかとも思う。今回のNF(京大11月祭)について言えば、普段の例会とは違ったハレの場だ。「客」というランダムな存在を招き入れる場で、メタ視点を忘れてベタに楽しむのはしょうがないことではないかとも思う。


やっぱり答えは出ないので、僕に意見をください。この件に関して僕と話してください。あるいはホリィ・センなんか無視して新たに活動してください。お願いします。

*1:僕はフロイトが好きなので、「コミュニケーション」などのようなごく一般的な人間関係に対する欲求も性欲だと考えている。だから、もしあなたにとって、ビンタ屋と性風俗を結びつけるのが過激な意見に見えるのならば、そこに原因があるかもしれない。でもやはり、フロイトを引くまでもなく実際にビンタは(それこそMでなくとも)性欲を満たすと思う。