「男根のメタファー」とは何か?――フロイト『精神分析入門』第10講の要約から

吹奏楽器が男根のメタファーだという論理から、『響け! ユーフォニアム』というアニメ、ひいては日本のオタクカルチャーを児童ポルノ的であるとして批判するツイートが話題になったらしい。

news.biglobe.ne.jp

 

本人のツイートが本人によってまとめられている↓

togetter.com

 

「男根のメタファー」という言葉のキャッチーさから、未だにネタとして拡散されているようだ。

この「○○は男根のメタファー」と、なんでもかんでも男根のメタファーにしてしまう論理を世に知らしめたのは、精神分析の創始者であるS・フロイトだと一般的にはされている。

しかし、はたして本当にそうだろうか。僕は学部時代精神分析を専攻していて、特にフロイトについては一家言ある。良い機会なので事実確認をしておきたい。

 

「○○は男根のメタファー」の初出は?

フロイトは人間の「無意識」について明らかにするために「夢」と「錯誤行為」と「神経症」を研究した。夢についてフロイトは、「夢判断は、人間の心の中にある無意識的なるものを知るための王道である」と『夢判断』(1900年)で述べている。

そして、この『夢判断』がおそらく「○○は男根のメタファー」の初出だ。内容は後に述べるが、目次には「夢における象徴的表現――続・類型夢 (一)男子(性器)の象徴としての帽子 (二)小さなものは性器である――車にひかれるのは性交の象徴である (三)」等々、とある。

ここからそのまま引いてもいいが、具体的な夢の実例も入ってくるので入り組んでいる。文庫版の高橋訳ので70ページぐらいある。しかも実例の検討に入る前に「これよりはるかに詳しい夢象徴の説明を私は『精神分析入門講義』(一九一六年―一九一七年)中に試みておいた」とフロイトは述べている。ということで、おそらくより分かりやすく詳しい形になっているであろう『精神分析入門』の方を当たる。

 

精神分析入門』第10講「夢の象徴」の要約

さて、本題。とりあえず夢の象徴について述べている『精神分析入門』の第10講を要約する。

 

連想と象徴

夢の分析とは、夢を見た人の連想を聞くことによって、夢の顕在的内容ではなく潜在的内容を明らかにすることである。

(夢の潜在的内容は無意識へと抑圧されているため、直接夢には出てこない。潜在的内容は一種の検閲を受けて内容を歪められ、顕在的内容となる。この顕在的内容について人は「夢を見たんです」と言うわけだ。
そのため、夢を解釈・翻訳することによって、夢の潜在的内容、すなわち「真の内容」を明らかにすることが夢分析の仕事になる)

 

しかし、夢を見た人は、夢の個々の要素について連想が浮かばなかったり、いくら強制しても分析家が予想しているものが得られなかったりすることがある。このとき、個人的な連想では明らかにならない、決まった「顕在的内容潜在的内容」の二項関係のパターンがあるのではないかということになる。この決まった関係を「象徴的」関係と呼ぶわけである。

 

「象徴」があれば、夢を見た人に質問をして、どういう連想が浮かぶかを掘り下げなくても夢を解釈できると思うかもしれない。これは「夢占い」をする人の一種の理想なわけだが、そこにフロイトは批判を加えている。以下引用。

このような技巧は、夢占い者を得意がらせ、夢を見た人の度肝を抜くに違いない。夢を見た人にいちいち質問を浴びせかけていくあの厄介な仕事に比べると、今度の仕事は何と気持ちがよいだろう。しかし、諸君は、このために堕落してはならない。芸当をするのが、私たちの目的ではない。すなわち象徴は自由連想の補助で、象徴からひき出された結果は自由連想と併用したときだけ有効になる。

つまり、「象徴」は自由連想による夢分析をした後になって初めて有効になる

これは強調しておくべきことだろう。というのも、このことから、少なくとも個人の無意識に対する分析においては、なんでもかんでも男根のメタファーにしてしまうのは、この「連想」のステップを飛ばしている以上、有効性が薄いということが分かるからだ)

 

象徴によるメタファーの性質

象徴関係の本質はメタファー(比喩)である。しかし、この比喩は何でも構わないわけではない。①ある物やある現象に比喩できるものが全部が全部夢の中に象徴として現れるのではない ②夢はすべてのものを象徴化せずに、夢の潜在観念のある要素だけを象徴化する という二方面からの制約があるという。

奇妙なことに、夢を見た人自身はそのメタファーに気づいていなくて、知らないクセにその象徴を利用している。しかも、何のメタファーになっているかを夢を見た人に提示すると、それを認めないことがある。

 

具体的に使われる象徴

フロイトは夢の中に象徴的に描写されるものはあまり多くないということを述べており、10個ほどしか挙げていない。象徴によって表現される夢の潜在的内容⇒顕在的内容のセットのリストを以下に挙げると、

①身体全体

⇒家。壁が滑らかな家は男性身体の象徴で、突き出ているところやバルコニーがあれば女性身体の象徴。

②両親

⇒皇帝、女王、王、王妃などの偉い人。敬虔な夢になる。

③子ども、兄弟姉妹

小さい動物や毒虫。優しく扱われない。

④分娩

⇒水。水に飛び込むとか、水中からはい上がるとか、水中から人を救うとか、水中から人に助けられるなどといった感じで象徴される。すなわち、母と子宮の中の子どもとの関係を象徴化している。

⑤死

⇒旅立ち、鉄道旅行。暗い、びくつくような暗示がある。

⑥裸体

⇒着物や制服。

⑦性生活、性器、生殖現象、性交の世界

フロイトは大量に列挙している。

狂ってるレベルに列挙されてるので、ブログの末に小さい文字で付録として、全部挙げておく。

 

象徴の源泉

とにかく、性の象徴はものすごく多い。それに関してフロイトはこう述べる。

 以上が夢の象徴を研究する上の材料だが、これだけでは決して十分でない。さらに深くし、拡げなくてはならない。しかし諸君にはこれだけでも十分だし、がっかりされたことと思う。諸君は「まるで性の象徴にかこまれて生活しているようですね。私をとりまいている物、私の着ている着物、手に持っている物、これらはみんな性の象徴にほかならないと言うんですね」と、質問されるだろう。諸君が不思議に思われるのももっともだ。そして諸君の疑問の第一はつぎのことだろう。すなわち「夢を見た人自身ぜんぜん知らないのに、先生は一体どこからそのような象徴の意味をお知りになったのですか」

(もっと根本的な疑問がある気がするが)ともかくフロイトは、それに対しておとぎ話、神話、冗談、しゃれ、民間伝承、風俗、慣習、言語、民謡、詩のことば、俗語を源泉としていると述べる。そして、実際にそれらの例をフロイトはいくつも挙げる。ドイツ語話者じゃない人の例も出して、母語に因らないことも示唆している。

このことから、作品解釈において、「象徴」の解釈をすることには一定の有効性があるとは言えるだろう。しかし、その解釈の妥当性を検討するのは難しいと思う。何をもって妥当とするかにもよるんだけど。

 

結論

フロイトは最後に4つの結論を述べる。

①夢を見る人は、起きているときには知らない象徴をその夢の中に表現する力を持っている。この象徴はすでにあるものであり、人種や言語が異なっても同じである。

②象徴関係は夢に固有のものではない。むしろ、夢に使われる象徴は、大きな象徴の世界の一部分に過ぎない。

③夢ではほとんどの象徴が性的な事物や関係を表すのに用いられている。

④夢の象徴は夢を歪ませる第二の因子である(第一はフロイトが「検閲官」という比喩を使って述べるものである。後期フロイトによればそれは「自我」である)。

 

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さて、以上が要約だ。夢における象徴はほとんどが性的であるということをフロイトは述べているが、その根拠がそこでは必ずしも明確にはされていないことは驚く。

僕もそこまでフロイトをきっちり読み込んでるわけではないので、間違ってるかもしれないけど、フロイト精神分析学の体系において性が重視されるのには一応それなりの根拠がある。精神分析学の知見は、フロイトの医者としての臨床経験から導き出されたものであるというのがその根拠だ。

しかし、その臨床経験に代表性があるのかどうかという問題もあるし、また、解釈は多分にフロイトのバイアスがかかっているということ(それこそフロイト自身の「無意識」が働いているのではということ)はどうしようもない事実だろう。だから、フロイトの体系はフロイトの思弁によって生み出された「哲学」(科学ではない)の体系であると考えることも可能だと思う。

ただ、思弁だとしてもフロイトの議論には説得力があると思う。あらゆる現象を幼児期のエディプスコンプレックス(異性の親と結婚して、同性の親を殺したいという願望)と、その抑圧から捉えていくというスタイルは、強い説明力がある。それによって人間の欲望や精神、性格などはもちろん、倫理や文化、宗教にまで説明が及ぶ。

 

ところで、下の付録をよく見ていただくと書いてあるが、今回問題になった「楽器の演奏」は「自分の性器で満足を得ること」の象徴だとフロイトは述べていた。なるほど、楽器が男根のメタファーだというのも、象徴に限って言えばそのとおりだ。

また、楽器を口でくわえることがより男根の象徴としての条件を満たしていると述べられているが、これは、フロイトの性理論で言えば「口唇期」を思い出させる。赤ちゃんはお母さんのおっぱいを吸って満足(快)を得るのだが、この時期にリビドーが固着すると、口唇期的なパーソナリティ(おしゃべり、タバコ好き、また、依存的など。)になるとフロイトは述べる。「リビドーが口唇期に固着する」というのは具体的に言えば、「口唇期に十分にリビドーが満足されなかったり、逆に過剰に満足させられたりすることによって、発達段階において口唇期が重要な位置を占めた」ぐらいの意味で捉えていただければよいだろう。

また、唇が主要な性感帯になる(キスが代表的)のもこれが理由である。口唇期の固着が強い人は、キスの好き嫌いが特徴的になる、などと言えるだろう。

 

もっと言えば、「男根のメタファー」っていうときに、「楽器が男根なわけないだろ」みたいな反応をしている人がいるけども、それは当たり前だ。

フロイトに対する精緻な解釈で知られるフロイトの後継者J・ラカンは、解剖学的な男根(ペニス)と象徴的な男根(ファルス)を明確に分けて解釈した。フロイトが「去勢コンプレックス」という概念を唱えた際に、必ずしもこのペニスとファルスを明確に分けられていなかったのに対して、「ファルス」についてのラカンの理論はフロイトの理論を守りつつ発展させる非常に強力なものだ。

「○○は男根のメタファー」と言ったときに、その男根を「ファルス」として考えれば、主張の妥当性はともかく、論理としては筋が通る。まあ、ラカンの理論はあんまりちゃんと分かってないのもあるし、今回は割愛で。

 

楽器は男根のメタファーか

最後に、これまでの議論を踏まえて今回の件に自分なりに決着をつけておく。今回の件は夢の解釈ではなく作品解釈の話なので、ちょっと勝手が異なる。個別の作品には個別の作者と個別の鑑賞者がいる以上、

①作者が「男根のメタファー」として「楽器」を用いたか。また、それは意識的にか無意識的にかという問題と、

②ある鑑賞者にとって楽器が男根のメタファーとして機能し、児童ポルノとして解釈できるかどうかという問題

がある。

 

①については、厳密には作者の無意識を分析してみないことには分からない。具体的には自由連想法を使わないことには分からない。

ただ、ありうるパターンは三つで、

A:たまたま「男根のメタファー」に見えるように作品が現れてきただけ

B:作者の無意識の働きによって男根のメタファーが使われてしまった

C:作者が象徴について知っていて、意識的に男根のメタファーを用いた

ということになるだろう。 

 

②については、鑑賞者が象徴について知っていて、その象徴による解釈を使う際には割と妥当するだろう。しかし、そのパターンはそこまでないと思われる(なぜなら、そんなアクロバティックな解釈をわざわざ普通の人はしないから)。

 

むしろ、メタファーが無意識に対して働きかける作用の方が重要だろう。鑑賞者が「これは児童ポルノ」だと意識していなくても、無意識下では児童ポルノとして「機能」し、「連想」として性的なものを感じる可能性はある。

そして、ラディカルフェミニズムなどが問題にするところの「女性に対する抑圧」の構造や、児童への暴力性が刷り込まれるという可能性もある。

その可能性を見抜いた西洋人が、「これは児童ポルノだ」と扱うのだと件の人は主張しているのだと思われる。

 

 

以下余談。

久美さんの主張を更に掘り下げてみる。

ユーフォニアム」に関しては西洋人は「児童ポルノ」とはみなさないと思う。一方で、問題にすべきなのはむしろ「無意識下への刷り込み」の方なんじゃなかろうかと、別の観点から擁護してみる。というのも、露骨なエロや児童ポルノだったら、規制がかかる上に鑑賞者の方も忌避するだろうから、そこまで発展はしない。

しかし、「ユーフォニアム」のように性的な要素が脱臭されていると、「別にエロ目的ではない」という言い訳(防衛機制の抑圧や否認にあたるだろう)をしながら視聴できる。言い訳によって、性的な要素が、ひいては問題のある暴力性が密輸入され再生産されうるということだ。

また、「たかが子ども文化じゃないか」と済ませられることで、大人の監視の目をすり抜けてオタク文化が隆盛したという久美さんの主張は多少は説得力を感じる。ただ、むしろ僕としてはこれも「子ども向け」なのをいいことに、生々しさのない安全なエロが志向されているという風に考えるのが妥当かなあと思う。「児童ポルノ」が志向されるのもそういうことだと思うし。

つまり、無垢ゆえに拒否もせず、抵抗の力もない児童は安全圏から手を出せるのでポルノの対象として好都合であるということと、フィクションゆえに裏切らず、生々しいエロを想起させない(特に「日常系」などの)萌えアニメの安全性は対応しているかもね、ということ。

まあ、だからと言って、アニメを規制しろという結論には僕はならんけどね。フロイトの知見からも分かるように、性的なものはそこかしこに遍在しているし、禁止することが欲望を生み出すという側面もあるわけだし。

 

 

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 【付録】

☆男性器

・数字の3(神聖な数字)

・長い突き出たもの:ステッキ、傘、棒、木、鉛筆、ペン軸、ハンマー、爪やすり

・身体の内に入ったり、身体を傷つけるもの:ナイフ、短刀、槍、サーベルのような武器。火器、大砲、ピストル、連発式拳銃(陰茎と形が似ている)

・水を出すもの:蛇口、じょうろ、噴水

・長くなることのできるもの:釣りランプ、シャーペン

・重力に対して立つ(勃起)ことができるもの:軽気球、飛行機、「飛行」そのもの

勃起を象徴した飛行の夢は、女性には陰核(小さい陰茎)があるから、女性にも成り立つ(夢は願望充足であるのだが、女性には男性になりたいという願望が意識的にも無意識的にもよくあることを思い出してほしい)

男性器の堂々たる仕掛けは、表現しにくいほど複雑な機械で象徴される

・爬虫類と魚類はよくわからないが男性器の象徴。特に蛇が有名

・帽子や外套

・手とか足とかも含めてもいいかも

 

☆女性器

・中に空洞があるものや中に何かを入れることができるもの:穴、くぼみ、洞窟、ビン、カン、箱、トランク、長持、ポケット、船、カタツムリ、貝、宝石箱、靴、スリッパ

・外陰部よりも子宮に関係していることが多い:たんす、かまど、部屋。部屋は家(身体の象徴)に結びつくが、戸や戸口は膣の象徴である。

・原料:木材、紙

・それらの原料から作られたもの:テーブル、本

・身体の部位のうち、口

・建物のうち、教会、礼拝堂

・女性の陰部の複雑な地形は岩、森、水のある「風景」として描写されることが多い

☆乳房⇒大きな半球:リンゴ、桃、一般に果物。

☆両性の陰毛⇒森、草むら

☆愛人⇒宝石や宝物

☆性の享楽⇒美食

☆自分の性器で満足を得ること⇒いろいろな種類の演奏、ピアノの演奏

☆自慰⇒滑る、木を引き抜く、歯が抜ける、歯を抜く(「抜く」という俗語表現はドイツ語にもある。また、自慰の刑罰としての去勢を意味してもいる)

☆性交

・リズミカルな活動:ダンス、乗馬、登山

・追い詰められるような暴行の経験

・手仕事

・武器(男性器)での脅迫

・のぼるもの:はしご、坂、階段(性交の律動とのぼるときの律動が対応。また、高くのぼるにつれて興奮が増し、呼吸が困難になることも共通している)

☆男性女性の区別のない性器一般

・小さい子ども、小さい息子、小さい娘

・「男性」が女性器の象徴に、「女性」が男性器の象徴に使われることがある

☆男性⇒頭にかぶるもの:帽子(女性を意味することもある)、オーバー(いつも性に関係があるわけではない)、ネクタイ(だらりと垂れていて、女性が身に付けない)

☆女性⇒白いシャツ、リンネル

 風景が外陰部の描写であることはすでに述べたが、は陰茎の象徴であり、はしばしば外陰部の象徴である。果物は子どもを意味しないで、乳房を意味する。野獣は肉欲にもだえる人間とか、さらに悪しき本能や情熱を意味する。は女性器を示し、とくに処女性をあらわしている。諸君は花が実際植物の性器であることを忘れていられないだろう。

 すでにお話したように、部屋は象徴である。この象徴はもっと拡大できる。たとえば窓、部屋の入り口、出口は体孔を意味している。部屋を閉めること部屋を開けることも象徴で、部屋を開ける鍵はたしかに男性の象徴である。

 なんでもアリやんけ。

 

[引用文献]

『夢判断』については新潮文庫の高橋義考訳(1969)を参照しており、筆者が一部改訳している。

精神分析入門』については角川文庫の安田徳太郎・安田一郎訳(1970)を参照しており、筆者が一部改訳している。