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背伸びとしゃがみのススメ

 世間には学生向け○○だとか、13歳からの○○だとか、10代のための○○だとか若い人に対して上から目線でアドバイスしてやろうという本がいっぱいある。

 本に限った話ではなく、おおよそ「教育」をしてやろうという人にはよく見られる態度だと思う(教育者をディスってるわけではない。むしろ専門的な教育者じゃないけど教育をしてやろうという態度の人を指している気がする)。

 

 実は、僕もそうだ。

 

 メサコン根性(自分の価値を感じたいがゆえに人を助けることに執着してしまう根性)が肥大化して「教育をしてやろう」という態度をどうしても持ってしまうところがある。その結果、例えば「教育者のための○○」とか「臨床家のための○○」とかみたいな本を読む、みたいな経験がたまにある。

 こう言うと、自分は欺瞞に満ちた人間だなと思うのだけど、一方で「○○でない人間が○○向けの本を読む」という経験は案外役に立っているという実感がある。

 

ディベートを「審判」の視点から見た話

 本じゃないのだけど自分がそれを強く実感した一例を挙げる。僕は高校生のときに「ディベート」を競技としてやっていた。全国大会である「ディベート甲子園」にも出場したことがある。そして今は中高生のディベート試合の審判をたまに(年に4回ぐらい)やっている。

 実は高校生のとき、ディベートの技能向上にかなり役立ったように思うのが「審判講習」だった。競技ディベートのルールを読み込み、審判はどういう視点を持って試合を判定するかということを学んだ(既に審判をやっていたOBOGの先輩方にご教授いただいた)。

 それこそ普段はディベートを選手の視点からしか見ないわけだけど、審判の視点からディベートを眺めてみたというのがこの話のキモだ。俯瞰的な視点に立ってみることによって、今まで見えてこなかったものがすごく見えるようになった。

 

 さて、これだけだと単に「俯瞰(メタ)的な視点を持て」っていうお決まりの文句になってしまいそうだけど、もう一歩進みたい。

 

単に「別の視点」であるということ

 やはりメタ的な視点だから偉い、なんてことはないと思う。むしろ現場で瑞々しい体験をしている(“ベタ”視点の)人の方がモノを知っているということはよくあることだ。

 だから、今の自分の視点とは別の視点で考えてみること、ただこれだけが重要なのではないか。基本的には、視点に優劣はないと言っていいように思う(ただ例えば二つの視点しか持てないとしたら「どの二つを選ぶか」という更なるメタ視点はありそうだ。その際、例えば「より多様性のある選択をした方がいい」みたいな優劣が導入されてしまいそうだけど、そのへんはいったん考えないでおく)。

 

背伸びとしゃがみ

 よりメタ的な視点で眺める、あるいは「大人」の視点で見ようとすることが「背伸び」なのだとしたら、逆によりベタな視点、あるいは「子ども」の視点で見ることは「しゃがむ」ことなのではないだろうか。世の中には、子どもと一緒になって子どものように楽しんで遊べる大人がいるけども、それは一つの素晴らしい能力のように思う。

 

 逆にダメなのは子どもが「子ども向け」のおもちゃで遊んでしまうような、そんな事態ではないだろうか。もちろん、「○○向け」は配慮されて○○に適するように作ってあるだろうから、それには一定の意義や効率性などがあるのだと思う。しかし、それだけでは一つの視点に固定されてしまい、見える範囲は狭くなってしまう。

 だからこそ僕が提案したいのは、敢えて自分の専門ではない「○○向け」へと背伸びをしてみること(ただし専門性がないと全然入っていけないものもあるだろうから、それはネックだ)。あるいは、逆に自分のよく知っているはずのものの「初心者向け」をしゃがんで見てみることである。

 

 要は「視野は広げた方がいい」という前提の上での、その視野の広げ方の提案でした。