ねほりんぱほりんサークルクラッシャー回を読み解く(前編)

とうとうNHKで「サークルクラッシャー」が取り上げられましたね。サークルクラッシュ同好会を運営し、啓発活動(?)を続けてきた自分としては嬉しい限りです。


 「サークルクラッシャー」という言葉がどのような経緯で生まれたかについては

nikkan-spa.jp

で書きました。2005年に宇野常寛さんたちが生み出した言葉です。当時、電車男を発端に「非モテ」が話題になり、その文脈で「サークルクラッシャーに引っかかる」ということが盛り上がったわけです。


 概念として定着し始めると、それじゃあこの「現実」の社会において「サークルクラッシャー」ってどういうものなんだっていうことが気になってくるでしょう。ただでさえ都市伝説のごとく語られてきたわけですから。

 僕が2012年にサークルクラッシュ同好会を立ち上げて、2014年に「オタサーの姫」という言葉が作られたということを踏まえても、「サークルクラッシャー」がある種の都市伝説として語られる状況は変わりません。今回「ねほりんぱほりん」で取り上げられたのも、題材として適切だったからでしょう。

 

「悪女」としてのサークルクラッシャー

 こう考えると、番組の最初で「悪女」のような言葉を使ってゴシップ的に扱いつつも、ゲストとして現れたサヤカさんにもある程度の事情があったのだということを掘り下げていき、現在では反省しており人生に苦悩しているというところで〆たのは一定の評価ができるでしょう。「サークルクラッシャー」というと、どうしてもその人自身の持つ悪意や責任にスポットがあたり、単なるゴシップとして終わってしまいます。酷い場合は「ビッチ」などと言われ、いわゆる「女叩き」に堕してしまいます。

 

「被害者」としてのサークルクラッシャー

 しかし、今回の番組では(サークルクラッシャーのあいうえおなど、笑えるテクニックも挟みつつ)、「何者かになりたい」ということをキーワードにサヤカさんの内面を掘り下げていったわけです。これによって、サークルクラッシャーは「加害者」であると同時に、実はある種の「被害者」であるということが示されています。僕に言わせれば、社会全体から見てサークルクラッシャーもクラッシャられてしまう男たちも、事情を理解され(できれば支援され)るべき対象なわけです。

 

サークルクラッシュから見た女性の人生

 そして、番組の後半では「仕事で自己実現したいと同時に母・妻であることの困難」という現代社会の問題にサヤカさんも苦しんでいるということが判明します。特に興味深いのは、子育てに関して「夫が助けてくれなかった」一方で、「男を釣っていた時代は何も言わなくても相手が助けてくれた」という対比です。夫に関して「運命を感じる相手だった」と述べていたことも考え合わせると、高学歴で自己実現志向の現代らしい女性であっても、どうしても旧来的な「強い男性」に魅力を感じてしまうという問題があるのです。逆に言えば、大学サークル時代の「クラッシャられ」の男たちには「運命」を感じないわけです。おそらく一時的な安心を与えることはできても、刺激が足りないのでしょう。


 つまり、恋愛においては旧来的な男女観が根強く、ライフコース(キャリア)においては「女性の社会進出」といった自己実現が称揚されるという矛盾があるわけです。このような「欲張り」な志向は、番組の途中に出てきたエリコさんの円グラフ(彼氏以外の男でリスクヘッジをするやつ)にも見出せるでしょう。


 広い視点で見るならばサークルクラッシュという現象は、「子どもを産み育てたい・強い男に魅力を感じる」といった旧来の価値観を温存したままで、「自由恋愛市場」と「仕事」という二つの社会に女性が進出したことにおける矛盾を示しているとも言えなくもないでしょう(この問題を解決するための方策はいろいろあるでしょうが、それは割愛します)。

 

 

 このように、ねほりんぱほりんは「サークルクラッシャー」を掘り下げたものとしてはなかなか良い点をついているように思います。しかし、決定的に分からなかった点もいくつかあります。サヤカさんはなぜ同じ集団内で7人も関係を持ったのか、その集団はどのような集団だったのか、男女比はどうだったのか、恋愛以外での交友関係はどうなっていたのか。そして、「サークルクラッシャー」とはサヤカさんのような例が代表的なのか。このような問い、すなわちねほりんぱほりんが語らなかったこと」を後編では見ていきます

 

続く