京大でミスコンを開く100の方法――"よい"ミスコンと"ダメな"ミスコン by サークルクラッシュ同好会 有志

 この文章は、2018年の京都大学11月祭(NF)において、サークルクラッシュ同好会ブースにて配布したものです↓

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 しかし、この文章の内容はサークルクラッシュ同好会全体を代表するものではなく、文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをあらかじめご了承願います。

 

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 お手に取っていただきありがとうございます。サークルクラッシュ同好会内の一部有志です。われわれは今回、「京大美女図鑑」という企画が行われることを知りました。そこで「美女図鑑」という形で女性を「見られる対象」として描くことの意味や、それを「京大」で行うことの意味について、一度考える必要があるのではないかと感じました。

  先に言っておけば、われわれは「京大美女図鑑」の中止を目的としているわけではありませんし、「京大美女図鑑」に必ずしも反対しているわけでもありません。むしろ、応援したいと考えている立場にあります。

  そこで、「京大美女図鑑」からは離れるのですが、なにかと京大内でも批判の多い「ミスコン」に焦点を絞り、「ミスコンを開く方法」について考えるという形で冊子を発行します。今後、京大で(あるいは京大でなくても)ミスコンなどを企画するつもりの人に「よりよいミスコン」について考えていただく、一つのキッカケになれば幸いです。

 

 

 

 

1.京大でミスコンを開くことの意味

 大学は本来、社会の常識的な価値観から自由な存在でした。しかし、世間のほとんどの大学は気がつけば「就職予備校」化し、常識的な価値観に取り込まれてしまいました。「常識的な」大学において「ミスコン」が開かれることは何も不思議なことではありません。外見や振る舞いなどによって女性が評価される……それは日々起こっていることだからです。現に様々な大学の学園祭等で「ミスコン」は開かれていますし、これからも開かれていくことでしょう。われわれも、すべてのミスコンが悪だとまでは思っていません。

 しかし、京大は社会における主流の価値観から逃れられる数少ない場所です。「ミスコン」に即してもっと具体的に言いましょう。極端なことを言えば、京大は授業にすっぴん・ジャージで来ても“許される”場所です。他の多くの大学でそれをすると、冷ややかな目で見られたり、グループに入れなかったりといったリスクが大きいでしょう。要するに京大は、他の多くの大学などと比べても圧倒的に、「女は女らしく」という価値観を押しつけられなくても済む場所なのです(もちろん京大でも、メイクやおしゃれをする自由もありますが)。

 他の大学ならいざ知らず、もし京大で「ミスコン」が開かれれば、その影響は計り知れません。他の大学も「右にならえ」で“安心して”ミスコンを開くことでしょう。すると、ミスコン的な価値観、すなわち「女は女らしく」が全国の「当たり前」になってしまいかねません。

 なぜ「京大のミスコン」には特別な意味があるのでしょうか。それは、京大がミスコンに対して批判的でいられる「最後の砦」だからです。ありきたりな言い方を借りれば、社会に迎合せずに「才能の無駄遣い」もできるし、「1人の天才と99人の廃人を生み出す」大学なのです。もちろん、大学の側が「変人」や「おもろい」といった言葉を公式に使った途端に、その響きがひどくサムいものになっている側面は否めません。しかし、かつて東京帝国大学が西洋列強に追いつくための輸入学問をやっていたのに対して、京都では東洋であること、日本であることのアイデンティティを追求する「京都学派」が一世を風靡しました。自然科学分野において京大が東大よりも多くのノーベル賞受賞者を輩出しているのも、一見すぐには役に立たない研究(例えば基礎研究)にもじっくりと取り組めるような「自由の学風」があるからこそだと言われています。

 つまり、京大は「東大化」せずに、社会から距離を置いているからこそ、独自の価値を持つことができるのです[1]。そして、この「京大らしさ」という価値は、すっぴん・ジャージで大学に行く自由が守られていることと繋がっています。

 

[1]とはいえ、京大も社会の常識的な価値観から完全に自由なわけではありません。京大には入学試験があるため、学力という尺度で人間を序列化することになります。実質的には例えば、知的障害者が排除されたり高所得の家庭が有利だったりと、階級などの旧来的な価値観を再生産することになります。

 

 

2.一般的なミスコンの問題点

 それでは、京大に限らず、「ミスコン」一般について考えてみましょう。「ミスコン」が開かれることは何が問題なのでしょうか? あるいは、ミスコンと同時に「ミスターコン」も開けば男女平等なのではないかという声があるかもしれません。

 しかし、これは根本的な解決になっていません。ミスターコンを同時開催したところでやはり「女は女らしく」(例えば、かわいくおしとやかに)という既に社会に存在しているステレオタイプを再生産することになってしまいかねません。ミスコンは純粋に一般的な「美」を評価対象としているのではなく、実際には「女性の性的魅力」が評価対象になっている側面があります

 このような問題点があるために、実際に京大では何度か「ミスコン」が開かれそうになっては中止されてきました。次はその歴史について述べます。

 

 

3.過去に京大であったミスコン批判

 京大でのミスコン中止騒動は2004年、2012年、2015年に起こっています。

 まず、2004年に11月祭に開かれようとしていたミスコンでは、主催者側10人に対し反対者が50人の討論会が起こり、4日間で合計24時間もの議論の末、協賛していた複数の企業も撤退し、話が平行線のままなので、主催者判断で中止になったようです。なお、そのミスコン中止の経緯は毎日テレビでも放映され、インターネット上ではkyoto-u.comというコミュニティサイトでいくつものスレッドが立っていました[2]

 2012年は11月祭でKGCという団体とBRUFFという団体が(「ミスコン」ではなく)ファッションショーを開くことを予定していました。これらに対し「京大の「ミスコン」について考えるひとたち」という有志団体が立ち上がり、両団体に対して話し合いの会が設定されました。「ひとたち」とKGCとの間で、二日間で12時間の話し合いがなされた結果、KGCの側は批判を受け止め、企画を中止することになりました。BRUFFとは2回の話し合いがなされた結果、予定通りクスノキ前でファッションショーは開催されました。その際、「考えるひとたち」はファッションショーの側のクスノキ下で、焼肉を行うことにより妨害行為をはたらきました[3]

 2015年はweb上で「京大ミス・ミスターコンテスト」というものが11月祭期間に合わせて立ち上がりました(11月祭の企画ではない)。それに対し、有志が「京大ミスコン2015問題点まとめ」というサイトを立ち上げ、誰でも編集可能なGoogle documentを通して公開質問状を作り、コンテスト側にメールしました。その結果、「京大」の名義を使用するにあたり適切な手続きが踏まえられていなかったことなどが理由で中止になりました。ネット上ではミス候補者が「鍋をよそってくれなかった」ことが暴露されたことが原因で中止になったということになっていますが、それは誤りです[4]

 それぞれ文脈は異なるのですが、ミスコンやファッションショーが開かれることになった際に、内部の学生の側から批判が起きたことはまず評価されるべきでしょう。個々の批判の詳しい内容は紙幅の都合上紹介できませんので、興味のある方は脚注のURLを参照してください。

 しかし、これらの批判には根本的な問題があったとわれわれは考えています。それは、程度の差はあれど、それぞれのミスコン批判はあまりに一方的で攻撃的だったということです。

 

[2]

ミスコン騒動のまとめをするスレ - kyoto-u.com

ミスコンに思うこと - progressive link

[3]

京都大学ミスコン騒動2012まとめ - togetter

京大の「ミスコン」について考える人たちarchives

[4]

京大ミスコン2015問題点まとめ

 

 

4.サークルクラッシュ同好会(の一部有志)の立場[5]

 ミスコン批判についてまとめられている資料を見る限り、彼らは「ミスコン」を開く側の個別具体的な事情に配慮せず、教条を機械的に繰り返しているだけでした。これでは建設的な対話は望めないでしょう。

 「ミスコン」主催者側も同じ学生であるということを考えると、このような深刻な対立(内ゲバ)は避けるべきです。なぜなら、結果として「ミスコン」を中止に追い込んでも、「観客」である学生たちからすると「ゴネ得」のように映り、納得がいかないからです。すると、せっかくの「ミスコン批判」も学生からの支持を失い、啓発的意義が果たされません。また、批判された主催者側もせっかくの企画意欲を失ったり、理不尽に疲弊させられたと感じてむしろ批判を受け入れなくなったりするという問題もあります。つまり、京大で過去に行われてきた一方的で攻撃的な「ミスコン批判」は自分で自分の首を絞めているわけです。

 われわれサークルクラッシュ同好会内の一部有志としては、ミスコンをなんでもかんでも中止に追い込むのではなく、よりよいミスコンのあり方を共に考えていくべきだと主張します。そして、「よりよいミスコン」の一例として、サークルクラッシュ同好会が用いている方法を挙げることができます。

 サークルクラッシュ同好会の一部は「サークルクラッシュ」という「一人の女性に対して複数人の男性が恋愛をすることによって、人間関係が壊れてしまう」現象を扱っています。これ自体はゲスい「あるあるネタ」であると言えるでしょう。しかし、そんなキャッチーな問題に対して人々が持っている暗い好奇心、ある種の「偏見」を利用してサークルクラッシュ同好会に参加させることで、ふだんなかなか真面目には語りにくい性愛やジェンダーの問題について考え、語り合える場へと――裏口から――誘導しているのです。ここで期待しているのは、アウシュヴィッツ強制収容所チェルノブイリ原発などへの暗い好奇心を利用して観光させて、その場所の現実を教える、「ダークツーリズム」と同様の効果です。

 このように言うと、「サークルクラッシュ同好会も女性に対する性差別的なステレオタイプを再生産しているじゃないか」という批判があるかもしれません。その批判は重く受け止めなければなりません。しかし、「サークルクラッシュ」という言葉が人々の暗い好奇心を刺激するからこそ、ふだん性愛やジェンダーについて真面目に考えてこなかった層にも届く可能性があるのです。そして、真面目に考えているからこそ、この冊子を配布しているのです。

 そして、この冊子を作るキッカケになった「京大美女図鑑」も京大生の新たなイメージを作ることを目指して企画されたとのことでした[6]。ここからはわれわれの推測ですが、おそらく他の大学で成功してきた企画である「美女図鑑」という言葉を用いることで、「美女図鑑」に対して元々存在するイメージを利用して人々を引きつけ、最終的には「京大生」のイメージの刷新を図る意図があるのではないかと考えられます。あるいは少なくとも、「京大美女図鑑」は上手くやれば「ダークツーリズム」的戦略を実行できるだけのポテンシャルがあるようにわれわれには感じられます。

 「ミスコン」もまた、作りようによっては、ミスコンに対する浮ついた好奇心、「偏見」を利用することで、むしろ“真面目に”ジェンダーの問題を考えさせるキッカケとなるのではないでしょうか。ただ、そうは言ってもそのようなミスコンを具体的にイメージするのは難しいでしょうから、実際に現在、日本社会で行われている先進的なミスコンの例を最後に紹介したいと思います。

 

[5]サークルクラッシュ同好会内での立場が一枚岩に統一されているわけではありませんし、反対の立場もあります。そのため、ここで述べるサークルクラッシュ同好会の立場や主張は文責のホリィ・センをはじめとしたサークルクラッシュ同好会内の一部有志によるものだということをご了承願います。

[6]

京大美女。ちょこっと見ませんか? - Readyfor

【京大美女図鑑へのご意見について】 - Twitter

 

 

5.「よいミスコン」とは何か?――ミスコンの具体例から考える

 1999年、男女共同参画社会基本法男女雇用機会均等法の改正などの影響もあり、いくつかの地方自治体で行われてきたミスコンは見直しを余儀なくされました。例えば鳥取県米子市で99年まで行われてきた「ミス米子コンテスト」は名前を「HOUKIゆめ大使コンテスト」に変え、これまで参加条件が女性のみだったのが、「性別不問」になり、年齢制限も変更されています。同時に、鳥取市も30年以上続けていた「ミスしゃんしゃん娘」の応募資格を「18歳以上の明るい人」とし、男性も応募可能になったということがありました。

 このような応募資格の変更には一定の意義があります。大学のミスコンでも、例えば筑波大学では2011年に「TSUKUBAN BEAUTY 2011」という男女不問のコンテストが開催され、あしやまひろこさんが女装で優勝しています。あしやまさんは電飾を用いた光るウェディングドレスという技術的に優れた衣装を身にまとい、「女性」と「男性」、「機械」と「人間」、「仮想(2次元)」と「現実(3次元)」など、様々な対立項の幾重にも重なる境界を表現したと述べています[7]。最近でも、2016年の日本大学芸術学部のミスコンでは、戸籍上男性でありながら性別を使い分けるという林田常平さんがファイナリストに残っており、注目を集めました[8]

 また、選考基準そのものを工夫するという方法もあります。講談社が主催し2012年から毎年実施されている「ミスiD」は「従来のモデル、女優、アイドルといったジャンルの枠、ルックスや若さ、生まれながらの性別にとらわれることなど、あらゆる「古い枠組み」に捉われず、女の子の多様性や個性、サバイブしてくやり方を見つけて行く[9]ということを標榜しており、外見だけでなく、その人が持っている「武器」のようなものが評価基準となっています。実際、ミスiDのセミファイナリストに残る人は近年では100名を超えており、多様性に溢れています。人間の女性の方々にも様々な魅力があるのはもちろんですが、戸籍上男性の方や、二次元の画像やAI、ドールなどがエントリーした事例もあり、それぞれ一定の評価を受けています。

 以上のような、従来のミスコンに対する固定観念を攪乱するような実践から、「よいミスコン」であるための条件が見えてくるのではないでしょうか。もちろん、ここで紹介したミスコンでさえも、単に外見や振る舞いから性的魅力を評価するだけのミスコンになってしまうリスクは常にあります。しかし、「よいミスコン」の最低限の条件として、ミスコンにエントリーできる条件や審査のやり方を工夫した上で(例えば、女性に女性らしさ“だけ”を求めるような審査は行わない)、しっかりと納得のいく基準を設け、どのように選考されているのかを明示すべきではないでしょうか(単に性別不問にしたからそれでいい、というわけではありません)。

 そして、京大でミスコンを開くためには、一元的な価値観を押しつける「ダメなミスコン」に陥らないように批判的に吟味しつつ、「よいミスコン」を実現するために考え・工夫する、創造性が必要でしょう。もちろん、その結果実現した「よいミスコン」とされるものについても更なる批判的検証が求められるでしょうが。

 

[7]

筑波大学 雙峰祭 TSUKUBAN BEAUTY 2011 ひろこ FS - あしやまひろこのサイトとブログ

[8]

史上初の男性“ミス日芸”誕生か!? 男性がエントリーした日芸ならではの理由 - AERA.dot

[9]

ミスiDって?

 

 

【参考文献】

西倉実季 2003 「ミス・コンテスト批判運動の再検討 特集 再考・女の戦後」『女性学年報』24巻p.21-40

坂本佳鶴恵 2000 「ポストモダンフェミニズムの戦略と可能性」『理論と方法』数理社会学会15巻 1号 p.89-100

 

(文責:ホリィ・セン)