「自我がない」ではなく「習熟しないと欲求を持てない」だと気づいた話

 昨日、サークルクラッシュ同好会で「自我がない」というテーマで当事者研究をした。

 当事者研究とは、簡単に言えば、特定の生きづらさを抱えた当事者が自身のことについて研究して理解していく営みのことである。サークルクラッシュ同好会では「誰でも当事者研究」というかたちで、比較的多くの人が持ちがちな困りごとをテーマに設定してほぼ毎月開催している。

 「自我がない」というテーマに基づいて自分の困っていることや困った経験を考えてみると、自分のコンテンツの「開拓」のことについて思い至った。

 僕は兄の影響でオタクになったのだが、昔の作品などで好きなものはたいてい兄の影響だ。最近も周囲の人に勧められたコンテンツを消費していることが多い。コンテンツを自分で開拓することがなかなかない。

 強いて自分で開拓できているものを考えてみると、人文社会科学系の研究を始めてからは、その系統の学術書や新書、あるいは批評と呼ばれるジャンルなどについては(それでも主にTwitterAmazonなどを通じてだが)、開拓できるようになっている感じがある。

 言うならば、「ウィンドウショッピング」「ジャケ買い」的なことができないことへのコンプレックスがあるのである。

 これをもう少し抽象化して考えてみると、「手がかりがないと先に進めない」ということなのかもしれない。たとえば、会話において、一定の文脈が共有できている相手でなければ話題が出せない、「何を話していいか分からない」状態になりがちなことと同じ気がする。

 裏返して考えると、「手がかり」があれば先に進めるわけなので、比喩的に言えば、特定の分野に関する「地図」があればいいことになる。僕はたとえば、社会学学術書に関してはある程度の「地図」を持っているので、新しく社会学の本が発売したときに自分が読むべきかをある程度判断できるし、「社会学でこういう本ない?」と聞かれたときにそれなりの答えを返すことができる。

 自分にとっての「地図」がない分野に関してはそんなに気にすることないのかなあと、地図がある分野から着実に開拓していけばいいのかなあと、そういうことを考えた。

 

 ……と、ここまでは昨日考えていたことなのだが、今日になって「何か食べたいものある?」と聞かれて、ピンときた。

 この質問に対して、僕はいつも困るというか、「食べたいもの」はたいてい、ないのである。同様に「行きたい場所」を聞かれても困る。

 「〜を食べたい」「〜へ行きたい」は通常、上で論じた「コンテンツの開拓」のような仰々しいものではなく、もっと原始的な欲求のレベルにあるものだと思う。しかし、それすらも僕の頭には出てこない。

 ということはどうやら、僕の場合、通常「欲求」のレベルにあるとされているものでさえも、ある種の習熟をしないと持てない傾向にあるらしい。

 こうなってくると、話は「発達障害」的な話題に近づく。「みんなが自然にできていることを自分はできない」という悩みがずっとあるが、それは「コンテンツが開拓できない」「欲求が持てない」という、ここまで論じてきた悩みと同様の悩みだということになりそうだ。

 

 ちょうど「みんなが自然にできていることが自分はできない」現象が直近で2つ起きたので、そこから更に思考を進めてみよう。

 一つはラジオ体操について。最近、肩こり腰痛などが激しいので、ラジオ体操をやっている。あるとき、友人もラジオ体操をするというので、一緒にやってみた。

 すると、動きのおかしさを笑われた。どうおかしいのかを検討してみたところ、自分はラジオ体操において「どこの筋肉が伸びているか」を意識して身体を動かしているのではなく、ラジオ体操者の動きを外形的に真似て動いているだけだということが明らかになった。だから不自然だったのだ。となると、僕は子どものときから不自然な動きでラジオ体操をしていた、ということになろう。


www.youtube.com

 

 二つ目に、髪の毛の洗い方について。昔から、髪の毛をシャンプーで洗うときに一回で泡立たないのが地味な悩みだった。特に汗をかいた日や、脂質の多いモノを食べた日はそうなりがちだった。シャンプーを2回使わざるを得ず、どうしたものかとずっと思っていた。

 しかし、美容師の洗髪などを体験しているうちに、非常に基礎的なことに気づいた。そもそもシャンプーで洗う前に、湯でかなり丁寧に洗っているということだ。

 「シャンプーで洗う前に湯でしっかり洗いましょう」という言葉は見聞きしていたし、理解しているつもりだったのだが、ちゃんと理解できていなかったことに気づいた。湯で単に長時間流すだけでなく、①髪を手できちんと梳きながら湯で流す、②頭皮を指の腹でこする、といった動作が必要らしい。やってみると一発で泡立つようになったのである。

 

 以上のように、僕の場合、自分ではできていると思っていても、実は十分にできていない、ということが日常生活の中にたくさんある。腹落ちしないものについては、1を聞いても1を知ることしかできないのだ。

 つまり、他の人にとっては「自然にできる」ものであったとしても、僕にとっては「上達」「習熟」を要するものだ、ということになるだろう。逆に言えば、「上達」「習熟」が必要なものだと認識してそれなりに努力してきた分野に関しては、人並みにはできていると思うし、人並み以上にできる分野もある。

 このように考えると、僕の場合、いわゆる「ゲーミフィケーション」が有効なのかもしれない。通常ゲームとして捉えられていないものを「ゲーム」として枠づけ直してみるという手法だ。

 実際僕は、コミュニケーションや人間関係を、ある部分では「ゲーム」のように捉えているところがある。「他人の好感度を上げるゲーム」と言うと美少女ゲームのようだが、たとえば「いかにベストなコミュニケーションに近づけるか」というゲームとして会話を捉えることがあり、それでうまくいっている部分はあるように思う。

 一部界隈で流行っている「ナンパ術」は、コミュニケーションや恋愛を「自然にはできない」からこそ、「ゲーム」のように「上達」「習熟」していくものとして枠づけて直している営みなのではないか(たとえば「レベル上げ」という表現はナンパ術の言説でよくみる気がする)。そんなことを考えさせられる。

 「ゲーミフィケーション」という考え方は2010年代前半には流行っていた気がするが、最近はそこまで聞かない気がする。しかし、日常生活のさまざまなことを「自然にはできない」僕にとっては、そのようにゲームのメタファーで物事を捉え返していくことが非常に有効なのかもしれない。それは、通常「誰もが自然に持つ欲求」として扱われているような原始的なレベルのものにおいてもそうなのかもしれない。そんなことを考えた。

声優を目指していたころの話――中二病回顧(懐古)録 その弐

 もう9年も前の話になる。僕は声優を目指していた。そのころの話を書こうと思う。
 しかし、その「前史」として、僕は既に「声優」的な文化に触れていた。遡れば16年前、僕が中2だったころの話から始まる。
 

ネット声優のころ

 僕はかつて、デスクトップパソコンにマイクを繋いで、YahooチャットSkypeなどを使って音声通話をするのにハマっていた。
 2005年、僕が中2のときのあるクラスの友人が「メッセンジャー」を使う文化を普及させ、別の同級生がYahooチャットの部屋で歌ったり演じたりしていたのだ。
 僕もその影響を受け、Yahooチャットの「声劇」(声だけでする演劇のこと)の部屋で演じたり、Sound Engineというソフトを使って自分のセリフを録音するのを楽しんでいた。
 さらに当時、兄の影響でRPGツクールを楽しんでいた僕は、FREEJIA(2004年に初公開)という作品を興味深く見ていた。容量が大きくなってしまうものの、.wavファイルで効果音としてセリフに音声をつけるのが新しかった。
 

 
 さらに言えば、僕は兄がプレイしていた美少女ゲームを後ろからよく見ていたのだが、古いゲームの場合には音声がついていなかった。
 ただその中でも、『シスタープリンセス』のゲーム(2001)はセリフの一つ一つに音声がついていて面白かった。当時の言葉で言えば、僕は「萌えた」のだった。
 もっと遡れば、スーパーファミコンの『ワンダープロジェクトJ』(1994)というゲームでは主人公のピーノの音声を日高のり子さんがやっており、スーファミのゲームにして声がついていることの感動があった。
 いずれにせよ、「ゲームに音声がつく」ということの感動がRPGツクールというアマチュアのレベルで得られるのは、僕にとって革命的だったのだ。
 
 当時、RPGツクールだけでなく、「ボイスドラマ」を作る文化が一部にあった(おそらく今もある)。台本に対して「声優」たちが音声を当てて、一つのドラマを作るというものだ。
 ボイスドラマを作りたい人が「ネット声優」を専用サイトで募集し、「オーディション」をしていた。そういう文化があったのだ。
 僕は「オーディション」にいくつか応募していて、たまに採用されていた。ただ、「ボイスドラマ」の大半は企画倒れになり、完成しないことが多かった。有償の作品を作るわけでもなかったので、どちらかというと社会性のない人たちが集う場だった。
 
 そんな文化圏に触れていた中で、僕は「ネット歌手」にもハマっていた(後の「歌い手」である)。先ほどのFREEJIAに出演していた1人がネット歌手もやっていたのだ。
 僕はその人の個人サイトを追いかけ、ブログを読み、しまいには中3のときにオフで会いまでした。憧れのような感覚だったように思う。
 その人の友人が作っていたRPGツクールのゲームもまた、フルボイスだった。僕はその人が作る新しい作品にて声優が募集されていたのを見て、応募してみることにしたのだった。
 そうして僕は「キングビースト」という悪役キャラを担当することとなった。2007年にリリースされたそのゲームの動画を見ると「ホリィ・セン」の名がクレジットされていることを確認することができる。
 

(これの8:20あたりを見ると、クレジットされている)
 

(実際に僕がキングビーストを演じている部分は1:10~あたり)
 
 (内容はどうあれ)演技するのは楽しかった。それで高校では演劇も始めたし、ネット上では「こえ部」というサイトで音声投稿を大学3回生ぐらいのときまで楽しんでいたのだった(「こえ部」は既に閉鎖。現在で言うSpoonみたいなサービス)。
 
 ただし、自分で演じるだけでなく、他人の演技を見る・聞くのも好きだった。
 それゆえ、アニメを“声優で”観ていたのである。次はこの話をしよう。
 

悠木碧さんのこと

 僕は大学1~3年生のころ(2010~2012)、悠木碧さんという声優にドハマりしていた。
 端的に言えば、それが決定的な理由となり、声優を目指すことにした。
 恥ずかしいから当時はあまり言っていなかったが、「お近づき」になりたかったのだと思う。「声優を知るためには声優の演技を知るべきだ」という建前上の理由もあったのだが。
 
 あまり語りすぎるとオタク早口語りになってしまうが、自分が悠木碧さんにハマることになった経緯も大まかに記すことにしよう。
 僕はまず、『紅』というアニメの九鳳院紫というキャラクターで悠木碧さんを知ることになる。2008年4月放送のアニメだったが、実際に観たのは2009年になってからだったと思う。
 当時の僕は高校演劇をやっていたから、「演技」というものについて考えるのが好きだった。そのため、声優の演技を注目するかたちでアニメを観ていた。
 いつものようにエンドロールやWikipediaで声優を確認し、「悠木碧」という名前は初めて見たので調べた。
 すると、悠木碧さんは高校生だということで、運営しているブログ(「苺マカロン生クリーム添え」という名前のブログだった)も高校生然としていた。
 Wikipediaの経歴を見ると子役だということで、「芸能人やアイドルがたまたま声優をやってみたってだけなのかな?」という印象だった。
 というのも当時、『きらりん☆レボリューション』という作品の主人公の声をモー娘の人がやるという例があったので、それと同じパターンなのかなと(「きらレボ」の方はお世辞にも上手いとは言えなかった)。
 しかし、悠木碧さんの演じる紫は、普通に味のあるロリキャラで、良い演技だった。
 
 そして2009年の1月期のアニメのキャストをチェックしてどのアニメを観るか吟味していたところ、『アキカン!』という作品で悠木碧の名を発見。動向を追いたいのもあり、僕は観ることにした。
 これがまたクソアニメだったのだが、悠木碧さんの演技は一味違った。ぶど子というロリキャラだったのだが、敢えて舌足らずな発音で演じていて、その舌足らずっぷりが、セリフを聞き取れないレベルなのだ。「ここまでやっていいのかこれ……」という感じで、非常に挑戦的な演技だと感じた。
 そして、アキカン!内の特番により、動いて喋っている悠木碧さんを初めて見ることになった。「なんか独特な服装だな」という印象。
 現場の男性が変態ばっかりだという福山さんのフリに対して、「え、でも変態って素敵だと思います」と真顔で返す悠木碧さん。
 当時高校生の僕は、このややズレた感じに惹かれた。今考えるとちょっとイタい人なのかもしれないが、悠木碧さんも当時高校生なので、まあ年相応と言えよう。

 
 そして、悠木碧さんは僕と同じ91・92年生まれの世代だった。
 同じ世代でこんなにも頑張っている人がいるんだということに感動し、追いかけることにしたのだった。
 2009年の10月期、『夢色パティシエール』と『あにゃまる探偵キルミンずぅ』という、二つの女児向けアニメが始まった。同時期のこの作品の二つとも悠木碧さんが主人公を演じていたのだ。
 僕は「おジャ魔女」にハマっていたことを除けばニチアサを観るタイプとかでもないので、あまり乗り気ではなかったのだが、観てみることにした。
 そして思いがけず、ハマってしまったのだ。
 
 「パティシエール」の方はりぼんで連載していた作品なのだが、トーナメント編になってからがまるでスポ根のようで面白かった。「キルミン」の方はマクロスなどで有名な河森正治監督の作品、ということでだいぶ特殊な作品なのだが、子どもの人間ドラマがしっかりと描かれている作品ですごく好みだった。
 そして、悠木碧である。両作品とも序盤は無難な演技に終始していたが、中盤あたりから光る演技がどんどん出てくる。「パティシエール」においては、他のキャラクターとの関係性や距離感がしっかり表現されており、ある種の色っぽさがあった。「キルミン」においては、文字にはならない「フィラー」や「息遣い」や「イントネーション」の部分で遊ぶことが多くなっていった。当時のアニメの感想において「悠木節」という言い方がなされており、言い得て妙だなと思った。
 いずれも長期の作品だったが、このように悠木碧さんのポテンシャルが最大限引き出されていった作品だったことも大きく、僕は未だに一番好きなアニメはと聞かれたら「キルミン」と答えてしまうのである。
 
 それまで声優は声優として、言わば「職人」として扱っていたのだが、悠木碧さんに関しては「疑似恋愛」をしてしまっていたのだと今にして思う。悠木碧さんの法政大学と神戸大学における学園祭イベント(2010年10月・11月)に行ったのをかわきりに、僕は悠木碧さんの出ているイベントにほぼ全て通うようになる。
 2011~2013年に関しては、ロクに金もないのに夜行バスで京都-東京間を年間10往復はしていたと思う。狂ってたな。
 
 結局オタク早口語りになってしまったが、そんなわけで僕は少しでも悠木碧さんの本質に近づこうと思い、声優を志すことにしたのである。
 

日ナレへの入所

 もう9年も前の話なので、隠す必要もないだろう。僕は日本ナレーション演技研究所という声優養成所の大阪校に毎週通っていた。
 入所金は20万、年間費用が10万だった。家族にも少し反対されたが、僕はもう止まれなかった。悠木碧さんのイベントに通いつつ日ナレのお金も払わなきゃいけないということで、費用も治験に行くなどして稼いだのは良い思い出である。
 日ナレに通い始めるにあたって、僕は新しくTwitterアカウントを作った(↓)。そこでは当初、毎週のレッスンの感想をつぶやき続けていた。クラスの人たちと徐々に馴染んでいくにつれて、ちょこちょこ交流のツイートなどもするようになったのだが。
 僕は声優になりたいと思うと同時に、どこか「見世物」を見にいくような気持ちもあったのだと思う。世間のイメージから考えても、声優になりたくて声優養成所に通う人というのは、半分ぐらいはイタい人、いわゆる「ワナビ」だろう。
 クラスの中にはどこかフワフワした雰囲気が漂い、「いやプロにはなれんだろ」とツッコみたくなる人が何人かいた。「声優が好きだから声優になりたい」というナイーブな気持ち。
 僕はそういう素朴さとは距離を置きたかった。でも、実際のところ僕自身もイタい人だったのだ。僕のイタさから距離を置きたいという自意識、それ自体がイタかった
 それでいて、周囲のノリについていきたい、仲良くしたいなどとも思っていたのである。実際とても魅力的な人も何人かいて、後で知ったことだがプロになった人も1人いる(ただし、みんな知っている有名な人とかではない)。
 
 日ナレは基礎科→本科→研修科と分かれており、基本的に入所時は基礎科から始まる。
 20人ほどのクラスで、1年間を同じ講師が担当する。
 そして年度末に進級試験(講師の評価による平常点も加味されるっぽい)があり、それが同時に事務所所属の試験にもなっている。進級は多くの人ができるが、事務所所属の門はとても狭い。

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 1クラスから1,2人ぐらい?二次試験に進めるだけで、そこから事務所所属までたどり着ける人は全クラス合わせても数人ぐらいのようだった。クラスが何個あるのかは知らないが、時間の分かれ方や講師の数、1講師が担当しているクラスの数を考えると、大阪だけでも30クラス、いやひょっとすると40クラスぐらいあったかもしれない。
 そうなると、1年で大阪校に入所する人は600~1000人程度ということになるだろうか。うーん、もっといるような気もするが、分からない。
 

日ナレでのレッスン

 気になるレッスンの内容についても書いておこう。レッスンは先生によって異なる。そして、その内容は「声優」というよりも演劇の教育である。実際に身体を動かしてキャラの動きを経験してみないと、動いているキャラに声をあてるのは難しい、という理屈からだ。
 
 1年目(2012年)に指導してくれた先生は和泉敬子先生だった。「えらい奥さん優しいなぁ」という音声が流れる「日本フルハップ」の関西ローカルCMに出ていた人で、そのCMは僕も見たことがあった。ナレーターや演劇の役者としても実績のある人のようだった。
 和泉先生は日本語のアクセントについてとてもしっかりと教えてくれるのが印象的だった。三省堂NHKが出しているアクセント辞典を購入することが義務づけられ、言葉のアクセントを都度確認するクセがついた。たしかにアクセントは関西人がつまずきやすい点である。アクセント辞典に書いてある細かいルールを理解するのも一苦労で、それもだいぶちゃんと教えてくれていた。
 ところで、和泉先生は「標準語」ではなく「共通語」という言葉を使っていた。「標準」という言葉の持つ権力性を意識しての言葉遣いだろう。
 
 いつもレッスンの最初にウォームアップのストレッチをするのだが、それも丁寧だった。和泉先生はそこそこ高齢でいらっしゃったが、身体がとても綺麗に動く人で、鍛えてらっしゃるのだなと思った。そういえば、「四股を踏む」ポーズで「ドレミの歌」を歌うやつは音痴の僕にはつらかったな。
 
 印象に残っているレッスンはいくつかある。
 国定忠治の「赤城の山も今宵を限り~」を演じるレッスンでは、僕が得意の(?)低音ボイスを存分に使ってみたところ、クラスの人には褒められた記憶がある。人は分かりやすい「イケボ」に弱いものである。
 『スーホの白い馬』の朗読では、読み方の工夫についての指示が面白かった。たとえば、馬が走るシーンでは跳ねるように読んでみたり、畳みかけるシーンではできるだけ間を詰めてみたり。
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 ただ、和泉先生のレッスンでは何より、日本語の発音の指導が丁寧だった。NHKの教本かなにかに従って口の開け方や舌の位置について丁寧に教わり、一人一人が発音できているかどうかを確認していた。たとえば舌をちゃんと動かすレッスンとして「ラダ レデ ロド、ザラ ゼレ ゾロ」と言う、などの訓練があった。この際、自分の舌の位置がどこにあるのかを意識するのが重要である。
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 その他にも、腹式呼吸のレッスン、複数人で笑いを繋いでいき他人のテンションを借りて自分もテンションを上げるようなインプロ的なレッスンや、相手との距離を測って声をかけるレッスン、設定を自分でしっかり考えてキャラクターを作りこむレッスンなど、様々なレッスンをやったことを覚えている。
 台本読みとしても、テキストの裏にどのようなサブテキスト(たとえば、キャラクターの欲求)があり、どのように変化していくのかを読み込んでおく必要があるという旨の話はとても本質的なことだと思った。
 
 そして、進級試験ではこんな課題が出ていた。当時の資料が保存してあったので載せよう(問題がありそうなら消します)。

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 なかなか抽象的な文章だった。
 深読みしてしまった僕は「竹竿を振り回す」という表現で本当に竹竿を振り回す動きをしたら負けのように思えた。
 たしか僕はこの文章を、赤子が初めて立ち上がることを象徴しているものとして読み取り、ハイハイから赤子が立ち上がっていく様を演技したのだった。
 五行目の擬音のところで、一度倒れ、それでも立ち上がっていく、そんな演出をつけた記憶がある。
 おそらく、クラスの同級生たちは普通に竹竿を振り回していたのではないだろうか……中二深読み解釈をしてしまった結果なのか、僕は基礎科をダブってしまうことになる。
 ちなみに当日課題でも読みにくい文章が渡されて、緊張していた僕は噛んでしまった記憶がある。
 基礎科をダブったことについて和泉先生に相談したのだが、おそらく多くの生徒を見てきたのだろう、定型的な返しをされたような気がする。そういえば、「京大行ってるのに声優など目指すのはもったいない」という旨のことも言われたな。
 せっかく入所金20万円払ったのに1年で辞めるのはもったいないだとか、まだ諦めきれないだとか、様々な気持ちがあって基礎科2年目も通うことにした(ちなみに同じクラスの仲が良かった人たちは本科に上がっていた)。
 
 2年目は根井保博先生だった。根井先生は熱血の演劇人という感じで、いかにも演劇人っぽい……という印象だった。
 いつだったか忘れたが、先輩としてのプライドとして、後輩には借金してでも奢る、みたいなことを言っていた気がする。あと、君たちがプロになったら奢る、ということも言っていた。
 
 外郎売という、演劇定番のレッスンがあるが、外郎売を読みながら身体を動かしたり何かを演じたりスピードを上げたりというレッスンは毎回やっていた。他にも口を大きく動かす「アオアオウイウイ」体操などもやっていた気がする。激しいレッスンが多めだった印象。
 根井先生のレッスンは和泉先生ほどバリエーション豊かなものではなく、一つの台本を何回かに分けてやることが多かった記憶がある(それでも1年間あるので、かなり様々なことをやったのだが)。

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 自分で読むものを作ってくる課題があり、ゲーテの詩を少し言いやすいように改変して載せたら「ゲーテを使うやつもいた」みたいな言及をしてくれた。ググって元ネタを確かめたのだろうか。根井さんは生徒1人1人に真剣に向き合ってくれている人だなと感じた。
 内容的にはいかにもオーソドックスな演劇らしい方法論が多かったので、あまり新鮮味はなかった気がする。僕は高校で演劇をやってきた経験や大学でなにかの公演に参加させてもらった経験を活かして全力で演じたものだった。根井先生は全力で演じることを褒めてくれたので嬉しかった。
 2年目でモチベーションが下がっていたし、クラスの人と仲良くなれなかったのもあってあまり覚えていないが、やるからには本気でやっていたと思う。当時の資料を真剣に見れば何か思い出せるかもしれないが、今回はやめておこう。
 根井先生は最後、「お前はいい役者になる」とハグしてくれたのを覚えている。みんなに対して「私の教えたことは全て忘れろ」という意味深なことも力強く言っていた。僕はちょっと泣いた。とにかく熱い人だった。
 
 進級試験は目立ったミスなく終えられた。ただ、事務所所属のための二次試験には声がかからなかったので、やはり自分はその程度なんだな、とは思った。おそらく、諏訪部順一さん風のアヤしい声のイケメンが呼ばれたのではないかと邪推している。彼は根井先生に一目置かれていたので。
 
 本科に上がれることにはなったものの、二次試験には進めなかったわけで、無理にお金を払ってまで通い続けるモチベーションが湧かなかった。たかだか10万円なので、無理すれば払えていたかもしれない。うん、3年目にあたる2014年は暇ではあったので、お金さえあれば通っていただろうな。
 ただ、2年目、すなわち2013年というのは、僕が現実に衝撃的な恋愛を経験した年でもあった。そのせいか悠木碧さんへの熱が徐々に冷めていっていた。悠木碧さんへの気持ちが「疑似恋愛」だったと気づいたのだった(ヤバい話だ)。そうして声優になることへの夢も緩やかに諦めていったのだと思う。
 仮に今、悠木碧さんになんらかのかたちで関わりたいなら、なにか自分の別の才能を活かして成り上がった方が早いだろうしな……
 
 

おわりに

 その後、僕はひょんな縁で2016年に京都学生演劇祭に役者として出るということがあった。審査員の方から磔刑の場面を演じたイエス役の男性はすぐにキャスティングしたいような逸材だ」と一定の評価をされたり、役者ドラフトという企画で2位指名をされたり、といったぐらいにはおいしい役どころを演じられた。
 まあでも芝居に専念して生きてきたわけでもないので、所詮はその程度というか、プロになるには全然甘いのである。
 そもそも僕は大学に入学してから、劇団に入るという選択肢を取れなかったのだ。中途半端にくすぶったものだけが残り、これぞワナビだなと思う。
 これからはせめて、演劇について知るための勉強ぐらいはしよう。そして演劇を観よう。僕はアカデミズムに進むにせよ、もうちょっとポップな仕事をするにせよ、物書きにはなりたいと思っている。物書きの道であれば、いつか「ワナビ」を卒業できるだろうか。

小峰ひずみ「平成転向論――鷲田清一をめぐって」(『群像』2021年12月号所収)の感想

 友人の小峰ひずみが群像の新人評論賞に応募していたことを聞いていたのだが、なんと入選していた!

 早速本屋に走り、買って読んでみたらこれがまた面白く、いろいろ考えさせられたので長めの感想を書いておこうと思った次第。

twitter.com

 

 

書いてあることの僕なりの大まかな要約

 一般的に、Aのアクチュアリティを理解するためには、Aの本質的な特徴を抉り出しているA'からアプローチするのがよい。SEALDsには

戦後民主主義の担い手として理解されている

②自分の言葉で政治を語ろうとしている

という特徴がある。

 

①について、〈戦後〉を見定めるために〈戦前〉(ここでは柄谷に従い、1930年代と1990年代)の哲学者にアプローチされている
②について、「翻訳」の問題に苦闘する者にアプローチされている

 

 その結果、ナショナル(翻訳不可能)/インターナショナル(翻訳可能)という軸と、30年代/90年代という軸で、和辻哲郎、戸坂潤、柄谷行人鷲田清一という四角形が構成される。

 戦前から戦後へ(①)、「翻訳」において日本語(やまとことば)にこだわる(②)、というのは、いずれにせよ「転向」の問題系として捉えられるのだと。そこから、鷲田清一の、阪神淡路大震災以後の「転向」について捉え返されていく。

 

 やはり、A'(鷲田清一の転向)のアクチュアリティを理解するためには、A'ときわめて近いが微妙に異なる運命(if)を辿ったA''からアプローチするのがよい。
 さらなる補助線としてのA''に、先ほどの四角形の中心に位置すると言える、谷川雁が召喚される。

 細かい論理展開は省略するが、ともかく谷川雁マルクス主義の「組織語」を労働者にぶつけることを「刃」と比喩していた。これは、鷲田の「ことばはひとを支え、またひとを傷つける」という認識に合致している。

 

 ここから鷲田の「臨床哲学」実践が紐解かれていく。鷲田は何かの(哲学の)専門家であることを封印してなんらかの現場に入っていくことを当時の大学院生に要求した(「最大の被害者は、当時の大学院生だ」の箇所は正直めっちゃ笑った)。なお、これらの活動は現代でも哲学対話、哲学カフェ、当事者研究などのようなナラティヴ実践に継承されているようだ。

 

 鷲田が哲学のことばと対置しているのは「日常の言語」であり、もっと言えば「エッセイ」なのだと。
 この観点からSEALDsを見てみると、「政治の言葉」を「個人の言葉」で補おうとしたSEALDsのアクチュアリティが見えてくる(「民主主義ってなんだ? これだ!」が象徴的)。
 しかし、それゆえにSEALDsは政治に特化した党組織を作り上げる論理を持たず、「生活への回帰」をせざるを得なかったがゆえに、「非転向」を貫けなかった。

 

 それと対比して見ると、鷲田はたしかに「転向」していったのだが、哲学の言葉を捨てなかった点で「非転向」の側面があるのだと。哲学と現場との間の緊張関係を生きた。
 この哲学と現場との(SEALDsにおいては政治と日常生活との)間の距離を埋めるものとして、導入されているのが〈声〉という概念である。

“「反芻」を可能にするものこそ〈声〉である。「これが哲学か?」と問うことを通じて、「哲学ってなんだ?」と既存の哲学を再審する〈声〉だ。”(群像2021年12月号 397ページ)

 


感想(箇条書き)

・教科書などでもよく知られている鷲田清一が、こんなかたちで読まれるなんて! という素朴な感動があった。

 

谷川雁が出てくるところでの「言葉が人を支え、傷つける」という論点がきわめて面白い。これを「ケア」と呼ぶことも正当だと思う。「ケア」はどうしようもなく他者とべったりした状況で行われるものだし、被傷性を無痛化することはできないだろうから。個人的にはバトラーの『触発する言葉』という本のことを思い出した。バトラーの場合は「ヘイトスピーチ」と「ポルノグラフィ」の事例から言葉のパフォーマティビティを良きにつけ悪しきにつけ検討している。
逆に考えれば、谷川雁の「組織語」をぶつける、という戦略も非常によくわかる。ちょっと遠い例かもしれないが、企業家がマルクスを転用していったり、アドラー自己啓発の文脈で読まれたりするような面白さがある。数年前見学に行った児童福祉施設の代表の方がドラッカーに深い影響を受けているという話をしていて驚いたことを思い出した。
言うならば、「日常生活や現場に降りていく」だけでなく、「背伸び」として用いられた言葉が、ある種の日常性を帯びていくという理路も考えられるのではないかと。
いずれにせよ、ここはもっと展開されていくべき、面白い論点。

 

・SEALDsの人物たち一人ひとりの言葉や実践を追いかけているのがよい。僕自身、SEALDsのことはフワッとしか知らなかった。
学部生時代に児童養護施設に行っていたという諏訪原健の語りや、在日韓国人の子と新大久保を歩いていたときにヘイトスピーチのデモにぶつかって自分が何も言えなかったという溝井萌子の語りが引用されているが、これはたしかに日常生活に降りていき、他者についての想像を巡らせるケアの問題だなと。

 

・選考委員の山城さんも「非転向の細道を「〈声〉」というイメージで通り抜けるその理路は危うい」と言っていて、僕もそのとおりだと思った。ただ、上で引用したように「反芻」という部分が特に重要だと思った。臨床哲学的実践においても、「反芻」の部分を展開することは可能なのではないだろうか。

 

・というのも、僕自身、ふだんサークルの活動で「当事者研究」に親しんでいるので、特定の言葉について「反芻」することで咀嚼されていくといった事態におぼえがある。鷲田の臨床哲学について詳しくは知らなかったが、そこから繋がっていった(当事者研究、哲学対話、哲学カフェのような)実践を鑑みると、〈声〉のイメージは説得的だと感じた。

 

・そのほか、「詩」や「エッセイ」というイメージも出てくるが、どのように概念的に区別されているのかが詳しくは分からなかった。とはいえ、いずれも「身体性」に関わるイメージではあると思う。エッセイにおける身体性、そしてそれがどのように政治や哲学の言葉に接続されていくのか、という論点は気になるところだ。

サークルクラッシュ同好会からサクラ荘へ――ホリィ・センがコミュニティを作った理由の、簡単な軌跡

 この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2021の5日目の記事です。

 

t.co

 

 ホリィ・センこと僕は現在、「サクラ荘」というシェアハウス作りを目的としたサークルのようなものを運営している。僕自身も通称10号館の「あおい荘」に住んでいる。それぞれの家ごとに住人が賃貸契約を結ぶという不安定な運営ゆえに、既に閉鎖したものも多いが、名目上は左京区を中心に5軒存在している。

 僕がサクラ荘を始めたのは大学院に進学した2015年からのことだった。サクラ荘ができた当初は「サークラハウス」という名前だった。というのはあくまでも、僕が現在も運営を続けている「サークルクラッシュ同好会」(以下サー同と表記する)のメンバーが気軽に来ていいシェアハウス、として始める算段だったからだ。

 ということで、僕の大学生になってからの選択と、サー同の設立からサクラ荘の運営にまで至る自分語りをここに書き記しておこう。

 

サークルクラッシュ同好会の設立経緯とその変質

 サー同は、恋愛で人間関係が壊れる「サークルクラッシュ」現象をネタにしたサークルのつもりで2012年に立ち上げた。京大にはネタっぽいサークルを作っていい風潮があったからだ。しかし、「サークルクラッシュ」現象についてインターネット上で調べていくうちに、どうやらとても奥深い現象であり、学問的なテーマになりうることが分かってきた。

 僕自身、「何かしらの文脈がなければ会話を始めたり続けたりするのができず黙ってしまう」などといったコミュニケーションへの苦手意識を昔から抱えていた。また、自分が恋愛できないことへのコンプレックスも強かった(コンプレックスを感じている、ということを言うこと自体恥ずかしいことだと感じていた)。だからこそ、サークルクラッシュ現象に対して当事者性も感じた。

 1年目はただ会誌を作るだけしかやっていなかったが、2年目からはビラを貼ってTwitterも駆使して新歓を行い始めた。いつからかサー同はちゃんとしたサークルとしての形をなすようになり、人間関係上の生きづらさの悩みを相談し合う「自助グループ」的なコンセプトを持つようになった。それは今も大枠では変わっていない。

 実を言えば、サー同がそのように「自助グループ」的コンセプトを持つようになったことと、「サークラハウス」というシェアハウスを立ち上げようと思ったこと、そして結局はサクラ荘という別団体として独立させたことについては僕の中に一貫した論理がある。それについて語るために、僕が大学生活をどのように送ってきたか、というところにまで遡ってみるとしよう。

 

僕の大学生活

 2010年に京都大学理学部に入学した僕は、当初数学を専攻しようと思っていたのだが、すぐに挫折してしまった。計画性がなくステップバイステップで学んでいく姿勢がなかった僕は、いきなり杉浦の解析入門に手を出し、理解できずにチンプンカンプンになってしまったからだ。

 それでも、毎日数学に真剣に取り組む時間が数時間確保できていたら、なんとか理解し、微積や線形の授業にもついていけていたかもしれない。しかし、当時、それほど学問に真剣ではなく、むしろオタクとしてのアイデンティティが強かった僕はアニメを観ることや漫画を読むことに忙しかった。

 とはいえ、授業に出ていなかったというほどではない。ただ理系分野から逃げていた僕は、大学生らしく何を専攻するかを悩み、フラフラといろんな(主に文系の)一般教養の授業を受けていた。そして、ある日、同じクラスの奴らが休み時間にも数学の話を楽しそうにしていることに愕然とし、もう限界だと知ったとき、理学部を辞めた。総合人間学部に転学部を敢行し、どうにか成功した。二回生から三回生に上がる際の転学部だった。

 転学部先の指導教員は精神分析を専門とするS先生だったが、いろんな授業をかじるうちにマルクス主義ジェンダー論、社会構築主義の考え方にも馴染むようになっていた(マルクスへの傾倒についてはサークルの先輩だったHさんの影響もある)。その結果、自分自身のコミュニケーションへの苦手意識に対して、「この生きづらさは、僕自身の能力というよりも、社会に責任があるのではないか」という思考法を獲得していくようになる。

 既に「サークルクラッシュ」現象の魅力にどっぷり浸かっていた僕は、その思考法を活かしつつ、「サークルクラッシュ社会学――排除された人たちが流れ着くコミュニティ」という2万字を超える文章を卒論そっちのけで4回生のときに書き上げた。

 家族・地域・学校・職場などの旧来的な中間集団の包摂性が弱くなった現代において、コミュニケーションの苦手な人たちが「明るい人たち」の集団を避けて、どちらかと言えば「根暗」「陰キャ」「オタク」的な集団に集まってくる。そのような「暗い」人間たちの「濃縮」された集団が形成されるからこそ、その集団においてサークルクラッシュ的な現象が起きやすいのではないか、という論旨だった。

 卒論(カントとフロイトの幸福観/道徳観を比較する内容だった)の方もなんとかS先生に提出したものの、進路について深く考えていなかった僕は「臨床心理士」になるための大学院を受けたのだが落ち、「大学院浪人」の生活に突入した。その間、暇だった僕は京都や東京の様々なシェアハウスなどの特殊なコミュニティに出入りし、影響を受けることになる。

 浪人期間中、サー同に来ていた院生の方が僕の書き上げたサークルクラッシュについての文章を見て、「ホリィ君は社会学に向いているんじゃないか」と言って社会学の道に誘ってくれた。

 そうして2015年、僕はなんとか社会学の研究室の試験に合格し、本格的に社会学専攻の院生として「サークルクラッシュ」現象を研究し始めることになる。

 サー同において「自助グループ」的コンセプトがすんなり受け入れられたのは、このように僕自身の社会学への転向が大きかったように思う。生きづらさの問題を個人のメンタルヘルスの問題にするのではなく、社会的問題としても捉え返し、個々人が所属している環境の方を変えていこうというアプローチである(ただし、社会学をやってみて分かったが、そのような介入的なアプローチが社会学において主流というわけではないように思う)。

 それでは、僕が「サークラハウス」や「サクラ荘」に至ったキッカケはなんだったのか、ということを次に書こう。

 

「シェアハウス拡大」への道

 大学院浪人時代に特によく出入りしていたシェアハウスに「りべるたん」(池袋)という場所があった。そこでは左翼の(たまに右翼も)活動家がよく出入りしていた。

 そこに出入りするようになった経緯ははっきり言ってたまたまである。マルクスにかぶれていた僕はTwitterマルクスbotをフォローしていたのだが、そのマルクスbotがとあるアカウントをRTし始めた。そのアカウントは「神の声が聞こえる」といったようなツイートをしていた。後で分かったことだが、そのアカウントはマルクスbotの管理人だった。

 半分面白がりながらそのアカウントを追いかけていたところ、健常な生活を取り戻したらしいその管理人(Mさんとしよう)が京都に来ることが分かった。Mさんに会いに行ったところ、指定された場所もまたシェアハウスだったのである(彼らはシェアハウスというよりもオルタナティブスペースと名乗っていたが)。そこから僕とシェアハウスの繋がりが始まった。

 当時声優の追っかけでよく東京に行っていた僕に対して、「ここに泊まるとよい」とMさんが勧めてくれた場所が先述の「りべるたん」だったのだ。何が人生を左右するのか分からないものである。

 そして「りべるたん」で知り合った、かつて左翼活動家だったHという男と共に、京都でシェアハウス「サークラハウス」を始めた。その時点で僕は、活動家的な「拠点を持つ」という発想にも理解を示すようになっていたのである。

 ただ、サークルでシェアハウスを持とうと考えたのは、左翼の「アジト」的な発想だけでなく、京大の有名アウトドアサークル「ボヘミアン」がやっていた手法に影響を受けたからである。「ボヘミアン」もまたシェアハウスを借りて、「ボヘハウス」という溜まり場にしている。

 サー同の人が気軽に来ていい「サークラハウス」、ということで僕たちは図らずもサー同の会員たちをシェアハウスの活動へと引き込む「オルグ」をすることになった。サー同の新歓に来た新入生たちもシェアハウスに連れて行き、今もサクラ荘のメンバーを続けている者もいる。

 シェアハウスの運営経験があるHと話し合う中で、シェアハウスはサー同とは独立した社会運動の組織体になっていくべきだと考えるようになった。そうして「サクラ荘」ができた。左翼的な発想のみならず、家族社会学の議論にも触れていた僕は、シェアハウスという手段を通じて、一人暮らしや結婚といった制度を問い直す運動へと接続していったのだ。

 そのため、サー同ではどちらかと言えば「フリースペース」や「居場所」系の活動として“内部の人間関係”を大事していた僕も、サクラ荘では「拡大」路線を採用することになる。2年目には2軒、3年目には5軒と数を増やしていった。数を増やすことが「シェアハウス」を一人暮らしや家族に代わる選択肢にするための第一歩だと考えたからだ。

 

おわりに、最近のこと

 2018年ごろまでは勢いのあったサクラ荘だが、後継者が見いだせず、コロナによって活動を停滞させられている。一時期は7軒まで勢力を伸ばしたが、今は5軒になってしまった。

 メンバーたちも歳を取って、卒業したり社会人になったりしている。組織としてはもはや存在していないに等しく、ゆるやかなネットワークが残っているだけである。

 それでも僕は「シェアハウス」の可能性を諦めたくはない。このブログでも何回か「シェアハウス」について書いてはきたが、単に同じことを繰り返して組織を拡大していく路線には疲れてしまった(若い人にも響かない)ので、別のやり方でシェアハウスにハクをつける方法を模索中である。

 コロナ騒動はサー同の活動にも直撃し、オンライン化を余儀なくされた。オンラインのおかげで定着した会員もいて、それはそれでありがたいのだが、やはり対面時代を懐古してしまう。実際、このアドベントカレンダーを含めて停滞気味だし、オンラインの活動に限界を感じる。

 サクラ荘もサークルクラッシュ同好会も以前のような勢いがなくなった。ホリィ・センの明日はどっちだ。

 とはいえまあ、なんとかなるやろ。

簡単に人を「危険人物」扱いすべきではない

 Twitterの話で恐縮なのだが、「こんな危険人物がいて怖い思いをしました」系の話が拡散されては、みんなで糾弾する流れになるのが見てて違和感がある。

 たしかに、危険な人物に対してあらかじめ予防的に警戒しておく方が安心だし、危険なことをしそうな人がいたときに「この人は危険だ」と思って距離を取ったり、他の人にその危険性を呼びかけたりできるというメリットはあるのだろう。

 

 しかし、人を危険人物扱いすることには様々な問題がある。どうすべきかも含めて、5つに分けて説明しよう。

 

 

①安心を追い求めると不安が強まり、人を信頼できなくなる:

 そもそも人生には予期せぬ事態がある程度起きるものだ。自分の予想を超えた人間が現れることもあるだろう。それに対していちいちビクビクしていると「不安が不安を呼ぶ」事態になりかねず、無菌な場所でしか生きられなくなってしまう。

 集団や組織としても、一度危険人物を排除した実績ができてしまうと、その後もいとも簡単に排除という選択肢を採れるようになってしまいかねない。

 むしろ、どんな人間に遭遇したとしても大丈夫だ、という「信頼」の構えを作っておく方がよいと思う。あるいは恣意的に人を危険人物認定してしまわないように、「これをやるとさすがにアウトだ」と見たら分かるような(ある意味公平な)線引きを設定しておくべきだろう。

 

②「危険」の構築性:

 そもそもその人間がした行為がどの程度危険なことなのかということは、事後的に周囲の判断によって決まる側面がある。「危険な人物」であるとレッテルを貼ることこそがその人物を危険たらしめている側面があるだろう。

 よってその「危険判定」そのものが公平に運用されているかどうかを絶えず問い返すべきだろう。

 

③更生可能性、「危険人物」であることのアイデンティティ化:

 危険なことを引き起こしそうな人物も、学習次第で行動を変化しうる。「この人は危険人物だ」とあらかじめ規定してしまうと、その変化の可能性の芽を潰してしまうかもしれない。

 それどころか、「危険人物」だというレッテルをその人が内面化し、実際に危険なことをしでかすハードルが下がっていくこともありうるだろう。たとえば、その人が「危険人物」として排除された結果、その人の周りの人間もアウトローな人間ばかりになれば、実際にその人自身もその文化に染まっていく可能性がある。

 よって、人を簡単に危険人物として排除するのではなく、可能な限り、危険ではない行動を学習させる可能性を模索すべきだろう。

 

④危険な行動の状況依存性:

 ある人が実際に危険なことを引き起こすかは、場や状況にも依存する。たとえば、盗んでも誰にもバレないお金が置いてあったらそのお金を盗んでしまう人は多いだろう。

 よって、危険な行動をその人の性格のせいにするのではなく、場や状況が危険な行動を誘発してしまわないように、環境調整することも大事だろう。

 

⑤優生思想への批判:

 長い人生の中では「危険人物」を批判しているその人自身が、「危険人物」になりうる。あるいは、過去の選択や運次第では、すでに「危険人物」になっていたかもしれない。

 よって、「危険人物」をあらかじめ排除するような空気やシステムを作ってしまうと、単に不運なだけの人間を「劣った生」として排除することに繋がる。これは公平ではないのでできる限り避けるべきだろう。

 

 以上、5点の理由から、簡単に人を「危険人物」扱いすべきではないと僕は考えている。

ぼくらの非モテ研究会編著『モテないけど生きてます』書評――「ヒッカム的視点」の鋭さについて

 僕にとっていまイチオシの研究者・実践家である西井開さん(@kaikaidev)が7月16日、『「非モテ」からはじめる男性学』を上梓された。

 現代日本社会にとってきわめて重要な仕事をされている(と僕は思っている)ので、一冊でも多く売れて、広く読まれてほしいと思う。

 そこで、援護射撃の意味を込めて、西井さんが運営されている「ぼくらの非モテ研究会」名義で昨年出版された『モテないけど生きてます――苦悩する男たちの当事者研究』(以下、「モテ生き」と表記する)の紹介記事を書く。

  

  

 

1.はじめに――「モテ生き」のすごさは「ヒッカム的視点」にあり

 「モテ生き」は「ぼくらの非モテ研究会」という語り合いグループをめぐって、その活動や個人の「当事者研究」の成果などを報告した本である。

 良く言えば、きわめて「非モテ研」の参加者たちのユニークな苦悩の語りが面白く、かつそれらの研究が広い意味での男性問題として位置づけられ、男性たちの語り合いグループの意義が浮かび上がってくる本である。

 しかし、悪く言えば、雑多な語りが雑多な文脈のなかにコラージュ的に配置されており、いまひとつまとまりが感じられない(メッセージ性が薄い)構成になっているようにも見える。

 そこで、いち読者として「意義深い」「新しい」と思ったポイントを僕なりに整理して提示しようと思う。先に結論を述べるなら、「モテ生き」のすごさは「オッカムの剃刀(ある事柄を説明するために必要以上に多くを仮定すべきでないという考え方)の真逆をいっているところである。

 医療における診断では「オッカム」の対義語として「ヒッカムの格言」(患者は偶然に複数の疾患にかかりうるため、複数の原因を追究すべきだという考え方)という言葉があるそうだ。物事を理解するために「オッカムでいくべきかヒッカムでいくべきか」、言い換えるなら、できるだけ少ない原理でシンプルに(節約的に)物事を理解すべきか、複数の説明を検討していくべきかというのは、ケースバイケースである。

 ただ、西井さんは世間に流通している「非モテ」という問題のオッカム性を見抜いた。「モテないから苦しいのだ」「恋人ができれば“一発逆転”できる」などといった「モテ一元論」的な世界観に囚われることの困難を語り合いによって解きほぐし、「非モテ」という言葉を敢えて定義せずに語り合いグループを始めたことで、「非モテ」の問題はヒッカム的な方向へと開かれていったのである。

 この「ヒッカム的視点」は「モテ生き」に(そして西井さんに)通低している。以下、このヒッカム性の観点から「モテ生き」を紹介していこう。

 

 

2.「非モテ研」の背景にある様々な実践

 「モテ生き」の目次を見ると、あいだあいだに挿入されるかたちで「実践に学ぶ」という節がある。①「メンズリブ研究会」、②精神障害者コミュニティ「べてるの家」、③薬物依存者回復施設「三重ダルク」、④DV加害者脱暴力グループ「メンズサポートルーム大阪」の4つである。

 それぞれの(セルフヘルプグループ的な)先行実践を西井さんが4ページ程度で紹介しており、「非モテ研」が活動するうえで、それぞれのグループから何を学び取ったかが書かれている。

 単純化しすぎなのを承知で僕なりにまとめれば、それぞれ次のことを学んだという旨のことが書かれている(詳しくは本を参照してほしい)。

 

メンズリブ研究会:

男性同士が男性問題について語り合いの場を持つことの重要性

べてるの家

自分たちの「苦労」に自分たちで名前をつけて外在化し、社会規範に囚われないかたちで自分の「苦労」に付き合っていくこと

③三重ダルク:

単に薬物をやめるのを目指すのではなく、各人の様々な背景に基づいて「回復」の過程を共に生きること

④メンズサポートルーム大阪:

自らの豊かな気持ちに気づき、加害の問題についてグループで語り合う方法

 

  それぞれの先行実践に対して、「非モテ研」は折衷的に“いいとこ取り”をしている、という風にも見える。しかし、私見では単にそれぞれの実践は折衷されているだけではなく、有機的に統合されているように思われる。以下でそのことを説明しよう。

 

 

3.「非モテ」を呼び水に

 「モテ生き」の中でまず、先行実践から影響を受けているように思われるのが、「テーマ研究」の設定の巧みさである。第1章第4節52ページの図2にあるように、「非モテ」をテーマに語り続けた場合には「自分はモテないからつらい」と「恋人さえいれば幸せになれる」とがループすることになってしまいかねない。

 そこで、まず抽象度の高いテーマ(「非モテ」とは何か、など)でのエピソードベースの語り合いをすることでイレギュラーに生まれる具体的な話題を抽出し、その後の会では抽出された具体度の高いテーマ(「家族」「メディア」「いじり・からかい」など)を通じて多角的に「非モテ」という現象が分析される。

 

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「モテ生き」52ページより

 

 ここには「研究」という姿勢からべてるの家の影響が見られるのはもちろん、メンズリブ研究会において男性問題から派生した様々なテーマが語られていたこと、三重ダルクにおいて薬物の問題に限らず各人の様々な生きづらさの背景が射程に入れられていたことなどの影響が見られるように思われる。

 加えて、第5節67ページの「非モテ研用語辞典」も面白い。当事者研究の蓄積をユニークなワーディングで「用語」化し、毎回新しく参加する人にも用語集は配られる。287ページで村本邦子さんが述べているように、非モテ用語を蓄積していくことには「新しい文化の創造」という意義がある。社会において主流とされている価値観から避難できる場として、普段語りにくいようなことも語りやすい空気が醸成されることだろう。ここにもまた、べてるの家当事者研究における「外在化」や「自己病名」の考え方の影響が見られる。

 

 

 非モテ研では、以上のように先行実践がうまく継承され、新しい手法が編み出されている。それは一言で言えば、非モテ」概念が「呼び水」として用いられているということである。どういうことか説明しよう。

 当事者研究においては語り合いというかたちで「共同で」研究がおこなわれていることが重要である。僕の個人的な経験になるが、当事者研究をやっていると、自分一人で考えていたら思いもよらなかった「自分についての発見」が自分の口から語りとして出てくる。それは、仲間の研究・語りに触発されるかたちで「そういえば……」と連鎖的に生まれてくるのである。

 この「語りの連鎖」を促進させるうえで、「非モテ」という言葉をフックに探求していくシステムは非常によくできている、と僕は解釈する。「非モテ」について敢えて定義せずに、ゆるい同質性を持った人々が、ゆるく集まって、ゆるく語り合う。「非モテ」概念は、そのゆるさゆえに、豊穣な語りを生みだす「呼び水」としての機能を果たしているのである。

 この話は、西井さんの新著『「非モテ」からはじめる男性学』の第七章において、「非モテ」が「スーツケースワード」であるというかたちで触れられている。「非モテ」が個人の主観によって意味が多様に変化する多義語であることを活かして、中身が不明瞭な苦悩をとりあえず「非モテ」という「スーツケース」に放り込む。そして、「非モテ」の探求を通じてスーツケースの中身が明らかになっていく、という手順である。詳しくは西井さんの新著を参照してほしい。

 

 

4.「男性の加害性」にどう向き合うか

 次に、先行実践の影響が見られるポイントとして、加害性についての記述に紙幅が割かれていることが特徴的である。191~218ページの第4章は「加害と責任」と題されている。ここでの記述を読むと、「加害性」について男性たちが陥りがちな2つのパターンがうまく回避されている。以下、ABで説明しよう。

 

A.「ホモソーシャル化」「インセル化」の回避

 男性同士のグループが陥りかねない落とし穴として真っ先に思いつくのが、いわゆる「ホモソーシャル」の問題である。すなわち、女性を蔑視や欲望の対象にし、かつ同性愛を排除することを通じて男性同士の絆が強まるような状態である。男性同士が群れることで孤立が回避できるというメリットはあるものの、それによって不当に被害を受けたり排除されたりする人が生じてくる点でホモソーシャルな場にはリスクがある。

 とりわけ、「非モテ」という性愛に結びついた問題を軸に形成される集まりの場合、いわゆる「インセル」に陥ってしまう危険がある。すなわち、自分の性愛経験のなさや孤独による苦悩を女性のせいにすることで、女性への加害を正当化するような文化である。

 非モテ研はそのような加害に繋がりうる欲望や、加害の経験といった「ダークサイド」についても語る場であるという。しかし通常、そのようなダークサイドについては語りにくいだろう。一般的な社会で加害の欲望や経験がもし語られるとしたら、「ネタ」や「自慢」として語られることになりやすいのではないだろうか。それこそ、「ホモソーシャル」な場においてである。

 しかし、非モテ研においてそのような語りは、多くの場合罪悪感と共に語られ、ダークサイドにある苦悩や問題に少しでも変化が生じることが目指されているという。この点で「ホモソーシャル」ないし「インセル」的な方向性がある程度回避されていることが窺える。実際、非モテ研参加者たちの座談会(270ページ)にも、素直につらさを語る際には女性蔑視的な話がどうしても入ってきてしまうことと、それでも女性蔑視へと一気に流れていくことがないように西井さんが緩くファシリテートしている側面があることとのバランスの問題が書かれている。

 

B.「男性原罪論」の回避

 一方で、男性の加害性を反省した末に陥りかねないもう一つの落とし穴として、「男性原罪論」とでも呼べるような事態を挙げることができる。すなわち、フェミニズムなどの言説に偏った影響を受けた男性が、「男性には本質的に加害性がある」という考え方を持ってしまうような傾向である。これは、男性である自分自身への過度な自罰へと向かうこともあれば、他の男性に対する「呼びかけ」へと向かうこともある。

 いずれにせよ「男性原罪論」が問題なのは、一見男性の加害性に向き合っているようでいて、実は向き合うことから回避する効果を持っているからである。その理由は3点ほど挙げられる。

 一つは、「加害性がある理由は男性だからだ」という「なぜwhy」による説明図式が、男性性から「どのようにhow」加害が生まれるのかという問いを隠蔽してしまうからだ。二つ目に、「男性の加害性」をアピールすることが、自分自身について向き合うことを回避する「免罪符」として機能してしまいかねないからだ。そして三つ目が重要だが、加害性の強調が「つらい」という気持ちを表出することを抑制してしまいかねないということだ。

 以上を考慮すると、加害性に向き合うためには、感情を抑制せずに語り、個人個人の内面や背景事情もふまえて、どのように加害が発生したのかを見ていく必要がある。

 そのような“解像度を高めていく”とでも言える語りを可能にするのは、非モテ研の「温かい空気」なのではないかということが検討されている(214ページ)。実際、加害やそれに繋がる欲望を断罪・糾弾というかたちで“ジャッジ”してしまう空気があると語りにくいだろうし、仮に語れても素直に気持ちを表現することは難しいだろう(詳しい内容については第4章第3節「加害の研究とつぐないについて」を参照してほしい)。

 

 

 以上ABのように、女性蔑視の方向性にも、男性原罪論の方向性にも染まらないように、言わば弁証法的に非モテ研の実践は練り上げられている(※1)。そして、4つの先行実践からの影響もまた、弁証法的に統合されていると、僕は解釈している。

 ※1:本の中に言及はないが、これ以外に陥りがちな落とし穴としては、「『罪の告白』とそれへの『赦し』を過度に礼賛する」というある種の「自助グループ的ノリ」が挙げられるような気がする。それもまた、加害性に向き合うことを回避する効果があるだろう。

 

 先行実践にあったメンズリブの運動は、アメリカの一部では男性の権利運動men's rights movementへと派生してもいる。一方、日本ではフェミニズムの強い影響下から男性学が立ち上がっている。いずれの運動にも意義がないとは言わないが、立場が先鋭化することでむしろ男性の加害性の問題が問いにくくなっている側面があるのではないかと僕は考える。

 不正確な単純化を承知で書けば、フェミニズムとの距離が遠すぎれば加害性の問題は問えなくなり、フェミニズムとの距離が近すぎても(男性個々人の事情や文脈を探るような活動が後景化すれば)むしろ加害性の問題は問いにくくなる、というイメージで整理できるのではないだろうか。そう考えれば、「モテ生き」における加害性への向き合いは、「メンズリブ研究会」や「メンズサポートルーム大阪」からの影響が優れたバランスで統合された結果だとも言えるのではないだろうか(※2)。

 ※2:日本の男性学フェミニズムの関係においては、澁谷知美さん(2001、「『フェミニスト男性研究』の視点と構想――日本の男性学および男性研究批判を中心に」)がフェミニズムに基づいて男性学に対して問題提起をしたことが有名である。その内容は「男性学は男性間の関係の問題や心理レベルの問題に閉じてしまうことで、女性への抑圧という構造的問題が問えなくなるのではないか」というものである。これに対して、「メンズサポートルーム大阪」で活動し、西井さんの指導教員である中村正さんは、自身の論文(2017、「不安定な男性性と暴力」)で、男性の対人暴力問題についての「臨床社会学」の実践を通じて、個人的・心理的(ミクロな)問題と社会的(マクロな)問題とを地続きのものとして位置づける、というかたちで応答されている。「モテ生き」における加害性への向き合い方はこの中村さんの姿勢に合致していると言えるだろう。

 

 加害に対して「どのように責任を取るか」という問題もまた第4章では検討されているが、ここには三重ダルクとべてるの影響が見られるように思う。非モテ研が「ダークサイドについて素直に語れる場」であるということがその影響の分かりやすい部分だろう。

 だが、三重ダルクからの影響としてより重要なのは「非モテ意識への囚われ」や「加害から生じる罪悪感への囚われ」といった問題系がアディクション(依存症)の観点から捉えられていることである。アディクションからの回復のイメージは、言わば「回復し続ける実践」をおこなうことである。これは、加害に対する責任の取り方に当てはめて考えることができよう。すなわち、「責任を取る」というのは、なんらかの罰を受けて一挙に清算されるようなイメージで考えるべきではなく、過去の行為にじっくり向き合うプロセスと共にあるものだと考えることができる。

 べてるにおいてもまた、ふつうの社会とは異なる「責任の取り方」が見られる。そのカギは「外在化」にある。極端な例で説明すればこういうことだ。誰かが「放火」をしたことについて「責任を取る」のであれば、ふつうの社会においては刑務所に入ることになる。

 それに対して、べてる式の発想では放火を「放火現象」と名づけて外在化することによって、いったん個人と問題を切り離して問題を探求する。このことでむしろ、どのように自分が放火に至ったのかについての認識がクリアになっていくのである。言わば、いったん“免責”することを通じて、“引責”することが可能になる、という、オルタナティブな責任の取り方である(※3)。

 ※3:ここでの「放火現象」や「免責と引責」についての記述は、國分功一郎・熊谷晋一郎、2020、『<責任>の生成――中動態と当事者研究』を参考にした。雑にまとめれば、現代の能動-受動パラダイムにおいては、行為が自分の「意志」によって為され、「意志」によってそれ以前の過去が切断されるということが責任を問う際の前提になっている。それに対して、中動態の発想を導入すると、過去を切断しないかたちでの責任の取り方にアプローチできる、ということが検討されている。

 

 以上より、「男性の加害性」に対する向き合い方、責任の取り方についても、「モテ生き」は先行実践を継承することで、新しい方法を提示していると言えるだろう。再度まとめるなら、女性蔑視に走らず、感情の抑制や男性=罪という短絡にも走らず、外在化の助けを借りながら語り合い、自身の過去の行為を掘り下げていく、といった方法である。これが結果として、加害の再発防止にも繋がると期待できる(※4)。

 ※4:ただし、これらはあくまで「オルタナティブな」責任の取り方であるということについては、留意が必要である。このような責任についての考え方を絶対視するのは危険だ。西井さんは慎重にも、当事者研究の「加害に至るプロセスを探る」という営みが「加害者にも加害をおこなうだけの事情や背景がある」という言説を呼び込み、加害者を免責するツールになってしまう危険性に言及している。また、このような営みが被害者からすれば「無責任」で「悠長」なものに映るであろうことも西井さんは指摘している。加害性への向き合い方・責任の取り方について、洗練していける可能性はあるが、絶対的な正解はない、と言えるだろう。

 

 

5.単なる予防線ではない、ポジショナリティ(立場性)とインターセクショナリティ(交差性)への意識

 以上で述べた「男性の加害性」への向き合い方は、西井さん自身のポジショナリティ(立場性)の探求にも活かされている。終章第3節の「解釈押し売りの研究」(246-254ページ)では、西井さん自身の「解釈押し売り」、すなわち他者の経験や語りについて客観的にまなざし、一方的に解釈を与えて押しつけることの問題が研究されている。

 詳しくは本を参照してほしいが、特に非モテ研の古参メンバーや、主宰である西井さんが非モテ研の中で権力性を持ってしまうため、そのような人が述べた解釈には異議を申し立てるのが難しいということだ。実際、非モテ研の中で「西井が持つ権力性」について何度か話し合いが持たれたという。

 

 

 さらには、非モテ研がジェンダーにある程度センシティブであるのに対して、それ以外の当事者性、たとえば民族性や障害の有無といった問題に十分に意識しきれていないのではないかということが言及されている。これは、インターセクショナリティ(交差性、複合差別)と呼ばれる問題意識である。

 このように他の当事者性についても言及することは、「予防線」や「綺麗事」のように思われる方もいるかもしれない。しかし、そうではなく西井さんは必然的なかたちで他の当事者性に言及している。

 というのも、男性という属性はやはりマジョリティの立場にある一方で、男性だからといって常に「標準」「正常」ではあり続けられるわけではないということを西井さんは問題にしているからだ。男性たちも障害やセクシュアリティ、民族性、出身など、性別とは別の軸でマイノリティ性を持っていることもありうる。それゆえに男性たちも差別を受けたり苦悩を抱えたりしうる存在なのだが、マジョリティでもある男性たちはこれまで自分たちの体験や感情について細かく描写することをあまりしてこなかった傾向がある(64-5ページ)。

 だからこそ、マジョリティであるがゆえに語りにくかった苦悩に対して、「非モテ」概念を入り口にアクセスしていくのである。これまで述べてきたように、この苦悩は単なる「モテない」ことに留まらない。家族や「いじり・からかい」のような具体的な問題に接続しうるし、民族性や障害の有無のような当事者性からくる苦悩にも接続しうるのである。それゆえに、一見男性問題や「非モテ」とは関係ないような当事者性にも「モテ生き」は言及することになる。言い換えれば、西井さんは「非モテ」問題の多義性を活かすことで、必然的にインターセクショナリティの問題にも開かれていったのである。

 

6.おわりに――西井開を刮目して見よ

 最後にまとめなおそう。「モテ生き」は「モテないから苦しいのだ」「恋人ができれば“一発逆転”できる」などといった世界観や、「男性」という当事者性の問題のみを探求する「オッカム的視点」(一元論的な思考)を斥けた。

 そして、様々なセルフヘルプグループの先行実践を取り込んでいくなかで、「非モテ」という言葉を定義せず「呼び水」として用いる手法を編み出した。それにより、「非モテ」の背景にある様々な具体的問題にアクセスし、さらには他の当事者性(インターセクショナリティ)の問題へと必然的に行き着いた。

 様々な先行実践の取り込みは、「男性の加害性」への向き合い方にも活かされ、弁証法的に(女性蔑視でも男性原罪論でもない)「第三の道」を確立した。これは西井さん自身の権力性(ポジショナリティ)の問題を扱ううえでも活かされている。

 以上の「モテ生き」の成果について、僕は「ヒッカム的視点」(多元論的な思考)であるとまとめたい。そして、このヒッカム的視点は、まさに西井さん自身が持っているものである。

 西井さんは学問的立場としては臨床社会学という「マイナーな分野」に属している。臨床心理士・公認心理士として臨床にも携わりながら、非モテ研のような社会的な実践をおこない、データに対する分析の手つきも臨床心理学と社会学とが組み合わさったものになっている。つまり、「マイナーな分野」に属しているというのは、西井さんが単一の分野に留まるスペシャリストではなく、複数の分野に股をかけるゼネラリストだからゆえである。

 僕は西井さんと個人的な付き合いがあるが、話しているとその視野の広さ、そして様々な問題に対して絶妙なポジションを取るそのバランスに驚かされる。様々な当事者性に配慮しようとする学者は、その代償としてエリート的な「上から目線」になりがちだが、実践家でもある西井さんは「下から目線」をちゃんと持っている。人文系学問の権威がどんどん低下し、反知性主義の風が吹く現代日本社会においては、西井さんのようなアカデミズムの世界の外へもリーチできる人が必要だ。

 そんな西井さんの新著は手に取りやすい新書であり、修士論文を下地とした単著である。紹介した「モテ生き」と共に、広く読まれてほしい。

 僕は西井さんの仕事がアカデミズムとしての男性学や、男性学的な実践においてどのように位置づけられ、どのような意義を持っているのかについて論じる用意があるが、さすがに字数も膨れ上がってきた。それは新著『「非モテ」からはじめる男性学』を紹介する際に譲るとしよう。

  

 

恋愛からの卒業と、その先

 この記事は、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー5日目の記事です。

adventar.org

遅れたので6日目の方が先に投稿されていますね。すみません。

4日目はfina @fina0539 さんの

circlecrash.hatenablog.com

でした。最後の話が読んでて気持ち良かった。

 

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 相も変わらずサークラアドベントカレンダーは「自分語り」というテーマで実施されていますが、率直な話、そろそろ自分について語ることがなくなってきたな、という気持ちを抱きました。

 自分の人生について語るみたいなことは、サークラ会誌3.5号と、2018年のアドベントカレンダーでやりました。

 そして、僕が語りがちな「恋愛」という話題についてはサークラ会誌では2.5号、4号(の一部)、5号、6号で語りました。2017年アドベントカレンダーの記事も恋愛成分多めです。

 それでもなお、今回も恋愛について語りましょう。ただし、恋愛からの「卒業」について。というのも僕は、会誌8号の記事とwebマガジン「高電寺」に寄稿した記事で、自分なりに性愛に対する方針を打ち出していました。それは分解して言うならこういうことです。

 

①自身の自由を著しく制限するような「付き合う」はしない

②女性に対して持つ恋愛感情を否認しない

③自分が「女性によって性的に受け入れられたい」という感情を否認しない

④自己肯定の基盤に「女性としての性的価値」がありそうな人とは性行為しない

 

 

 雑にまとめて言うなら、女友だちと(①)、恋愛したいし(②)、セックスしたい(③)、ということになりましょうか。

 ただし、性行為がもたらす加害性(あるいは、せっかく築き上げてきた友だちとしての関係性が、性行為によって毀損される可能性)を考慮に入れると、相手の範囲を限定する必要はあるでしょう(④)。

 性行為による加害の問題が発生しやすいパターンの一つとして、「女性としての性的価値」が自己肯定の基盤になっている、という場合があると思っています。こういう人と性行為をすると、「私はあなたを性的な存在としてしかみなしていない」というメッセージになってしまいかねませんので。

 

 女友だちと恋愛したいしセックスしたい――それって「セックスフレンド」では? と思われるかもしれませんが、セフレだとかソフレだとかそういう言葉に簡単に回収されない関係性を模索していた結果、僕はいつの間にか恋愛から「卒業」してしまっていたのではないか、という自分語りです。

 

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「セックスしない」理論、実践編

 2020年4月、世界はコロナ自粛の炎に包まれた。

 

 そこから遡ること数日。3月終盤に僕はある女性(Aさんとしよう)からダイレクトメッセージを受け取った。Aさんは東京から京都へ傷心旅行にやってきた女性だった。僕のことをどのようにして知ったのかは分からないが、やってきた以上はまじめに応対することにした。

 聞けば、他愛ない恋愛の悩みだった。他愛ないと言ってもディティールはある。僕はAさんの話を聞いてディティールを理解し、いくつか質問をしたりしてみる。

 僕にとっての問題はAさんの距離の近さだった。泊まるところも確定していないということで一緒に泊まることになり、早速冒頭に挙げた理論の出番である。

 違っていたら申し訳ないが、話を聞いている限り、Aさんは「女性としての性的価値」を自己肯定の基盤の一つに置いているように僕には見えた。コミュニケーションとしても、女性性が前面に出てくる感じ。要するに距離が近い。

 こういう人とはセックスを(仮にできたとしても)しない。なりゆきで一緒に寝ることにはなったので、そこは不徹底だったかもしれない。身体は女性性の記号に対して正直に反応し、その日は夢精した。夢精したことに自分でも笑った。

 

 その後、さらに話を聞いてみると、案の定Aさんは、できれば僕とはセックスしたくないようだった。こういう人への処方箋(?)は、性的価値とは別の部分での関係性を養っていくことであろう。ということで僕はいったん自分の住むシェアハウスや、自分の周囲のコミュニティにその人を招き、いろんな人とコミュニケーションを取ってもらうことにした。

 もしセックスできていたらそのまま関係は切れていたかもしれない。こういう女性は必ずしもセックスがしたいわけではないからだ。(Aさんがそうだというわけではないが、)たとえば、自身の抱える負債感を返済するためのセックスをしていたり、自身の感情をコントロールするために自暴自棄にセックスをしていたりする女性がいるように思う(このあたりは説明が難しい)。

 Aさんから詳しく聞いた話は面白かった。Aさんはかつて、男とセックスをした後に生じる感覚が嫌だったらしい。セックスを終えた後、「自分はもう用済みなのではないか」という感覚に襲われ、帰りたくなるのだそうだ。そして、コミュニケーションがうまくいっていないのではないかという不安からAさんは再度セックスする空気に持ち込んでしまうという悪循環に陥ることがあったらしい。

 

 やはり答えとしては、セックスしないで別の関係性(「友だち」としての関係性)を作っていくことが重要だったということになるだろう。これは自分の「立場性」を考慮してもそう言える。権力を持った人間が人間関係をやっていると、放っておいてもセックスすることが可能な状況が訪れることがあるように思う(もはや僕も、ある意味においては「権力を持った人間」になってしまったのかもしれない)。

 しかし、そのような権力を何も考えずに行使してしまえば、「セクハラ」に発展しかねない。セックスした相手に「ガチ恋」しようが、逆に「ヤリ捨て」しようが、後の展開で相手への著しい加害に発展してしまうリスクがある。言ってしまえば「男女間の友情関係」を築くこと、「突然ペニスが生えたりはしないぬいぐるみ」であることに僕は価値があると思っている。

 先に言っておけば、その後Aさんは東京に帰り、今もごくたまに連絡がある。今後もたまに喋る友人ぐらいの関係性がいいのではないかと思う。Aさんが自分にとっての居場所を得て、健やかに生活していけることを願っている。

 

関係を切るコロナ、関係を結ぶコロナ

 Aさんは大学生で、本来4月から大学に行く必要があった。しかし、コロナの関係で4月はお休み、という状況になった。

 滞在期間1週間程度の予定で僕のシェアハウスに滞在していたが、しばらく東京に帰る必要がなくなったようだった。予定していた滞在期間を超過していくと、他の住民の負担になるかもしれない。

 ちょうどそのとき、自分のコミュニティで花見が開催されることになっていた。せっかくなので花見を通じて、Aさんを泊めてくれそうな人間を見つけようと画策した。

 

 さて、ここからが本題だ。

 僕には気になっている人がいた。恋愛的な意味で。昨年恋人と別れた際の反省から(サークラ会誌8号参照)、僕は「友だち関係」の延長線上で恋愛したりセックスしたりする関係性を模索していた。その人との間に、そういう関係性が築けるのではないかと、ひそかに期待してもいた。

 既に友だちとしての関係性は確立していたために、その花見にもその人を誘った。そして、Aさんが人との距離を詰めるスキルが高いのか(?)、見事に僕の意中の人の家に泊まることを確定した。

 「押しつけるのも悪いから」という口実で僕もその人の家に行った。まあ冷静に考えれば、それを受け入れてくれる時点で、僕の好意はある程度すでに分かっていたのだと思う(そもそも好きだと言ったことはあった)

 

 4月のコロナ自粛の猛威は止まらず、大学は休校になっていた。予定されていたイベント等も中止になるなどして、みんな「暇」だった。そうして、奇妙にも3人での生活が始まった。

 一人暮らし用の狭い部屋に3人が滞在していて何も起こらないわけがなく……というのは冗談だが、暇を持て余したわれわれは自炊したり、動画を観たりして、ていねいな自粛生活を送っていた。様々な話をする中で親密度も増していく。コロナ自粛は思いがけず意中の人との距離を縮める口実を作ってくれた。

 Aさんもなかなか東京には帰らず、巧妙にアシストしてくれていたように思う。僕はぎこちなくも好きな人への好意を伝え、2人きりになったときにセックスした。

 

友人関係と恋愛関係をきちんと両立させるために――恋愛からの卒業

 好きな人との友人関係は、すでにけっこう長かった。僕は彼女の恋愛観や体験について聞いてきたし、僕自身も彼女にいろいろと話してきた。だからこそ、「恋愛関係とはこういうものだ」という常識に必ずしも縛られることなく(縛られても問題ない部分は縛られつつ)、話し合いながら関係性を模索していくことができたのだと思う。

 

 友人関係の延長線上で恋愛を始めたために、周囲との関係性においても案外有利な側面があった。

 去年まで付き合っていた人との別れを経て、僕は「思った以上に人間関係における『自由』を大事にしていたんだ」ということに気づいた。具体的には、女友だちとの関係性についてとやかく言われるのがキツかったし、性別関係なく周囲の友人の悪口を言われるときにはイライラすることがあった。

 僕は今まで(それこそ「サークルクラッシュ」的な問題を恐れて)自分のコミュニティの「外」の人と恋愛関係を築くことが多かった。しかし、そのことによって、僕の周囲の友だちと恋人との間にコンフリクトが起きやすかった。僕の周りの友だちは、こう言っちゃなんだが、クセの強い人も多い。相性が合わなかったのだと思う。

 つまり、サークルクラッシュ」的な問題を過剰に恐れて「外」から交際相手を調達するよりかは、ある程度「内」に存在している人と交際する方がコンフリクトは生じにくい側面もある。今回はある程度「内」にいた人を好きになったおかげで、結果的に周囲の人間関係への「根回し」もそこそこうまくいっているのではないかと思う。

 逆に言えば僕は、僕の恋愛関係について周囲から否定されるのも腹立たしく感じていた。恋愛に限らず、僕は人付き合いに対して文句を言われたくないし、言いたくもないタイプなのである。

 冒頭で「自身の自由を著しく制限するような「付き合う」はしない」という方針を述べたが、より具体的には「僕の周りの友だちと仲良くできない人とは付き合えない」ということである。

 その意味で言えば、僕の好きな人はだいぶ関係性のレンジが広く、いろんな人と仲良くできるタイプだと思う。僕の築いている関係性についてもとやかくは言ってこない(もしガマンさせているのであれば、そこは話し合いを要する)

 これが僕にとっては非常にラクである。この記事を読んでいる善良な方々も、僕の作る関係性については、僕の好きにさせていただけると幸いである。

 また、ぶっちゃけて言えば、僕は好きな人と「付き合う」ということはしていない。「付き合う」という契約から生じてしまいがちな排他性が怖いからだ。よっぽど規範から自由な人でなければ、「付き合っているのだからこうしなければいけない」という感覚が魔力のように生じてくるんじゃないか、と僕は警戒している。有難いことに、「付き合う」はしたくない、という僕のワガママを好きな人は聞いてくれている。これは暫定的な措置なので、今後はどうなるかは分からないが。

 

 一般的な恋愛関係はしばしば排他性を要請するが、僕はその排他性に適応できていない。まず友人関係が大事で、それは恋愛関係と比べてそんなに序列があるように思えない。そして、自分の作る関係性についてとやかく言われることには、恋愛相手からであろうと、周囲の友人からであろうと、耐えられない。

 僕は一般的な「恋愛」をする者として失格と言えるだろう。それゆえに一般的な恋愛からは「卒業」したのである。

 

友人関係のように気楽に「恋愛」をすること

 それでは僕たちはいかなる関係性を築いているのだろうか。あくまで僕からの視点なのだが、思っていることを書く。

 この関係は、友人関係のように「気楽」である。思えば僕はこれまで、恋愛に対して実存を賭けすぎた。100%の力を使おうとしていた。そうして、感情的にもものすごく振り回されてきた。

 それこそがまさに恋愛なんじゃないのか? という疑問もあろう。しかし僕は恋愛から卒業した。どちらかと言えば、燃え上がるような激情を抱く「恋」の方から卒業してしまったのだと思う。「愛」だけが残ったと言える。

 好きな人に対してドキドキしないわけじゃない。むしろすごい好きだ。だが、その感情が空回りしてちゃ伝わらない。感情を空回りさせずに、この関係性の中でより良いものにしていくためには、むしろある程度の余裕が必要だろう。

 愛憎まみれる、心中するかのような、あるいは共依存的なまでの恋のカタチも否定はしない。しかし、友人関係とか自分のやりたいこととかも大切にしたい僕に、それは難しかったようだ。

 友人関係や自分のやりたいことなどとの「役割分担」で見た際、恋愛は一つの「役割」に過ぎなくなる。でも、それはとても大切な役割である。

 全てをなげうち、親の役割や友だちの役割、生きがいなども全て「恋愛」に集約させたくなる欲望も、痛いほどよく分かる。しかし、相手だって人格を持った人間である。相手にも自分の生活や様々なこれからの選択がある。自分の人生も相手の人生も肯定し、恋愛関係を(それこそ友人関係のように)あくまで一つの役割に過ぎない、としてしまう方がむしろ最大限、この「恋愛」を楽しめるように思う。

 

友人関係との区別について

 それでは、この関係性は友人関係とは何が違うのだろうか。これは正直、難しい。違わないのではないかとも思う。

 一応、明確に違うポイントとして、この関係性においては性行為をしている、ということが挙げられる。

 それはいわゆる「セックスフレンド」や「都合の良い関係」ではないのか、と思われるかもしれない。だが、それらの言葉にまとわりつくネガティヴなイメージが、この関係性にはない、ということを言っておこう。というのは、この関係性は、こちらの都合を強権的に押しつけないよう慎重に話し合いを経たうえで成立しているからだ。

 実際、僕は話し合いを経たうえで、僕は他の人間とは性行為をしないと決めている。逆に僕視点では相手が他の人間と性行為をしていても全然構わないというか、むしろしたいならぜひすべきである、という立場である。

 

 これは「嫉妬感情」をどう取り扱うかという問題である。相手を独占・所有したいだとか、自分を一番に扱ってほしい、相手にとっての特別でありたい、などといった感情が関係している。

 僕自身は正直あまり嫉妬感情が分からない。敢えて区別するなら、「自分が持っていないものを持っている人が羨ましい」という「羨望感情」はあるが、「自分が持っているものを他の人と共有したくない」という「排他的所有感情」は基本的にない。

 相手の嫉妬感情は、話を聞いたところ普通にあるようだ。それで僕の方は他の人間とは性行為しないことに決めた。正直、好きな人との性行為は楽しいし、十分に満足していると言えるのもあり、僕自身、これ以上他の人と性行為をしたいとも思っていない。

 

 その他、会う頻度がある程度確保されていたり(しばらく会ってないと僕も相手も会いたくなる)、贈り物を贈り合ったり、一定の特別な関係性ではあると思う。

 ただやはり、明確に友人関係と区別したいとも、できているとも思わないのだ。その意味で好きな人との関係性は友人関係だと言っていいかもしれない。

 僕にとっては、他の友人関係も、(性別問わず)それぞれ大切でかけがえのない(特別な)関係である。そこには恋愛に似た感情や、深いところで「繋がっている」という(それこそ「セックス」的な)感覚がどうしても生じてしまうこともあるだろう。それは仕方がないことだと思うし、だからといってそれを防ぐために「誰々とは二人きりで話さない」などとするのは、僕の方の事情でしたくない、という感じだ。

 他の人との関係性において、様々な感情が生じることは仕方がない。だからこそむしろ、「行為」の上では、友人関係と好きな人との関係との間に、きちんと区別を設けたい(その意味では、「他の友人に対して恋愛やセックス的な感覚が生じうる」ということを書いた「行為」自体も、相手の嫉妬感情に抵触しかねないし、問題だとは思う)。

 

素直にノロケると

 そんなわけで、好きな人のことは「友だち」のような存在だと思っており、そこには「執着」がない。おかげで「しなきゃいけない」みたいな義務感がなく、素直に好きだなと思える。最後はノロケてこの文章を閉じよう。

 

 上述したように、僕の好きな人は、対人関係の広さにおいて優れている。ありきたりな表現かもしれないが、感受性豊かでなんでも食べられる、言うなら雑食性があるように思う。

 

 好きな人のどこが好きかって言われたら、その感情のデカさである。「感情!」としか言いようがない。(必ずしもスピリチュアルではない意味で)宇宙と直接繋がっている系の人だと思う。

 

 そんな彼女はホリィ・センの開陳する「自意識」「メタ認知」ワールドにも興味津々のようだ。単にベタに一本気の人なのではなくて、メタ的な思考についても話しているとたくさん出てくる。彼女の考えていることは好きだし、もっと聞きたい。

 

 それでも、いざというときには思いきりがよい。「突き抜けられる」人である。一緒にいるとしばしば驚かされ、僕も笑顔になってしまう。

 

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6日目は、社会的信用がない @touhuwakame さんの、

「期待される様な命」

です。