文学フリマ(5月6日)「メンヘラ批評」出店情報

ホリィ・センです。
なんとか間に合いました。文学フリマ東京に出店します「メンヘラ批評」の告知をします!


第二十八回文学フリマ東京(https://bunfree.net/event/tokyo28/
日時:2019年5月6日(月) 11:00〜17:00
場所:東京流通センター 第一展示場

 

「メンヘラ批評」のスペースはオ-36です!
以下、「メンヘラ批評Vol.1」の表紙、目次、巻頭言を掲載します!

 


表紙

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ふみふみこさんに描いていただきました! 感謝!

 

目次

巻頭言:いくつもの声のなかで ホリィ・セン 2

 

■特集=獣道を生きる

社会的強者のメンヘラは、今日も生きづらいと叫びながらマシンガンを乱れ撃つ 雨宮美奈子 6

メンヘラ男子に女装とコスプレの勧め 永井冬星 13

記号としての「わたし」 A440 19

 


■特集=私ですけど、何か?

変わっていたいと不健全を夢見ることはとっても健全だ 南村杞憂 30

メンヘラ展とは何だったのか
障害者アートにおける技術・障害・個性 河野麻実(元あおいうに) 34

メンヘラビッチバーの始まりについて メンヘラビッチバー 40


■特集=物語の中の「メンヘラ」

HUNTER×HUNTERのキルアにおけるメンヘラ克服法 脱税レイヤー風呂屋さん 42

存在しない「メンヘラ」と、平成最後のガール・ミーツ・ガール じあん 52

人生の止まった時計が動き出す
毒親」語りとリバイバルブーム ホリィ・セン 60


コラム
メメント・モリ メンヘラ的に死を想う 小谷悠里 78


■特集=「メンヘラ」が問いかけてくるもの

インターネット社会における「メンヘラ」とまなざしの地獄について 北条かや 80

ダウナー系メンヘラを「待つ」こと レロ 85

オラつき行為の自然史
ジャイアニズムの展開過程について 西井開 90

メンタルヘルサーは夕暮れとともに飛びたつ 雪原まりも 96


■特集=カギカッコなしのメンヘラ

「メンヘラ」はなぜ決まって女ばかりに言われるのか
~「ニシノユキヒコの恋と冒険」から読み解く~ ばしこ 106

 

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 総勢15人が執筆しています!

本当に様々な角度からみなさん書いていただきました。

せっかくなので、内容の紹介をしております巻頭言もこの記事に掲載しておきます!

 

 

巻頭言:いくつもの声のなかで

  「メンヘラ批評」は、さまざまなことについて「メンヘラ」という切り口から見たものです。「メンヘラ」を出発点に、いろんな人がいろんな視点から文章を書いています。
 「批評」といっても、「メンヘラ」を外側から評価して、好き勝手なことを言うわけではありません。批評は「評論」よりも「否定」の意味合いが強い言葉ですが、今生きているこの社会の生きづらさを、私たちは否定したいのです。この社会で生きづらさを感じている人にとってこの本が突破口になってくれれば。そういう思いを込めて、敢えて「メンヘラ批評」と名づけました。
 この本のコンセプトは、この社会についての新たな「見方」を読者に提示すること、そして、その見方によって「メンヘラ」に力を与えることです。だから、ごく一部の人にしか読めないような内容では意味がありません。批評というと難しい話を想像する読者もいるかもしれませんが、実際には具体的でイメージしやすい話が集まっています。
 より読みやすくなるように、以下では各記事の簡単な道案内をしておきます。読者はどこから読んでも構いませんし、興味のありそうな記事から読むのも一つの手でしょう。

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 第一特集「獣道を生きる」では、「あたりまえ」の、「普通」の道を生きてこなかった三人の記事が収録されている。
 雨宮美奈子は自身が「社会的強者」になるに至った過程と自傷行為との関係を語っており、そのドラマティックな生き様の背景にある信念が伝わってくる。
 永井冬星は驚くほど一直線に、自らの「メンヘラ」問題の定義→「女装」や「コスプレ」という解決策、というワンセットを示し、そのまま読者に勧める。
 A440は自らの病気のキッカケとなった壮絶な人間関係を回想しており、今なお「ふつう」や「社会」に対する距離感に戸惑い続けている様子が見て取れる。
 この三人の記事についてはそれぞれの文体にも注目してほしい。それぞれの語り口のクセの強さが、いかなる性質や人生経験から現れてきているのか。そのあたりを想像することで、書き手の世界観に対するより深い理解や共感に達しうることだろう。
 第二特集「私ですけど、何か?」では、それぞれのユニークな実践の振り返りと共に、信念のこもった主張がなされている。
 南村杞憂は真摯に自分のことを語り、葛藤を隠さない。様々な言葉や経験が紡ぎ合わされていくその様は、「メンヘラ」という言葉の多義性とも響き合う。
 河野麻実(元あおいうに)は「メンヘラ展とは何だったのか」と題して、その三年間の活動を振り返る。そして、相変わらずの切れ味で障害や個性というテーマを切り捌いていく。
 メンヘラビッチバーはそのまま活動の紹介だが、バーで話されたことがそのまま紹介されている。特集の締めにふさわしい、バーでのひとときの会話のような読み味となっている。
 第二特集までは具体的な生の現実に根ざした記事が集まっているが、第三特集以降は、「メンヘラ」にまつわる様々な事態が、やや俯瞰的な視点から論じられていく。
 第三特集「物語の中の『メンヘラ』」では、作品の分析を通して、「メンヘラ」にまつわる問題が鮮やかに整理されていく。
 脱税レイヤー風呂屋さんは有名なジャンプ漫画『HUNTER×HUNTER』のキルアの動向を「毒親」の観点から精緻に読み解いており、原作ファンにはたまらない内容である。原作を知らなくてもよく理解できる構成になっている。
 じあんは「わたし」にとっての様々な「(広義の)他者」Aと「わたし」がどのように関係しているのかを問い、■(Aに斜線)という記号によって表される関係から「メンヘラ」を特徴づける。そして、その様相をいわゆる「百合」系の作品群から見出していく。
 ホリィ・センは「アダルトチルドレン」が「毒親」へと言葉が移り変わったことを指摘し、その背景を探る。そこで、『SSSS.GRIDMAN』や『君の名は。』といった作品を補助線とすることで、現代的な「トラウマ語り」の意義について分析している。
 「死にたい」という言葉についての小谷悠里のコラムが間に挟まり、第四特集「『メンヘラ』が問いかけてくるもの」では社会科学的な志向をもった記事が収録されている。
 北条かやはインターネットにおいて「メンヘラ」に対して向けられているまなざしについて、自身の炎上経験も交えた上で分析し、「まなざし」の時代的な変遷についても考察を加えている。
 レロはアッパー系メンヘラ/ダウナー系メンヘラという二分法を様々な観点から考察し、その区別が具体的にイメージできるところまで落とし込んでいる。そして、実践上は「待つ」ことの意義を論じている。
 西井開は他者に攻撃的な言葉を浴びせて威圧する行為(「オラつき」、「ジャイアニズム」)を取り上げ、その無意識的な学習過程や、周囲との関係性が固定されていく「自然史」を描いている。そのうえで、相手を支配せずに関係性を良好に築く方法を模索している。
 雪原まりもは「夜の仕事はメンタルヘルスに『優しい』のか」という問いから出発し、日本において昼職/夜職という二領域がどのように形成され、どのようなバランスの元で成り立っているのかといったことを説得的に論じている。
 第五特集「カギカッコなしのメンヘラ」には、ばしこの「『メンヘラ』はなぜ決まって女ばかりに言われるのか~『ニシノユキヒコの恋と冒険』から読み解く~」が掲載されている。この記事は世間に流通している「メンヘラ」のステレオタイプなイメージに則ったものであり、「素朴な実感に基づいた内側からの視点」という意味で、他の記事とは異なる位置づけが与えられている。

 

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以上です!

5月6日(月)、ぜひぜひブースにお越しください! よろしくお願いします!(ちなみに価格は1500円です)