「下ネタ好きの女性」の困難

はじめに――友人関係と性的被害

 昨年、第8回 青少年の性行動全国調査報告をまとめた『「若者の性」白書』が発売された。

 

 

 僕は第7章の性的被害について書かれた箇所に興味を惹かれた。その中でも、性的被害と友人関係に関するデータが興味深い。

 それによれば、高校生と大学生において、

 

 

  • 「現在の友人関係のイメージ」を「楽しくない」としている者ほど「恋人以外からの性的被害」を受けている傾向にある(ただし大学生男子にはそのような傾向はない)

  •  「あなたは、友人と、性の問題についてどのくらい話しますか」という設問に「よく話す」としている者ほど「恋人以外からの性的被害」・「恋人からの性的被害」を受けている傾向にある

     

という。

 これについて羽渕は「青少年は、既存の友人関係のイメージが悪いことから、性的被害にあう可能性を高めるのだが、ケアを求める先もまた友人であると推測できる」(羽渕 2019: 161)という解釈を述べている*1

 そこで羽渕の解釈を否定するわけではないが、敢えて女性に関してのみ、逆向きの因果の方向を考えてみたい。すなわち、「友人と性の問題について会話している」女性が、そのことによって性的被害に遭いやすくなっているという因果関係について考える。

 

*1:その一方で羽渕は、「性的被害にあったことによって、友人と性の問題について会話しているのか、友人と性の問題について会話している層が被害にあいやすいのか、データのみで解釈することはできない」(羽渕 2019: 162)と、因果関係についてはペンディングしている。

 よって、因果関係がない可能性すらある。例えば、「性行動が活発であるがゆえに、友人と性の問題について会話する頻度が高い」、「性行動が活発であるがゆえに、性的被害に遭いやすい」という二つの因果関係が特定できれば、「性の問題について会話する頻度が高い」と「性的被害に遭いやすい」は擬似相関ということになる。

 

「下ネタ好きの女性」がタゲられる理由

 ここからがこの記事の本題。ありていに言って、「下ネタ」を話すことを好む女性は、男性から性的なターゲットにされやすい傾向があるのではないか、と僕は考えている*2

 その理由を以下、三点挙げよう。

 一つ目の理由は、下ネタを話すことを好むがゆえに、「性に対してオープン」であることを期待されてしまうからである。それにより女性は、男性から「ワンチャンありそう」「自分でもいけそう」(性的関係になれそう)と思われてしまうリスクがある*3

 二つ目の理由は、もっと動物的・下半身的な反応として、女性が性の話題について話しているのに対して目の前の男性が興奮する可能性があるからである。とりわけ密室的状況やアルコールが入った状況において、性的被害に発展するケースはあるだろう*4

 三つ目の理由は、女性と話すのが苦手な男性にとって、「下ネタ」を話す女性は話しやすいからである。というのも、「下ネタ」は男性的なコードを持った話題だからだ。すると、女性と話すのが苦手な男性にとってその女性は、まともに会話ができる希少な存在となる。希少であるがゆえに恋愛的関心を向けてしまうということはありうるだろう。

 

 

 以上三つの理由から、下ネタを話すことを好む女性は男性から性的なターゲットにされやすい傾向がある、と僕は考える。

 そして、この社会では男性の性行動に寛容であるのに対して、女性の性行動には非寛容である傾向が未だに根強い(「性規範のダブル・スタンダード」と呼ばれる)。そのため、性のことを頻繁に話題にする女性は、男性からは(恋人からにせよ、恋人以外からにせよ)性的な蔑視の対象になってしまう傾向があるのではないだろうか。

 その結果、男性から性的なターゲットにされることは、性的被害にまで発展してしまうと推測できる。……というのが冒頭の統計データに対する僕なりの解釈である。

 

*2:設問では「性の問題についてどのくらい話しますか」というワーディングがなされているため、これを「下ネタ」と特定することには飛躍があるかもしれないが、大まかには同一視できると仮定している。 

*3:ちなみに、性暴力の加害者はしばしば「彼女は本当は性的な関係になることを望んでいた」というような「暗黙理論」の下で、性暴力をはたらいている。その場合、加害者の更正においては、(被害者に責任を押しつけるのではなく)加害者が依拠してきた暗黙理論を可視化していくことが重要になる(中村 2016)。

 ここでは、下ネタを話すことを好む女性に対して「ワンチャンありそう」と考える傾向を、男性側の一種の暗黙理論として把握することができるだろう。

*4:とはいえ、アルコールは人の人格や性格を変えるのではなく、その人が元々持っている道徳観を暴くだけだとされている。

「酔った勢い」はなく、元々の道徳観が出るだけ 実験で判明か - ライブドアニュース

 また、女性に対して男性が動物的に反応してしまう、すなわち「性欲には抗えない」というのもある種の神話であり、上で述べた「暗黙理論」の一種と考えるのが妥当だろう。加害者が「性欲に逆らえずに」「魔が差した」という旨の説明をしたとしても、それは男性を免責する理由にはならない。ただし、「神話」だからといって簡単に抗えるというわけでもないだろう。

 

「下ネタ好きの女性」の性嫌悪と困難

 そして、ここからが重要なのだが、下ネタを話すことを好む女性は、実は性に対して防衛的であることも(世間で思われている以上に)少なくないのである。

 なぜ、性に対して防衛的であるのにもかかわらず、下ネタを話すことを好む人がいるのだろうか。考えられるパターンを二つ挙げておこう。

 

 一つ目は、無意識レベルでの性嫌悪があるパターンである。下ネタを話すことを好む女性が、実際に男性と性的関係を持つことは忌避しているというのは直観的には理解しがたいかもしれないが、精神分析的な解釈によって説明が可能になると僕は考える。

 すなわち、自身の性への嫌悪感を意識したくないがゆえに、その防衛機制として下ネタを話す、ということだ。「好きな子に(好きであるということを意識したくないがゆえに)いじわるをしてしまう」というのが、「反動形成」のわかりやすい例であるが、そのような裏腹なかたちでの下ネタによって自身を防衛していることがありうる*5

 しかし、上で述べたように、下ネタを話すことを好む女性は性的なターゲットとされやすい傾向があるために、性に対して防衛的であるのとは裏腹の結果を招いてしまう。

 

 二つ目のパターンは、「見る側」、ある種の「オヤジ」になることによって、自身が「女性身体」として見られることを回避しようとするパターンである。アダルトビデオの9割以上が男性向けであることからも分かるように、この社会では男性に「見る側」、女性に「見られる側」の役割が偏って割り振られている。その偏りに反して、女性側が「見る側」のポジションに立つということである。

 これには二つの方法がある。一つは「腐女子」である。男性同士の同性愛(BL)をまなざすポジションに立つことで、性的コンテンツにアクセスしながらも「見られるもの」としての女性身体から逃れることができる。

 もう一つは男性優位の(≒ホモソーシャルな)集団において、「名誉男性」(男性と同等であると認められた存在)になることである。男性と一緒になって下ネタを言うことで、自身を男性化する(女性であることを忘れる)ことができる。

 しかし、後者においては問題が生じる。多くの場合、ホモソーシャリティが強い集団に継続的に居続けられる女性というのは、男性のセクハラ的な接し方に対して許容的・鈍感で居られる女性である。というのも、ホモソーシャリティが強い集団においては、しばしば女性蔑視的に女性を性的に対象化する話題が語られ、その場にいる女性に対してもセクハラ的な接し方がなされるからである*6

 よって、女性自身は「名誉男性」になることを選び、「女性」として対象化されることを避けているつもりなのだが、結果的には男性から性的なターゲットにされてしまい、性的からかい等の被害を受けることになる可能性が高いであろう。

 

*5:「フィクションでの性愛を好むが、現実での性愛を忌避している」といった風に、単純に性愛の対象のレイヤーが異なるというパターンももちろんあるだろう。その場合にはことさらに精神分析的な解釈をする必要はないかもしれない。

*6:吉川康夫ら(2005)の調査によれば、体育系女子学生(スポーツの場)は体育系以外の女子学生(スポーツ以外の場)よりもセクシュアル・ハラスメントになりうる行為に対して許容的であり、マッサージを含む身体接触的行為がセクハラであるという認識も低かったという。

 ここから、ホモソーシャリティが強い集団に継続的に居続けられる女性は、セクハラ的な接し方に対して許容的・鈍感で居られる傾向が相対的に強い女性であると推測できる。

 

「下ネタ好きの女性」と「サークルクラッシュ」的問題系

 実は性に対して防衛的であるにもかかわらず、性的なターゲットにされてしまう。このような困難は、僕が専門としている「サークルクラッシュ(恋愛関係のこじれによって集団の人間関係が壊れること)」の問題系で捉えることができる。

 どういうことかというと、女性が周囲の男性たちと(非-性的な)友人関係でいたいにもかかわらず、「下ネタ」が一つの原因となって、性的・恋愛的対象として見られてしまいかねないということである。

 

 はてな匿名ダイアリーに「自戒」として書かれたという「サークラにならないために」と題された文章がある。そこには、男性が多い趣味集団において、男性に好意を抱かれないための注意が書かれている。「ここまで気をつけなきゃいけないの!?」と思わせるようなことがたくさん書かれている中で、こんな記述がある。

 

猥談では自分の話はしない

深夜になるとどうしても話が猥談になる。

自分のバスト、生理、オナニーの話はしてはならない。

酒が入った時は特に注意。

  

 つまり、「猥談」において「自分の話」をすることによって、男性からの性的なターゲットになってしまいかねないと注意が促されているのである。「下ネタ好きの女性」が意図せず性的なターゲットになってしまうという問題は、サークルクラッシュ問題に繋がってくる、ということがお分かりいただけただろうか。

 性的被害にあきたらず、周囲との関係が壊れてしまったり、集団に居づらくなって離脱せざるを得なくなったりするリスク。これは深刻である。

 

 そして、この問題は、「非モテ」や「インセル(自身に性的な経験がない原因は対象である相手の側にあると考える人)」と呼ばれるような問題系にも繋がってくる。

 「下ネタ好きの女性」が性的なターゲットになりやすい理由として、「女性と話すのが苦手な男性にとって、下ネタを話す女性は話しやすいから」ということを先に述べた。この男性がその女性に好意を持ったときに、そのまま成就すればよいのだが、女性がその男性の好意を拒否することは大いにありうる*7

 

 男性視点で見て、ただ単に拒否されるだけならまだしも、男性の側のアプローチがまずければ、女性や周囲から「セクハラ」や「被害」として認識される恐れがある。その一方で、女性は別の男性からの好意を受け入れることはよくある話である。このとき、男性は次のように主張するかもしれない。「同じようにアプローチをしているのに、自分のはセクハラで、あいつのは受け入れられるのはなんでなんだ! イケメンは無罪ってことかよ!」と。

 しかし、この主張のおかしさは、「家宅侵入」の比喩で考えてみれば分かりやすい。ある家に対して、Aさんは家主に許可されているために入ることができる。それに対して、Bさんは許可がないために、Bさんが家に勝手に入れば家宅侵入罪ということになってしまう。元の話に戻せば、女性がある男性の好意を受け入れながらも、別の男性の好意を拒む権利は当然にある、ということである。

 にもかかわらず、女性に好意を受け入れられない男性が女性に対して「恨み」を抱いてしまうのは、性的・恋愛的アプローチを拒絶されることで自分の人格を否定されたような感覚をおぼえるからではないだろうか。また、「イケメン無罪」という言い回しにも現れているように、性・恋愛を享受する女性・男性たちにルサンチマン(嫉妬による憎悪)を抱いてしまうからではないだろうか。

 これにより、女性が性的なターゲットになった際に生じてくる加害-被害の問題は後景に退き、「非モテ男性の受難」的な問題に回収されてしまう。すると、「下ネタ好きの女性」はなおも困難を抱える傾向が続くことだろう。

 

*7:このように、女性が好意を持たれたくない男性に好意を持たれてしまう現象を、女性視点で「雑魚モテ」と呼ぶ(峰・犬山 2012)。

 

おわりに――「性にオープン」であったとしても……

 ところで、そもそも下ネタを話すことを好む女性には「性に対してオープン」な人もいる。しかし、そうであってもやはり「対象外」の男性からアプローチされるのにはしばしば恐怖が伴うことだろう。

 「オープン」であると同時に、「拒否する」というコミュニケーションが苦手な人もいることだろう。そういう人が性的被害を受けては泣き寝入りをしている、という状況は想像に難くない。

 そして、性規範のダブル・スタンダードがあるために、女性が多くの男性と親密な関係を持つことに対するバッシングは激しい。多くの男性と親密な関係を持つ中で、結果的に友人関係から孤立していく女性には僕も覚えがある。

 

 冒頭に引用した羽渕の解釈によれば「既存の友人関係のイメージが悪いことから、性的被害にあう可能性を高めるのだが、ケアを求める先もまた友人である」という。また、同じデータによれば、「恋人からの性的被害」においても「携帯電話のチェックなどで、友達づきあいに干渉された」という項目が上位を占めている。

 これらを合わせて考えれば、女性が「下ネタ好き」である結果生じかねない性的被害の問題は、性的関係から独立した友人関係を「希少」化すると言えるのではないだろうか。サークルクラッシュで集団に居づらくなって辞めたらなおさら友人はいなくなることだし。

 

【参考文献】

羽渕一代、2019、「性的被害と親密性からの/への逃避」日本性教育協会編『「若者の性」白書――第8回 青少年の性行動全国調査報告』小学館: 147-63。

峰なゆか・犬山紙子、2012、『邪道モテ!――オンナの王道をゆけない女子のための新・モテ論』宝島社。

中村正、2016、「暴力臨床論の展開のために――暴力の実践を導く暗黙理論への着目」『立命館文學 = The journal of cultural sciences』646: 100-14。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/646/646PDF/nakamura.pdf

吉川康夫・熊安貴美江・飯田貴子・井谷惠子太田あや子・高峰修、2005、「スポーツにおいて女子学生が経験するセクシュアル・ハラスメントの現状とその特殊性」平成14~16年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(C)14594013)研究成果報告書。

http://players-first.jp/domestic/reports.html