「サークルクラッシュ」研究所が今年の4月から新しく始まり、大学のセメスターとしては前期が終わろうとしています。
「サークルクラッシュ」研究所では定期的な集まりはやっていませんが、その代わり夏休み(8~9月頃)を使っていわゆる「強化合宿」を開きたいと思います。
「サークルクラッシュ」研究所の前身であるサークルクラッシュ同好会においては、自身のコミュニケーションやメンタルヘルス、生きづらさについて見つめ直すような活動をしばしばやってきました。
しかし、1回でせいぜい3時間程度のまとまった時間しか取らないため、体系的なかたちで活動に取り組むには少し限界がありました。
そこで、2泊3日の合宿形式にすることで、まとまった活動に取り組みたいと思います。今回取り組むのは「アサーション・トレーニング」と呼ばれている方法論です。
「アサーション」ないし「アサーティブ」といった言葉を聞き慣れない人もいるかと思いますが、敢えて直訳するならば「自己主張」です。より適切に言うならば「やわらかい自己表現」といった言葉になるでしょうか。
本合宿の目論見はこの「アサーション」の理論について学び、かつロールプレイによって実践していくことでコミュニケーションを手っ取り早く強化しようということになります。
なぜアサーションなのか
それではなぜこの「アサーション」に僕が着目したのか。キッカケはやはり「サークルクラッシュ」現象にありました。「サークルクラッシュ」現象において、ある種の人が「無意識型サークルクラッシャー」とカテゴライズされてしまう場合があります。
具体的には、様々な人にフレンドリーに接したり、目の前にいる人に対して配慮する能力が高かったりといった特徴を持っています。
このような特徴を持った人は一般的には「いい人」ということになるでしょう。しかし、そのような「いい人」が恋愛対象でない人に恋愛的な好意を持たれたり、不快なことを言われたり、プライベートな領域にズケズケと踏み込まれたり、といったかたちで被害を受けることがしばしば観察されます。
結果として、「無意識にサークルクラッシュしてしまう」ことに悩んでいる、あるいは「サークルクラッシュ」まではいかずとも対人関係で適切な距離感を保てないことに悩んでいる人がいます。
このような問題について、もちろん適切な距離感を保たずに侵害的な関わりを持とうとする人(ステレオタイプなイメージで言い換えれば「モラハラ」的であったり、「ストーカー」的であったりする人)に大きな責任がある、と言ってよいと僕は思います。
ただ、この社会を生きていくうえで、そのような人たちと関わらずに生きたり、加害の責任を取らせるかたちで罰したり、といったことは現実的には難しいように思います。
このような言わば「加害者側」が今後加害をしないように“教育”するプログラムもたしかに存在はしていますが、まだまだ普及しているとは言えませんし、今後も普及するのかは分かりません。
そこで、「被害者」の側が身につけられるスキルを身につけておく、ということも両立するだろうというのが今回の趣旨です。
そもそもアサーションは、自分も他人も共に大切に扱うコミュニケーションを目指しているという点では、「加害-被害」といったシリアスな事態になる以前の問題としても重要です。そのため、特に「加害-被害」といった状況に陥ることはない、という人にとっても役立つスキルだと思います。
自分の権利を知る
しかし、「アサーション」と言われてもピンとこないでしょうから、アサーションによって具体的に達成できることを、この文章において大きく三つ紹介しておくことにします。
1つ目は「自分の権利を知る」です。アサーションにおいては「アサーション権」という概念があります。たとえば、「私には『イエス』『ノー』を自分で決めて言う権利がある」「私には、間違う権利がある」などといったものです。
ここでは、文字だけ読むと「……当たり前では?」と思われるようなことが、敢えて「権利」として明文化されています。これは「ルール」と言い換えてもいいかもしれません。
しかし、このような「権利」は現実にはしばしば侵害されているものです。現実のコミュニケーション場面において、自分の権利が侵害されている状況にすぐさま気づくために、このような「権利」や「ルール」に対する“マインドセット”を形成しておくことが有用だという考え方だと僕は捉えています。
この「自分の権利を知る」トレーニングにおいては、アサーション関連の本に限らず、ASDの当事者向けの「人間関係やコミュニケーションのルール」を記している本も適宜参照します。
そこで、どのような「権利」や「ルール」があらかじめ定められているとよいのかというメタ的な観点からも参加者の方からは意見をいただきたいと考えています。
自分の感情を感じる
2つ目は「自分の感情を感じる」です。アサーションでは自分の思っていることを適切に表現する必要がありますが、そのためにはそもそも自分がどう感じていて、どういう意見を持っているのかを場面に応じて把握できなければなりません。
しばしば人は「あのときああ言えば良かった」と考えがちですが、それ以前の問題として、「あのとき自分はこう感じていたんだ」と後になって自分の感情を知ることもあるように思います。
特に、自分の感情を表現することを抑圧されて育ってきた人の中には、たとえば目上の人の前では「自分の感情を表現してはいけない」というのがクセになってしまい、状況ごとの自分の感情を感じることも難しくなっている人がいるように思います。
そういった人たちにとって、自分の感情を感じることがまず大切です。具体的にはコミュニケーションの場面で感情を表現するロールプレイもしますが、コミュニケーションの外で感情を表現したり、自分の感情と繋がっている身体感覚に注意を向けたりといったトレーニングも実施していきます。
ここでもまたアサーション関連の本の知識だけに留まらず、マインドフルネスと言われる、自分の身体感覚や思考や感情に気づくための瞑想の技法も学び、実践していこうと考えています。
自分の言いたいことを溜め込まずに言う
3つ目は「自分の言いたいことを溜め込まずに言う」です。「アサーション」でイメージされるものの一番分かりやすいものはおそらくコレだと思います。
アサーションの用語をざっくり紹介すれば、コミュニケーションにおいて困難が生じやすい態度としてまず、「アグレッシブ」型(自己主張が強く、相手の話を受容しない)と「パッシブ」型(ノン・アサーティブとも。相手の話を受容するだけで、自己主張ができない)の二つが挙げられています。
それに加えて「パッシブアグレッシブ」型(受動攻撃的、作為的などと訳される。自己主張をしないかたちで相手に攻撃を加える)という分類もあります。
これらの状態から脱し、目指されるのが、相手の話を受容しつつ適切に自己主張もする「アサーション」型ということになります。
このような分類を示すとなんとなくイメージできたでしょうか。僕としては「モラハラ」的被害を受けてしまうような状況をひとまず問題視していますので、どちらかと言えば「パッシブ」型の状態から抜け出せるようスキルを身につけるトレーニングができればいいのではないかと考えています。
ただ、「パッシブ」型のコミュニケーションをしている人もしばしば、「溜め込む」ことによって「爆発」してしまうことは観察されるように思います。そうなった際に「アグレッシブ」や「パッシブアグレッシブ」なかたちで他者に接することもあるのではないかと思います。
結局一言で言えば「自分の言いたいことを溜め込まずに言う」という方向性での練習が必要になってくるのではないか、と考えています。
こういったコミュニケーションは頭では分かっていてもなかなか現実には実践できないものです。今までの人生で「自分の言いたいことを溜め込まずに言う」ということをほとんどしたことがない人もいるんじゃないかと思います。
そういう人がせめてロールプレイの場面で「自分の言いたいことを溜め込まずに言う」というのはこういうことなんだ、という感覚を掴むだけでも価値はあるんじゃないかと考えています。
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以上が、「サークルクラッシュ」研究所で開催予定の「コミュニケーション強化合宿」の概要です。既に参加希望いただいている方の都合上関西でやる予定です。
参加者がある程度決まり次第日程調整をしようと思いますので、参加を希望される方はどなたでもご連絡ください。
連絡先:
circlecrush@gmail.com
または