ホリィ・センが20代頃にしてきた恋愛の総括

この記事は「サークルクラッシュ」研究所アドベントカレンダー5日目の記事です。

adventar.org

 

2年前のサークラアドベントカレンダー

恋愛からの卒業と、その先 - 落ち着けMONOLOG

で書いたように、僕は好きな人と「友人関係のような恋愛関係」を築いた。この関係は概ね今も継続していると言ってよい。そのため、自分の精神に動揺が走るような"事件"が起きることもなく、僕の心は平穏な幸福に包まれている。

 

思えばそれまでの恋愛は青年期らしいというか、動揺続きの疾風怒濤なものだったので、しばしば僕は自分の苦しみや考えたことなどを文章に書き綴って(書き殴って)きた。

これまでの恋愛に比べると、今はとても落ち着いているし、2年前に「恋愛からの卒業」と書いたのは間違っていなかったと思う。

 

ここに至るまでの「20代頃の恋愛」を、いま一度大局的な視点から軽く語り直しておいてもよいかと思った。すなわち個別具体的な恋愛の中身について云々するのではなくて、僕がどういう態度で恋愛に臨んでいたかの変遷というかたちで今回は書いてみようと思う。

 

 

はじめての交際

思えば、初めて人と「付き合う」ということをしたのは約14年前、17歳のときのことだった。滋賀県の高校生の演劇部の人たちが集まる合宿で知り合った同い年の女の子のことがどうも気にかかり、友人にもその子のことを話していたら「好きなのでは」と言われた。

 

僕は小学生とかのときから同級生の女子を意識するタイプだったし、どういうわけか“女”というものに対して常に幻想を抱いてきたように思う。

また、今から振り返れば、たびたび教室などで話題になる「好きな人」という概念に固執してしまうタイプだった。一度囚われるとなかなかそこから自由になれないタイプであって、中学生のときは好きになった人に告白してみたこともある(振られた)。

 

演劇で知り合った子については、メールや年賀状などでコミュニケーションを取っていた。彼女は当時流行していたケータイサイトをやっていて、ケータイブログなどを書いていたこともあって、電子上でその動向を追えていたというのも好きになるキッカケだったのかもしれない。合宿でメールアドレスを交換した後に特に連絡を取らなければ、関係が進展することはなかっただろう。

 

そんな感じで幸運が重なり、告白したら実ったのだが、他校の生徒ということもあって普段の接触はなかった。「付き合う」が成立したその後に、どのように関係が進展していくのかということが具体的にイメージできていなかった。メールのやりとりをするのは楽しかったのだが。

恥ずかしからずに同級生とかに相談しておけばよかったのかもしれないが、何回か会って、特に関係も進展しないまま、それこそ手も繋ぐこともないまま振られてしまった(大学1年生の夏のことだったと思う。高校2年の2月から付き合ったので、期間だけで言えば1年半も付き合っていたことになる)。

 

僕の中ではおそらく「彼女がいる」ということに観念的に満足してしまっていたように思う。そこには実質が伴っていなかった。

日常生活において特に接点があるわけでもない関係性においては、自分で主体的に相手とのイベントを作った方が良かったのだろうなと今では思う。まあ、当時はそういうのがムリだった。

 

ネット恋愛

それからはとある女性声優にガチ恋してしまい、3年ぐらいはその追っかけをしていた。それは今から考えると恋愛の代替物として機能していたように思う。

 

ただ僕は割と寂しがりな方なので、大学でも人と交流しようとしていた。だが僕はシャイというか、自分を何者として呈示すればよいものか分からなかったときにはとりわけ、人に話しかけることが苦手だった。

それゆえに、なんらかの文脈を共有している特定の人としか関係を作れないタイプだった。理系だったのもあり交友関係は限定されており、人間関係は所属していたオタク系サークルが主だった。必然的に周囲の人間はほとんど男だった。

 

それにより、僕にとって女性との交友の主戦場は小中学校の頃から通暁しているインターネット上、ということになった。高校のときに演劇をやっていたり、声優オタクだったりした流れで、「こえ部」という音声投稿サイトに登録していた。そこには女性がそれなりにいて、とりわけ「こえ部LIVE!」という不特定多数の人が会話できるサービス(今で言うTwitterのスペースみたいなの)で会話していた。

ただし、3人以上での会話が苦手だった。文脈の共有できている相手ならまだしも、見知らぬ人と「雑談」的なコミュニケーションを継起していくことの難しさを感じた。

 

当時の僕は自分の会話できなさを「内輪ノリ」への嫌悪として理解していた。自分で「ノリ」を作り出せる人や、相手が作った「ノリ」に入り込める人が会話において有利だということだ。

そんな苦手さを感じつつも仲良くなった女性はいて、一人とはリアルで会えたので好きだと言ってみたものの、恋愛関係になることはなかった。

 

「こえ部」でウダウダやっていていろんな人の話を聞いている間に別のサービスを知ることになる。たしか当時小学6年生の子が教えてくれたような記憶があるが、Skypeちゃんねるというものだ。

LINEが十分に普及していなかった頃に流行していた音声通話サービスであるSkypeのアカウントを掲示板に書き込み、誰かと会話をするというものである。これはこえ部LIVE!と違って一対一で通話できるので、僕にも馴染みやすかったし、Skypeちゃんねるに漂う場末的な雰囲気ゆえか、性愛的な関係に進展することが割と容易だった。

 

これについてはサークラ会誌Vol.5で詳しく書いたので繰り返さないが、そこで毎晩のように女性と話したり、いわゆる「エロイプ」というテレホンセックス的なものをしていたりした。しまいには女性と出会い、いわゆる「オフパコ」をすることになる。女性への執着が強かった僕は、そこで初めて女性とセックスをするに至った。2013年3月のことだった。

 

このときは自分が童貞じゃなくなることは本当に良いことなのだろうか、といったやはり観念的な思考に囚われていた。中学生の頃から僕はまとまって考えたことはなんでもブログなどに書く性分だったので、その混乱ぶりについては当時のブログ記事(をこのブログに移したもの)

私がなぜオフパコによって童貞喪失したのかについて - 落ち着けMONOLOG

に記録してある。怪文書(というか怪図表)もいいところだし、そのときの情感を自分でも思い出すことが難しい。

 

自分本位な恋愛

リアルにおいて女性との性愛的な関わりがなかったためにどうにかネットでそれを実現していた僕だったが、サークルクラッシュ同好会(以下サー同と表記)を2012年に立ち上げ、翌年の2013年4月にまじめに新歓を始めてからはおそらく人生で初めて多数の女性と関わるようになった。

 

余談だが、2012年のあまり発信できていないときの新歓にも1人だけ他大学から女性が来ており、当時はあまりにも少数で行われていた活動を手伝ってくれていた。後になってその女性には彼氏ができたのだが、そのときにその女性はワンチャン自分とセックスすることを狙っている側面もあったのだと話していた。

曰く、自分が処女であることにコンプレックスを抱いていたとか。「なんだそりゃ」と思ったが、今にして考えると、恋愛の"可能性"は自分が認識していた以上に無数にあったものなのだろう。『やれたかも委員会』的な世界観である。

 

それはともかく、2013年のサー同の新歓で入ってきた他大学の女性と急に親密になった。やはりSkypeで長々と通話することで仲良くなったのだった。

相手には彼氏がいたらしいのだが、僕は相手に好きだと言ったところ付き合っているような関係になった。今思うと「付き合っていた」のかちょっと疑問なのだが。なんにせよイチャイチャしていたり性的な関係を持っていたりはしたので、自分としては完全に舞い上がっていたし実感としては「初めてまともに彼女ができた」気分だった。そのときの精神状態はちょっとおかしかったと思う。

 

詳しくは省略するが1ヶ月半後に酷い別れ方することになる。主観的にはあまりにも濃密な時間を過ごしていた気がするので、体感的には1年ぐらい付き合っていた感じなのだが。

 

恥ずかしい話、別れた後に僕は相手を非難する酷い発言をいろいろとしていた。だが、冷静に考えるともう少し相手を楽しませるというか、テイクだけでなくギブがあるべきだったんじゃないかと思う。要はその関係性において、相手が何を考えているかとか、自分の行動によって相手がどう感じるだろうかといった想像がうまくできていなかった。僕はとにかく自分本位に考え、自分にとっての快楽に邁進していたのである。

 

別れてしまったものの、周囲の人々との相談を繰り返すうちに、かなり自分の中で他者性が芽生えてきた。要は自分が取る行動が、相手にとってどのように映るのか、どのように評価されるのかということをかなり具体的に想像できるようになったように思う。

 

再度、ネット恋愛

とはいったものの翌年の2014年にはまたやらかすことになる。大学院試験に落ちてしまった僕は、大学は卒業していたので身分がない状態だった。勉強はしていたものの暇だったので、やはりSkype掲示板などに明け暮れていた。

 

そして、サー同が軌道に乗っていたことで、僕に興味を示した女性がTwitterを通じて話しかけてくるということが何回かあった。それで話しかけてきた女性と親密になったのだが、通話するうちに僕はガチ恋してしまうことになる。

その女性とのコミュニケーションにおいては、お互いの内面をかなり深いところまで開示することを意識的にやっていた感じがあり、そのせいでおそらく僕も自分の内面の脆い部分まで開示してしまったのだと思う。最終的には相手に対する好意を伝えるために異常なポエム文章を書き上げてしまい、恐怖を与えてしまったのか音信不通になった。

余談だが、その後にその女性と交際していたと思われる男性とはTwitterで相互フォローだったのだが、あるときにブロックされた。

 

その他にも、急にTwitter経由で連絡先を交換して、急に付き合おうと言ってきた女性がいた。僕は当時やはり女性に飢えていたし、好奇心もあってあまり考えずにOKしたのだった。

その人とは毎日5時間ぐらい通話していたと記憶しているが、心理的な距離は1センチメートルぐらいしか埋まらなかったってやつかもしれない。8~10月ぐらいに付き合って、大学院試験で忙しかった1月ぐらいに別れた記憶がある。

 

相手に合わせる恋愛、自分を変える恋愛

というわけで、2010年代前半の恋愛はかなり観念的なことに終始していた。「付き合う」まで進むことはけっこうあったが、そこから先がうまくいかないというか、大まかにいって「関係の維持」をどうしていくかという問題が僕の中から抜け落ちていたのだろう。

 

そろそろ具体的な情報を書くのが疲れてきたのでもうちょっと省略するが、2016年に大きな恋愛があった。これは約半年付き合った。

この恋愛において「相手に合わせる」ということをそれなりにちゃんと始めるようになり、「関係の維持」にしっかり取り組み始めたような気もするが、それはかなり歪なかたちだった。

 

どのように歪かと言うと、「普通になりたい」、「カルチャー教養を得たい」、「自分を変えたい」といった願望がそこに大きく関わっていたことである。

僕は大学入学当初から周囲に対するカルチャー・コンプレックスが強かったのだが、彼女に対してもそれを強く感じていた。彼女は東京的な(?)カルチャーにそれまでの人生でいろいろと触れてきた人で、多趣味な人だった。

だから彼女が「良い」と言っているものを摂取することで、自分もカルチャーに染まっていけるんじゃないか、今の無教養でみすぼらしい自分を脱して変われるんじゃないか、みたいなやや強迫的な観念があった。

この記事

「センスのある奴」を殺したい - 落ち着けMONOLOG

はそんな彼女と付き合う最中で書いたものであり、彼女に見せようと思って書いた記憶がある。この記事は3月初めに書かれているが、付き合い始めたのはたしか年初ぐらいだった。こういう記事を書いて見せている時点で彼女との関係は崩壊し始めていたように思う。

 

もちろん「関係の維持」を目指す意味でも「相手に合わせる」ということはしていたが、それはすなわち「相手の言動に対して嫌なことを嫌だと言えない」ということだった。僕は彼女の言動を間違っているとは思えず、怒りなどの感情が抑圧されていた。我慢の限界を超えた際には爆発していたというか癇癪を起こし、それでも彼女にぶつけるのはおかしいと思っていたから、叫んだり床を殴ったりしていた。当時シェアハウスに一緒に住んでいた人たちには申し訳なかった。

 

彼女の気持ちが僕から離れていくことで、「別れたくない」がゆえにより「相手に合わせなきゃいけない」という感覚が強まり、更なる悪循環に突入していたようにも思う。今にして思うと相手はだいぶ僕に対して酷いことも言っていたのだが、それは僕が招いたことでもあった。

「自分に持っていないものを彼女は持っている」から、彼女のことが好きなのだという説明を当時はよくしていたが、そのせいである種の権力性が生じていたというか、「自分よりも相手の方がモノを知っているし、相手の方が上」という感覚で彼女と接してしまっていたのだと思う。要するに僕は舐められていたのだ。

 

自分の中の「劣等コンプレックス」と「恋愛関係の維持」の問題がないまぜになり、結局は振られてしまったわけなのだが、別れた後もだいぶ引きずった記憶がある。そこには「彼女が僕を変えてくれるはずだ」という絶望的な幻想があった。

「彼女のメガネに適う自分になって、もう一度彼女と付き合うんだ」という妄想をよくしていた記憶がある。

 

普通で対等な恋愛

ついつい感傷的なことまで書いてしまったが、別れてから友人に相談したり文章を書いたりする中で、上に書いたような歪な関係についても自覚していくようになった。

 

心のオアシス(?)であるSkype掲示板に還っていった僕は2017年、またもや女性と親密になる。ケンカなどはあまりせずにイイ感じの関係だったのだが、遠距離であることが問題だった。

「付き合う」ことになり、通話はよくしていたが、東京まで会いに行くとドタキャンされることが何度もあった。さらに、ある時期からあまり相手が連絡を取ってくれなくなった。この間に彼女の中にどういう心情の変化があったのは分からない。

 

それでもたまに喋ってみるとちゃんと好意を表現してくれる人だった。けっこう演技派だったのかもしれない。

僕と別れた1年後ぐらいに彼女が結婚したのを聞いてびっくりした。やはり、僕と関係を持っていると同時に他の男性とも関係を持っていたのかもなあと。

 

翌年、2018年1月の文学フリマ京都にたまたま来ていた女性がサークラ会誌を読んで興味を持ってくれて、僕にコンタクトを取ってくれた。

その女性と会ったところ意気投合し、彼女とはあまり連絡が取れなくなっていたのもあったので僕は「乗り換える」ことにしたのだった。

 

詳しくはサークラ会誌Vol.8参照だが、その彼女とは2019年8月ぐらいまで付き合っていた。幸福にも(?)彼女は恋愛の儀式的側面を重視する人だったので、1年半の間に、同棲を始めるというイベントや、誕生日というイベント、一緒に旅行に行くというイベントなどいろいろやったし、相手の親と会うとかもあった。

そういうのを通ってこなかった僕はかなり勉強させていただいた。というか、それまでの僕の恋愛関係においていかに世間的な意味での「恋愛」をしていなかったかが思い知らされた。積年の劣等コンプレックスが解消されたような気分だった。

 

むろん、そういう「普通の恋愛」をしなければいけないわけではないのだが、ここで「普通の恋愛」を体験したおかげで、ときに「普通じゃない恋愛」を主体的に選択できるような基盤ができたように思う。

 

先ほど挙げた「関係の維持」問題についても改善が見られた。というのもまず、僕は自分のデリカシーのない部分もだいぶ分かるようになったからである。自覚できたところで改善しない側面もあったのだが、十分に自覚していなかったときに比べると大きな進歩である。

同時に、彼女との付き合いにおいては初めて「最悪別れてもいい」と思いながら付き合っていたのも関係の維持においては重要だった。自分にとってどうしても付き合いきれないことがあったら別れる、という選択肢を自分で取っても良い、という主体性が芽生えていたのだ。

これについては彼女が(少なくとも半年ぐらいは)僕のことをちゃんと好きでいてくれたのが大きかったのかもしれない。「恋愛は惚れた方が負け」ということはよく言われるが、それは惚れている側ばかり相手に譲歩するような権力関係が生じてしまうからだと思う。このような権力差は彼女との間になかったように思う。

 

結果として彼女とはたびたび「ケンカ」をしていたのだが、対等なケンカだったように思うし、その点は良かった。ただ、あまりにもエスカレートして落としどころが分からなくなることも割とあったのは苦しかった。

別れてみて、ケンカの原因について全体として考えてみたときに、自分と相手の相性の悪さが浮き彫りになったところはある。加点法的な意味では笑いの趣味などが合うところがありそれでお互い好きだったのだが、減点法的に考えると、たとえば清潔さの感覚などで相性が合わないところはけっこうあった。

 

特に問題だったのは、彼女と僕の周囲の友人があまり仲良くできないところだった。これは彼女に問題があるというよりも、彼女を自分が所属している界隈の「外」から連れてきていることによって必然的に生じる問題であった。

 

ここで得た教訓から自分がどのように考えるようになったかについては、冒頭に貼った2年前の記事に書いたとおりである。要は「友だち」を自分の関係の中心に据えるようになったということである。

 

まとめ――具体化・リベラル化した恋愛のその先は?

まとめよう。2009~2015年頃の僕はまだ恋愛を観念論的に捉えていたように思う。すなわち、「付き合う」という観念ばかりに自己本位に固執し、自分の行動が相手にどのように評価されるのかをあまり想像できなかった。また、「付き合う」という際には具体的に二人で何をするのかを具体化できなかった。そのこともあり、「関係の維持」をしていくことに意識が向かなかった、ということである。

 

2016年頃になってようやく恋愛関係は具体的なものになっていったが、「今の自分を変えたい」という欲望が相手に対して投影されることで、相手が自分よりも権力的に優位に立つ恋愛関係を作ってしまっていた。具体的には相手の言動を絶対視してしまうことで、「嫌なことを嫌と言えない」状況になってしまっていた(付き合っている間は、嫌だということを意識することすらできていなかった)。

 

2018年頃からはより恋愛関係が具体化し、「付き合う」ということの標準的なプロトコルを強く参照した恋愛を経験できた。また、対等な関係性を築くことを重視するようになった。

 

今では、恋愛対象を減点法的な基準で選択をすることや、自分の周囲の友人と仲良くできる人を選ぶこと、さらには必ずしも「普通の恋愛」にこだわらずに自分にフィットした関係をカスタマイズしていくことも模索するようになった。

 

こうやって振り返ってみると、2016年以降の僕の恋愛は「リベラル化」の過程だったと言える。今の恋愛においてもかなりの程度、相手と話し合うことによって、再帰的に関係性を作り上げているが、僕もすっかり都市型の人間になってしまったということか。

2020年から関係が始まった「好きな人」との関係についてはもう2年半になる。やはりいろいろあったので、これについても書き記しておきたいが、ここで書くことではないだろう。稿を改めてじっくり語りたい(要はのろけたい)。

 

思えば、2018年頃の僕は標準的なライフコースに敢えて乗ることで、彼女と結婚し・子育てをしたいなどと考えていたものだ。そこで頓挫したのもあって今では一気に羽を伸ばしているという感がある。結婚や子育ての問題をどう考えるかがやはり今後の課題なのだろうなあ。