2020年代、ウシジマくん的な「社会の闇」コンテンツ流行りすぎ問題(とその帰結について)
スマホとTwitterが普及した2010年代半ば頃、「毒親」モノのエッセイ漫画が隆盛した。
個人的に深く読んだもので言えば、田房永子『母がしんどい』、原わた『ゆがみちゃん』あたりがパッと浮かぶ。
誰もが自分のことを発信することが可能なインフラが整い、うまくいけば「自分語り」がバズりうるようになった時代。「毒親」的な体験談は、プロの描き手(書き手)に限らずアマチュアの人々も様々に発信し、(負の)共感を集めてきた。
このような環境が「毒親」体験談に限らず、優れた表現を生んでもいた。たとえば永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』などはそのような環境で生まれた「生きづらい系自分語りエッセイ漫画」の金字塔の一つだと思う。
しかし、2020年代頃になり、あまりにも「負の共感」や「社会の闇」がポルノ的に消費されすぎている。敢えて言うなら「ウシジマくん」的なコンテンツがすごく増えた。
流行ったもので言えば、歌舞伎町にデカデカと広告されているをのひなお『明日、私は誰かのカノジョ』(明日カノ)とか、修羅の国すぎる地元を描いたusagi『地元最高!』とか、最近アニメ化したタイザン5『タコピーの原罪』とかあたりだろうか。知的に障害がありそうな感じのキャバクラ嬢を描いた亜月ねね『みいちゃんと山田さん』とかも最近流行ってるっぽいね。
漫画に限らず、YouTubeの街録chとかノンフィクションライターの草下シンヤとかもそういうのに含まれる感じだと思う。
このあたりの文化の一つの中心はおそらく歌舞伎町だろう。トー横キッズだとかホス狂だとか頂き女子だとか立ちんぼだとか、そのあたりが2020年代にホットトピックになった。
おそらく背景には2012年の暴対法の強化などもあり、いわゆる「半グレ」(暴力団に加入せずに犯罪を行う集団)やら「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)やらが裏社会的なものの主流になっていることで資金の流れもあるのだろう(知らんけど)。
ただこういう「社会の闇」は歌舞伎町的なものだけに限定されていないように思う。
タコピーのブームに象徴されるように、家庭環境の問題やいじめの問題などもゴチャマゼにされながら「社会の闇ポルノ」はもっと大きなジャンルとして成立しているんじゃないだろうか。
2010年代を席巻したウシジマくんや毒親エッセイなどがきわめて「ノンフィクション」的に描かれていたのに対して、近年の「社会の闇ポルノ」はどうも「怖いもの見たさ」的な要素が前面に出すぎているようにも思われる。アンダーグラウンドだったはずのカルチャーがある種分かりやすく消費できるようになった。
すると、「ファッションメンヘラ」と「ガチメンヘラ」の境界線が曖昧なのと一緒で、最初はちょっとした憧れだったぐらいのところから、ゲートウェイ的にガチな「闇へと吸引されていく、という事態が起きているんじゃないだろうか。
であるならば、少し前に『NEEDY GIRL OVERDOSE』(ニディガ)というゲームが自傷行為やオーバードーズを助長しているみたいな話もあったが、別にニディガに限った話というわけではないだろう。
もっと大きなレベルで「メンヘラ」的な若い子たちが吸引されていく、ある種魅力的な「社会の闇」カルチャーが薄く広がって浸透してきているように思われる。それこそ「推し」という言葉が単なるアイドルから、メンズコンカフェのキャスト、そしてホストにまで地続きで用いられているように。
僕が心配なのは今10代とかの子である。統計上類を見ないほど10代の自殺が増加し、オーバードーズが流行り、不登校が増加し、通信制高校が隆盛する今の時代において(詳しくは検索してください)、ある種の子たちにとっては「社会の闇」的なものが最も魅力的な居場所になってしまうという逆説が起きているのではないか。
そうなると、トー横のように閉鎖しただけでは、若い子らはより孤立を深めていくだけだろうし、また別の「トー横」的な場所を求めてさまようことになるだろう。
そこで僕としては提案したいのが、そういう子らを包摂できるような自助グループ的なコミュニティを作ることである。冒頭で触れたような「毒親」の問題について垣根なく語り合えるような、自分語りコミュニティが形成されている方が孤立はだいぶ解消されるんじゃないかと思う。
つまり、「闇」へと突き進んでいった子たちを、自助グループ的な共同性によって包摂し直す方向性を考えていく必要があるんじゃないかなあと。
2020年代のメンヘラ問題についての僕の雑感でした。

