京大生必見! 2017年NF統一テーマに隠された真実

2017年の京大11月祭(NF)統一テーマが発表された。以下である。


戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ
軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ!

 

このテーマについての批判が相次いでいる。主張内容の薄さもさながら、左翼的な臭いも感じさせる。
それに、やけに長いテーマで二行に分かれていて歯切れが悪い。もちろん私もこのテーマに違和感を覚えずにはいられなかった。しかし、実はこの違和感には理由がある。私はこのテーマに隠されたメッセージに気づいてしまった。

 

まず、このやけに長いテーマの省略されている文字を補うとこうだ。


戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ(告ぐ)
軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ!


ということだ。これは「戦争に加担した大学」から「平和を希求する大学」へのメッセージなのだ。では「戦争に加担した大学」、「平和を希求する大学」とは何のことか?


大学の知(アカデミズム)が戦争において重要な役割を果たすことはしばしばある。ここでこのテーマが「NF」のテーマだということを思い出してほしい。


NFとは何の略か? November Festival? いや、違う。これはその「超人思想」をナチスドイツに利用された、フリードリヒ・ニーチェ(Nietzsche Friedrich)のことを指しているのだ。

 

ここまで言えば「戦争に加担した大学」の意味は明らかだろう。このNF統一テーマは、戦争に加担した大学(の知)から、腑抜けた「平和を希求する大学」へのメッセージなのだ(当然のことながら、マルティン・ハイデガーが1933年にナチスへの共感を示した「ドイツ大学の自己主張」も背景にある)。

 

 


では、メッセージの内容は何をしめしているのか? 先ほどの分析から考えて明らかなように「みんなで肩組んで騒ごうぜ」というのは言うまでもなく全体主義を示している


腕がなく“肩を組めない”“みんな”に入れない者は積極的に排除していこうという姿勢だ。NF統一テーマの“統一”とは、そういうことであり、「NF」がナチズム・ファシズムをも意味していることもまた明らかである

 

しかし、それでは「軍事研究するヒマがあったら」というのはどういうことだろう? ヘゲモニーを握って「統一」を成すためにはむしろ軍事力が必要ではないのか?

いや、違うのだ。忘れてはならないのはこれは大学へのメッセージであるということだ。


軍事研究という「政府による・理論主導の・上から押し付けられた」ものではなく、“みんなで肩組んで騒ぐ”。つまり、「個人個人による・直接行動の・草の根の」力を、大学(の知)に求めているのだ。

アカデミズムが大衆から遊離する中で「国家」という幻想を取り戻す。そのために行われる「NF」の3つ目の意味はNationalism Fantasyである。

 

NF統一テーマは微温的な左翼による戦争反対のメッセージではない。むしろ戦争のために大衆を、大学を蜂起させるプロパガンダなのだ。