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西沢大良「近代都市の根拠――新型スラムと二一世紀の都市の課題」(『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』p26-52)の個人的レジュメ

個人的なレジュメなので網羅的ではないし、僕個人による言い換えも多いですので注意。

 

「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係

「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係

 

 

19世紀、オランダに対抗したいイギリスでの、綿産業:軽工業の発達→貧困(ブラック労働)、スラム化、伝染病、公害
→どうしようもない状態からの起死回生としての近代都市の発生(上下水道の整備、住居地域と工場地域の区別、住居地域と業務地域の区別といったもの)
19世紀末、軽工業は先端技術ではなくなり、工業先進国は重工業で争うように(90年代あたりからは情報産業へ)。
同時に、港湾部へ産業も移転。都市部ではスラム化がとまったように見えるのだが……

 

ハワード「田園都市」はその時期の構想のため、上記の貧困、スラム化、伝染病、公害問題は近代都市計画によって解消されたのか産業移転によって解消されたのか分からない(実際は産業移転によって、だと思われる)。
つまり、ハワードは重工業期の都市を前提としたために、産業移転後の(たいしたことない)スラム状態を前提としている。

結果、現代のスラムとして二パターンある。
旧型スラム:中南米や南アジアにおいて近代都市計画が進むものの、教育水準の低い農奴は庶民はそこで仕事できず、債務が膨れ上がる。結果、農地や鉱山や水源を売ることになり、スラムが発生する。
新型スラム:近代化後、郊外ベッドタウンやニュータウンがスラム化する。


「集落」は、農地や漁場や鉱山といった「特殊な土地」の生産力に依存して長期的に生存するという戦略を持っている。これを近代都市計画にいいとこ取りにように組み込んでしまったのが失敗。ハワードの「田園都市」はその点で間違っている(近代都市には「特殊な土地」がなく、単なる宅地でしかない。30~50年は生き延びれるけどその後スラム化する)。言い換えれば、近代都市はやはり軽工業に頼っていて、その問題への根本的解決はない。

 

社会主義ケインズ主義も結局新自由主義(市場万能主義)に勝てずに回収されていってしまった。いずれも官僚組織が肥大化してしまい、福祉政策が行き詰ったから。

その対抗として、①北欧モデル:市場の警戒のみならず、国家も警戒。市場では競争してもらうが、倒産したら救済はしない。代わりに人間に補助金出して、市場に復活するまで支援する。
貯蓄しないとか、失業を恐れないといったヤバい世界観でもある。
宇沢弘文の「社会的共通資本」論。新自由主義フリードマンを批判し、Ⅰ自然界、Ⅱ法律や制度、Ⅲ上下水道などのインフラを社会的共通資本と定義し、それらを毀損してはならないとする理論。
アマルティア・センのケイパビリティアプローチ→具体的には、グラミン銀行の貧民に低金利で貸す方法。貸すときに親戚全員とか友だち全員で借りにこさせて、社会関係資本を担保にする戦略。返せなかったら人とのつながりを失ってしまうので、返せる。

 

西沢大良の処方箋:
都市・国家・資本を分けて考える。国家は資本に従属しちゃってるし、短命なので60・70年ぐらいしか残らない。資本も短命、倒産するし強くなってもインフレとかの影響受ける。それに対し都市は頑強。従来の理解では、国家が都市を整備し(公共事業)、資本が都市を整備する(民間事業の再開発)。だが、長期的に見ればこの依存関係は逆。都市計画は国家・資本が機能している間に、機能しなくなったときの生存環境を整えておく必要がある。本当は都市の方が長期的には生き残る。