僕の人生を大きく変えたメンヘラ神との思い出
サークラアドベントカレンダー3日目、ホリィ・センです。
「こじらせ自分語り」がテーマだそうで、僕の中でこじらせの定義は「他者にあまり理解されにくい複雑なこだわり」みたいな感じですかね。と言っても、今回はそういうテーマに回収されるのか微妙です。今回はメンヘラ神と名乗っていた女性を巡って2013年にあった出来事と、それについて僕が何を思ったかを書こうと思います。
はじめに
文脈を知らない人のためにも説明します。2014年2月にLINEで自殺教唆した人間が逮捕されたというニュースがありました。それによって話題が掘り返されてしまったのですが、その自殺した人間がメンヘラ神でした。先に言っておくと、彼女の自殺の動機や原因は僕にも分かりません。彼女は精神疾患を抱えていましたし、その「自殺教唆」のようなものが決定的な自殺の原因になったかと言われればそうではないと思っています。
そのニュースがあって、誰が作ったのか分かりませんが「電子の海を揺蕩うメンヘラ神」(https://twitter.com/Q_sai__)というbotができました。彼女が使っていたアイコンのままで彼女のネタツイートの一部が抜粋されていますので、見れば大体の雰囲気が掴めると思います。
メンヘラ神は「メンヘラ」という概念を用いたパフォーマンスにおいて伝説的な人でした。リストカットやオーバードーズ、自殺未遂や恋愛のイザコザなどをTwitterやブログに投稿し、その自意識についての巧みな文章力もあって多くのフォロワーを獲得していました。
それもインターネット上のパフォーマンスでとどまるのではなく、オフ会なども何度か開かれており、活動的な人でした。2013年11月の第十七回文学フリマで頒布された『メンヘラリティ・スカイ』という同人誌も話題になりましたし、実際にメンヘラ神に会ったことのある人もそれなりの数いるはずです。
そんなメンヘラ神と僕は個人的な関わりを持っていました。いろいろな気持ちがあってインターネット上で語るのは控えてきましたが、もう彼女が亡くなってから4年も経ったわけですから、そろそろちゃんとした形で彼女のことを書こうと思います。
出会い
2013年の4月、僕は「サークルクラッシュ同好会」の新歓をするため、Twitter上で宣伝していました。ネタ性の高いビラを作り、ある程度の注目を集めていました。そんな中で彼女はメールを送ってきました。
そして彼女が「メンヘラ神」というアカウントで活動していることを知り、彼女の面白いツイートを見て僕は惹かれました。5月にたまたま東京に行く機会があったため、僕は彼女に会うことにしました。5月18日のことでした。
彼女とは渋谷で待ち合わせしました。会ったはいいものの、僕はまだ東京に行き慣れておらず、おぼつかない感じでどこで話をするかも考えていませんでした。メンヘラ神は「キャッチの人についていきましょう」と言いました。僕はそれについていき、キャッチのお兄さんに導かれて僕たちは居酒屋に入りました。
僕は当時はまだ女の人と二人で話をすることも慣れていませんでした。ぎこちない会話になっていたかもしれません。それでもメンヘラ神は優しく、気さくに話してくれましたし、聞くのが上手くて話しやすいと僕に言ってくれました。
居酒屋を出ても夜行バスまで時間が少しあったので、マクドナルドでギリギリまで喋りました。そのときに僕は小学生のときに精神的に不安定だった話をして、彼女は笑ってくれました。「ホリィさんってまともそうな人かなと思ってたので、そういうメンヘラなところもあるのなんか安心しました」、そんな感じのことを彼女は言っていたと思います。
サークルクラッシュ同好会関東支部の発足
僕がサークルクラッシュ同好会を拡大していくにあたって関東支部をやりたいという話をしていたら、彼女はその代表をやることを快諾してくれました。さっきのメールにもあるように彼女は実際にサークルクラッシュをしてしまっていたのです。
彼女曰く、まず「精神を病んでるから気にかけてほしい」ということを言って一人を自分に惚れさせた上で、他の男たち一人ひとり個別で二人っきりで会って「○○さんに言い寄られて困ってるの……」と言っていくスタイルで連鎖的に人を壊していったそうな。誇張もあるかもしれませんが、あるサークルで人間を8人辞めさせたとか。その結果彼女が追い出されることになったそうです。ただし、次々と人間が辞めていく理由が誰にも分からず、とりあえずアイツがヤバそうだということで「大麻をやってるから」という理由で辞めさせられたということを話していました。
そんな彼女はサークルクラッシュ同好会関東支部を「他のサークルから追い出されてきた人にとっての最後の居場所」にしたいと言っていました。関東支部発足にあたって、7月7日にskypeでの説明会がありました。そのとき録音していた音声が残っているので、僕は今でもメンヘラ神の声を聞くことができます。
関東支部の集まり
そして翌月の8月13日、メンヘラ神が一人暮らししていたマンションで第一回の関東支部の集まりがありました。僕は関西からも二人の人間を連れて行きました。メンヘラ神は実家がお金持ちだったのでとても広い部屋に住んでいました。メンヘラ神はとても不安そうにしていましたが、人狼ゲームのレクリエーションをするなどもあり、和気あいあいとした感じでその日は終わりました。
そのときに出会った人の中には今でも付き合いがある人が何人かいます。ネクラコミュ障っぽい人もそれなりにいる集まりだったと記憶していますが、メンヘラ神はとにかく優しくて、そういう人にこそ気さくに話しかけていました。
ただ、「その場にいる人を楽しませられているか」という点で不安になってしまう彼女はついついリストカット芸やオーバードーズ芸をやってしまうのでした。そのときも度数の強いお酒をハイペースで飲んでいた気がします。そのせいで結局すぐに寝ちゃってました。メンヘラ神の部屋ではなにやら性的なことも起こっていた気がしますが、僕はあまり気にしないようにして他の人間と話していました。
メンヘラ神と付き合う
メンヘラ神が起きていたときに、僕は「メンヘラ神とだったら僕は付き合いたいけどな」みたいなことを冗談めかして言ったような気がします。僕はメンヘラ神のことが女性としても好きでしたから。
そして僕にとっては奇跡のような体験をしました。メールを通じてメンヘラ神とその日の段取りをしていたのですが、メンヘラ神宅での集まりが終わった後に携帯にメールがきました。「ホリィ、付き合おうよ~」と書かれていたと思います。少し照れのあるかわいいメールだなと思いました。
僕はそのときまで女性から付き合おうということを言われたことは一度もありませんでした。それをまさか、好きな人であるメンヘラ神から言われるとは。僕は喜んでOKしたかったところでした。
ただ、問題なことに、僕はそのときに付き合っていた彼女をメンヘラ神宅に連れて行ってもいたのです。僕は当時付き合っていた彼女のこともまた尋常じゃなく好きでした。どちらかを選ぶなんて僕にはできませんでした。
実は当時付き合っていた彼女(Aさんとしましょう)は別の人間と二股をかけていました。僕はAさんが付き合っている男がいるのを承知で告白し、「二股してもらっていた」のです。そして、メンヘラ神もまた、いろんな男と肉体関係を持つ人でした。そんな中でできる「誠実な」態度というのは、二人にちゃんと話した上で二人ともに付き合うことだろう、と僕は思ったのです。というのも、「ポリアモリー」と呼ばれる複数の人と恋愛をするライフスタイルについて当時関心があったため、それを都合の良い部分だけ抽出して利用してしまったのです。
今から思えばまともな恋愛のプロトコルもロクに知らない人間が、それをすっ飛ばしていきなりポリアモリーを実践するなんて無謀すぎたのです。アレは単なる「不誠実な」態度でしかなかったでしょう。
結局Aさんはメンヘラ神に嫉妬し、関係が破綻しました。僕は別れたAさんに対して強く執着してしまい、客観的に見ても明らかに気持ち悪いチャットをSkypeで送ってしまいました。しかも彼女はメンヘラ神などの関東の人たちと個人的に仲良くしていたのがあり、僕のチャットは関東支部の人たちに広まってしまいました。メンヘラ神の中で「関東支部に集まってくる人が想像していたのと違う」というのもあり、関東支部を辞めるということをあるとき電話で告げられました。
「女の子」としてのメンヘラ神
それでもメンヘラ神との交際は楽しいものでした。こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、あんなにまっすぐ僕に対して好きだと言ってくれた人間はメンヘラ神だけでした。少なくとも僕にとってはそうなんです。
関東支部の集まりのときに僕はなぜかクレジットカードをメンヘラ神宅に忘れてしまっていました。郵便で送ってもらったのですが、そこには手紙が同封されていました。僕はこの手紙を見るとやっぱり今でも泣きそうになります。
文面からも伝わってくるでしょうが、彼女は「女の子」でした。少なくともそれを演じてはいました。もう消えてしまいましたが、メールの文面もかわいかったのです。
そして東京に行く際には彼女と会っていました。結局2,3回程度しか会うことはなかったのですが、個人的に彼女の家に行って泊めてもらったこともありました。喋っていたら相手を楽しませられているかどうか不安になってトイレで一人反省会をしてしまうメンヘラ神。一緒に寝ているときも僕の手や腕を噛んでくるメンヘラ神。部屋を出るときに背伸びをしてキスを求めるポーズをしてくるメンヘラ神。僕はそんなところにドキドキしていました。
彼女は僕と一緒にブログの交換日記をすることを提案してくれたこともありました。今思えばそれもやっておけばよかったなと思います。でも、僕は僕で自分のことで精いっぱいだったところがあります。ある日メールでやりとりをしていたら長文のやり取りになってしまい、「僕は君のことが好きだが、君が別れたいのなら別れよう」というようなことを言ってしまいました。経緯を詳しく覚えてはいないのですが、バカなことをしてしまったなと思います。
聞くと、メンヘラ神もまたAさんに対して嫉妬していたそうです。Aさんと僕は仲が良いんだから私の入る余地はない、と思っていたところがあったそうです。でもメンヘラ神はそんなことを表に出さずに我慢していたのです。僕は本当に大バカ者でした。あんなに好きだった人に対して、どうしてもっと配慮できなかったのか。もっと愛することができなかったのか。何があったとしても僕だけは君のそばにいる、責任を取ると、はっきり言えなかったのか。
彼女はまた「女の子」として矮小化してしまうのもどうかと思うぐらいに、本当に才能のある存在でもありました。「たとえこれから何かを成し遂げることができなくても、今までの君はいるんだから、それだけで僕は君のことが好きだ」ということをどこかで言ったような気もします。それぐらいが当時の僕の限界でした。
メンヘラ神の死
11月4日(月)、第十七回文学フリマがあった。僕は東京に行き、サークルクラッシュ同好会会誌第二号を委託販売していた。メンヘラ神は『メンヘラリティ・スカイ』という同人誌をはるしにゃんという男と共に販売していた。少し挨拶を交わしたものの、僕らは違う場所にいた。僕はその日にメンヘラ神宅に泊まった。『メンヘラリティ・スカイ』の打ち上げはメンヘラお断りなので、メンヘラ神は行けなくなったというようなトンデモナイ話を聞いて、自分の側の打ち上げに誘えばよかったと思った。
11月5日(火)、起きてメンヘラ神がパスタを茹でる。それを僕はいただく。パスタがうまく巻けないって話を『メンヘラリティ・スカイ』でしてたよねと話す。彼女は「こんな暗い部屋で二人でパスタ食べてるってなんだか浅野いにおの漫画みたいだね」と言っていた。彼女はTwitterでも「浅野いにおの漫画みたい」って言っていた気がするし、ネタの使い回しが多いんだなあと思った。
そして彼女は「ホリィもリスカしようよ」と言ってきた。これも一つの経験かと思い、僕もやってみることにした。彼女は痛いのが苦手らしく、薬を飲まないとリスカできないんだと言っていた(確かマイスリーだったような気がする)。薬を飲んだ後に貝印のカミソリを振りかぶり、手首に振り降ろす。やたらと勢いが良かった。僕もそれにならってやってみる。痛い。痛い。でも僕は痛みに対する耐性が強いので、大したことはなかった。血が滲み出てくる。彼女が僕の傷を舐める。僕も彼女の傷を舐める。彼女は薬を飲んだ人間特有の目をしていた。なんだか退廃的な感じだった。
その後に別のサークラ関東支部の友人がメンヘラ神宅に来て、蜜月の時は終わった。聞くと、関東支部の中の男と付き合っているとのことだった。僕ははっきりと別れてしまっていたようだ。焼き鳥屋かどこかへ行った気がする。メンヘラ神の彼氏はバンギャの男版みたいな見た目の奴で、誰かから「でも顔的にはもっともっさりしたのが好きなんでしょ」みたいなことを言われていた気がする。彼女も肯定していた。
11月6日(水)、夜行バスで関西に帰ってくる。メンヘラ神と電話すると「昨日のことを覚えてない」と言われる。マイスリーの前向性健忘だ。(この電話はもっと前の電話だったかもしれないが記憶が曖昧だ)
メンヘラ神によってサークルクラッシュ同好会関東支部の崩壊がネタにされていた。ラリっている状態特有の誤字が目立っていた。僕は関東支部の今後の進退についていろいろと考えをTwitter上で述べていた。
11月7日(木)、関東支部の崩壊について僕もネタツイをした。
11月8日(金)、関東支部だった人から怒りのリプライがきて応戦していた。メンヘラ神は鍵垢で「ホリィ、ディベートみたいなやり方をしてもしょうがないよ」というようなことを言っていた。メンヘラ神と僕はディベート甲子園出身者だった(ちなみに8月にはディベート甲子園の会場でも彼女と会っていた)。
その日の夜、メンヘラ神からメールがきた。「ありがとうございました」とだけ書かれていた。僕は彼女のことが心配だったが、自殺未遂自体はこれまでも何度もしてきたし、携帯の電池も切れそうだったし、メールを返すだけに留めておいた。あのとき電話の充電がちゃんとあればよかったなと今でも思う。
11月9日(土)、メンヘラ神のツイートが途絶えた。僕は心配だったが、9割方大丈夫だろうと思っていた。
神は心中垢消しとか失踪とか入院とかこれまでもやってたみたいだから、9割方は大丈夫だろうと思ってるけど、数%のところですごく心配だし死んだら泣く
— ホリィ・セン(サークルクラッシュの人) (@holysen) 2013年11月10日
11月10日(日)、でも、大丈夫じゃなかった。心配をした友人がメンヘラ神の住んでいるところの近くの警察署に電話をして、自殺を確かめたのだ。僕は激しく動揺した。冗談を言っているのかと思った。僕自身も警察署に電話をして確認した。電話口で亡くなっているということを告げられた。
世界が変わってしまったのだ。
その後のこと
僕は激しく泣いた。力が入らなかった。メンヘラ神が死んでしまったと、友人に話し、先輩に話し、親に話した。メンヘラ神のことを知っている人にこのことを伝えなきゃいけないという思いでいろんな人にDMをしたり電話をかけたりした。本当は僕は話し相手が欲しかったのだと思う。苦しくて苦しくて、何日かは思い出し泣きする日を繰り返した。
彼女の実家は沖縄だったし、そもそも葬式に行ってもしょうがないと思った。彼女と親しかった人は葬式に行ったので、彼女の亡骸の様子などを聞いた。死化粧は綺麗すぎて、違う顔のようだったというようなことを言っていた。飛び降りて、顔だってまともな状態では残っていないはずなのだからと。
『メンヘラリティ・スカイ』の共同代表であったはるしにゃんもメンヘラ神のことをブログに書いていた。僕に「ありがとうございました」というメールを送ってきた翌日の朝、メンヘラ神ははるしにゃんに電話をかけていたようだ。それでも結局どうしようもなくて飛び降りたようだ。はるしにゃんのブログによればメンヘラ神ははるしにゃんに「ずっと好きでした」と言ったそうだ。はるしにゃんは話を盛りがちな人間なので実際どうだったのかは分からないが、メンヘラ神ははるしにゃんを選んだのだな、とどこか負けた気分にもなった。
そして、はるしにゃんももうこの世にいない。はるしにゃんもまた、メンヘラの間ではカリスマ的な存在だったし、メンヘラ神はそういうところに憧れていたのだろうと思う。メンヘラ神についてやそれらのことは他にもいろいろ書けるが、もうこれぐらいにしておこう。
ともかく、メンヘラ神の死は受け入れがたい事実だった。人間が大切な対象を失ったとき、それを受け入れていく過程を「喪の過程」という。僕にとっての「喪の過程」はまずはとにかく話すことだった。メンヘラ神の死についていろんな人に話した。先輩に勧められて大学のカウンセリングルームに行ったし、普段そんな話をしない人に対しても「大切な人が自殺してしまった」という話をした。迷惑だったかもしれないが、そうするしかなかったところがある。
そして、不謹慎だと言われるかもしれないが、4年も経ったのだからはっきり言っておく。「僕は彼女の死から何を学んだのか」ということ、また「彼女の死にはいかなる必然性があったのか」という物語を考えることが僕にとっての喪の過程だ。それが彼女の死を受け入れ、彼女の死を無駄にはしないことだと思う。これはあくまで僕にとっての問題だし、他の人には他の人の答えがあると思う。
それからとこれから
この2013年があって、僕の生き方は変わっていきました。生きづらい人が生きやすい世の中にしたい。人を助けたい。そういう執着が生まれました。それは「メサコン」と呼ばれる、ある種危険なことなのかもしれません。自分の生き方を押し付けて人の生き方までも支配してしまわないように注意すべきだとは思います。しかし僕は第二、第三のメンヘラ神をできるだけ生みたくないのです。目の前にいる人たちが死なないようにしたいのです。僕のサークルクラッシュ同好会は、僕のシェアハウス運動は、僕とあなたとの対話は、そのためにあるのです。
メンヘラ神のことを語ってしまうとどうしても自分語りになってしまいます。どうしても恋愛的な気分でメンヘラ神のことを語ってしまいます。そういうのが申し訳なくて、長らく書けないでいました。でも、彼女の死によってできていった繋がりもたくさんあります。おかしな言い方になりますが、僕はそこにある意味では「感謝」したいです。「死せる孔明生ける仲達を走らす」、ということでしょう。僕はそうすることでしか、彼女の死を贖えないのです。
みなさんは彼女の真似をしないでください。彼女だって南条あや、中島らも、大槻ケンヂなどの影響を受けたサブカル女でした。そこにリアルはないんです。死んだらどうしようもないんです。この世に彼女が生きていたら、あんな出来事もこんな出来事も笑って話し合えたらと思うと、本当に悲しいです。
なんだか、うまく書けなくてごめんね。アドベントカレンダー、次はSIlloiくんです。