ライブで初めて"ノる"ことができた話

家でダラダラ過ごしてたら同居人が

「ライブ行こう」

と言いだした。僕は「ライブ」というものが苦手だった。それは率直に言えば"ノる"ことができないからだ。

今まで、たまたま声優のライブに行ったことが何回かあったが、"ノっている"人たちや「一体感」や「共振」みたいなものが目の前につきつけられて、どうも引いてしまう。第三者的な視点になって、その光景を外から見つめてしまい、没入ができないのだ。

 

「面白いよ」と言われたので渋々行くことに同意し、そして、大阪にあるライブハウスに着いた。いわゆる「ハコ」だけど、どれくらいの大きさが相場なのかは知らないし、大きい方だったのか小さい方だったのかはよく分からない。とにかく、今までに行ったものに比べると小さい場所だった。ワンドリンクつきで2000円。

しかし、そこに向かう途中で運悪くサンダルを踏まれてしまい、サンダルの鼻緒(?)が切れてしまっていた。だから、ライブが始まる前は裸足になってみた。地面の振動がじかに感じられるし、音を聴く姿勢としてはアリかもしれない。

 

そして、ライブが始まった。3つぐらいのバンドが出てくるだけだと聞いていたが、実際には4つだった。パンクバンドのライブと聞いていたが、1つ目に出てきたバンドは明らかにパンクバンドという感じだった。僕もそういうのは詳しく知らないが、漠然とイメージするパンクバンド像にぴったり入ってくるようなパンクバンドだ。

裸の上半身に文字を書いたボーカルがステージ上を縦横無尽に走り回りながら歌う。時にはステージ上から降りたり壁にぶつかったり懸垂をしたりとなんでもアリな感じだ。一応曲名を紙で全部出してくれていて、曲名は分かったが、それもまさにパンクっぽい感じだった。例えば、『人が集まるとロクなことがない』みたいな曲名で、露骨すぎたり直球すぎたり。4つバンドがあったけど、どれも味があって良かった。こういう世界があるのだなあと感じられたのは良いことだと思う。

 

さて、僕は"ノる"ことができないからライブが苦手という話だった。しかし、今回は初めて"ノる"ことができたように思う。

というのも、今まで行ってきたライブと違う部分が今回は3つあった。

①アルコールを多めに摂取していたこと(始まる前に1杯飲み、途中でもう1杯飲んで多少酔っていた)

②音がうるさかったこと(耳の聞こえ方がしばらく変になるぐらい音量がデカかった。歌詞もほぼ聞こえないし)

③ノりすぎている観客がいなかったこと(オタクのライブに行くとオタ芸してる奴らとかいるわけだけど、そういうのとは全然違ってだいたいみんな体や頭を揺らしているだけだ)

 

この3つの条件がうまく作用してくれて僕は"ノる"ことができた。ここからは具体的にどういう手法で"ノる"ことができたかを説明する。これはライブでどうも第三者的になってしまって"ノる"ことができない人や、もっと一般的に「外から物事を見つめてしまって、没入できない」という人にも参考になるように思うし、有益な情報っぽい。

 

どうやって"ノる"ことができたか

"ノる"ことのできていない状態の大きなものとして、「余計な考えがどんどん浮かんでくる」、「自分がハタから見て今どんな状態かに意識がいってしまう」といったものがあるだろう。つまり、「余計な考え」や「自意識」にどう対処すればいいのかという問題だ。

これに対して、まず①酔っていたことがあったので、ある程度「自意識」(自分が他人から見て今どんな状態かが気になる)は吹っ飛んでいた。

更に②音がうるさかったことのおかげで、歌詞が聞こえなかったし、演奏の音だけに集中できた。歌詞は言語情報なので、どうも「感じる」ではなく「考える」の方向に向かいがちだ。それが、聞こえないのは逆に"ノる"分にはありがたかった。

そして③ノりすぎている観客がいなかったことも挙げられる。これは微妙なのだが、「ノりすぎている」人がいたら温度差についていけなくなるし、逆にノっている人が誰もいなかったら、自分だけノるのが恥ずかしいみたいな自意識の問題が生じる。だから、適度にノってる人もいたぐらいで、観客のバランスがちょうど良かったのがありがたかった。

 

このような条件が揃っていたために、かなりノりやすかった。そして、たまたま思いつきで、僕なりの工夫が4つあって、それもぴったりハマった。これらも便利なので、ぜひ読者にも機会があればやってみてほしい。では、工夫の1つ目↓

一、誰か1人に感情移入する

バンドというのはだいたい3人とか4人とかいたりするものだ。それら全体が作り出す音楽に"ノる"というのが僕にはどういうことなのかよく分からない。

しかし、僕は誰か1人にであれば感情移入することができる。今、この人に感情移入しよう!というのを1人定めて、そこに入り込んでいくのだ。

これによって「第三者視点」を払拭することができる。言わば「第一者」になれる。三人称の「彼ら」から一人称の「私」になれるのだ。

具体的な話を更に下で展開していこう。

 

二、動きごと真似る

感情移入って言っても何すりゃいいんだ、ということもあるだろうが、それは端的に言えば「その人になる」ということだ。では感情移入相手として誰を選べばいいかということだが、オススメはドラムだ。普通はボーカルかもしれんけど、僕はドラムをオススメする。なぜか?

それは、ドラムが一番大きく動いているからだ。ドラムは常にスティックで叩いて脚で踏んでいる。それを動きごと真似るのだ。自分も手や脚を動かして、架空のドラムを叩いてみよう。膝の関節なども含めて、全身を動かしてみよう。

すると、動いていることによって集中が高まっていく。まさに"ノる"状態になっていく。"ノっている"状態にある人の身体は常に動いているものなのだ。

そしてこの「真似」はもっと徹底できる。次の工夫。

 

三、声を出す

よくあるライブでは「ハイハイハイハイ」みたいな掛け声が入ることがよくある。僕はそれも苦手だ。リズムに上手く合わせなきゃいけないし、何故か知らないが掛け声のルールが暗黙に決まっている感じがある。

しかし、先ほどの感情移入の方向でいけば、ボーカルに感情移入する場合を考えてみよう。ボーカルは歌っている。その声の出し方も想像してそのままやればいいのだ。そして何より音のうるさいライブハウスだった。声を出していたところで周りに聞こえはしない。僕はボーカルに感情移入するのもあったが、「ウーーーーーーーーーーーー」とか「アーーーーーーーーーーー」みたいな声を出したいときに出していた。身体の動きを徹底するのであれば、声を出すこともアリなのだ。これで更に没入度が高まる。

 

四、浮かんでくる考えに身を委ねる

それでも「余計な考え」はどうしても生まれてくるのだ。ドラムに没入していたとしても、ギターの方が気になったりする。観客の方が気になったりする。動いている自分の動きが変じゃないかと思ったりする。自分の着ている服や自分の髪型が気になったりする。喉が渇いたりする。トイレに行きたくなったりする。演奏している人の見た目、今何を考えているかなんかが気になったりもする。

しかし、それはそれで良いのだ。そういった考えを抑圧して「音楽に集中しなきゃ」となってしまうと余計に考えが浮かんできて、没入できなくなる。

だから、僕は浮かんでくる考えをそのまま受け入れた。ギターが気になったらギターの方に感情移入の対象を変えてみる。観客が気になったら観客の方にも感情移入してみる。自分のメガネがうっとうしくて外したり、視界がボヤけるのがうっとうしくてまたかけたりみたいなことを抑圧せずにやる。ふと熱が冷めたと思ったらそのまま受け入れて後ろに下がって椅子に座る。また自分の中で盛り上がってきたら立ち上がって動く。

僕に限らず、注意が持続せずいろんなものにすぐ気を散らされてしまうタイプの人間はけっこういるだろう。そういう人こそ、この浮かんでくる考えに身を委ねるをやってみてほしい。動きに連続性は必要ない。その場で思ったことをその場でやって、また違うことが浮かんだらそのとおりにやったらいい。

 

***

 

演奏している人たち、観客の人たち、そして自分を見ていて思ったのは、それぞれの人にそれぞれの「自己陶酔」があるということだ。

「一体感」や「共振」なんてものはいらない。人は本質的には分かり合えない。だからこそ、開き直って自分なりの自己陶酔をしてしまえばいいのだ。そうすることで"ノる"ことができた。

少しは「ライブ」が好きになりました。