もはや「シェアハウス」ではないものに向けて――「駆け込み寺」から「家族」へ

この文章は僕の運営しているオープンシェアハウス・サクラ荘の季刊誌「季刊サクラ荘」第二号に寄稿した文章です

 

 ホリィ・センです。この文章ではこれまで日本で行われてきたシェアハウス的実践の歴史を軽く振り返り、過去の教訓に学ぶことで、僕がサクラ荘によって目指す新しいシェアハウスの展望について述べます。それは人々の根本的な家族観を変え、「自由」や「責任」といったものの意味を問うものになるはずだ、という話です。かなり雑な話なので、まずは大ざっぱに読んでくれると幸いです。

 

シェアハウスムーヴメントの歴史?

 偉そうに語れるほど知識があるわけではないが、「シェアハウスムーヴメント」的なものはどうやら2000年代から盛んになっている。例えば1999年に「ルームシェアジャパン」というサイトがオープンし、サイト運営をしていた秋祐樹は2002年に『ルームシェアする生活』を出版している。また、一時滞在し、外国人との交流などもできる「ゲストハウス」もそのあたりから盛り上がっていった。更に、スウェーデンなどが発祥の多世帯・多世代居住の「コレクティブハウス」が、日本では福祉施設を起点として「コレクティブハウスかんかん森」として2003年に始まり、今も続いている。

 

シェアハウスのコミュニティ的展開

 そしてここからが重要なのだが、おそらく2000年代後半頃より、シェアハウスをコミュニティ的に開く方向性のものが増えた。いくつか話題になっているものを挙げると、2008年、異なるジャンルのクリエーターのコミュニケーションスペースとして始まった「渋家」(シブハウス)(創始者:齋藤桂太)。同年、趣味趣向の合うギークプログラマーなどでシェアハウスするという「ギークハウス」(創始者:pha)。「現代の駆け込み寺シェアハウス」として2013年に始まった「リバ邸」(創始者家入一真)。また、住居や個人事務所などのプライベートな空間を限定的に開放する「住み開き」が2009年頃にアサダワタルによって提唱され、2012年にはそれをまとめた書籍が出版されている。以上に述べた中で「渋家」は渋谷だが、それ以外のものは全国的に展開されているようだ。

 

 我々サクラ荘の周りでも、重要な場所はいくつかある。特に影響を受けた京都のスペースとして、アカデミックスペースとして2011年に始まった学森舎、何でもできる「オルタナティヴスペース」として2010年に始まったFactory Kyotoの二つを挙げよう。個人的には、学生自治の運動の流れで2012・13年頃に始まり、今も池袋にある「りべるたん」からも学んだことは多い。

 

 いずれにせよ重要なのは、2008年の渋家あたりをかわきりに、シェアハウスが外へとコミュニティ的に展開している点である。結果、コミュニティとして外に開かれたシェアハウスには大学生か、余暇の時間が比較的あるタイプの社会人が主に集まるようになった。

 

 そこではおそらく「高校・大学を出てそのまま会社員になっていく」という「当たり前のライフコース」に疑問を持った人たちが集まっている。家入も言うように「駆け込み寺」としての側面が強いのだろう(アサダの「住み開き」はそのような「若者」の活動に限った話ではないように思うが)。

 

「駆け込み寺」の問題点Ⅰ:思春期・モラトリアムの延長

 しかし、そこには問題がある。確かに、それぞれのスペースに集まる人間のタイプは多様であるとは思う。しかし、いささか攻撃的な言い方になってしまうが、駆け込み寺ではどうしても「思春期」や「モラトリアム」の延長になってしまうという問題点がある。それでは「スペースを続ける」ことが難しく、「普通に就職した大人」から見れば「大人になれよ」と言いたくもなるだろう。たしかアサダが「スペースを10年続けるだけでも大したもの」という旨のことを言っていたのを聞いたことがある。

 

 実際、就職しないままそのようなスペースを続けるのは難しく、就職したらしたで企業によって場所がバラバラになってしまう。家に居る時間も短くなるだろう(その点、ギークハウスのプログラマーなどはシェアハウスと相性がいい労働形態なのかも?)。

 

 また、おそらく社会的信用を得るのが難しい。事実としてこれまでのシェアハウスは、騒音でご近所に怒られ、賃貸契約を切られてなくなっていったというパターンが多い。騒音は確かに問題だが、ご近所の人からしても「大人になれないダメな若者」として映っているのではないか。日本ではそもそもシェア向きの間取りの家が少ないのだが、シェアハウスを始めるような人たちに社会的信用がないのか、「シェア可能」の物件も少ない。

 

「駆け込み寺」の問題点Ⅱ:逸脱者の集まり

 「駆け込み寺」の問題としてもう一つ言えるのは、社会に適応できなかった逸脱者が集まりやすいということだ。もちろん、逸脱者同士だからこそ連帯できるというメリットはある。僕自身の問題関心に引き付けて言えば、家族や学校に居場所がなかった人たちや、いわゆる「メンヘラ」の逃げ場としてシェアハウスが機能している側面はある。僕自身、その機能に期待してシェアハウスを始めたところは大きい。

 

 しかし、社会に適応できなかった人はどうしても人付き合いや組織や集団の運営が苦手な傾向が強い。結果として、人間関係やメンタルヘルスに気を取られて組織が存続できないことになりかねない。僕自身の関心(サークルクラッシュ)から言えば、そういった人たちは男女の問題もこじらせやすいように思う。

 

シェアハウスは「駆け込み寺」のままでいいのか否か

 「駆け込み寺」としてのシェアハウス、確かにそのようなセーフティネットがたくさん存在することは重要である。しかし、上に挙げた二つの問題点が絡み合い、どうしても存続することが難しくなってしまう。

 おそらく存続するための方向性は二つある。一つは問題Ⅰの思春期・モラトリアムの延長をそのまま仕事にしてしまうというものだ(ギークハウスは仕事によってお金が回っているだろうし、例えば「SEKAI NO OWARI」なんかはシェアハウスをしているらしいが、メジャーデビューできるぐらいならばシェアハウスを続けられるのだろう)。

 

 もう一つの方向性は問題Ⅱの「逸脱者の集まり」の方を仕事にしてしまうというものだ。どういうことかというと、逸脱者を雑多に集めるのではなく、「ケア対象」として特定の対象に絞り、福祉施設にしてしまうということだ。だいぶかけ離れた例になるが、高齢者のグループホームや、児童養護施設などはそのような成り立ち方をしているように思う。シェアハウスではないが、(身体・精神)障害者などの場合は「デイケア」という通い型のリハビリ施設がそれにあたるだろうか。こういった福祉施設は国や地方自治体からお金が出ることで回っているだろうし、立派な仕事と言える。

 

 しかし、これら二つの方向性になった途端に「駆け込み寺」の良さがなくなってしまうように思う。おそらく想定されるのは、メジャーなアーティスト集団や福祉施設になると、曖昧に逸脱してしまった人間が来にくくなってしまうだろうという事態だ。

 

 つまり、シェアハウスコミュニティに誰でも来ることができる、そんな「気軽さ」が失われてしまうのが問題だと僕は考えている。「駆け込み寺」の問題点をうまいこと武器に変えたはいいが、産湯と共に赤子まで流してしまっているのだ。すなわち、シェアハウスが存続しにくい草の根的活動である、それゆえに家庭や学校で居場所がない逸脱者も親近感をおぼえ、フラッと気軽に駆け込めるというジレンマがあるのではないだろうか。それが「仕事」になってしまうと、どうもよそよそしいものに感じられてしまう。言い換えれば、個々人が抱える私的な問題を公的な場所によってカバーするのには限界があるということだ。では、「公的」なものになると失われてしまう「気軽さ」や「親近感」を保ちながらも、コミュニティを存続させていくにはどうすればいいのだろうか?

 

核家族・一人暮らしに続くもう一つの選択肢

 唐突に聞こえるかもしれないが、そんな「気軽さ」を推し進めていくと「誰でも来ることができる」よりも「誰でも始めることができる」ことがより重要になるのではないかと僕は思う。というのも、今のところ日本において「シェアハウス」は駆け込み寺か、あるいは周縁的なものでしかない。圧倒的大多数を占める居住形態は核家族と一人暮らしなのである。

 

 しかし、地域の繋がりが衰退していることも合わせて考えれば、核家族と一人暮らしは個人主義化の産物である。離婚率の上昇などもあり、どうしても孤立し、居場所を得られない子どもが増えている。そんな子どもが社会に適応できないまま「若者」になったときに、「駆け込み寺」としてのシェアハウスにやってくるのではないか。実際、そういう人は周りにいる。

 

 それなら最初からその子どもはシェアハウスにいればよかったのではないだろうか。いくつかの家族研究を読んだ雑感だが、子どもが居場所を得ることを阻害するリスク要因としては、夫婦仲が悪い、夫婦間・親子間の暴力、支配的である、恐怖を覚える、愛情が得られない、放置される、親の無理解、といったものがある。また、一人親の場合は、複数の役割を一人の親が担わなければならないがゆえに、様々な問題が生じるようだ。しかし、密室的な環境でなければ暴力や支配は起こりにくいだろう。複数人の養育者がいれば、役割分担もできるだろう。

 

 話が遠いところにまで飛躍してしまったが、そんなわけで僕はシェアハウス、すなわち「他人と一緒に暮らす」ということが当たり前の社会を目指すべきだと考える。シェアハウスのメリットは季刊誌のこれまでの文章でも述べてきた通りであるが、それを多くの人が享受すべきだと考えるし、シェアハウスは実は子育てにも向いているんじゃないかということだ。

 

 そしてそこまでいくとそれはもはや「シェアハウス」とは呼べないのではないか。複数の世帯が同居する「コレクティブハウジング」のような形態も既に行われているが、例えば、夫婦関係に加えて一人だけ居候がいるような状態なども想像できる。それらを包括するにふさわしい名前を、僕は「家族」以外には知らない。「家族」にこだわることは保守的だという声もあるだろうが、子を産み育てるような親密な関係について果たして新たな言葉を作る必要があるのだろうか。「シェアハウス」に未来はあるのだろうか。今後の趨勢を注意深く見守っていきたいところである。

 

目の前の人を助けるために

 ところで、以上は先ほどの問いの答えになっている。すなわち、「気軽さ」や「親近感」を保ちながらも、コミュニティを存続させていくためには、誰でもコミュニティを始められるようになればいいのだ。

 どういうことかというと、まず、いくら居場所がなくて苦しんでいる人がいたからといって、誰でも助けられるわけではない。キャパシティの問題もあるわけで、おそらくほとんどの人にとって助けられるのはせいぜい身近な数人だけである。助けるべき人間が増えすぎると、それこそキャパシティオーバーでコミュニティが存続できなくなってしまう。だから身近な1人2人を助ければいいのだ。コミュニティを始めることによって。

 そう、「他人と一緒に暮らす」ということが当たり前になった社会においては、「一緒に住む」という手段によって目の前の人を助けることが容易になるのだ。つまり、目の前にいる「親近感」のある友人のための駆け込み寺を誰もが作ることができるようになる。これには「結婚」ほどの制約はないし、結婚と同じく金銭面でも精神面でもサポートできる。しかも関係を二人で閉じる必要がない。三人いても四人いてもいいのだ。

 

 ところで、これはメジャーデビューしたバンドのシェアハウスや福祉施設のように、「仕事」として「公的」になってしまったものには気軽に入れないという話をした。実はコミュニティにはもう一つ気軽に入れなくなる理由がある。それは「内輪感」だ。あるコミュニティに「内輪感」を感じた外の人は、疎外感をおぼえてしまう。しかし、誤解を恐れず言えば、それはそれでいいのだ。内輪にいる人は楽しいのだから。「他人と一緒に暮らす」ことが当たり前になり、誰もが駆け込み寺を作れるようになれば、誰もが何かしらの内輪に入ることができる。そうやって棲み分けていればキモチワルい内輪感があってもいい。

 

 そして楽観的な言い方になるが、内輪ならばそれぞれが自分のためにコミュニティを存続していくのだから、それが自分のためになり続ける限りで存続するだろう。存続しなくなったならそれが自分にとって必要なくなったということであり、自分の選択と関係ないところで強制的に居場所が失われるということは少なくなるだろう。言い換えれば「自治」が行われるということだ。

 

 もちろん、「誰もが何かしらの内輪に入る」など、以上に述べたことは理想論であり、現実には不可能だろう。しかし、少なくともその社会に近づくことはできる。

 

「親」として責任を負うこと、自由の意味

 これまでの内容をまとめよう。僕の主張を具体的に言えば、現代のシェアハウスが主に「駆け込み寺」としてしか機能していないのに対して、僕らはシェアハウスを増やすことによって「他人と一緒に暮らす」「他人と一緒に子育てをする」という価値観を日本に根付かせたいということだった。そしてその副産物として「駆け込み寺」一つ一つの負担が減り、身近な内輪だけの小さなものが乱立する。だからこそそれぞれに自治性が付与され、そのような棲み分けによって「駆け込み寺」は隅々まで行き渡っていく。

 

 そして、最後にこれから主張することは抽象的な話だ。それは、「自由」という名の責任逃れに流されることなく、周りの人に助けられながらも目の前の人を助けることで責任を分け合う、そんな社会を目指したいという内容だ。

 

 さて、僕らは何をもって自由でいられるのだろうか。僕はシェアハウスを始めてから、当人の自由を尊重することと、当人の意思決定の過程に介入することとの間で揺れることが多くなった。リベラリズムパターナリズムのせめぎ合いだ。僕はそもそも絶対的に信じられる思想なんてなかなかないと思っているし、人それぞれの考え方を尊重することの方がむしろ大事だと思っている、リベラル寄りの人間だ。その根本は今も変わってはいないし、そのおかげで人に好かれるところもけっこうある。

 

 しかし、僕が「シェアハウスを増やす運動」をするにあたってはそんなヌルいことは言っていられない。シェアハウス、「他人と一緒に暮らす」ということを日本社会の構造に根付かせる、そういう気持ちで僕はやっている。それは大げさに言えばノブレスオブリージュ(高貴なる者に伴う義務)であり、啓蒙活動だと思っている。

 

 そしてそれは象徴的にも実質的にも僕が「親」になることだ。他人と一緒に暮らしつつの子育てをやろうと言っているのだから、まず僕自身が親となって実践せねばなるまい。そして、これからの世代も真似できるロールモデルを作るのだ。では、敢えて問おう。こんなにも傲慢な僕のやり方は、人々の自由を無視した、押しつけがましいものだろうか? そうかもしれない。しかし、僕はシェアハウスで暮らす中で、無責任な「自由」には限界があると感じるようになった。むしろ一定の拘束や制約が原初にあって、そこで初めて生まれる自由こそが真の自由なのではないか。その拘束・制約を大胆に言い換えれば「責任」になると僕は思う。なるほど、この社会に生きるためには責任が伴う。それは権利と義務が表裏一体だという倫理的な話だ。一方で、一定の責任を負うことは心理的にも「自由」の感覚をもたらすように思う。

 

 そこで、僕はまず僕自身の「自由」のために社会に対しても自分の子どもに対しても、「親」として責任を取る立場になろう。そして、今の社会を生きている人たちも、これから生まれてくる子どもたちもまた「親」になってほしい。それはすなわち助けつつ助けられる、そんな相互扶助システムの中の主体としての責任を負ってほしいということだ。

 

 「自己責任論」という名の責任のなすりつけ合いが横行する現代において、駆け込み寺に駆け込むことで、一時的に重すぎる責任を免除されることには一定の価値がある。しかしその上で、他人から押し付けられたものではない、自分で負うべき責任を負うことによって、真の自由を得てほしいのだ。