京大生必見! 2017年NF統一テーマに隠された真実

2017年の京大11月祭(NF)統一テーマが発表された。以下である。


戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ
軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ!

 

このテーマについての批判が相次いでいる。主張内容の薄さもさながら、左翼的な臭いも感じさせる。
それに、やけに長いテーマで二行に分かれていて歯切れが悪い。もちろん私もこのテーマに違和感を覚えずにはいられなかった。しかし、実はこの違和感には理由がある。私はこのテーマに隠されたメッセージに気づいてしまった。

 

まず、このやけに長いテーマの省略されている文字を補うとこうだ。


戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ(告ぐ)
軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ!


ということだ。これは「戦争に加担した大学」から「平和を希求する大学」へのメッセージなのだ。では「戦争に加担した大学」、「平和を希求する大学」とは何のことか?


大学の知(アカデミズム)が戦争において重要な役割を果たすことはしばしばある。ここでこのテーマが「NF」のテーマだということを思い出してほしい。


NFとは何の略か? November Festival? いや、違う。これはその「超人思想」をナチスドイツに利用された、フリードリヒ・ニーチェ(Nietzsche Friedrich)のことを指しているのだ。

 

ここまで言えば「戦争に加担した大学」の意味は明らかだろう。このNF統一テーマは、戦争に加担した大学(の知)から、腑抜けた「平和を希求する大学」へのメッセージなのだ(当然のことながら、マルティン・ハイデガーが1933年にナチスへの共感を示した「ドイツ大学の自己主張」も背景にある)。

 

 


では、メッセージの内容は何をしめしているのか? 先ほどの分析から考えて明らかなように「みんなで肩組んで騒ごうぜ」というのは言うまでもなく全体主義を示している


腕がなく“肩を組めない”“みんな”に入れない者は積極的に排除していこうという姿勢だ。NF統一テーマの“統一”とは、そういうことであり、「NF」がナチズム・ファシズムをも意味していることもまた明らかである

 

しかし、それでは「軍事研究するヒマがあったら」というのはどういうことだろう? ヘゲモニーを握って「統一」を成すためにはむしろ軍事力が必要ではないのか?

いや、違うのだ。忘れてはならないのはこれは大学へのメッセージであるということだ。


軍事研究という「政府による・理論主導の・上から押し付けられた」ものではなく、“みんなで肩組んで騒ぐ”。つまり、「個人個人による・直接行動の・草の根の」力を、大学(の知)に求めているのだ。

アカデミズムが大衆から遊離する中で「国家」という幻想を取り戻す。そのために行われる「NF」の3つ目の意味はNationalism Fantasyである。

 

NF統一テーマは微温的な左翼による戦争反対のメッセージではない。むしろ戦争のために大衆を、大学を蜂起させるプロパガンダなのだ。

もはや「シェアハウス」ではないものに向けて――「駆け込み寺」から「家族」へ

この文章は僕の運営しているオープンシェアハウス・サクラ荘の季刊誌「季刊サクラ荘」第二号に寄稿した文章です

 

 ホリィ・センです。この文章ではこれまで日本で行われてきたシェアハウス的実践の歴史を軽く振り返り、過去の教訓に学ぶことで、僕がサクラ荘によって目指す新しいシェアハウスの展望について述べます。それは人々の根本的な家族観を変え、「自由」や「責任」といったものの意味を問うものになるはずだ、という話です。かなり雑な話なので、まずは大ざっぱに読んでくれると幸いです。

 

シェアハウスムーヴメントの歴史?

 偉そうに語れるほど知識があるわけではないが、「シェアハウスムーヴメント」的なものはどうやら2000年代から盛んになっている。例えば1999年に「ルームシェアジャパン」というサイトがオープンし、サイト運営をしていた秋祐樹は2002年に『ルームシェアする生活』を出版している。また、一時滞在し、外国人との交流などもできる「ゲストハウス」もそのあたりから盛り上がっていった。更に、スウェーデンなどが発祥の多世帯・多世代居住の「コレクティブハウス」が、日本では福祉施設を起点として「コレクティブハウスかんかん森」として2003年に始まり、今も続いている。

 

シェアハウスのコミュニティ的展開

 そしてここからが重要なのだが、おそらく2000年代後半頃より、シェアハウスをコミュニティ的に開く方向性のものが増えた。いくつか話題になっているものを挙げると、2008年、異なるジャンルのクリエーターのコミュニケーションスペースとして始まった「渋家」(シブハウス)(創始者:齋藤桂太)。同年、趣味趣向の合うギークプログラマーなどでシェアハウスするという「ギークハウス」(創始者:pha)。「現代の駆け込み寺シェアハウス」として2013年に始まった「リバ邸」(創始者家入一真)。また、住居や個人事務所などのプライベートな空間を限定的に開放する「住み開き」が2009年頃にアサダワタルによって提唱され、2012年にはそれをまとめた書籍が出版されている。以上に述べた中で「渋家」は渋谷だが、それ以外のものは全国的に展開されているようだ。

 

 我々サクラ荘の周りでも、重要な場所はいくつかある。特に影響を受けた京都のスペースとして、アカデミックスペースとして2011年に始まった学森舎、何でもできる「オルタナティヴスペース」として2010年に始まったFactory Kyotoの二つを挙げよう。個人的には、学生自治の運動の流れで2012・13年頃に始まり、今も池袋にある「りべるたん」からも学んだことは多い。

 

 いずれにせよ重要なのは、2008年の渋家あたりをかわきりに、シェアハウスが外へとコミュニティ的に展開している点である。結果、コミュニティとして外に開かれたシェアハウスには大学生か、余暇の時間が比較的あるタイプの社会人が主に集まるようになった。

 

 そこではおそらく「高校・大学を出てそのまま会社員になっていく」という「当たり前のライフコース」に疑問を持った人たちが集まっている。家入も言うように「駆け込み寺」としての側面が強いのだろう(アサダの「住み開き」はそのような「若者」の活動に限った話ではないように思うが)。

 

「駆け込み寺」の問題点Ⅰ:思春期・モラトリアムの延長

 しかし、そこには問題がある。確かに、それぞれのスペースに集まる人間のタイプは多様であるとは思う。しかし、いささか攻撃的な言い方になってしまうが、駆け込み寺ではどうしても「思春期」や「モラトリアム」の延長になってしまうという問題点がある。それでは「スペースを続ける」ことが難しく、「普通に就職した大人」から見れば「大人になれよ」と言いたくもなるだろう。たしかアサダが「スペースを10年続けるだけでも大したもの」という旨のことを言っていたのを聞いたことがある。

 

 実際、就職しないままそのようなスペースを続けるのは難しく、就職したらしたで企業によって場所がバラバラになってしまう。家に居る時間も短くなるだろう(その点、ギークハウスのプログラマーなどはシェアハウスと相性がいい労働形態なのかも?)。

 

 また、おそらく社会的信用を得るのが難しい。事実としてこれまでのシェアハウスは、騒音でご近所に怒られ、賃貸契約を切られてなくなっていったというパターンが多い。騒音は確かに問題だが、ご近所の人からしても「大人になれないダメな若者」として映っているのではないか。日本ではそもそもシェア向きの間取りの家が少ないのだが、シェアハウスを始めるような人たちに社会的信用がないのか、「シェア可能」の物件も少ない。

 

「駆け込み寺」の問題点Ⅱ:逸脱者の集まり

 「駆け込み寺」の問題としてもう一つ言えるのは、社会に適応できなかった逸脱者が集まりやすいということだ。もちろん、逸脱者同士だからこそ連帯できるというメリットはある。僕自身の問題関心に引き付けて言えば、家族や学校に居場所がなかった人たちや、いわゆる「メンヘラ」の逃げ場としてシェアハウスが機能している側面はある。僕自身、その機能に期待してシェアハウスを始めたところは大きい。

 

 しかし、社会に適応できなかった人はどうしても人付き合いや組織や集団の運営が苦手な傾向が強い。結果として、人間関係やメンタルヘルスに気を取られて組織が存続できないことになりかねない。僕自身の関心(サークルクラッシュ)から言えば、そういった人たちは男女の問題もこじらせやすいように思う。

 

シェアハウスは「駆け込み寺」のままでいいのか否か

 「駆け込み寺」としてのシェアハウス、確かにそのようなセーフティネットがたくさん存在することは重要である。しかし、上に挙げた二つの問題点が絡み合い、どうしても存続することが難しくなってしまう。

 おそらく存続するための方向性は二つある。一つは問題Ⅰの思春期・モラトリアムの延長をそのまま仕事にしてしまうというものだ(ギークハウスは仕事によってお金が回っているだろうし、例えば「SEKAI NO OWARI」なんかはシェアハウスをしているらしいが、メジャーデビューできるぐらいならばシェアハウスを続けられるのだろう)。

 

 もう一つの方向性は問題Ⅱの「逸脱者の集まり」の方を仕事にしてしまうというものだ。どういうことかというと、逸脱者を雑多に集めるのではなく、「ケア対象」として特定の対象に絞り、福祉施設にしてしまうということだ。だいぶかけ離れた例になるが、高齢者のグループホームや、児童養護施設などはそのような成り立ち方をしているように思う。シェアハウスではないが、(身体・精神)障害者などの場合は「デイケア」という通い型のリハビリ施設がそれにあたるだろうか。こういった福祉施設は国や地方自治体からお金が出ることで回っているだろうし、立派な仕事と言える。

 

 しかし、これら二つの方向性になった途端に「駆け込み寺」の良さがなくなってしまうように思う。おそらく想定されるのは、メジャーなアーティスト集団や福祉施設になると、曖昧に逸脱してしまった人間が来にくくなってしまうだろうという事態だ。

 

 つまり、シェアハウスコミュニティに誰でも来ることができる、そんな「気軽さ」が失われてしまうのが問題だと僕は考えている。「駆け込み寺」の問題点をうまいこと武器に変えたはいいが、産湯と共に赤子まで流してしまっているのだ。すなわち、シェアハウスが存続しにくい草の根的活動である、それゆえに家庭や学校で居場所がない逸脱者も親近感をおぼえ、フラッと気軽に駆け込めるというジレンマがあるのではないだろうか。それが「仕事」になってしまうと、どうもよそよそしいものに感じられてしまう。言い換えれば、個々人が抱える私的な問題を公的な場所によってカバーするのには限界があるということだ。では、「公的」なものになると失われてしまう「気軽さ」や「親近感」を保ちながらも、コミュニティを存続させていくにはどうすればいいのだろうか?

 

核家族・一人暮らしに続くもう一つの選択肢

 唐突に聞こえるかもしれないが、そんな「気軽さ」を推し進めていくと「誰でも来ることができる」よりも「誰でも始めることができる」ことがより重要になるのではないかと僕は思う。というのも、今のところ日本において「シェアハウス」は駆け込み寺か、あるいは周縁的なものでしかない。圧倒的大多数を占める居住形態は核家族と一人暮らしなのである。

 

 しかし、地域の繋がりが衰退していることも合わせて考えれば、核家族と一人暮らしは個人主義化の産物である。離婚率の上昇などもあり、どうしても孤立し、居場所を得られない子どもが増えている。そんな子どもが社会に適応できないまま「若者」になったときに、「駆け込み寺」としてのシェアハウスにやってくるのではないか。実際、そういう人は周りにいる。

 

 それなら最初からその子どもはシェアハウスにいればよかったのではないだろうか。いくつかの家族研究を読んだ雑感だが、子どもが居場所を得ることを阻害するリスク要因としては、夫婦仲が悪い、夫婦間・親子間の暴力、支配的である、恐怖を覚える、愛情が得られない、放置される、親の無理解、といったものがある。また、一人親の場合は、複数の役割を一人の親が担わなければならないがゆえに、様々な問題が生じるようだ。しかし、密室的な環境でなければ暴力や支配は起こりにくいだろう。複数人の養育者がいれば、役割分担もできるだろう。

 

 話が遠いところにまで飛躍してしまったが、そんなわけで僕はシェアハウス、すなわち「他人と一緒に暮らす」ということが当たり前の社会を目指すべきだと考える。シェアハウスのメリットは季刊誌のこれまでの文章でも述べてきた通りであるが、それを多くの人が享受すべきだと考えるし、シェアハウスは実は子育てにも向いているんじゃないかということだ。

 

 そしてそこまでいくとそれはもはや「シェアハウス」とは呼べないのではないか。複数の世帯が同居する「コレクティブハウジング」のような形態も既に行われているが、例えば、夫婦関係に加えて一人だけ居候がいるような状態なども想像できる。それらを包括するにふさわしい名前を、僕は「家族」以外には知らない。「家族」にこだわることは保守的だという声もあるだろうが、子を産み育てるような親密な関係について果たして新たな言葉を作る必要があるのだろうか。「シェアハウス」に未来はあるのだろうか。今後の趨勢を注意深く見守っていきたいところである。

 

目の前の人を助けるために

 ところで、以上は先ほどの問いの答えになっている。すなわち、「気軽さ」や「親近感」を保ちながらも、コミュニティを存続させていくためには、誰でもコミュニティを始められるようになればいいのだ。

 どういうことかというと、まず、いくら居場所がなくて苦しんでいる人がいたからといって、誰でも助けられるわけではない。キャパシティの問題もあるわけで、おそらくほとんどの人にとって助けられるのはせいぜい身近な数人だけである。助けるべき人間が増えすぎると、それこそキャパシティオーバーでコミュニティが存続できなくなってしまう。だから身近な1人2人を助ければいいのだ。コミュニティを始めることによって。

 そう、「他人と一緒に暮らす」ということが当たり前になった社会においては、「一緒に住む」という手段によって目の前の人を助けることが容易になるのだ。つまり、目の前にいる「親近感」のある友人のための駆け込み寺を誰もが作ることができるようになる。これには「結婚」ほどの制約はないし、結婚と同じく金銭面でも精神面でもサポートできる。しかも関係を二人で閉じる必要がない。三人いても四人いてもいいのだ。

 

 ところで、これはメジャーデビューしたバンドのシェアハウスや福祉施設のように、「仕事」として「公的」になってしまったものには気軽に入れないという話をした。実はコミュニティにはもう一つ気軽に入れなくなる理由がある。それは「内輪感」だ。あるコミュニティに「内輪感」を感じた外の人は、疎外感をおぼえてしまう。しかし、誤解を恐れず言えば、それはそれでいいのだ。内輪にいる人は楽しいのだから。「他人と一緒に暮らす」ことが当たり前になり、誰もが駆け込み寺を作れるようになれば、誰もが何かしらの内輪に入ることができる。そうやって棲み分けていればキモチワルい内輪感があってもいい。

 

 そして楽観的な言い方になるが、内輪ならばそれぞれが自分のためにコミュニティを存続していくのだから、それが自分のためになり続ける限りで存続するだろう。存続しなくなったならそれが自分にとって必要なくなったということであり、自分の選択と関係ないところで強制的に居場所が失われるということは少なくなるだろう。言い換えれば「自治」が行われるということだ。

 

 もちろん、「誰もが何かしらの内輪に入る」など、以上に述べたことは理想論であり、現実には不可能だろう。しかし、少なくともその社会に近づくことはできる。

 

「親」として責任を負うこと、自由の意味

 これまでの内容をまとめよう。僕の主張を具体的に言えば、現代のシェアハウスが主に「駆け込み寺」としてしか機能していないのに対して、僕らはシェアハウスを増やすことによって「他人と一緒に暮らす」「他人と一緒に子育てをする」という価値観を日本に根付かせたいということだった。そしてその副産物として「駆け込み寺」一つ一つの負担が減り、身近な内輪だけの小さなものが乱立する。だからこそそれぞれに自治性が付与され、そのような棲み分けによって「駆け込み寺」は隅々まで行き渡っていく。

 

 そして、最後にこれから主張することは抽象的な話だ。それは、「自由」という名の責任逃れに流されることなく、周りの人に助けられながらも目の前の人を助けることで責任を分け合う、そんな社会を目指したいという内容だ。

 

 さて、僕らは何をもって自由でいられるのだろうか。僕はシェアハウスを始めてから、当人の自由を尊重することと、当人の意思決定の過程に介入することとの間で揺れることが多くなった。リベラリズムパターナリズムのせめぎ合いだ。僕はそもそも絶対的に信じられる思想なんてなかなかないと思っているし、人それぞれの考え方を尊重することの方がむしろ大事だと思っている、リベラル寄りの人間だ。その根本は今も変わってはいないし、そのおかげで人に好かれるところもけっこうある。

 

 しかし、僕が「シェアハウスを増やす運動」をするにあたってはそんなヌルいことは言っていられない。シェアハウス、「他人と一緒に暮らす」ということを日本社会の構造に根付かせる、そういう気持ちで僕はやっている。それは大げさに言えばノブレスオブリージュ(高貴なる者に伴う義務)であり、啓蒙活動だと思っている。

 

 そしてそれは象徴的にも実質的にも僕が「親」になることだ。他人と一緒に暮らしつつの子育てをやろうと言っているのだから、まず僕自身が親となって実践せねばなるまい。そして、これからの世代も真似できるロールモデルを作るのだ。では、敢えて問おう。こんなにも傲慢な僕のやり方は、人々の自由を無視した、押しつけがましいものだろうか? そうかもしれない。しかし、僕はシェアハウスで暮らす中で、無責任な「自由」には限界があると感じるようになった。むしろ一定の拘束や制約が原初にあって、そこで初めて生まれる自由こそが真の自由なのではないか。その拘束・制約を大胆に言い換えれば「責任」になると僕は思う。なるほど、この社会に生きるためには責任が伴う。それは権利と義務が表裏一体だという倫理的な話だ。一方で、一定の責任を負うことは心理的にも「自由」の感覚をもたらすように思う。

 

 そこで、僕はまず僕自身の「自由」のために社会に対しても自分の子どもに対しても、「親」として責任を取る立場になろう。そして、今の社会を生きている人たちも、これから生まれてくる子どもたちもまた「親」になってほしい。それはすなわち助けつつ助けられる、そんな相互扶助システムの中の主体としての責任を負ってほしいということだ。

 

 「自己責任論」という名の責任のなすりつけ合いが横行する現代において、駆け込み寺に駆け込むことで、一時的に重すぎる責任を免除されることには一定の価値がある。しかしその上で、他人から押し付けられたものではない、自分で負うべき責任を負うことによって、真の自由を得てほしいのだ。

10日間の瞑想合宿に行ってきました

10日間のヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきました。
ヴィパッサナーというのは「客観的に観察する」ぐらいの意味です。
何を客観的に観察するかっていうと自分の呼吸と身体の感覚です。

 

具体的な瞑想法は適切な指導者しか教えちゃいけないっぽいので割愛しますが、意外にもすごく実践的で具体的な指導でした。

 

ちなみに、そもそも何のために呼吸と身体感覚を観察するのかをざっくり説明すると、

  1. 人間はあらゆる物事に「渇望」や「嫌悪」(あるいはどちらでもないもの)といった反応をしてしまう(この反応を「サンカーラ」と呼んでいました)。反応をし続けてしまう限りサンカーラは絶えず増え続けてしまうのだと。
  2. そしてサンカーラは身体に2つの形で現れる。1つは呼吸の変化という分かりやすい形で。もう1つは生化学的な、極めて微妙な反応として。
  3. しかし、万物は無常。そのような感覚は現れるものの必ず消えていく(そのことは「アニッチャ」と呼んでいました)。
  4. このアニッチャを理解した上で、あらゆる感覚に対して反応せず(渇望や嫌悪を抱くような評価をせずに)「平静に観察する」ことができるようになれば、サンカーラも増えなくなる
  5. ということで、呼吸と身体感覚を平静に観察する訓練をすることによって、渇望や嫌悪に振り回されないようにしよう。また、サンカーラを増えなくして、最終的には解脱を目指そう

という流れです。めっちゃ仏教ですね。とはいえ特定の宗教を信じる必要はありませんし、仏教徒以外の人も広く受け入れられています。結局のところ、瞑想法という実践をひたすら広めている場所なわけですから、洗脳のようなものはありません。

 

最初はしんどかった

1日あたり10時間程度の瞑想の時間があり、空き時間も本を読んだり携帯を見たりしてはいけない。人と喋ってすらいけないという強い制約の下で行われます。瞑想中「1時間体勢を変えてはいけない」という時間もあり本当に「修行」という感じでした。

 

一日目や二日目は正直「帰りたい……」ってなりました。しかし、終わってみればとても良い経験でした。強い制約の下でしか得られないものもありますし、何より瞑想中に平静さを保つためには余計な情報は入れない方がいいわけです(実際、それだけ情報が制限されていてもなお、瞑想中はよくいろんなことが頭に浮かんできて平静さが乱されました。心とはおしゃべりなものです)。

 

瞑想してどうなるか 

10日間あるので、日々瞑想の内容はステップアップしていきます。そして僕自身、どんどん瞑想ができるようになっていきました。「うまくできるようになる」のを渇望するのは良くないのですが、自分がレベルアップしていく感覚は楽しいものでした。
そして、瞑想を続けていると感覚も鋭くなっていきます。五感が鋭くもなるのですが、特に自分の身体の状態に気づけるようになります。例えば僕は姿勢がとても悪いのですが、自分の身体を深く見つめることでどこがどう悪いのか分かりました(肩甲骨が前に出すぎている、など)。そろそろ整体にでも行こうかなと思いました。

 

10日間が終わると日常に帰るわけですが、日々の瞑想は日課にしようと思いました。また、瞑想だけじゃなくて日々自分の感覚に気付いているということが究極的には重要です。
例えば、怒りや不安の感情・思考がふと生じたとしても、自分の呼吸や身体を見つめることでそれらはゆっくりと確実におさまっていくでしょう。そういう感情や思考が生じる前に、普段から自分の感覚(歩いているときの足の裏の感覚や、食べているときの味覚などなど)を意識することでこれは鍛え続けられます。
これは思考や感情から逃避するのではなくて、それらが生じていても「評価をしない、ただ観察する」というものです。瞑想によって得られるものはいろいろありますが、僕としてはそれを続けていきたいところです。

 

元々はマインドフルネスという精神医療で注目されている治療法の元としてヴィパッサナー瞑想に行ったキッカケの一つでした。ヴィパッサナー瞑想を通してマインドフルネスへの理解も深まりましたし、今後更に深く掘り下げていきたいところです。


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ヴィパッサナー瞑想: 日本

サークルクラッシュ同好会の会長をやめます

 ホリィ・センです。突然ですがそろそろサークルクラッシュ同好会の会長を辞めて、誰かに引き継ぎたいです。
 2012年4月からこの団体を始めてずっと会長を名乗ってきましたが、もう年齢的にはアラサーです。最近18,19歳の人とまともに会話できなくなったのを感じています。
 僕はサークラ同好会を作り、この5年半会長をやってきて十分に利益をむさぼりました。会長をやっていたおかげで人間(特に女性)と話す機会が格段に増えましたし、あんなにコンプレックスだったコミュニケーションや恋愛もできるようになりました。組織のトップに立つみたいなことも肌感覚で分かるようになりました。
 だから、僕がずっとそれをやってるのは勿体ないと感じます。下の世代に「会長をやることのメリット」を享受してもらいたいと思います↓

 

会長になるとこんなメリットがあるよ:

  • 立場上、新しく入ってくる人と仲良くなれる
  • 立場を活かしていろいろできる
  • 人を率いるスキルが身につく
  • たぶん自信もつく
  • 履歴書に書ける(書けない)

等々。

 

 僕個人の話だけでなく、団体としてもそうあるべきだと思います。サークルクラッシュ同好会の活動のためのシステムはだいたい整いましたし、だからこそ関東支部も活動できています。だから引き継いでも大丈夫でしょう。
 むしろいつまでも僕が会長をやっていると、せっかくの「サークルクラッシュ同好会」も、ホリィ・センの職人芸と化してしまいます。僕はこの概念を誰にでも使えるものにしたい。本当は関西と関東だけじゃなくて、日本中にあってもいいぐらいの普遍性があるものだと思っています。

 

ちなみに、僕が会長を辞めるといっても、一気に全部の仕事をやらなくなるわけじゃなくて、後を継ぐ人のサポートはしばらくやります。例会にも普通に行きます。役職的には「摂政」とか「名誉会長」とかになるでしょう。勘違いなきよう。

 

以下は会員向けなので、参考程度に見ていただければ。初めてこの記事を読んで興味持った人はご連絡ください。京都と東京で活動やってますので。

 

サークルクラッシュ同好会のだいたいの歴史

高校時代目立った行動するのが好きだった(一年中半袖で過ごすとか、バレンタインデーに学年全部の机にチロルチョコ置くとか、毎年クリスマスに水浴びて動画撮るとか、生徒会長やるとか)

大学入ってからも目立つことをやりたかったが特にアイディアもなかったので2年間くすぶる(主に漫画読みサークル漫トロピーに入り浸ったり声優の悠木碧の追っかけをしたりしてた)

3回生になった2012年4月、サークルクラッシュ同好会を立ち上げる。1,2回生のときのサークル経験を活かして、まずはTwitterアカウントを作り、会誌を作るところを目標に始める。4月に現れた1回生に「ホームページを作ってほしい」と言ったら作ってくれたので、それを原型にいろいろネタをする

サークルクラッシュの研究については手探りだったので、「サークルクラッシュ」等のワードで検索したり、特殊なコミュニティに出入りしたりしてみる(かねどーさんのオフ会、シェアハウス、幸福の科学など)

京大11月祭(通称NF)で会誌Vol.1を出す。Factory Kyotoの松山孝法さん、学森舎の植田元気さん、幸福の科学学生支部の馬場さん、サークルの先輩だったひでシスさんに寄稿してもらい、なんとか形に

2013年(2年目)。真面目に(ネタ性の高い)ビラを貼って新歓をやる。「サークルクラッシュにご注意ください!」と叫ぶパフォーマンスも実は2012年からやっていたが、2013年からはより本格的に。Twitter等を経由して入会する人も増え、一気に大所帯に

メンヘラ神を名乗る女性からメールがきて、関東支部も発足(すぐクラッシュしたけど)

このあたりからいろんな問題を抱えた人が集まり(むしろ主体的に集め)がちになり、ネタサークルだけでなく、自助グループサークルとしての色彩も出てくる。各人の人間関係や精神的な問題を解決することや、サークル内での交流も重視するように



いろいろあったものの、会誌も豪華になり(椿井ませりさんとまりうむさんにはいつも感謝しています)、サークルとして形になっていく。定期的に新歓、例会、NF、即売会(コミケや文フリ)をやるようになり、いろんな恒例行事が増えていく(合宿やったりとかビンタ屋やったりとか服を買う会やったりとか、突発イベントも増えていった)


会長としてやってきたことと、これからどうするか

●新歓、月二回の例会(場所取りも)、会誌の原稿集め、11月祭(申込と当日)、即売会(申込と当日)等のルーティーン、あと会計
これまでかなりの割合をホリィ・センがやってた気がしますが、さすがにいくつかの役職に分割すべき。会誌編集も既に卒業したませりさんに頼り続けるのはヤバい

 

●例会時の司会とか何か問題が起こったときの事後処理とか、度胸やバランス感覚の要るやつ
新会長、よろしくお願いします

 

●例会で何やるか等の企画
みんなでやりましょう

『生きてるものはいないのか』をドキドキぼーいずがやってたので感想

 アトリエ劇研で6月10日14時に観た。なんかこれを最後に2年ぐらい休止するらしいので観れてよかった。

 思えば、ドキドキぼーいずを『愛と退屈の国』で初めて観て、その後『じゅんすいなカタチ』を観て、本間くんが演出してる『(おわりたい)漂流』も観に行ったし、僕はいつの間にか本間くんのファンになっていたようだ。今回の『生きてるものはいないのか』はタイトルはよく聞くけど内容を知らなかったので、一度ぐらい観たかったというのもあった。さて、以下感想。

 

・まず、いつもの身体痙攣みたいな演出が分かりやすく脚本にマッチしていて傑作だったと思う。

 

 現実にはありえないような高速テンポでの掛け合いを初っ端から飛ばしていくことで、「言葉の上では成り立っているけどコミュニケーションとしては成り立っていない」ようなディスコミュニケーションを戯画的に示していた。だからこそ、その後にキャラがどんどん死んでいく中で描かれる、「死に際の孤独感」の表現が活きていたように思う。人は死んでいくときは孤独だみたいな話をバタイユがしてた気がする(テキトー)

 

 

・会話におけるありえないほどの高速テンポや、誰にも合わない視線、音響に合わせてリズムを持った死の踊りや身体痙攣などは、見事な本間メソッドだなあと。それらは

 

①会話における「言葉」の空虚さ

②地下鉄サリンや公害や戦争や災害や放射能などを思わせる圧倒的「現実」の侵入

③普段意識していない(というか抑圧している)死の恐怖

 

を生々しく示しているように思えて、効果的だったなと。

 

 それらに対応づけて言えば、僕らは普段、

 

①言語

②「目に見える」もの

③死を忘れて「生きている」ということ

 

のそれぞれのヴェールに包まれて、「安心」して生きているのだなあ、ということが浮き彫りにされた。

 

 

・そう考えると、舞台セットの白色の幕?は、「こちら側/あちら側」を分けるヴェールを示しているようにも見えた。つまりヴェールは言語/非言語(①)、可視のもの/不可視のもの(②)、生/死(③)などを分けており、それらの断絶は、自己と他者の根源的なディスコミュニケーションやそれにまつわる孤独感にも繋がっているなあと感じた。例えば、親密な人の突然の死を前にして、幕の後ろに逃げていくシーンにはリアリティがあった。

 

 

・義理の兄役の人、妹と仲良くしたいみたいな部分を表現する役でありながら、時折見せる焦点の合っていない自閉的な視線が恐ろしくて良かった。

 

 

・本間くんの身体痙攣演出みたいなのすごい好きだし、ネガティブな表現をするための使い方だけじゃなくてポジティブな表現のための使い方も見たいかも。

 分かりやすいのだと例えば、「複数の身体が共振することによって生まれるつながり」みたいな表現とか。もっといいのあるだろうけど。

西沢大良「近代都市の根拠――新型スラムと二一世紀の都市の課題」(『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』p26-52)の個人的レジュメ

個人的なレジュメなので網羅的ではないし、僕個人による言い換えも多いですので注意。

 

「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係

「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係

 

 

19世紀、オランダに対抗したいイギリスでの、綿産業:軽工業の発達→貧困(ブラック労働)、スラム化、伝染病、公害
→どうしようもない状態からの起死回生としての近代都市の発生(上下水道の整備、住居地域と工場地域の区別、住居地域と業務地域の区別といったもの)
19世紀末、軽工業は先端技術ではなくなり、工業先進国は重工業で争うように(90年代あたりからは情報産業へ)。
同時に、港湾部へ産業も移転。都市部ではスラム化がとまったように見えるのだが……

 

ハワード「田園都市」はその時期の構想のため、上記の貧困、スラム化、伝染病、公害問題は近代都市計画によって解消されたのか産業移転によって解消されたのか分からない(実際は産業移転によって、だと思われる)。
つまり、ハワードは重工業期の都市を前提としたために、産業移転後の(たいしたことない)スラム状態を前提としている。

結果、現代のスラムとして二パターンある。
旧型スラム:中南米や南アジアにおいて近代都市計画が進むものの、教育水準の低い農奴は庶民はそこで仕事できず、債務が膨れ上がる。結果、農地や鉱山や水源を売ることになり、スラムが発生する。
新型スラム:近代化後、郊外ベッドタウンやニュータウンがスラム化する。


「集落」は、農地や漁場や鉱山といった「特殊な土地」の生産力に依存して長期的に生存するという戦略を持っている。これを近代都市計画にいいとこ取りにように組み込んでしまったのが失敗。ハワードの「田園都市」はその点で間違っている(近代都市には「特殊な土地」がなく、単なる宅地でしかない。30~50年は生き延びれるけどその後スラム化する)。言い換えれば、近代都市はやはり軽工業に頼っていて、その問題への根本的解決はない。

 

社会主義ケインズ主義も結局新自由主義(市場万能主義)に勝てずに回収されていってしまった。いずれも官僚組織が肥大化してしまい、福祉政策が行き詰ったから。

その対抗として、①北欧モデル:市場の警戒のみならず、国家も警戒。市場では競争してもらうが、倒産したら救済はしない。代わりに人間に補助金出して、市場に復活するまで支援する。
貯蓄しないとか、失業を恐れないといったヤバい世界観でもある。
宇沢弘文の「社会的共通資本」論。新自由主義フリードマンを批判し、Ⅰ自然界、Ⅱ法律や制度、Ⅲ上下水道などのインフラを社会的共通資本と定義し、それらを毀損してはならないとする理論。
アマルティア・センのケイパビリティアプローチ→具体的には、グラミン銀行の貧民に低金利で貸す方法。貸すときに親戚全員とか友だち全員で借りにこさせて、社会関係資本を担保にする戦略。返せなかったら人とのつながりを失ってしまうので、返せる。

 

西沢大良の処方箋:
都市・国家・資本を分けて考える。国家は資本に従属しちゃってるし、短命なので60・70年ぐらいしか残らない。資本も短命、倒産するし強くなってもインフレとかの影響受ける。それに対し都市は頑強。従来の理解では、国家が都市を整備し(公共事業)、資本が都市を整備する(民間事業の再開発)。だが、長期的に見ればこの依存関係は逆。都市計画は国家・資本が機能している間に、機能しなくなったときの生存環境を整えておく必要がある。本当は都市の方が長期的には生き残る。

背伸びとしゃがみのススメ

 世間には学生向け○○だとか、13歳からの○○だとか、10代のための○○だとか若い人に対して上から目線でアドバイスしてやろうという本がいっぱいある。

 本に限った話ではなく、おおよそ「教育」をしてやろうという人にはよく見られる態度だと思う(教育者をディスってるわけではない。むしろ専門的な教育者じゃないけど教育をしてやろうという態度の人を指している気がする)。

 

 実は、僕もそうだ。

 

 メサコン根性(自分の価値を感じたいがゆえに人を助けることに執着してしまう根性)が肥大化して「教育をしてやろう」という態度をどうしても持ってしまうところがある。その結果、例えば「教育者のための○○」とか「臨床家のための○○」とかみたいな本を読む、みたいな経験がたまにある。

 こう言うと、自分は欺瞞に満ちた人間だなと思うのだけど、一方で「○○でない人間が○○向けの本を読む」という経験は案外役に立っているという実感がある。

 

ディベートを「審判」の視点から見た話

 本じゃないのだけど自分がそれを強く実感した一例を挙げる。僕は高校生のときに「ディベート」を競技としてやっていた。全国大会である「ディベート甲子園」にも出場したことがある。そして今は中高生のディベート試合の審判をたまに(年に4回ぐらい)やっている。

 実は高校生のとき、ディベートの技能向上にかなり役立ったように思うのが「審判講習」だった。競技ディベートのルールを読み込み、審判はどういう視点を持って試合を判定するかということを学んだ(既に審判をやっていたOBOGの先輩方にご教授いただいた)。

 それこそ普段はディベートを選手の視点からしか見ないわけだけど、審判の視点からディベートを眺めてみたというのがこの話のキモだ。俯瞰的な視点に立ってみることによって、今まで見えてこなかったものがすごく見えるようになった。

 

 さて、これだけだと単に「俯瞰(メタ)的な視点を持て」っていうお決まりの文句になってしまいそうだけど、もう一歩進みたい。

 

単に「別の視点」であるということ

 やはりメタ的な視点だから偉い、なんてことはないと思う。むしろ現場で瑞々しい体験をしている(“ベタ”視点の)人の方がモノを知っているということはよくあることだ。

 だから、今の自分の視点とは別の視点で考えてみること、ただこれだけが重要なのではないか。基本的には、視点に優劣はないと言っていいように思う(ただ例えば二つの視点しか持てないとしたら「どの二つを選ぶか」という更なるメタ視点はありそうだ。その際、例えば「より多様性のある選択をした方がいい」みたいな優劣が導入されてしまいそうだけど、そのへんはいったん考えないでおく)。

 

背伸びとしゃがみ

 よりメタ的な視点で眺める、あるいは「大人」の視点で見ようとすることが「背伸び」なのだとしたら、逆によりベタな視点、あるいは「子ども」の視点で見ることは「しゃがむ」ことなのではないだろうか。世の中には、子どもと一緒になって子どものように楽しんで遊べる大人がいるけども、それは一つの素晴らしい能力のように思う。

 

 逆にダメなのは子どもが「子ども向け」のおもちゃで遊んでしまうような、そんな事態ではないだろうか。もちろん、「○○向け」は配慮されて○○に適するように作ってあるだろうから、それには一定の意義や効率性などがあるのだと思う。しかし、それだけでは一つの視点に固定されてしまい、見える範囲は狭くなってしまう。

 だからこそ僕が提案したいのは、敢えて自分の専門ではない「○○向け」へと背伸びをしてみること(ただし専門性がないと全然入っていけないものもあるだろうから、それはネックだ)。あるいは、逆に自分のよく知っているはずのものの「初心者向け」をしゃがんで見てみることである。

 

 要は「視野は広げた方がいい」という前提の上での、その視野の広げ方の提案でした。