美術手帖の編集長が、イオンモールしかないような土地では「美術」というものには触れられない、という旨の話をしたことで、ちょっと炎上めいたことになっている。
昔から「上京」にはなんらかの夢が賭けられてきたわけだが、「美術」となるとだいぶカルチャーのド真ん中の一つなので、これは火力が高い話だなあと思う。
田舎disの是非はともかく、「上京」体験のある人はたくさんいるだろうから、この話にかこつけて自分語りをしている人もたくさんいる。
ご多分に漏れず僕もそういう話は大好きなので「隙あらば自分語り」させていただく(これ系のトピックで言えば、『まじめな会社員』という漫画が傑作だったのでみんな読もう!↓)。
ついでに、上京する人、すなわち「おのぼりさん」も、都会生まれに比べて実は成功するルートがあるんじゃね?ということを常々思ってきたのでその話もしたい。
カルチャーコンプレックスを抱えまくってた
僕は18歳で現役で京大に入学してというもの、そのまままともに就職活動することもなく、大学院進学後もダラダラと京大で過ごして京大歴15年ほどになる。
15年って長すぎだろというツッコみはともかく、京大に入ったときの話をしたい。
僕は一介のオタクとしてオタク的興味を深めようと思い、漫画を評論するサークルに入ったのだが(全国でも珍しいサークルだ)、そこにはめっちゃサブカルチャーに詳しい人たちがいて(同年代にも!)、萌えオタクに毛が生えた程度でしかなかった僕は強烈なカルチャーコンプレックスをおぼえたのだった。
そもそもちゃんと触れたことのなかった都市的なサブカルチャー(よく「サブカル」と呼ばれるようなやつも含む)やあるいは映画や音楽や文学などについてはもちろん格差があったのだが、自分がそれなりに触れていたオタクコンテンツ(アニメ、ゲーム、漫画)などについても僕よりも明らかに広く深くやり込んでいる人たちがゴロゴロいた。
自分は何をして生きてきたんだろう、とも思ったし、長らくコンプレックスをこじらせる内に、こんなの育ち次第じゃないか、と己の「文化資本」を恨みもした。そういやもう10年ぐらい前だけど、大学6年目にこんなブログを書いていたな。
「おぼのりさん」が「自分で選ぶ」ことの強み
遡れば京大入学以前、中学受験をしたときから周囲の人間の文化的教養レベルの高さに劣等感をおぼえ続けていたのだった。
しかし、コンプレックスに苛まれながらも、大学に入ってからはいろいろ読んだりネットで調べたり耳学問したりするうちに多少は固有名詞が頭に入るようになった(上には上がいるけども)。
そして、自分なりにもがき、なんとなくアイデンティティを確立していく内に「この分野は自分のライフワークだ!」と思えるものにいくつか出会うことができた。
重要なのは、全部「自分で選んだ感」があったことだ。そうか、この「自分で選んだ感」は物心ついたときからカルチャー教養を得てきた人たち、言わば「英才教育を受けて育ってきた人たち」にはなかなか得られないんだろうな、と気づいた。
物心ついたときに親などの影響で特定のカルチャーに触れたとして、その対象に必ずしも深くハマるとは限らない。
むしろ僕のように後追いで「自分で選ぶ」方が、ある種の必然性をもって対象に没入できる。ずっとコンプレックスに苛まれてきた僕だったが、これこそが自分の強みだなと思えるようになった。
そう考えると、純粋培養で東京生まれ東京育ちの人などよりも、途中から東京へと上京してきた人の方が、「自分で選ぶ」という点での強みがあるのではないか、ということが考えられる。
僕が「サークルクラッシュ同好会」を作れた理由
敢えて言うなら、僕は滋賀県の国道1号線近くの「郊外」で育った。そして京大という「都市」へとやってきた「おのぼりさん」だった。
何も知らないおのぼりさんだったからこそ、大学やネット上で誰かがやっている活動にどんどん飛び込むことができたし、様々な授業を楽しく聞くことができた。
そして、「サークルクラッシュ」というほぼ内輪ネタに過ぎなかった言葉になぜかピンときてしまった僕は、それをサークル名として用い、「サークルクラッシュ同好会」などという固有名が持つ文脈を無視したサークルを作りあげ、一点突破することができた。
「サークルクラッシュ」という言葉はそもそも批評家の宇野常寛さんが作った言葉であり、僕はその文脈を全然知らなかったし、東浩紀さんや宮台真司さんのような固有名詞や、彼らについての歴史をそれまでずっと知らないままだった。
もし変に最初から知識があったら、ナワバリや文脈を気にして踏み出せなかったかもしれない。若気の至りと言えば若気の至りなのだが、実際に活動をやっていく中で適切な文脈を知るようになっていった(そんなわけで、サークルクラッシュ同好会の会誌第一号だったか第二号だったかができた12年ほど前、宇野常寛さんには一度連絡してみたのだが、そのとき返信はなかった)。
ヘタな教養は初期衝動で突っ走るにあたっては邪魔になりかねないのだ。
まあ「生存者バイアス」ではあるんだけど
とはいえ僕は京大に15年もいるような人間なのでかなりの特殊例ではあると思う。「おのぼりさんの強み」理論がそんなに再現性のある理論なのかは心許ない。
僕は京大だったのもあって(そして末っ子なのもあって)きわめて自由でかつ時間があった。大学に入ってから急に選択肢が広がったことで、転学部したりサークル作ったりネットで人と出会いまくったり院進したりシェアハウスを作ったりなど様々なことがあった(大学では「サークル」「勉強」「恋愛」「バイト」の内2つぐらいしかまともにできない、的な話がある気がするが、さすがに15年もあると僕は4つともかなりやり込んだ)。
さらに、京大が「研究」的なノリで時間をかけて取り組むことを評価してくれる環境であったのも大きかった。僕のようにニッチな分野を選ぶことができれば、本などを読み込み「研究」していくと、1年ぐらいやり込めばかなりの「上位ランカー」になれてしまうところがある。
まあ、そんな自分の生存者バイアス(?)はあるんだけども、実際、東京に上京した上でクリエイティブというかカルチャー的な活動を長年やっている人だったら、いま書いたような感じでうまくニッチを見つけて成功している人はいるんじゃなかろうか。
特に消費社会トーキョーでは、人々はつねづね「差異化のゲーム」に勤しんでいるだろうから、うまいこと卓越化できる差異さえ見つけてしまえば、それなりのポジションには立てるだろう。
と、言うととてもくだらないことを言っているようにも見えるかもしれない。しかし、都市生まれで都市からほとんど出たことがないような人には「流行りモノ」しか視界に入ってこず、視野狭窄になってしまうのではないか。
これはうまくニッチを見つけられず自分を差異化できない――何者にもなれない――という差異化ゲームにおける敗北の話に留まらず、自分にとっての使命、ライフワークを見つけられない、というある種の不幸へと帰結するのではないか。
むろん、誰もが「ライフワーク」を持たなければならないとは思わないし、それがクリエイティブなものでなければならないとはなおさら思わない。
しかし、あなたが「何者か」になりたい人(ワナビー)であるならば、過剰な情報を押しつけ、過剰にコンプレックスを煽ってくる都市からはどこかで一度距離を置けるようにしておいた方が良いのかもしれない。僕にとっては大学がコンプレックスを刺激してくる場であったと同時に、大学が自分をコンプレックスから守る防波堤でもあった。
