男性多数の(≒ホモソーシャルな)集団における女性の困難~サークルクラッシュ同好会の人間関係を例に~

要約:

サークルクラッシュ同好会には「女子グループ」が苦手だった女性が集まりがち→彼女らは「男性多数の集団」に入っていく。

もっと一般化すると、男性多数で女性を性的に消費する「ホモソーシャル」の構造が背景にはある。ホモソーシャル集団においては女性はあらかじめ排除されていて、しかも集団に入ってこれた女性たちも分断されてしまう。

ホモソーシャル集団は体育会系っぽいのだけじゃなくて、オタクっぽいのもある。つまり、女性に接するのに慣れていない男性たちの作るホモソーシャルもある。そこでの実態は体育会系とは異なるが、やはり女性が排除・分断されてしまう側面がある。

サークルクラッシュ同好会固有の問題もいろいろとあるので、そのへんもサー同の人は読んでくれると嬉しい。

 

読むのにかかる時間:14分ぐらい

 

サークルクラッシュ同好会内の女性同士は仲良くできるのか?」問題が話題になっていた。この問題はサークルクラッシュ同好会というローカルな集団に留まらない一般的な問題を含んでいるので文章化しておく。

 

 話題になったのは要するにこういう問題だ。サークルクラッシュ同好会内の女性が男性からの承認を集める。あるいは具体的に男性からの承認を集めていないとしてもそう見える("あざとい"ように見える)。それゆえに、女性同士は同族嫌悪してしまい、仲良くできないのではないか。

 

「女子グループ」が苦手な女性が集まってくる

 この問題について根本から考えていこう。そもそも、サークルクラッシュ同好会に集まってくるような人は(男性も含めて)どういう人なのだろうか。
 これはあくまで僕の感覚に過ぎないが、僕が思うに集まってくる女性は「"女子グループ"が苦手な女性」である。例えば、同質性を重んずる中学生女子(発達心理学の語彙では「チャムグループ」と呼ばれる)はトイレにすら一緒に行く。「とりあえずみんな一緒に」についていけない女子はハブられてしまうのである。

 この「女子グループ」に違和感をおぼえて生きてきた女性がサークルクラッシュ同好会に入ってくる女性の大部分を占めていると僕は思う。
 では「女子グループ」に違和感をおぼえて生きるとどうなるか。これはバリエーションがある。それこそ分かりやすく女子グループからハブられてきた人もいるように思う。あるいはなんとか同調してやり過ごしてきたものの、強く違和感はおぼえていたという人もいるように思う。

 いずれにせよ大学生に上がる頃には女子グループを離れ、「男性と喋っている方がラク」というところに辿り着きやすい。

 

「女子グループ」におけるノリ、男性の視線

 この男性の視線、すなわち女性にとっての異性の視線というのも女子グループを構成する重要なファクターである。中学生女子のグループでは、「好きな人は誰?」という恋愛的な「ノリ」によって会話が成立するという。誰々が好き、ということを宣言することによってそれを応援するような流れも成立する。仮に好きな人が明確にいなかったとしても、誰かが気になっているということを敢えて言う、というような戦略を取る人もいると聞く。
 逆にこの「ノリ」を脅かすことは許されない。例えば、男子グループとの距離が近いことによって男子に好かれている(ように見える)女子。これは、女子グループからは「抜け駆け」として非難される。中学生女子にとっては同性を取るか異性を取るかはダブルバインドなのである。このダブルバインドを解決するためには、女子グループでの「誰々が好き」という宣言があって、女子グループ内での認証を経た上で、なのである。この認証のステップを抜きに男子と仲良くなってしまうと、「なにあの子、男子に色目使ってチョーシに乗っちゃってさ」となるわけだ。
 いささか誇張した話だが、こういった「ノリ」についていけない女性は女子グループでの「認証」のステップを面倒に思う。「認証」のためにはそもそも女子グループで会話が成立しなければならない。同質性を重んじる女子グループでは「みんな一緒」であることを確認するコミュニケーションが重視される。そこでは個性を発揮してはいけないのだ。まず相槌を打って合わせる。「雑談か議論か」で言えば、圧倒的に「雑談」の側のコミュニケーションだ。「毛づくろいコミュニケーション」と言ってもよい。

 

「男性多数の集団」に入ってしまうメカニズム

 こういったコミュニケーションを面倒に思い、男と喋っている方がラクになってしまうというところがある。結果、どちらかと言えば男子グループの方に入っていき、大学生になったときにそれが顕著になる。
 あるいは実際にハブられてしまった女性の場合、女子グループから逃げた先にあるのは男子グループである。中高時代は教室の人間関係にうまく溶け込めなかったとしても、大学生になってしまえば集団はそれぞれ分立している。要するに「サークル」に入ってしまえば自分の居やすい場所を確保できるのである。ハブられてしまった女性はある種のトラウマ的な「女性不信」を抱えて男性多数の集団を訪れるのである。

 以上より、女性が男性多数の集団に入っていくメカニズムの一部を考察した。つまり、まず第一に重要なことは「サークルクラッシュ同好会は男性多数の集団である」ということである。少なくとも男性中心の集団である。特に、サークルクラッシュ同好会において言えば、このような「"女子グループ"が苦手な女性」が特に多く集まっているように思う。

(21時追記:なので、そもそも女性が苦手、という人が集団に集まっている。そのために、女性同士が仲良くできないという側面はまずあるだろう)

 

 しかしもちろん、女性が男性多数の集団に入っていくメカニズムはこれだけではないし、男性多数の集団における女性は実際にはもっと多様である。単に男性多数だったり男性中心だったりする集団は他にもいくらでもあるのだ。サークルクラッシュ同好会固有の問題から離れた上で、もう少し解像度を上げて考えてみよう。

 

ホモソーシャル集団への女性の入りにくさ

 男性多数・男性中心の集団でパッと思いつくのは体育会系の集団である。体育会系の集団では「男性性」も「女性性」も誇張された形で表れていることが多い。そこでの男性同士の強い関係(しかしホモセクシャルではない、と彼らは言うだろう)を指して「ホモソーシャル」とも呼ばれる。この構造は体育会系に限らず見られる。
 ホモソーシャルな集団においては、女性はあらかじめ排除される。というのも、まずホモソーシャルな集団では、男性から女性に対して異性愛的な視線が向けられ、そういった性愛の話題(典型的には男同士の下ネタや男性内で女性を評価するような話題など)が挙がりやすいからだ。

 そして「女性」を話題にすることで男性たちが絆を強め合う。そこには女性が入りにくいだろうし、集団内の女性が直接的に異性愛的な視線に晒されることもままある。ひどい場合はそれが直接的なセクハラにまで繋がってしまうこともある。よって、そういった異性愛的な視線に耐えたり、うまくかわしたりできる女性しかその集団には入ることが難しい。

 

ホモソーシャル集団における女性の分断

更に、ホモソーシャルな集団においては女性同士が分断される。このような集団に入れる女性の多くは、

A:男性と趣味嗜好を共有し、同じ目線で会話できる「男のような女性」(いわゆる「名誉男性」)

か、

B:男性の視線を内面化し、性的に客体化された女性

の2パターンである。

 Aの女性とBの女性はそもそもタイプが違っていて相容れない場合が多い。そして、Bの女性たちの中でも分断が起こっている。Bの女性たちは男性からの承認を資源としており、同じように男性から承認を集める女性を「敵」として認識せざるを得ない側面がある。男性からの承認というパイの奪い合いが起こってしまうわけである。似ている立場であるからこそ嫌な側面(具体的には男性からの承認を集めるための行動)がよく見えてしまい、「同族嫌悪」をしてしまう……といったことが起こりうるだろう。
(また、Bの中には性に奔放な人もいる。性に奔放な女性はこの21世紀になってもなお(男性からも女性からも)蔑視されてしまう側面がある。

 その理由は二点。①Bの女性たちからすると性に奔放な女性は「承認を得るためにズルをしている人」と映るから。また、②性に奔放な女性は蔑視していいという文化が脈々と続いてしまっているから、である。性に奔放であることによるリスクというテーマは興味深いが、これ以上詳しくは延べない)


 ともあれこのように、ホモソーシャルな集団では構造的に女性同士が分断されてしまう側面がある。ではサークルクラッシュ同好会がホモソーシャルな集団か、というところだが、これは部分的にはそのとおりだと思われる。しかし、そうは言い難い側面もある。

 

「オタク的ホモソーシャル」もある

 「ホモソーシャル」概念においては、男性がどれくらい女性と接するのに慣れているか、という側面が捨象されている。そのため、体育会系の集団に限らず、例えばオタクたちの集団も「ホモソーシャル」だと考えることが可能である。男性たちが女性に対して異性愛的な視線を向けているという点では等価だからだ。

 

男性の女性に対する問題のある接し方

 しかし、典型的なオタクたちの集団では三次元の性愛経験に乏しい人間が多い。そのため、女性への接し方が体育会系のソレとは異なってくる。

 体育会系の側、つまり、女性への接し方に慣れている男性たちのホモソーシャル集団(以下、「体育会系的ホモソーシャル集団」と表記する)の場合、男性の女性への問題ある態度は大きく二種類に分けられる。一つ目は「優しい態度」だ。男性たちは女性を獲得するために女性に対して露骨に優しい態度を取る。それだけならば女性にとってはまだ問題はないだろう。しかし二つ目の「消費」の態度が問題である。最初は優しかったものの、いざ集団になじみ始めると露骨に性の対象や下ネタの対象として扱われ始めるわけだ。そこでは女性は「消費」されている。
 一方、女性と接するのに慣れていない男性たちのホモソーシャル集団(以下、「オタク的ホモソーシャル集団」と表記する)において、女性への問題ある態度はどうだろうか。問題ある態度が三種類ある。

 一つ目は「距離をおく」だ。女性と接することに慣れていない際、そもそも話しかけることができなかったり、適切な話題が見つからなかったりといったことが起こってしまう。これでは女性は集団内で疎外感を覚えてしまうだろう。

 二つ目は「男性のように接する」である。女性と接するためのパターンが分からない男性は、男性の友人に接するかのように女性に接するのである。すると、男性の話題に対応できる女性のみが集団に居ることができる。

 三つ目は「ゴリ押し」である。集団内に女性がいると誰にでも告白する、という男性を見たことがないだろうか。女性に対して常にゴリ押しする男は一定数いる。しかし多くの場合女性に気持ち悪がられてしまい、相手にされない。しかし、うまく断れない気弱な女性は被害に遭ってしまうのである。これは、体育会系のところで説明した「消費」の態度と似ている。いずれにせよ女性はセクハラ的な被害を受けてしまうからだ。

 

オタク的ホモソーシャルに入っていける女性

 以上から、オタク的ホモソーシャル集団においても、「どういう女性が入っていけるか」という問いを考えてみよう。

 まず、体育会系的ホモソーシャル集団と同様に、「A:男性と趣味嗜好を共有し、同じ目線で会話できる「男のような女性」(いわゆる「名誉男性」)」は多いだろう。

 ただし「趣味嗜好を共有」というのも、非常にゆるやかになってきている側面はある。例えば男性中心のオタク集団に「腐女子」や「女性のオタク」と呼ばれるような人たちが参入してくることは珍しいことではなくなった。そこには「男性の趣味嗜好」とは似て非なる何かが文化として根づく可能性がある(腐女子の例を出したように、オタクサークルにおいて典型的なのはBL文化だろう。僕自身、オタクサークルにいたときに「女性向け」のジャンルで集団内の勢力を伸ばす人たちを目の当たりにしたことがある)。

 ただし女性がホモソーシャル集団で独自の地位を確立する例は体育会系の集団においても見られる。例えばスポーツ集団における「女子マネ」も、ある種のケアワーカーとして専門化すると、集団内で自立した地位を獲得するという話がある(しかし、腐女子の例と違って、あくまで「ケア」という女性役割からは逃れていないかもしれない)。

 このように、集団に入っていける女性は体育会系的ホモソーシャルとオタク的ホモソーシャルで異なるのである(つまり、ホモソーシャル集団の中でも「男性が女性に接するのに慣れているか否か」で異なる)。

 

 次に、体育会系の方で挙げた「B:男性の視線を内面化し、性的に客体化された女性」の方はどうだろうか。「オタサーの姫」という言葉が話題になって久しいが、実はオタクサークルでも男性から女性として見られることをある種利用する人はいる。あるいは、利用しているという意識はなくとも、結果的にそれで得をしている人はいるだろう。

 もっとも、先ほど述べたように、男性からの承認は体育会系集団のソレとはだいぶ異なる。あくまで慣れていないなりの承認であり、その異様さゆえに男性たちは「囲い」だとか「騎士」だとか揶揄されてしまうのであろう。

 

オタク的ホモソーシャルでもやはり女性は分断される

 このように「ホモソーシャルな集団に居やすい女性」のAとBという分類は、オタク的ホモソーシャル集団においては体育会系的ホモソーシャル集団とはだいぶ実態が異なるものの、根本的には似ているように思われる。これによってやはり多くの女性は集団に入りにくく、あらかじめ排除されてしまう側面はある。また、集団に入ったとしても、女性同士は分断させられてしまいがちである(AとBは仲良くできず、B内では男性の承認のパイの奪い合いが起きる)。


 説明が長くなったが、ホモソーシャルを「体育会系的ホモソーシャル」と「オタク的ホモソーシャル」に分類してみた。「オタク的ホモソーシャル」の概念を使えば、サークルクラッシュ同好会の状況をうまく説明できるかもしれない。実際、サークルクラッシュ同好会の男性たちで女性に接するのに慣れていない人は多いように思う(かく言う私がそのような問題意識でこのサークルを作ったのだから)。

 

ホモソーシャル集団における女性の分断の解決策

 ここで、「サークルクラッシュ同好会内の女性同士は仲良くできるのか?」という問いに戻る前に、大急ぎで一応、これらの問題の解決策の例を急いでいくつか示しておこう。

 ①男女の関係をただちに性愛関係として扱わないこと。男女間の友情が成立するポイントを作るのが良いだろう。例えば恋人のいる男女は恋人がいるがゆえに他の異性と「友だちどまり」にすることができる、という例がある(それで浮気に発展したら最悪だが)。

 ②男性の側は女性を性的に消費してばっかりでなく、ちゃんと一人の人間として接するポイントを作るべきだろう。性愛関係なしで、普通に優しい人間になれば良いのではないか。

 ③女性の側は敵視しなくていい女性を見つけること。利害がぶつかり合わないけどお互いに認め合える「ソウルメイト」的な存在が良いのではないか。

 他にも単に集団内の女性を増やすだとか、性に奔放な人を蔑視しないだとか、集団内でみだりに手を出さないだとか、いろいろ考えられるだろうが、とりあえずこんなもんで。

 

サークルクラッシュ同好会独自の問題(おまけ)

 しかし、以上のホモソーシャルに関する考察をもってしてもなお「サークルクラッシュ同好会内の女性同士は仲良くできるのか?」という問いに対して決定的な答えを与えたとは言い難い。しかし、「ホモソーシャル」という男性多数の集団における一般的な問題が背景の一部にはあるということは示せたと思う。
 よって残りの考察は一般化の難しい、サークルクラッシュ同好会独自の問題であり、おまけである。サークルクラッシュ同好会の人間にとって考えるヒントになりそうなものだけ箇条書きで示しておこう。

 

●女子グループに馴染めなかった女性は、ポジティブには「好きなものは好き!」という嗜好をはっきり持っている。その個性に基づいて男性が多い集団を選ぶ。

 しかし、ネガティブには「女性からは承認を得られないので男性に頼ろう」と、承認を求めて男性が多い集団を選ぶ。

 これは「サークルクラッシャーは二種類いる。前者は天然型、後者は承認欲求型」という言説にちょうど対応しているようにも思われる。実際には両方の側面を持っている人も多い。サークルクラッシュ同好会に集まってくる女性からこういう要素を感じることもある。

 

サークルクラッシュ同好会に集まる人間は大まかに言って、男女問わず「たくさんの集団に入った末にサークルクラッシュ同好会にも入る」タイプか「他に居場所がないからサークルクラッシュ同好会にも来てみた」タイプに分けられるように思う。

 前者(多動系)はいろんなことに興味が向いてしまう多動的な人だと思う。後者(居場所系)はサークルクラッシュ同好会のテーマ(居場所がない、恋愛関係のトラブル、など)に対してある種シリアスに悩んでいる部分がある人だと思う。両方の要素を持っている人ももちろんいる。

 

サークルクラッシュ同好会の女性がIT系に就職することが多い。ここから、おそらく女性的な役割(他人のサポートやケア、対人的な感情労働)が相対的に苦手だったりやりたくなかったりという人がけっこういるのではないかという話になった。ただし女性役割は拒否しても、女性として異性愛的に承認されることを放棄していない人は多いように見える。ちなみにさっきの「多動系/居場所系」の分類で言えば、IT系に就職する女性は多動系に寄っているように思う。

(21時追記:当事者から指摘を受けましたが、IT系においてもサポートやケア、対人的な感情労働はありますし、「IT系に行く人は女性的な役割が苦手」はさすがに根拠に乏しいかもです)

 

サークルクラッシュ同好会の男性は男らしさ規範から逃れたい/逃れている人が多い。「ジェンダーこじらせ」とでも形容できようか。

 第一に大きな勢力として、恋愛を男性内での競争と捉えてしまい、それにおいて敗北しているという自己認識を抱いている人たちがいる(非モテ系)。また、他にも例えば男性と接しているより女性と接している方がラクだとか、女装願望のある人だとか等々がいる。

 

最後は身内向けな文章でした。